怪我の功名 前編
沈黙を破り、第一声を返したのは、目下の弟役のオルディことオーガだった。
「アルディ兄さん?!」
弟の声を聞き、その姿を確認した彼は、近くに寄り、バルバートアが怪我をしている事に気が付いた。
「バート、怪我をしている様だけど、大丈夫か?」
「…多分、大丈夫ですよ。オーガいえ、オルディが、手当てをしてくれたので。」
「バート兄さん、無理しちゃあ駄目だよ。
応急手当なんだから、後でお医者さんに見て貰わないと。」
心配そうな声で告げる少年に、微笑み、判ったよとバルバートアは答える。義理の兄弟の遣り取りの傍らで、呆然としているファムトリアへ、エニアバルグが声を掛ける。
「ファム、ファム!!如何した?何があったんだ?震えてるぞ?!」
友人の声で我に返ったファムトリアは、己が振るえている事に今、気付いた。
オルデファムことオーガの利き腕の剣技と、血生臭い遣り取りに震えていたのだ。
自分の体を抱えていた状態で問われ、己が何であるかを思い出した彼は、震える声で、謝罪の言葉に告げる。
「申し訳…ありません。騎士でありながら、私は…何も出来ませんでした。
私は…騎士として、剣士として…失格です。」
その場でアルデナルに跪き、頭を下げるファムトリアへ、オーガの声が聞こえた。
「実戦を初めて見るなら、仕方ないよ。僕の方は、自衛本能が勝ったから、無我夢中で動けただけで…ファムの態度の方が普通だよ。」
「自衛…本能…ね…。」
「オルディは、私を護る為に、剣を使ってくれたんだね。有難う。」
ファムトリアを援護した筈が、二人の兄の言葉に驚く羽目になった。
アルデナルは、バルバートアの言葉を聞いて、オーガの剣の所在を確かめた。
何時もなら左腰に在る筈の剣が、今は右腰にあり、鞘に収まっている。包まれた布は赤い彩を添え、滲んだようになっていた。
エニアバルグも、それに気付いたらしい。
「オルディ、その布…変えた方が良くないか?」
「へっ?あ…如何しよう、替えの布持ってない…。」
二人の少年の遣り取りに、今まで口を挟まなかった人物が声を出す。
「坊や、良かったら、これを使うかい?
そちらの方も、服が台無しになっている様なので、私の外套で良かったら、お貸ししましょう。これなら、傷も、服の破れも隠せますよ。」
そう言って、二種類の布の束を差し出し、兄弟へ進める。
感謝の言葉を掛け、二人はそれを使う事にした。ふと、ここに彼等が来た事に疑問が湧いたオルデファナは、アルデナルに尋ねた。
「兄さん、如何やってここへ?」
「ああ、この吟遊詩人の方が、協力したくれたんだ。」
如何してと問わず、如何やって問う弟に、兄が返事をする。この言葉に他の者の視線も、吟遊詩人に集まる。
「そう言えば、お兄さんの竪琴、風の精霊のって、言ってったけ?」
「ええ、私の竪琴は、坊やの言う通りですよ。
だから、風の精霊と同じ様に、目的の場所へ瞬時に飛ぶ事も出来ます。
…坊やのお兄さんが、坊やの危険を察知したので、私が此処へ運びました。」
吟遊詩人の言葉に、凄いと連発する少年二人。
彼等の様子で、震えていた少年も何時もの調子を取り戻し、口を開く。
「エニア、オルディ、良い加減落ち着いたらどうです?
吟遊詩人の方にご迷惑でしょう。」
先程の体制のまま告げる彼へ、アルデナルが声を掛ける。
「フェム、もう良いよ。誰も初めて人が傷付くところを見たら、恐縮してしまうよ。
だから、今日の処は不問にしておく。いいね。」
「…はい。それと、後で、御報告があります。宜しいですか?」
部下の態度で接するファムトリアに、アルデナルことアーネベルアは頷く。
オーガの事だとある程度察していたが、詳しく知りたいと思っていたところだった。そんな遣り取りの傍らで、バルバートアと吟遊詩人との話が始まっていた。
バルバートアは今の主に、吟遊詩人を会わせたいと言って、説得している。
詩人から色々な話を聞きたいと希望を述べ、その代わりにと言っては何だが、バルバートアと一緒に来て欲しいと言っていた。
少し考えた詩人だったが、バルバートアとオルデファムの言葉で素直に頷く。
「オルディが先程のお礼は、貴方の詩が良いって言ったらしいけど、私と一緒に来れば、宿も提供出来るし、医者にも見せる事が出来るよ。
何せ、私がこうだから、医者に見せないとオルディやアルディが怒るからね。
それに、吟遊詩人なら、色々な国の事を知っているでしょう?私の主に、その話を聞かせて欲しいんだよ。駄目かな?」
「バート兄さんの所にいるなら、お兄さんの風邪が治った時に、僕が詩を聞きに行けるよ。だから…兄さんの所で、厄介になった方が良いと思うけど…。駄目?」
優しい申し出と、首を傾げて言う可愛らしいお願いに、吟遊詩人も断る理由を思いつかなかった。承諾の意を示し、バルバートアと進もうとすると、剣士らしき人影がそこへ集まって来た。
「バルバートアさん、御迎えに…え?その服装は、どうしたのですか?」
「ちょっと怪我をしてね。服を台無しにしてしまったんだよ。
それと連れが増えたから、宜しく頼むね。」
吟遊詩人を示し、迎えの者と合流する。その背に、オルデファナの声が掛る。
「バート兄さん、無茶しないで、怪我を早く治してね。
吟遊詩人のお兄さんもね。僕、詩が聞けるのを、楽しみにしているから。」
敢えて、さよならを言わないオルデファナ…いや、オーガへ、彼等は微笑み、またねと告げて判れる。その後ろ姿に、オーガは瞳を閉じ、心の中で離別を告げる。
彼等とは二度と会えないのだと、心に言い聞かせ、エニアバルグ達の許へ帰る。
「オルディ、バートからの説教は無しになったけど、俺からのはあるからな。
覚悟しとくんだな。」
兄として告げられた言葉に、思わず身を引き、謝罪の言葉を告げる。
許して貰えそうにないと判っていたが、バルバートア達を離れた理由を言った。
「この手紙を貰ったんだ。で、気になって行ったら、変な男の人がいたんだ。」
「そうか、後は戻ってから、詳しく聞くよ。
ああ、そうだ、休暇は明日までだから、明日に詳しく聞くね。
君達は、朝の自主訓練が終ってから、私の部屋へおいで。」
アルデナルとしてで無く、アーネベルアとして言われたと、気付いた三人は、お互いを見ていた。
まあ、報告しなければならない事が起こったのだから、仕方の無い事だった。
三人の少年は、アーネベルアに連れ添われ、王宮の裏口へ着いた。
祭りの当日と同じ様に裏門を通り、各々の部屋へ戻る。アーネベルだけは、裏門から入らず、一旦神殿へ向かい、髪と瞳を戻して炎の屋敷に戻った。
部屋に戻ったオーガは、祭りの出来事を思い出していた。
楽しかった記憶だが、これからは必要無い。
手駒が揃い、準備が整ったオーガは、これ以降、完全に邪気への歩みを進める。
即ち、この国を亡びへと導く者となり、彼等と敵対する事になる。
神々に牙を剥き、己の復讐だけに、歩みを進める。
その為には、今日あった輩の動きが鍵となると感じ、意識を巡らす。
見つけた彼等は、他のディエアカルクの生き残りと接触していた。今日会ったオーガを、あの国の皇子と認め、自らの手に取り戻そうと画策し初めている。
オーガの手により怪我を負った男は、他の者の治癒により、ある程度動けるようになっていて、その男・ダイナダルクは、とんでもない提案をしていた。
オーガ達を王宮から追い出す為に、ディエアカルクの王族の生き残りと言う噂を、国内外へ流すというのだ。
この事を知ったオーガは、愉快そうに笑った。
自分が動かずとも、彼等が勝手に動き、自分の思惑通りに事が運び易くなる。
『あの者…止めなくても良いのか?』
「止める?そんな勿体無い事が出来るか。あ奴の取った行動で、此方が動き易くなる。…この国が戦を始め易くなるのに、止める必要があるのか?」
『無いな…寧ろ、煽った方が良い。
今日の出来事も、良い煽りになった様だし…な。』
心中の邪気も楽しそうに笑い、更なる煽りを促すように言う。その通りだと返すと、良い駒を見つけたものだと言われる。
ダイナダルクと言う男は、本当に良い駒であった。オーガを、自国の気弱き皇子と勘違いしたばかりで無く、未だ自分の思い通りに動く者として認識している。
バルバートアを手に入れようとする可能性もあるが、彼には紅の騎士がいる。
かの騎士相手では、あの男には手に余る。
紅の騎士より強いのは…やはり精霊騎士達だろう。
彼は炎の神の祝福を受け、尚且つ、炎の剣の担い手。
それ故に、剣士としての力も強いのだ。人間であるのに係わらず、精霊を打ち負かす程の力を持ち、バルバートアの友人となれば、あの男は彼の者達の敵となる。
明日の報告の際、その事を含めて話そう。
いや、今日の出来事で、紅の騎士はこの事に気付いているかもしれない。
それと、あの場にファムトリアの存在があった事を、少し後悔した。
あの馬鹿共相手に、己が実力の片鱗を晒してしまったのだ。
恐らく今頃、ファムトリアはその事を、アーネベルアに報告しているだろう。
知られてしまったのは仕方が無いが、バルバートアを護る為に使ったとなれば、左程警戒はされないと思われた。傷付いた義理の兄を護る為…以前言った、剣を使わない理由に沿っている行動であるが故、違和感は無い。
…兄を奪う輩に怒りを覚えたオーガの、無意識に近い行動である。
後は、兄の怪我が治る様、見護るしかない。
見舞いに行き来たくても、これから忙しくなるので、行けそうにない。
離別を確信した相手に、もう頼ってはいけない相手に、会う事は出来無い。自分が傍にいれば、バルバートアの身にも危険が及ぶ。
そう思い、一旦、あの忌まわしき国の者達の、会合を見るのを止めた。そして、バルバートアに言えなかった言葉を口にする。
「永遠に…さようなら、バート義兄上…。」
オーガの胸を苛む悲しみに耐えて、呟かれた小さなそれは、静かに彼の部屋の中へと消えて行った。