騒動の始まり 前編
新章に突入です。
翌日、早朝訓練を終えたオーガは、昨日言われた通り、アーネベルアの執務室へ、エニアバルグとファムトリアと共に赴いた。
そこには既に部屋の主と、光と炎の精霊が座っている。
今日はまだ休みであったが、一応上司の呼出なので、彼等は制服を着用していた。
「良く来たね。で、昨日の事なのだけど、報告出来るかな?」
微笑を添えてアーネベルアから、告げられた言葉にオーガは、両脇の二人から先に言うよう催促をされた。意を決して口を開いた彼は、一番先に謝罪した。
「勝手に行動して、申し訳ありませんでした。
その…渡された手紙が手紙だったので、一人の方が良いと、判断しての行動だったのですが…迂闊でした。」
そう言って、あのリボンの群れに紛れた手紙を、アーネベルアに渡した。
用件だけを簡素に書かれたそれに目を通し、納得したように頷いた彼は、溜息を吐く。
オーガの行動は判らないでも無いが、相手が誰か不明の呼び出しに態々出向くとは、大丈夫なのかと思った。
無言になった目の前の上司へ、オーガは続ける。
「この手紙…多分、あの国の者からだと考え、私が囮になれば、王国復興を願う彼等を捕まえる事が、出来ると思いまして………。
だけど、まさか…バート義兄上いえ、バルバートア殿が、怪我をなさるなんて、思わなくて…。心配と御迷惑を御掛けして、申し訳ございません。」
「そうだね…勝手に行動したのは駄目だけど、彼等を捕まえようとしたのは正解だね。あの国を再びと、思っている残党は、神々からも捕える様に言われている。
王国復興を望まない者は放置しても良いけど、君があの殿下に疑われている以上、復興を望む輩が接触するよ。」
「…私も、それが問題だと思っています。
私はあの国の王族とは、何の関係もありませんし、今の生活を望みます。ですが、もし、この国に迷惑が掛るなら…姉共々、この国を出ます。」
覚悟を決めた様に言うと、アーネベルアから、返事が掛る。
「この国を出る事に関しては、陛下から、御許しが貰えないかもしれないよ。
君の姉上は、陛下の唯一の寵姫であるから、手放す可能性は低いね。」
告げられた返事に無言になり、俯くオーガへ、軽い痛みが走る。
頭に何か当たったらしい痛みに、顔を上げると、呆気に返っているレナフレムと、笑いを堪えているアーネベルアが見えた。両脇を見ると、ファムトリアは頭を抱え、エニアバルグが怒った顔をして手を上げていた。
「オーガ、この国を去るなんて、軽く言うな!お前は、この国の住人だろう?
あの国とは、関係ないんだろう?だったら、堂々としてればいいだよ。
逃げたりなんかしたら、余計に疑われるぞ。」
「…エニア…そうだね、判ったよ。でもね、頭…痛いんだけど…。」
「判ったなら良い。痛いのは、我慢しろ。」
ついでに叩かれた文句を言うと、反論が帰って来る。その遣り取りで、我慢出来無くなったらしく、アーネベルアの方から、笑い声が聞こえた。
彼の様子に、傍にいる補佐官が叱咤する。
「アーネベルア様。彼等を叱るのでは、無かったのですか?
エニアバルグ、友人を叱咤するのは構いませんが、手を出すのが先なのは、感心出来ませんよ。」
「…申し訳ございません、レナフレアム様。」
精霊剣士の指摘に、シュンとなるエニアバルグに、ファムトリアが追撃をする。
「エニア、手が先に出る癖を直しなさいと、何度言われました?
分団長にも、御両親にも言われた筈でしょう?何故、直らないのでしょうね。」
彼の言葉に反論出来無いらしく、エニアバルグは押し黙る。その様子を見たオーガは、誰かと重なって見えた。
今は亡き、兄であるアンタレスとフォンア…アンタレスの癖は、エニアバルグとは違ったが、それを何時も注意するのが、フォンアだった。
懐かしい面影と、悲しみ…それが表に出ていたらしく、アーネベルアとレナフレアの視線がオーガへ集まった。
何かを思い出した様な、懐かしくも悲しい表情に、アーネベルアが口を開いた。
「オーガ君、如何したのかい?」
問われてはっとなり、理由を述べるが如何か迷ったが、素直に述べる事にする。
「…エニアとファムを見ていると…知人を思い出してしまって…。あの人達も良く、彼等みたいに、直らない癖に言い合いをしていて…それが懐かしくて…。」
そのまま顔を下げ、心の内から洩れそうな怒りを抑える。
人間によって、失われたものを思い出す事は、オーガの心の奥底に隠してある怒りが、湧き上がってくる出来事さえも、思い出す事になる。
目の前の、紅の騎士に気付かれてはいけないと、漏れそうな邪気ごと隠そうとした。その途端、不意に腕を掴まれ、顔を上げざる負えなくなった。
掴んだのはエニアバルグ、その顔には心配そうな表情があった。
彼の顔に、何時もの微笑を張り付ける。
「大丈夫か?泣いている…訳じゃあなさそうだな。」
掛けられた声に頷き、返事をする。
「大丈夫、私は…今、生きています。
だから…亡くなった知人の分まで…僕は…ここで生きて行きます…。」
感情を押し殺して言う台詞に、周りは納得した。
しかし、彼等は押し殺された感情が、悲しみで無く、怒りだとは気付かない。
一名を除いては……。
「オーガ君とファムトリアは、昨日の事を報告書に纏める事。
エニアは書かなくて良いけど、手伝おうなんてしない事。
期限は…そうだね、三日後に提出してくれればいいよ。」
今後の彼等のすべき事を言い渡し、御説教紛いの物は終わりを告げる。アーネベルアは彼等に退出を命じるが、オーガだけは何か言いたそうに彼を見つめる。
何度か視線を逸らし、意を決した彼は、アーネベルアに話した。
「…べルア様…私のような者が言うのは…礼に掛けると思いますが…あの…バルバートア殿の事なのですが…。」
彼が言おうとする事柄を、悟ったアーネベルアは、微笑を添えて答える。
「あの、忌まわしき者達が、狙う可能性があるって事かな?
私自身が動く事は出来ないけど、私の屋敷の精霊剣士達が、護衛に就いてるよ。
今、彼がいる屋敷には、私の知人が沢山いるから、用心の為に、数人の精霊剣士達が常時詰めているんだ。彼等はレナフレアムと同じく、私に仕えてくれている者達だから、安心して良いよ。」
義理の兄が、自分の為に狙われると思ったオーガの気持ちを、汲んだ回答が返って来た。ほっとして、安堵の微笑を浮かべる彼は、如何見ても兄想いの弟にしか見えない。
只…一瞬だけ、アーネベルアが感じた気配は、オーガが、あの忌まわしき国の皇子で無い事を、彼に知らしめた。
人間の気配では無く、純粋な木々の精霊の気配と…邪気。
気の所為だと思いたいが、一瞬だけの物だったので、定かでなかった。
先程の言葉で、安心したオーガは、アーネベルアの執務室を出て行った。
彼等が出た部屋では、アーネベルアが、レナフレアムに尋ねた。
「フレアム、オーガ君の事だけど…あの子、一瞬、気配が変わらなかったかい?」
「え…気付きませんでしたけど…変わったのですか?」
気付かなかったらしい精霊の言葉に、何かの間違いだったのかと思い、何でも無いと返すと精霊は、彼の机に何時もの通り、書類を置き始める。
それを見ながらアーネベルアは、オーガの気配の変化を考え出す。
一瞬しか判らなかった気配だったが、確かにあれは邪気であった。
オーガの顔は下を向き、その表情は見えなかったが、押し殺された怒りの感情を、アーネベルアは読み取った。恐らく昨日、ファムトリアが受け取った、怒りの気配と同じ物だと思った。
その事を踏まえると、ファムトリアは、神聖な者の怒りで震えていたのでは無く、本能からの恐怖の源…邪気に恐れていたのだと推測出来た。
先程感じた気は、アーネベルアにとって、身に覚えのある物。
そう、彼は炎の剣の主であるが故、普通の精霊には気付き難い、僅かな邪気も感じ取れるのだ。一瞬漏れ出したオーガの邪気…それを敏感に感じ取ったアーネベルアは、バルバートアが頼んだ一件を早めようと、考える事を止め、山済みになっている仕事を片付け出した。
部屋に帰ったオーガは、素早く報告書を纏め、城を離れた間の出来事を傀儡を通し、確認していた。
如何せん、祭りの間は、エニアバルグとファムトリア、そしてバルバートアとアーネベルアの誰かが常に一緒だった為、傀儡との連絡が取れなかったのだ。
その中、不審な人物が王宮内をうろつき回っていた。
あの忌まわしき王国・ディエアカルクの手の者で、密偵と呼ぶに相応しい者だった。
上手く人間の気配のみ纏い、時にはそれを消して辺りを探っている様子を、オーガの手の者がさり気無く観察している。
当人はそれに気付かず、密偵としては如何かと思われるが、相手は邪気の傀儡。
操り人形に過ぎない為、普通の仕事の際に探られているとは気付けないのだ。
流石に王国復興を願う輩と思い、そのまま放置する事を決め、傀儡達には現状通り行動を見る事を命じた。何れは密偵自身が、オーガに接触をすると推測出来たが、その時に、自らその者への対処を判断する事を決める。
城内へ意識を巡らせている時、それを中断させるかの様に部屋の扉が叩かれた。
意識を己の体に戻し、部屋の扉を開ける。
扉の前にはエニアバルグとファムトリアが、オーガを呼びに来ていた。何事かと思い、尋ねると、エニアバルグが頭を抱えた。
「やっぱりな。ファム、俺の言った通りだっただろう?
報告書に夢中になって、時間を忘れてるって。」
「そうですね…エニアの体内時計が正確過ぎて、困りものでしたけど、オーガには丁度良かったみたいですね。オーガ、お昼の時間ですが、如何します?」
二人に言われて、部屋にある時計を見ると、確かにお昼時であった。食事をするのを、忘れている事に気が付き、彼等の誘いに頷く。
普段から余り、食事を摂らないオーガであったが、操っていない者へ仲良さそうに見せる為に、彼等と行動を共にする事が多かった。
彼等は、アーネベルアの信頼の置ける部下。
それ故に、他の者から、オーガへの不信感を除く役目を担わせていた。無邪気な笑顔を見せ、時にはふざけている姿は、友人の様に見える。
それが彼等の、表面だけの偽りだと、誰も判らなかった。