義理の兄弟 後編
彼の様子が可笑しかったのか、クスリと軽い笑いを浮かべ、
「精霊が人間に仕える事は、珍しくはないですよ。
私は自分の意思で、アーネベルア様に仕えております。この身は精霊剣士、一応、王宮の騎士とはなっていますがね。」
「あ…いえ、珍しいではなくて…その…父と同じだと思っただけで…父も精霊の血筋でしたから…。」
ぼそりと、悲しそうな顔で呟くオーガに、二人分の手が頭に乗っかった。一人は勿論、ハルトべリルで、もう一人は目の前の精霊だった。
ポンポンと優しく叩くハルトべリルと、優しく撫でるレナフレアムに、微笑みかける。
「義兄上、レナフレアム殿、私は気にしていません、大丈夫です。
……レナフレアム殿、あの…御相手願えますか…?」
遠慮がちにオーガが尋ねると、喜んでと返され、彼等は剣を合わす事になった。彼等を見送ったハルトべリルと、ウェールムケルトは心配そうだった。
「あの子…大丈夫でしょうか?」
「精霊の血筋なら…多分、大丈夫だと思うが……あの、フレアム殿相手だからな…少し不安だ。」
「ハルトべリル補佐官殿も、そう思いますか?」
後ろにいたエニアバルグに声を掛けられ、思いっきり頷く彼等。
あの精霊剣士相手で、今まで勝った事のある王宮騎士は、アーネベルアのみ。
それ程の腕のある剣士に、興味を持たれたとあっては、他の騎士達からも一目置く存在となる。
厄介事を抱えなければ、良いとの懸念があるが、剣が強いなら、それを難無く制する事が出来る。まあ、他の騎士との手合わせで、その実力は程々だと判っている手前、誰も止める事が出来無い。
彼等の手合わせを見ようと思った、ウェールムケルトとハルトべリルは、イニシエールとエニアバルグの存在を思い出し、彼等に声を掛けた。
「君達は如何する?あの子の戦い振りを見るかい?
それとも、私達で良かったら、相手になるよ。」
「ウェール副隊長が、ああおっしゃってるが…イニシェとエニアは如何する?
弟の活躍を見るか、俺達相手に訓練するか、どちらが良い?」
尋ねられた二人は考え込んだが、滅多に相手にして貰えない副隊長と、その補佐官の申し出を受けた。
彼等が訓練を始める頃、オーガもレナフレアムと剣を交えだした。
精霊と聞いて、手加減を止めた右手で相手をする。
実力を隠す為、左手は使わない。アーネベルアに偽りの理由を述べている為、目の前の精霊も、その事を知っているだろうと推測しての、行動だった。
流石に、精霊騎士達の中で1・2を争うほど強いアレストより、劣る腕ではあったが、レナムやアンタレスより上の腕前に、先程の物足りなさも無くなっていた。
流れるように繰り出される剣技に、周りの者も何時しか手を止め、彼等に見入っていた。
精霊剣士の剣も然る事ながら、それを難無く受け止めている、新米騎士の剣の腕前も、中々の物であった。
剣舞を見ているかの様な彼等の動きが、急に止まった。
あれ?っと少年の声がしたかと思うと、精霊剣士がその少年の傍に寄って来た。
「…ああ、オーガ君の力に、剣が根を上げたみたいですね。
残念ですが、これで御仕舞いですね。」
ポッキリと折れた剣を、目の前に翳したオーガの姿に、周りが一瞬静かになった。
「え…こんなに見事に、折れる物なのですか?初めて見ました……。」
精霊の手で作られた、練習用の剣を折った事の無いオーガにとって、人間の作った剣が、これ程弱い物だと知らなかった。
然も、自分の力を受け止められないと教えられ、更に首を傾げてみせた。
このキョトンとしたこの行動が、可愛らしく映った為、周りの静寂は破れ、大爆笑の渦となった。
「おやおや、楽しそうだな。如何したフレアム…っと、オーガ君か。
……フレアムに、先を越されたか。」
紅い髪の騎士が笑い声に誘われ、この場にやって来た。残念そうな言葉を吐く紅の騎士へ、周りの者は敬礼をし、挨拶を告げる。
「「「アーネベルア近衛隊長殿、お早うございます。」」」
「お早う。…副隊長も、揃っているのか…珍しいな。」
「ええ、珍しく、部下の補佐官の落ち着きが無くて、朝早く訓練場に向かうものですから、何事かと後を付けて参りました。
…まさか、久し振りに兄馬鹿姿が、見れるとは思いませんでしたが…。」
「………済まん、申し訳ない。」
素直に謝るハルトべリルに、苦笑するアーネベルア達。
彼等の許へ、レナフレアムと共に近付いたオーガ。
義弟の姿に破顔するハルトべリルに、アーネベルアが釘を刺した。
「ウェール、ハルト、仕事は、如何したんだ?もう、時間じゃあないのかい?」
「そうですね、軽い運動も出来た事ですし、ハルトを引っ張って帰りますね。」
そう言うとウェールムケルトは、名残惜しそうなハルトべリルの腕を引っ張り、強引に連れて行った。また後でなと、声を掛ける義理の兄に、オーガは頷いた。
何時の間にか、イニシエールは彼等から離れ、別の騎士と訓練を始めていた。
如何やら、彼は近衛隊長が苦手の様だった。
彼等を見送ったアーネベルア達は、オーガへ視線を戻した。折れた剣を持ったままの彼と、自分の補佐官に声を掛ける。
「…これはまた、見事に折れたね。フレアム、何か、代わりになる物はないかい?」
「そうですね…精霊用の剣でしたら、数本ありますよ。
べルア様、直ぐに持って来ますね。」
オーガの持つ折れた剣を受け取り、嬉しそうに、新しい剣を取りに行くレナフレアムを見送り、アーネベルアは、オーガとエニアバルグに声を掛けた。
「オーガ君、エニア、まだ時間は大丈夫だね。
良かったら、私達の相手をしてくれないかな?」
「あ・あの…アーネベルア様、宜しいのですか?」
珍しく、丁寧な言葉を使っているエニアバルグに、周りの者は苦笑した。彼がアーネベルアを尊敬している事は、周知の事であり、彼の態度は仕方の無い事でもあった。
この様子でオーガは、アーネベルアが炎の騎士として近衛隊長としても、周りが尊敬に値する人物だと、推測出来る。
昔の自分なら、エニアバルグと同じ態度を取っていたのだろうなと、思いながら、何れ対峙するであろう件の騎士を、ぼうっとした表情で見ていた。
傍から見れば、見惚れているとも取れる表情に、エニアバルグが気付き、小突いた。
「何惚けてんだよ。
…まあ、アーネベルア様の前で、そうなっても仕方ないけどな。」
小声で言われ、我に返ったような演技を見せる。自分の仕出かした事に、言い訳するような言葉を出した。
「…御免、その…アーネべルア様の制服姿を、初めて見たから…。礼装は見た事あったけど、近衛の正式な物は、今日が初めてで…。」
俯いて、ぼそりと小声で言えば、エニアバルグは納得し、格好いいだろう?と、同意を求める言葉を吐いた。頷くオーガに、快くした彼は、嬉しそうに微笑んでいた。
自慢の上司を持つ事を、誇りにしている彼にとって、アーネベルアが賞賛される事は、気持ちの良い事だった。
そんな折に、レナフレアムが新しい剣を持って来て、オーガに渡した。
馴染のある剣がオーガの手に収まり、それをじっと見つめていた。
懐かしい剣の感触に、自然と表情が真剣な物へと変わる。失われたリューレライの森での日々…この先も続く筈だった物が突如奪われ、残ったのは我が身のみ。
胸を締め付ける想いに、オーガの頬を一筋の涙が伝った。
「オーガ、ど・どうした?」
「え…僕…あ、えっと、何でもないです。」
あの頃の口調に戻りそうになって、慌てて自分から訂正をした。
彼の返事を受けて、エニアバルグは反論した。
「お前な…涙を流して、何でもない訳、ないだろう。」
言われて気付き、手で拭おうとすると、白いハンカチで拭われた。相手が精霊剣士だと気付き、顔を上げると、悲しそうな表情が見えた。
「ご家族の事を、思い出されたのでしょう?
辛い事を思い出させて、申し訳ございません。」
「いえ、大丈夫です。」
レナフレアムの気遣いに、微笑を添えて返事をするが、その笑みは悲しみの籠った物となった。彼の悲しげな微笑に、アーネベルアが声を掛けた。
「オーガ君、今日は、これで止めておくかい?」
辛そうな顔を見兼ねて、掛けられた言葉に、オーガは首を横に振った。炎の騎士の腕前を知れる機会を、逃したくなかったのだ。
「アーネべルア様と、レナフレアム様の御相手が出来る機会など、滅多にある事ではありません。だから……宜しく御願いします。」
深々と頭を下げ、告げると、判ったと声が掛った。隣で、良かったなと、嬉しそうなエニアバルグの声が聞こえた。
訓練という名の手合わせを始める事になり、二人の相手を誰になるかと揉めるかと思いきや、エニアバルグが意見を言った。
「あの…レナフレアム様…俺いえ、私の相手をして頂けませんか?
まだ…レナフレアム様と、剣を合わせた事がないので…ぜひ、お願いします!」
「私で良いのですか?」
「はい!お願いします!!」
逸早く相手を決めるエニアバルグに、周りは苦笑していたが、彼がアーネベルアと、剣を合わせた事があると知っての、意見だと周知していた。
残されたオーガは、必然とアーネベルアの相手となるが、同情の意見が飛び交っていた。エニアバルグは勿論、レナフレアムでさえ、勝った事の無い相手と、剣を合わす事になるのだ。
オーガは、周りの意見を耳にしながら、精霊より強い人間の存在を知った。
まさかと思いつつ、アーネベルアを驚いた眼で見ていた。
紅の髪と紅金の瞳…生まれながらに、炎の神の祝福を受けたその身が、精霊に匹敵する力を秘めるのだと、気が付く。
そうなると尚更、目の前の紅の騎士の力を知りたい。
だが、左手は使わない、右手のみで相手をする。
負けても構わない、あくまで実力を推し量る為だと、自分に言い聞かせた。そうしないと無意識で、左手を使いそうになると、思ったからだ。
「オーガ君の相手は、私になる様だが、良いのかい?」
「あ、はい。レナフレアム様が、敵わない御相手なら、私も退屈しない…いえ、相手として、申し分御座いません。」
本音が漏れそうになり、慌てて繕ったが、強気の言い方になってしまった事に、オーガは後悔した。実力を隠す為とはいえ、左手を封印した状態では、勝負は五分五分であったのだ。
これがレナフレアムであったなら、恐らくは右手で勝てただろう。しかし、周りの話では、目の前の騎士が、その精霊さえ上回る、実力の持ち主である事を伝える。
勝ち負けは如何でも良い、炎の騎士の技量を知る事が今の目的だと、再び自分に言い聞かせていた。
そうしないと、本能が勝って、己が実力を曝け出す事になる。
これを防ぐ為の、自己暗示に似た物だった。
周りの好奇の目と、非難の目を受けながら、オーガはアーネベルアと剣を合わす事になった
この結果が、如何のような事態を招くか、誰も予想出来無かった。