束の間の幸せ 後編
一週間後、リューレライの森を望む丘に訪れた者がいた。
「懐かしいな~、何も変わっていない…おや、あんな所が変わってるぞ。
人間の集落は変わり易いからな~。」
剣を腰に付け、20歳半ばの姿の中肉長身の男が森を一望出来る丘で呟いている。
髪は木々の精霊特有の緑─翡翠色で頑固な癖毛の為、無造作に括られて肩を少し過ぎた位になっていた。瞳は精悍な光を宿しているが、何故か紫色で宝石の様である。
旅の騎士の出立で、薄汚れた茶色の外套を黒く丸いだけの留め具で留め、その中には薄茶の上着と茶色のズボン、足には焦げ茶の膝までの長靴が汚れたままで履かれている。
男は、丘の上で森を懐かしむかのように優しい瞳で暫くの間、辺りを見つめ続けていた。
「…?レス兄さん?」
オーガは、森の近くに良く見知った親しみのある気配を感じた。自主訓練中に感じた気配は、近くの丘の上にある。それに惹かれる様かの如くオーガは、無意識でその場へ飛んでいた。
景色を見渡して、しみじみと感慨に耽っていた男の前に突然、少年の姿が現れた。
「な!あ……オーガ?って、何で~~ここに!!」
呼ばれた少年は一瞬きょとんとしたが、直ぐに状況を判断して跋悪そうに頭を掻いた。 無意識で飛んでしまった事で眼の前の男性を驚かせてしまい、小言を言われる状況だと気が付いたのだ。
ここは素直に謝れとばかりに少年・オーガは、言葉を吐きだす。
「…御免、レス兄さんの気配がしたから、飛んで来ちゃった…。」
「飛んでって…おい、その力、無闇に使うなって言われてなかったか?」
「無意識で、やっちゃったんだ。だから、御免。」
無意識というオーガの言葉を反芻して、がっくりしたアンタレスは、取り敢えず軽い拳骨をオーガへとお見舞いした。
「お前な~、ちゃんと制御しろって言われてんだろう。
何処に飛ぶか判んねぇ力だからって。」
「…目印があれば、ちゃんとそこに飛べるんだ。
今のは兄さんが目印になったから、大丈夫だったんだ。」
「勝手に人を目印に使うな。」
お叱りと共に二発目の拳骨が飛ぶ。敢えてオーガは避けなかったが、一発目より格段に痛かった為、痛いと文句を言うと、当たり前だと即答が帰って来る。
「お前は…危機感ってもんが掛けてる。
今のは、命を懸けてやる程のもんじゃあないだろ。だ・か・ら・叱られるんだ。」
「目印があれば、大丈夫だって。ちゃんと練習したし…あ。」
急いで口を塞ぐオーガにアンタレスは、厳しい目で睨んだ。
凄んだ目で見られた彼は、物凄くやばいと内心思った。お説教危機発令!そんな雰囲気を感じ取ったのだ。
案の定、アンタレスの声は怒りを含み、何時も以上に低く、ゆっくりと響いた。
「オーガ君、今、何て言った?」
「あ…っと、何にも言ってない。」
「練習したって、言わなかったかい?」
「言わないよ!それより、如何して帰って来たの?」
問題を摩り替えようとしているのが見え見えの弟分に、アンタレスは軽い溜息を吐きながら、甘いと思いつつも乗ってやる。
「秋に言葉伝えで、長からの頼まれた物を持って来たんだ。
中々手に入らなくて、春になっちまったけどな。」
言葉伝えとは、木々の精霊達が使う伝達方法で、森に住むカナナという長距離をより速く飛べる緑の小鳥に頼み、自分達の仲間に伝達する方法である。
精霊達は動物とも言葉を交わせ、その中でもカナナは、相手の言葉を良く覚えて相手に伝える事の出来る鳥でもあった。まさに伝達を頼むのに適しており、木々の精霊達の伝書鳥となっている。
勿論報酬は、彼等の大好物の木の実で、それ目当てに喜んで受けてくれていた。
「あっと、それとオーガに土産だ。」
そう言って、アンタレスは細長い包みを渡した。ずっしり重いそれは、オーガに違和感を与えなかった。
「何?これ?」
「祝いの剣だ。お前、レナムに勝ったんだってな。」
「何時の話をしてるの?初めて勝ったのは3年前だよ。
今は全勝を狙ってるんだ。」
オーガの言葉にアンタレスは驚いた。
彼の師匠であるレナムは、精霊の中でもかなりの腕前だった。そのレナム相手で10歳の子供が勝利をしたなど到底考えられなかった為、一応アンタレスは確認した。
「それって、3本勝負の事だよな。今、何本勝ってるんだ?」
「2本だよ。」
あっさり答えるオーガに頭を抱える。
幼子と言える年齢のオーガが師匠より強くなっている事実。信じがたい事だが、オーガに嘘を言っている節は無い。
「そうだ、師匠が兄さんに稽古を付けて貰えって。…駄目かな?」
そう言って、首を傾げる動作がやけに可愛らしく映る。
駄目じゃないと言うと、嬉しそうに目を輝かしてアンタレスに纏わり付く。満更でも無い彼は、何時もの通りその頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
髪が乱れるとオーガは文句を言うが、された方も嫌で無かった。
仲が良い兄弟の様であったが、血の繋がりは無い。
木々の精霊は、同じ母木と父木から生まれた者を兄弟と見做す。故に元々母木と父木のいないオーガには、本当の意味での兄弟もいないのだ。
その代りに周りの者が同じ役割を果たして育てる──それが精霊の本質であった。
未だに受取った包みを開けないで大事そうに抱きかかえているオーガへ、痺れを切らしたアンタレスが尋ねた。
「お前、貰った土産を開けないのか?」
アンタレスに言われたオーガは、やっと抱きかかえている物に気付き、いそいそと包みを開ける。そこには一振りの剣、聖なる精霊の使う剣があった。
「兄さん…これ…って。」
「今のお前に、相応しいだろう。
わざわざルシフまで行って、そこの神殿で神々に頼んだんだぞ。」
神々に仕える精霊達の手で作られる剣…オーガの手元にある物は、そういう類の大変貴重な物であった。
特別な精霊達が作る特別な品の為、一般の者が手に入れる事は困難である。
この様な理由故に、主を持たない精霊のアンタレスが、オーガと言う血の繋がらない他人の為に入手する事が出来たのは奇跡に近かい。
「でも、これは…。」
「精霊の中でも剣の手練れが持つもんだ。
聖なる森の精霊の剣士なら、一度は憧れる品物だぞ。……それに……今のお前は師匠を超えている、違うか?」
彼の言葉でオーガは無言になった。
判っていた事だったが、認めたくない事実でもある。自分の剣の腕が既に師匠を超えているなど、思いたくなかったのだ。
更に上を求め、口渇しているオーガを教えられる者がいない現実。それをアンタレスから突き付けられたのだ。
「まっ、俺がいる間は約束通り、稽古をつけてやる。
一応俺も、レナムよりは強いからな。」
嬉しい言葉を聞き、オーガの心は晴れ上がった。もっと剣を極められるという想いが遂げられたからだ。
向上心の高いオーガを目の当たりにしたアンタレスは、苦笑気味に微笑んでいた。齢13歳にして、剣の道を究めようとしている子供が不憫に思えたのだ。
持って生まれた天賦の才故の物か、寂しさを紛らわす為の物か解らなかったが、剣に没頭する幼子につい手を差し伸べてしまう。
甘いとは判っていたが、そうせずにはいられない何かがオーガにはある。そう、一番最初の赤子の頃から精霊達は、オーガに対して手を差し伸べ続けている。
森の中で拾った事。
若木を与え、精霊として育てた事。
そして、求められるままに剣や知識を教えた事。
このどれを取っても、オーガに対して精霊達が甘いと判断出来た。してはいけない事にはちゃんと釘を刺してはいたが、基本、彼等はオーガに甘い。
その理由は判らなかったが、本能だとアンタレスは感じている。
今、している事もそれに基いていると思った。
少し日が傾いたのに気が付いたアンタレスは、軽い掛け声と共に体を伸ばして森の方を見つめ、足元に置いていた麻袋の荷物を担ぎ上げた。
「兄さん?」
「ここから集落まで半日かかるだろう。さっさと行かないと長が痺れを切らすし、お前が居なくなった事で騒ぎになってるからな。」
言われた言葉に納得したオーガは、とんでもない事を口にする。
「それじゃあ、兄さんと一緒に飛ぼうか?」
「却下。」
即答で拒否された事でオーガは、不満そうな顔になる。
「お前な~、目印は如何するんだ?
まさか長とか、レナムにするんじゃあないだろうな。」
「…それは、流石に…。」
「しないよな。説教必須だからな。自分の本体でも無理だと思うぞ。
今頃、お前の気配がなくなったと言って、大勢で捜しているだろうから。」
そう言うとアンタレスは口笛を吹き、カナナを呼ぶ。
ピピピ?と可愛らしく鳴く小鳥にアンタレスは、オーガと一緒にいる事を告げ、それを長へ伝える事を頼んだ。
ピューィと、了解の鳴き声をするとカナナは、森へ一直線に飛んで行く。
「これで大丈夫だ。
でもな、オーガ、勝手に出た事のは感心しないな。森に帰ったら、長の永~い説教が待ってるぞ。」
「判ってる。覚悟しとく。」
素直に言う弟分にアンタレスは、再び頭を撫でてやる。
上目使いに彼を見て漸く微笑んだオーガに、いくぞと声を掛ける。その掛け声を合図に二人は、森の中へ足を進める。
やがて、彼等の姿が森へと飲まれて行き、後に残るは風の渡る丘のみだった。
集落に着くと案の定、長とレナムがオーガを待ち構えていた。二人の姿を見つけると直ぐに駆け寄って来て、オーガに歩み寄り説教を始める。
「オーガ、この大馬鹿者!!
お主は、あれ程儂等が使うなと言った力を使いよって…何かあったら、如何する心算だったんじゃ!」
「そうだ、長の言う通りだぞ。
危険だから使うなと口が酸っぱくなる程、言った筈だが。」
「じっ様…、師匠、御免なさい。意識して使った訳じゃあないんだ。
気が付いたら、アンタレス兄さんの所に飛んでたんだ。」
オーガの言い訳に長とレナムは頭を抱える。意識して飛んだのならいざ知らず、無意識の行動では頭ごなしに怒れなかったのだ。
「そうか…無意識か…じゃったら、まだ制御出来ていない事になるのぉ。そうなると最悪、その力を封じなければならんかもしれんのじゃ。
危険な力故に、儂等の手に負えんかもしれんからのぉ。」
「嫌だ、絶対嫌だ。」
頑なに拒否するオーガに周りの者が驚く。何時もなら、素直に従う子なのに…と。
その理由がオーガの口から洩れる。
「これは、母様と父様が僕に残してくれたものだ。だから、封印なんて絶対にしないし、させない。」
自らの体を抱き締めて拒絶の言葉を言い続けるオーガに、長も根負けしたらしい。オーガの頭に手を乗せ、ポンポンと軽く叩いた。
あやす様に叩かれ、オーガは涙を浮かべた顔を上げる。
「済まんかったのぉ、お主がそんな事を思っているとは儂も気付かんかったわ。そうか、そうじゃったのぉ、お主の両親から受け継いだものじゃった。
なら制御出来るよう、努力せねばのぉ。オーガ、その力の訓練を許可しようぞ。」
長の言葉に周りは驚いたが、オーガは良いの?と聞き直していた。
うんうんと微笑んで頷く長に、オーガは抱き付いた。有難うと言って抱き付くオーガは、孫が祖父に抱き付いている様にしか見えず、周囲の精霊達に微笑ましさを与える。
話の内容は…そうでもなかったが…。
一件落着したようだったので、アンタレスはオーガに声を掛ける。
これで長の永い説教は回避されたらしい。
「じゃ、オーガ、俺は先に長へ約束の品を渡しとかないといけないから、後でな。」
そう言うとオーガと別れたアンタレスと長、レナムは、集落の中心部にある長の住居に向かった。
オーガの手にあの精霊剣を残して…。