囁かれる王宮の噂 前編
祭りが終わり、普通の暮らしに戻ったオーガは、案の定、囁かれている噂に気付く。
あの者達が流していると思われるそれは、オーガにとって都合の良い物だった。王宮の生活では、不必要な物であったが、これから成す事には必要な物。
故に、肯定も否定もせず、曖昧に流すだけ。いや、否定しているが、曖昧さが目立ち、肯定しているようにも取れる、返し方をしていた。
意図的にされたそれは、何時の間にか王宮を巡り、他国まで流れて行ったらしい。そして、他国からこの国へと、問い合わせが殺到した。
当然否定も肯定も出来無い状態となり、彼等兄弟の身辺を探る者達が跋扈し、騒がしくなる。幾ら本人達が否定しても、出てくる証拠で彼等が、あの国の王族で無いかという、疑いの方が強くなって行く。
然も、王国復興の輩も一躍噛んでいて、真実味が余計に深まった。
偽りの身の上で、偽りの話…それが何の因果か、偶然にも一致している事に、オーガは笑っていた。
運命の神・フェーニスの悪戯か、あるいは他の存在が関わっているのか、見当も付かなかったが、彼の思惑通りに事が運び、遂に、この国の王であるガイナレムの耳へ届き、王宮は荒れに荒れた。
無論、エレラもその噂を知り、戸惑う様子を見せた。
オーガの傀儡である彼女の行動は、以前から組み込まれていた物であったが、国王にとって寵姫の戸惑いは、噂が真実と思わせた。只、エレラも直接問われると、否定の言葉しか出ない為、確証には至らなかった。
「申し訳ございません、今は…何も言えません。」
涙を浮かべ、そう答えるエレラに、ガイナレムも折れて問うのを止めてしまう。
愛しい者が、悲しむ姿を見たくないとばかりに、他の者へ否定の言葉を言うが、全く効果は無い。一向に減らない、他国からの非難と問い合わせに、とうとう彼の堪忍袋の緒が切れた。
元々傲慢な面があった王であったが、エレラが寵姫となった今、冷静さを失い、己の我儘を通す様になっていたのだ。
国よりも寵姫…今まで数々の国を貶めた、愚王の遣ってきた行いを、この国の王が仕出かす様になる。寵姫であるエレラは、王を止める為に、自分達兄弟を差し出す様に言うが、彼は頑として首を振らない。
失いたくない寵姫故に、彼の行動は思い掛け無い物となる。
【周りの国が五月蠅いのなら、滅ぼすか、従わせてしまえ。】
武力では問題の無い大国故の、暴挙…他国との戦の準備を始めたのだ。
その事は、近衛騎士であるアーネベルアにも知れ渡った。
彼は近衛騎士である前に、神に祝福されし者であり、神の剣である為、自国の戦に参加する事は、神々の許可を取らなければならなかった。
「べルア様、陛下が…戦を始めるようです。如何されますか?」
部下であるレナフレムから尋ねられ、速答を返す。
「フレィリー様に御伺いするよ。
私はあくまで、神々の騎士になるからね。国に忠誠を誓えない身だから、神々の許可が出れば、参加する事になるよ。
だけど…許可が得られなかったら、その時は…。」
「その時は?」
「我が主の許へ、馳せ参じる事になる。
フレアム達は自分の意思で、今後の行動を決めてほしい。」
アーネベルアの言葉を聞いて、レナフレアムは真剣な眼差しを送った。
「べルア様、私の主は貴方ですよ。私は貴方と共に行きます。
フレィリー様へのお伺いの結果が判ったら、レニアとエニア達に伝えておきます。」
「…べルア様は、私達を無視されるのですか?」
不意に聞こえた声に振り向くと、彼の副官が扉の前にいた。補佐官を伴った彼は、アーネベルアに微笑み、近付いて来た。
「無視した訳じゃあないよ。私が抜けたら、君に後を頼もうと思って…ね。」
「残念ですが、お断り致します。
私も今の王宮と王には、忠誠を誓っておりません。
私が忠誠を誓っているのは、国と国民にのみ。
国を揺るがせ、国民に無体を働こうとしている王へ、力を貸そうとは思いません。それは、ハルトも同じです。」
後ろに控えている副隊長補佐官も頷き、口を開く。
「義理ではあるが、妹が迷惑を掛けている。それを正すのは、兄の役目。
…オーガなら、何か知っているかもしれん。」
後宮の警備に当っている義理の弟であり、寵姫の実の弟の名が挙がった。
彼の事を思いだし、その上司であるレニアーケルトに、繋ぎを取る事にした。話し易いと思い、相手は義理の兄であるハルトべリルに頼む。
「ハルト、レニアに話を付けて置くから、オーガ君から聞いておいてくれないかい。私は明日、神殿へ行く予定だから、ウェールムケルト近衛副隊に後を頼むよ。」
「判りました、明日、一日だけなら、お受けしましょう。
フレィリー様に宜しくと、お伝え下さいね。」
副隊長の言葉を聞き、アーネベルアは明日に向けての準備を始めた。
次の日、朝から呼び出しを受けたオーガは、レニアーケルトの執務室へと足を進めた。扉を叩き、中に入る様に促されると、そこには義理の兄のハルトべリルがいた。
ある程度予想は付いていたが、態と不思議そうな顔をした。
「レニアーケルト分団長殿、御呼びと聞いて来ましたが…何故、ハルトべリル副隊長補佐殿が、いらっしゃるのですか?」
公務として対応するオーガへ、ハルトべリルは苦笑しながら告げる。
「オーガ、お前と話がしたいから、
べルア様に頼んで、レニアに呼び出して貰ったんだ。」
「…?御話ですか?」
「ああ、義理とは言え、兄として、お前に聞きたい事があって…な。」
兄と私的な事を聞きたいと言われ、大体の想像が付いたオーガは、包み隠さずにそれを話す。
「聞きたい事とは…姉上の事ですか?」
的を射た質問に、ハルトべリルは頷き、先を話す様に促した。
彼の様子に、あらかじめ用意していた回答をオーガは答える。
「姉上は…塞ぎ気味になっておられます。
陛下が自分を護る為に、戦を始められる事に、悲しんでおられます。
陛下には、この国を護る為に、私達を相手の国へ差し出す様に進言されていますが、陛下はそれを御認めにならないのです。
自らの命を断とうとしても、周りの者がそれを止め、姉が死んで、陛下が悲しむ事を告げられては、それも出来ません。
…分団長殿、私を…姉上の代わりに、相手の国へ差し出して下さい。
今なら…戦を止める事が出来ます。だから…。」
「それはならぬ!!」
急に聞こえた、聞き覚えのある声に、室内にいる全ての者が、声の方向へ顔を向ける。そこには、この国の王であるガイナレムの姿があった。
何時もの様に豪華な衣装に身を包み、怒りを顕にして、オーガへ視線を送る。それを受け止め、一礼をして脇へ移動するオーガを、王は引き留めた。
強く腕を掴まれ、顔を上げさせられたオーガは、驚いた顔を作り、国王を見つめた。
「そなたを、向こうの国へ差し出す事はならぬ。無論、エレラも同じだ。
そなたがいなくなれば、吾が寵姫が悲しむ。そなた達は吾が護る。」
王の直接の言葉に、レニアーケルトもハルトべリルも無言になった。
オーガの方は、驚いた顔を真剣な物へ戻し、王に頭を下げる。
「勿体無い、御言葉でございます。ですが、国の安定を考えると、私達兄弟を差し出し、相手方に彼等で無い事を示せば、戦は避けられます。
無礼を承知の上で、私如き者が言うには、烏滸がましいとは思いますが、陛下へ、進言を申し上げさせて頂きます。
この度の件、如何か…御考え直して下さい。」
「無理だ。そなた達が、あの王族で無い証拠が…見つからない。
聞いている身の上も、そなたが持つ剣の経緯も…あの王族と同じだ。然も、姿さえ、同じとなれば、尚更だ。
……何も案ずる事は無い、そなた達は、吾が護る。誰にも口出しをさせぬ。
例え、炎の騎士でもな。」
言いたい事を言うと、王はその場から去った。
残された彼等は、王の行動に内心頭を抱え、国の為に王を見切った。
当事者の意見も聞かず、己の恋愛を貫く愚王。
その姿をはっきりと見せられ、国を揺るがす戦を始めようとする彼を、近衛騎士達は、国を治める王と認められなかった。
そんな中、静寂を破る様にレニアーケルトが、溜息を吐いた。
「陛下は…変わられた。
いや、元々あの様な振る舞いが見えてはいたが…今回ほど酷い物は無かったな。
ハルト、お前は如何する?」
「俺は…べルア様の許へ行く。オーガも連れて行きたいが…無理だろうな。」
ハルトべリルの言葉に頷き、その理由を述べた。
「姉上を置いて、ここを離れる事は出来ません。
姉上を護る為に、ここに残ります。
…ハルト義兄上、如何か、バート義兄上の事を御願いします。」
恐らくは、以前言っていたバルバートアがいる知人の処へ、アーネベルアが行くと思い、そう告げる。この戦は神々が認める事は無く、炎の騎士が戦に参加出来無い事を想定していたのだ。
戦の原因が、あの国の王族の疑いのある者なれば、尚更だ。
時は来た…そう、オーガは思った。
彼等騎士達と、袂を分かつ時が来た………
これからは一人、邪精霊として、この国を滅亡へと導く事になる。再び彼等と出会う時は、敵として、相対する者として、彼等の前に姿を現し、偽りの殻を脱ぎ捨てた状態の、人間と…神々と敵対する厄災として、オーガは存在しているだろう。
段々と近づいてくる未来の出来事を、オーガは思い描いていた。
オーガと国王から、聞きたい事を聞き出したハルトべリルは、レニアーケルトの執務室から出て、この事をアーネベルアに告げた。
ハルトべリルから聞いた事で、アーネベルアは、炎の神からの返事が予測出来た。
降りないと思える許可の為、身の回りの整理を始め、引継ぎを予定する。
自分の補佐から話を聞き、副隊長も同じ事を始め、明日、アーネベルアが神殿を出て、王宮の引継ぎを終える頃に合流する事を決める。
急な引継ぎの為、以前から後にと考えた者達を上げ、準備をする。
夜遅くまで続いたそれは、翌日には全て完了していた。
後は、炎の騎士が神の言葉を聞き、戻るまでの保留となった。