義理の兄弟 前編
宛がわれた部屋に戻ったオーガは、そこに二人の騎士の姿を確認した。
同室のエニアバルグと共に、ファムトリアも予想通り、そこにいた。
「オーガ、話ってなんだ?」
心に直接届いた声に気にした様子も無く、率直な意見を述べるエニアバルグに、オーガは微笑みながら答える。
「先程の忠告の件です。…今度の、側室様に関しての事なのですが…。」
「ああ、あの側室の事?…ファム、言っても構わないか?」
「…そうですね、身内の方なら、知っておいても良いでしょう。」
そう言って聞かされたのは、側室に入ったエレラを良く思わない者がいる事だった。彼等はこの国の者では無く、隣国の者。
この国の衰退を、望んでいる国の存在だったのだ。流石に他の国の者には、手出し出来無い環境にあるオーガであったが、
己の手駒を無残に喪う事はしない。用心の為に、彼女の周りに、オーガの魁羅になっている者達を置き、彼女を護る手筈は整えてある。
ここの護衛の者で、前以て接触が出来た者を、今夜の護りにつけていた。万が一の事を考えて、侍女にも息の掛った者を配置していた。
今回接触したのは、残りの初対面の者だけ。目の前の騎士に関しても、同じであった。
まだ信用出来るか、操るか決めかねている相手に対し、誠意をもって接する。彼にとって、有利な情報を齎せた目の前の騎士達に、人の良い笑顔を向け、礼を言った。
「御二方、為になる御聞かせ頂いて、有難うございます。彼等には気を付けます。」
「その方が良いですね。先程の言葉を伝える力を御持ちならば、何かと、あの方を護るのには有利ですから。」
あの方と聞いて、不思議そうな顔をするオーガに、ファムトリアは微笑を添えて告げた。
「私達は、貴方の姉君を歓迎しているのですよ。
陛下がやっと、妃を迎える気になったとね。アーネベルア様からも、貴方の事を宜しく頼むと、言われおります。」
彼の言葉に嘘が無いと判ったオーガは、宜しく御願いしますと返した。その素直さに、彼等はこの王宮で過せるのかと、危惧をした。
まさか目の前の少年が相手の心を読み、それを利用する者だとは思っていなかったようだ。まあ、彼等の反応は、極普通である事には間違いない。
翌日、時間より早く起きてしまったオーガは、既に起きていたエニアバルグと目が合った。早いなと言う彼に、何時もの癖だと答えるオーガ。
早朝に剣の鍛錬をしていたの頃の癖で、今の時間に目が覚める事が多かったのだ。
早々に着替えたオーガは、エニアバルグに訓練場の場所を聞いた。案内がてら、連れて行くと言われ、それに応じる。
彼等の宿舎から少し離れた所に、その場所はあった。王宮の裏側の、広々した平地に整備されたそこは、既に幾人かの騎士の姿があった。
この中で、エニアバルグの姿を見つけた騎士が、彼に声を掛ける。
「エニア、いつもより早いな…随分と美人さんを連れて…あれ?制服??…という事は…例の子か!」
目の前で自己完結する騎士に、驚いたような顔をするオーガ。素直な子供を演出する為の表情であったが、彼等の視線に気が付き、自己紹介をした。
「初めまして、昨日より後宮の護衛騎士として、王宮に上がりました、オーガ・リニア・ラングレートと申します。」
「こちらこそ、初めまして。丁寧な挨拶を、有難う。
俺は近衛騎士の、イニシエール・カルオ・バレアナーナ。
あれ?ラングレートっていうと…。」
「俺の義理の弟だ。」
イニシエールの後ろから、低い男性の声が掛った。
日に焼けたやや浅黒い肌と、薄茶の髪と青みの強い緑の瞳で、バルバートアを少し厳しくしたような顔立ち…義理の父親に似ていない彼等の顔に、オーガは内心苦笑した。
余程母親の血が強いのか、バルバートアとハルトベリルの顔立ちは、父親であるバンドーリアに似ていない。若干ハルトべリルの瞳に、その血が見えるのみ。
こんなにも違うのかと思う程、似ていない親子に他の者も感心する。
只、彼等の母はバンドーリアに惚れており、彼以外の男性を寄せ付けなかった様で、間違いなく父親はラングレート候であった。
思わぬ人物の出現に、彼等は驚いていた。
やっとの思いで、声を出したのは、オーガだった。
「…ハルトベリル義兄上?」
オーガの声が聞こえた男性は、彼の許へ歩み寄り、その頭を撫でた。自分より若く、小さな子供の姿に、つい、頭に手が伸びていたのだ。
良く出来ましたと、褒める様に撫でられるオーガを見て、イニシエールとエニアバルグは目を見張ったままだった。何事にも厳しい顔のこの御仁が、目の前の義理の弟に対しては、ほんの少し優しい顔を向けている。
「ハルトで良い。
オーガだったよな、ここではあまり、兄弟って事を意識しない方が、良いぞ。
まあ、変な輩が絡んできたら、頼っても構わん。」
義理とは言え弟を心配するあまり、ちぐはぐな言葉を掛けている彼に、未だ二人の騎士は驚いた眼を向けている。
オーガと言えば、言われた言葉に、兄であるアンタレスを思い出し、
「判りました、ハルト義兄上…えっと、ハルト殿?」
と、微笑を添えて返事をした。再び、良く出来ましたとばかりに、頭を撫でられたオーガだったが、ハルトべリルの後ろから声が掛った。
「ハルト、こんな所で…あれ?その子は…?ああ、そうですか、この子が例の子ですね。」
「そうだ、ウェール。噂通り、可愛い義理の弟だ。」
そう言って、ハルトべリルはオーガを抱き上げた。子供を抱えるように、片手に乗せて歩き出した彼に、オーガは驚いていた。
小さい頃、アンタレスに良く遣られた事であったが、成長した今、同じ様な立場の騎士にされるとは、思っていなかった。
まあ、アンタレスよりハルトべリルの方が、背も体格も良かったが…。
この様子に、声を掛けた男性・ウェールは、吹き出していた。
焦げ茶色の、緩やかな癖毛の髪の毛を後ろで纏め、紫の瞳の騎士…ハルトべリルの同僚らしき彼の笑いは、中々止まらなかった。
彼の様子に、後ろにいた二人の騎士も我に返り、ハルトべリルへ挨拶をした。
「お早うございます。
ウェールムケルト近衛副隊長殿、ハルトべリル近衛副隊長補佐官殿。」
姿勢を正し、ビシッと敬礼をした彼等に気が付き、近衛副隊長は、やっと笑いを止めた。お早うと柔かな声で返し、彼等に話し掛けた。
「ハルトの事なら、気にしなくて良いよ。弟を構うのは、何時もの事だからね。
本当、久し振りに、弟を溺愛する姿を見られたよ。」
長年の付き合いのあるウェールムケルトの言葉で、彼等は納得した。そして、小さい子供を扱う様に、オーガを扱っている節が見える行動に、苦笑していた。
当の本人は、精霊としての年齢が幼子の域である為、特に不満を持たなかった。彼は人間を装っている事を忘れていた為、大人しく抱きかかえられている。
このままの状態で、訓練場へ到着すると、そこにいた騎士達のざわめく声が聞こえた。
不思議に思ったオーガだったが、直ぐに理由に気が付き、降りようとした。しかし、義理の兄の手に阻まれ、降りれない。仕方無く、現状維持のまま無言でいた。
「「「お早うございます、ハルトべリル補佐官殿。」」」
ハルトべリルの姿を見つけた騎士達は挨拶をし、彼の腕に抱えられている少年に気が付いた。隠し子の言葉が行き交うが、少年の年齢からして無理だと判る。
そっちの方面の趣味は無いと判っているが、如何せん、綺麗過ぎる少年に疑問が残る。
好奇心と疑心の視線に晒されたオーガは、挨拶をすべく降りる事に決め、ハルトべリルの耳元で呟いた。
「ハルト義兄上、皆様に挨拶がしたいので、降りて良いですか?」
彼の言葉に、渋々承諾して地面に降ろす。
もっと構いたい態度の兄に、微笑み、この場にいる騎士達に挨拶を始めた。
「初めまして、この度エレラ様の護衛騎士として、王宮に務める事になりました、オーガ・リニア・ラングレートと申します。
皆様の御指導、宜しく御願いします。」
「俺の義理の弟だ。宜しく頼む。…変な言い掛かりを付けると、容赦しないぞ。」
「義兄上いえ、ハルト補佐官殿。
…先程の言葉と、違うような気がしますが…気の所為ですか?」
「今は公務でないから、義兄上で良い。」
私的なものだと公言する彼に、周りの者は納得して、件の弟を見ていた。ハルトべリルと並ぶと、物凄く華奢に見える少年に、剣が扱えるのかと心配する程であった。
しかし、彼は一応、アーネベルアの紹介を得ている事は、ここに居る誰もが知っている。故に、どの位の腕か、知りたくなったらしい。
そして……勇気ある1人が、その名乗りを上げた。
「オーガ君だったね。私の名は、ムーランカルム・ディア・チャリアリムだよ。
私と、手合わせをしてみないかい?ハルトべリル殿、宜しいですか?」
黒髪で短髪の騎士が、兄弟に声を掛け承諾を得ると、練習用の剣を渡し、訓練場のど真中へオーガを連れて行った。周りの注目が集まる中、彼等の手合わせが始まった。
誘った剣士は始め、手緩く剣を合わせていた。オーガの華奢な外見に、剣を扱えるだけと思ったらしい対応であったが、何度か剣を合わせる内に、オーガから囁かれた。
「…チャリアリム殿、良い加減、手加減を止めて欲しいのですが…。
退屈で…仕方ないのです。」
そう言ってオーガは、右手の剣で相手を引き剥がし、改めて剣を繰り出した。
一瞬にして付いた勝負に、彼は溜息を吐く。
自分の外見で、手加減された事に気付いていた為、退屈な手合わせの、終止符を敢えて付けた。精霊である己の腕に対して、人間の腕など適う筈が無い事を判っているだけに、余計だった。
己の身に起こった事が信じられず、ムーランカルムは目を白黒させていた。自分より背が低く、体格も細い少年が、手加減しているとは言え、己を打ち負かしたのだ。
彼等の様子にハルトべリルは、納得し、他の者にも声を掛けた。
「残念だったな。俺の弟のオーガは、ちゃんと剣士の体をしている。
無駄な筋肉の無いだけだ。油断するなよ。」
嬉しそうに告げる彼に、周りはおろか、オーガまで驚いていた。先程抱き上げただけで、彼の筋肉の付き方を見抜いたのだ。
油断したと思ったオーガだったが、ハルトべリルは彼の傍に来て、また頭をグリグリと撫で始めた。この事で彼が、義理の弟を自慢していると気付き、敢えて抵抗はしない予定だった…が、あまりにも注目を集めるので、つい、声を出した。
「義兄上~~良い加減にして下さい。恥ずかしいです~~。」
音を上げたような声を出すと、周りに爆笑の渦が起こった。仲の良い義兄弟を微笑ましく思うと同時に、溺愛されている弟の、可愛らしさを見出したらしかった。
警戒されていない事に安心したオーガだったが、彼の剣の腕を見て、好奇心が前に出た者もいた。どれ位の実力か、知りたくなった騎士がまた名乗りを上げる。
光を受けて輝く金の髪と、深い赤紫の瞳…そして、人間で無い気配。
精霊の気配を感じ、驚いた眼で見る。
オーガの視線を受けて、その男性は話しかけた。
「初めまして。私は、この王宮に務める、レナフレアムと申します。
御察しの通り、人間ではありませんよ。」
「オーガ、フレアム殿は、精霊同士の混血だ。確か…炎と光の精霊が、親だったかな?」
ハルトべリルの返答に、そうですよと答えるレナフレアムに、オーガは釘付けになった。人間で無い精霊が、何故此処にいるのか。答えは簡単だった。
アーネベルアに仕える剣士であり、彼の補佐官として傍に居る。
これが、レナフレアムから聞いた理由だった。
人間に精霊が仕える事があるとは、聞いていたが、それを目の当りにするとは、思わなかったオーガは、只、只、驚いた目で見つめていた。