怪我の功名 後編
次回から、新章突入です。
同じ頃、ファムトリアは、エニアバルグを伴い、炎の屋敷へと向かっていた。
上司への報告と称して、急遽外出許可を取り、エニアバルグと共に屋敷へ向かう。伝える事はオーガの事であった為、彼を外しての行動であった。
炎の屋敷に到着した彼等は、使用人に案内され、ここの主人であるアーネベルアのいる部屋に通された。
そこで、元の紅の髪と紅金の瞳に戻っている上司に、用件を告げる。
「アーネベルア様、先程述べた件で、此方に赴きました。
…エニアにも、話した方が良いと判断し、連れて参りました。」
部下の言い分に頷いたアーネベルアは、その件が何かと推測出来た。
そして、その事を口にする。
「ファムの伝えたい事は、オーガ君に関しての事だね。
然も、バートが怪我をした時に知った事…そうだね。」
「はい。私はあの時、不覚にも震えてしまい、剣士として役には立ちませんでした。ですが…オーガは…躊躇する事なく、相手に向かって行きました…。
それが…」
「何時も使っている右手では無く、左手だったと。」
アーネベルアの言葉に頷き、あの時の事を思いだしているファムトリアは、無意識に自分の体を抱き締め、震えだす。その様子に、エニアバルグとアーネベルアは驚き、横にいるエニアバルグが彼へ話しかける。
「ファム、また…震えているぞ。
そんなにディエアカルクの連中が、恐ろしかったのか?」
「いいえ、私が恐ろしいと感じたのは……あの近衛騎士ではありません…オーガです。何時もと違う重々しい口調で、怒りを露にした彼が…恐ろしかった。
王族の様な威厳と口調、そして…一瞬でしたが、垣間見れた…類稀な剣技…。そのどれを取っても、恐ろしかったのです。」
あの時の状況を思い出し、恐怖の表情で語るファムトリアは、紅の騎士へ問った。
「アーネベルア様、オーガは…ディエアカルクの王族なのですか?
それとも…人外なのですか?」
ファムトリアから尋ねられた質問で、アーネベルアは、バルバートアから聞いた話を思い出す。
精霊騎士が捜している者。
バルバートアはそちらの人物が、オーガでないかと疑っている。まだ、未確認であるが故、伝えるか如何か迷っていたが、思い切って話し出した。
「ファム、エニア、これはまだ確認出来ていない情報で、他言無用にして欲しいんだ。バルバートアから聞いた話なんだけど…ね。
オーガらしい人物を精霊騎士達が、捜しているという物なんだよ。」
「…え…精霊騎士が…ですか?
あの、神々に仕える精霊の騎士達がですか?
でも、オーガの姿は、行方不明の神子様とは違いますし…別件ですか?」
「多分、別件だと思うのだけど…行方不明の神子様…か……
そう言えば、そんな方もいらっしゃったね。未だ見つかっていない、光の神と大地の神の神子様…だね…。」
口にしてふと、オーガの姿を思い浮かべたアーネベルアは、彼に光と大地の気が強い事を思いだしたが、件の神子は光の神の特徴を持ち、彼とは全く違っている。しかし、断言出来無い事柄が、ファムトリアの身に起こった。
普通の人間は、神々や神子の怒りに恐れを抱く。祝福を受けているアーネベルアや、輝石を持つ者、穢れた者にはそれは効かない。
アーネベルアが昔聞いた事だったが、バルバートアは、お守り代わりに祖父から譲って貰った、知の神の輝石を、普段から身に着けているとの事。
輝石を持たないファムトリアの身に起こった事が、それと同じならば…オーガは神子である可能性をも、秘めていると言えよう。
だが、その反面、彼は他の属性を持ち、人間の気配を持つ故に、神子とは断言出来無い為、バルバートアの得た情報を知る事が、速急だという考えに至った。
「べルア様、オーガがもし、あの王族で無いとしたら、あいつは一体何ですか?」
「神子様では…無いと思うのだけど…精霊騎士が捜している事が、引っ掛かるね。バートから頼まれた事を早々に実行したいけど、今は忙しくて無理そうだ。」
「アーネベルア様、不躾な様で申し訳ないのですが、バルバートア様から、何を頼まれたのですか?」
「その騎士達に連絡を付けたいって、言われたんだよ。
まあ、この屋敷にいる精霊達に頼もうとしていたのを、私が引き受けただけ、なのだけどね。相手が相手だけに、ここに居る精霊では無理だから、私が直接フレィ様に話そうと思っているんだよ。」
ファムトリアに聞かれ、素直に話すアーネベルアに、彼等は納得した。
精霊騎士を呼び出すとなれば、普通の精霊では無理難題に近い。
しかし、神々──然も初めの七神の一人──なら、いとも簡単に連絡が付く。
生まれながらにして、炎の神の祝福を受け、炎の剣の担い手であるアーネベルア。彼なら炎の神を呼び出し、その精霊達に話が付けられるのだ。
だが今は、人の入れ替わりが激しい為、王宮での仕事が山積みなので、それが終えてからと彼は思った。
一通りの報告が終った部下を、見送ったアーネベルアは、ファムトリアの体験した話を思い出していた。
彼の震えから利き腕でのオーガの剣技は、かなりの物と推測出来た。
敵に回れば、アーネベルアでも防ぎ切れない可能性を秘めている。
あの国のオーガと言う愛称の皇子は、剣の腕はからっきしで、利き腕は右だと聞いていた。然も、血を恐れ、見れば卒倒する程の人物であったらしい。
己とは反対に、剣も巧みで精霊の力も強い兄達の陰に隠れ、怯えた表情で周りを見ていたとも、言われている。
戦の際は邪魔にしかならず、直ぐに王宮から出され、貴族の館で過していたという。そして、国が戦に負けると、その屋敷から供の者と国外に逃亡した。
頼り無いとはいえ、王族が残れば、国は復興出来る。
その為の捨て石扱いされていた皇子と、その実の姉姫。他の兄弟とは違い、精霊では無く、人間の母を持つ姉弟。
今、ラングレート家にいる養子の二人と、境遇の似ているかの王族だったが、隠れているいや、隠されている真実が、彼等で無いと告げているようだった。
オーガの利き腕は、左。
以前聞いた、利き腕を使わない理由を照らし合わせれば、あの皇子と言う線は高くなるが、あの国の騎士に傷を負わせた事を考えれば、別人に思える。
人間の血が濃い皇子では、精霊を母に持つあの国の騎士に、勝てはしない。神々の気紛れで、神の祝福を持っていなければ、それはあり得ないのだ。
相手がもし近衛騎士となれば、余計に両親のどちらかが精霊の可能性が高い。あの国は王族を護る為、近衛騎士の片親は精霊と定めていた。
その騎士に、オーガは傷を負わせたのだ。
そして、応急手当とは言え、バルバートアの怪我を治療していた事。
逃亡生活で培われたと言われると、納得してしまうが、血を見るのが嫌いと噂の皇子が、自ら進んで手当をするとは思えない。
色々な事を考慮したアーネベルアは、結局ある結論に辿り着く。
「早く、フレィ様に話を付けなければ…。
バートの知っている情報を得れば、こちらも動き易くなるだろうな…。」
未だに敵味方がはっきりしない、あの少年の事を思い、アーネベルアは祭りの終わった夜を過ごした。
一方、迎えに連れられ、今住んでいる屋敷に戻ったバルバートアは、その屋敷の主であるエーベルライアムに迎えられた。
迎えの者からバルバートアの様子を聞いた彼は、開口一番に質問を始める。
「バート、君は、祭りに行ったんじゃあ、なかったのかな?
如何してこうなったか、詳しく説明して貰うよ。
取り敢えず部屋へ戻って、医者に見せる事。それと、誰か、そちらの吟遊詩人の方に、部屋の用意を。」
怒りが見えている彼の言葉に、頷くバルバートアは、吟遊詩人も医者が必要だと告げる。それを聞いたエーベルライアムは、溜息を吐きながら、二人を医者に見せる事にしたようだ。
部屋に戻ったバルバートアは、早速手当てを受け、寝台の上で主を待つ。
彼の部屋へ来た主は、起き上がろうとする彼へ、そのままの寝ているように指示を出して、先ほど訊けなかった質問を、再び投げ掛ける。
「ところで、バート、怪我の理由と、あの吟遊詩人の事を話してくれるよね。」
「はい、エーベルライアム様。この傷は、オーガを庇って負ったものです。
覚えておいでですか?ディエアカルクの者が、弟を狙っているという噂を。」
告げられた言葉で、真剣な眼差しを添えるエーベルライアムは、吐き捨てるように、件の国の者達の事を言い始める。
「あの馬鹿共が、君の弟を攫おうとしたのか…。
君の弟君は、あの殿下に似ているけど、全くの別人なのにね~。雰囲気も違うし、纏う気も…あ…いや、気も似ているね。だけど、根本的な物が違う。
あの子は兄を慕っているけど、殿下は兄を嫌っているから。
どんなに優しかった兄でも、あの殿下は嫌っていた。自分とは別なんだってね。あの子の様に、兄である者に甘えることは無かったよ。」
「言われてみれば…そうですね。
あの子は、私やハルトに懐いています。祭りの際、再会した時も嬉しそうでしたし、私が傷つけられた事で相手に剣を向け、私を護ってくれましたよ。」
「え~~~!!あの子、剣を敵に向けたの~~??
じゃあ、余計に違うよ。あ…利き腕は右だったかい?」
驚きの声を上げる主に、追加の答えを告げる。
「オーガの利き腕は左です。
それに…あの子の剣は、あの穢れた輩を制していましたよ。
以前、人を傷つけそうで、怖いと言っていたあの子が、躊躇せずに、利き腕で敵に向かっていてくれました。あの子は…本当に優しい子ですよ。
私達は…あの子の兄になれたのでしょうか?」
弟を溺愛する発言したバルバートアに、悲しみが宿る。
彼の表情にエーベルライアムは、オーガと言う弟がバルバートアの、もう一人の弟の傍にいる時の表情を思い出した。
心から嬉しそうな笑顔と、懐いている様子。
それに…今、彼から聞いた事を踏まえて、エーベルライアムは答える。
「君達は、間違い無く兄弟だよ。
私が見たり、聞いたりした事を考慮しても、実の兄弟より兄弟らしいよ。あの子は本当に、君達を兄と思っている。
あの穢れた王宮の兄弟達とは違うよ。」
部下の悩みを解消するかの様に、エーベルライアムは自分の考えを言い、ついでとばかりに、オーガと言う愛称の殿下の事を教える。
「あの殿下は…異母兄弟を憎んでいた。
実の姉だけを慕い、兄は自分を苛める相手だと認識していたし、優しい声を掛けていた兄も嫌っていたよ。
あの殿下にとって、兄は慕う者で無く、怯えと妬みの対象でしかないんだ。
君の弟の様に、甘えたり、頼ったりしない。」
以前会った事のある、あの国のオーガという愛称の皇子を思い出し、目の前の部下の弟と比べるエーベルライアム。
義理とは言え、彼等は兄弟らしく、弟が兄を頼り、甘えていた。
恐らく今回の再会も、件の弟は兄に甘えたであろうと、誰もが想像出来る。
エーベルライアムの言葉に、バルバートアは納得し、例の事を話す。
「例の件、べルアに通して貰う事になりました。
それと、吟遊詩人の方ですが…
風の精霊の竪琴を御持ちなので、特に警戒しなくて良いと判断し、ライアム様の気分転換の、御話し相手にと考えまして、ここへ招きました。」
「君って、そう言う所まで、気が回るんだね。そっか、吟遊詩人か…
各地の色々な話を聞けるんだったら、いい気分転換になるね。
祭りも楽しんだ事だし、後は面倒な事ばかりだけど、彼の風邪が治ったら、色々聞けそうだな…楽しみだ♪
風の精霊の竪琴の音も、聞いてみたいし…ね。」
気分転換に招いたと聞いて、途端に機嫌が良くなる主に、バルバートアは苦笑した。
仕事だけで、机に縛り付ける事の出来無い、目の前の御仁は、適度な息抜きが必用であった。その為に今日、偶然出会った吟遊詩人に来て貰ったのだ。
精霊の竪琴の主であれば、警戒が必要な人物では無い。邪な心の者が、神の輝石を持つ、精霊の竪琴の主にはなれない。
精霊剣は、その技量だけでも主を選ぶが、竪琴は主の心を映す詩で選ぶ。
澄んだ心の持ち主で無ければ、詩に邪気や雑念が籠り、綺麗な声の響きを竪琴の意思に伝えない。
故に、選ばれた者の心は、穢れていない事となる為、バルバートアは、この吟遊詩人を静養するように説得し、屋敷に招いたのだ。
主の了承は、後でも取り付けれると確信して。
だが、静養する当の詩人は、医者代とかを心配する事が想像出来たが、その代金代わりにエーベルライアムの話し相手と、詩を聞かせて欲しいと提案すれば、説得出来るであろう。
自分としても、彼の話を聞きたいと思っているので、尚更であった。
彼の負った傷を思ったようで、エーベルライアムの話は、これで打ち切りとなった。早く怪我を治す様に言われ、大人しく寝台の上で瞳を閉じた。
瞼の裏に映ったのは、別れ間際のオーガの微笑。
再び会う約束をしている筈なのに、悲しみの籠ったそれで、バルバートアは、何か引っ掛かりを覚える。
もう、会えないと思っている様な表情に、不安が募る。
「暇が出来たら、ハルトやべルアに連絡して、オーガと会えるように手配しないと…ね。また…寂しがるだろうから…。」
まだ成人前の、子供の弟の温もりが無い事に、バルバートアは残念に思う。
甘えるように身を寄せ、まるで幼子の様に眠っていた弟。
その幸せを願う彼は、紛れも無く溺愛する兄の姿であった。
それぞれの想いを飲み込み、祭りの終わった夜は闇を纏い、人々を静けさの中へ誘っていた。