嘘と真の感情
アーネベルアが、剣を元に戻したのを見計らって、使用人達は入室し、お茶の用意をし始めた。テーブルに並べられた茶器は、白地に赤い線があり、それに小さな薔薇の花があしらわれたもだった。
質素で且つ、上品な物に、紅いお茶が注がれ、傍らには焼き菓子が添えてある。
用意されたお茶を一口含み、喉を潤したアーネベルアが、本題の口火を切った。
「今日、来たのは確か、エレラ殿の護衛の件だったね。
オーガ君が剣を使えるなら、問題ないのだけど、如何かな?」
「一応…使えます。」
警戒されてはいけないと思い、一応と付けるオーガ。
彼の答えに、微笑みながら、アーネベルアは、問題ないなと返していた。
剣を使えるなら、護衛になっても示しが付く、例え、弱くても訓練次第で如何にかなると、炎の騎士は彼等に言う。
オーガは自分の腕がどれ程の物か、敢えて言わなかった。
実力は隠していて方が良い。油断を誘う為と、無闇に目立たない為だった。
目立てば、眼の前の騎士に警戒され、今まで苦労が無駄になる。それだけは、避けなければならない。
この世界に厄災を齎す事…それが自分の、最終の目的なのだから………。
オーガの考えに気付かない二人は、護衛の事で詳しい話を始めた。
元私設騎士でも、近衛に属する事。
宿舎は王宮の近衛と同じで、慣れるまでは同じ担当の役目の者と同室になり、その後は一人となる事。
実家に帰る等の外出は、申告制で許可が無い限り出来ない事。
身内と王宮で会う事は出来るが、面会と言う形になり、秘密厳守の為、その場では常に他人が、監視をしている事。
「まあ、バートと会うのなら、私が監視役になるが。」
「…べルア…それって、監視役の務めを、果たしていない気がするのだけど……。
近衛隊長自らが、職権乱用してはいけないよ。」
近衛とは思っていたが、まさか隊長とは思っていなかったオーガは、驚きのあまり、固まった。
その様子にアーネベルアは苦笑し、今は公務でないからと、再び言って除ける。
自分の上司に当るかもしれない件の騎士。
無礼はしたくないと思うが、彼の表情から汲み取れるのは、特別に見られる事を嫌うという面。炎の騎士として、畏れられる事を嫌うと感じたオーガは、あまり親しい間柄ではない彼を、今は近衛騎士として、公爵家の者として扱う事に決めた。
「アーネベルア様は、義兄上と親しいのですか?」
緊張が解け、ふと漏れた言葉に、アーネベルアは微笑み、頷く。
「親友と言うまで行かないが、知人…いや、友人と思っている。
…バートはどうだろうね。」
「私は…正直言うと、友人と思っている。
まあ、父の前では、仕事上の知人と言っているけどね。オーガ…この事は、父上には内緒だよ。」
人差し指を立て、それを口に当てながら、告げられた言葉にオーガは頷いた。
彼等を利用するなら、義父であるバンドーリアに言うべきではない。
然も、初めての義兄との秘密…少し嬉しくなったオーガは、微笑を浮かべていた。
何時もの、張り付けた物でない、本当の微笑……。
それに何故か、二人とも見惚れていた。
先に我に返ったのは、アーネベルアだった。
美しいと評判の、少年の微笑。
無邪気さを残す今のそれに、何らかの意図が無いと判る。
何時ものそれは、相手に対して印象を良く見せるものと、彼は気付いていた。拾われて、養子になった子供がする事だとは理解していたが、それでも本能は警戒を告げていた。だが、先程のものは、素直で心から微笑んでいる。
美しいと思える反面、そっちの趣味は無いと断言するアーネベルア。
不意にバルバートアを見ると、同じ反応を示している。
アーネベルアの視線を受け、バルバートアも正気に戻った。
「…綺麗な子だとは思っていたけど…これ程だとは思わなかったよ。
流れている噂って、本当だったんだね。」
バルバートアの呟きに、アーネベルアも同意の頷きをした。彼等が聞いていた噂…ラングレート侯爵家が迎えた養子の兄弟は、一目で人を魅了する。
それ程美しいと。
彼等の反応にオーガは、不思議そうな顔をした。
邪悪な闇は心の奥で眠っている為、微笑と共に使っている、魅了の術は使えない。なのに、今、眼の前の人間達は、自分に見惚れている。
確かに、術を使う前にも拘らず、頬を染める女性や男性は多かった。
しかし、今の様に見惚れる者はいなかった。
大抵は顔を逸らし、在らぬ方向を見るか、俯いてしまう為、じっと見られる事は無い。
バルバートアの呟きも聞こえたが、それだけでこうなるのかと、余計に判らなくなった為、昔の癖が出ていた。
「…あの…綺麗だと、見惚れる事があるんですか?」
尋ねられた二人は、一瞬驚いた表情をしたが、お互いの顔を見合わせ、笑い出した。何故、笑われるか判らないオーガは、少し不機嫌そうな顔で、彼等に抗議した。
「笑わないで、答えて下さい。」
叫びにも似た声に、二人の笑いは止まり、謝罪の声が聞こえる。
「済まないね。あまりにも、君が知らな過ぎるから、思わず…ね。
学問は出来ても、恋愛方面には無知なんだな。そこが可愛らしくて…つい…。」
「大人の様に見えても、オーガはまだ子供なんだね。
綺麗な容姿をしていると、そういう事もあるんだよ。ああ、そうか…父に拾われるまで、あんなに汚れた姿だったから、こんな事はなかったんだね。」
屋敷に来る前の様子を、思い出したバルバートアの言葉に、アーネベルアは反応し、どんな状況だったか尋ねる。
「バート、汚れた姿って、如何いう事だい?」
「使用人達の話によると、家に来る前に色々あったらしく、父が連れて来た時の彼等は、物凄く汚れていたんだ。だから、こんなに綺麗な子だと、誰も気付かなかったって。
二人とも怯えていたし、あちこちに細かい傷もあったらしい。
…そんな状況だったから、先程の様な事は経験ないだろうね。」
オーガ達兄弟がバンドーリアに拾われ、ラングレート侯爵家に来た時の事を、使用人から聞いたバルバートアは包み隠さず語る。
その話にアーネベルアは、真摯な顔をして聞いていた。表情を失くし、無言で俯いているオーガへ向き直ったアーネベルアは、その頭に手を伸ばし、言葉を掛けた。
「随分と、苦労をしたんだな。それ故に、姉を大事に思うのか…。」
優しい言葉と、子供をあやす様に撫でられる頭…。
その行為にオーガは顔を上げ、アーネベルアと視線を合わせる格好になる。
オーガは悲しい顔を作り、震える声で偽りの身の上を話し出す。
「3年前の戦で…父を亡くし、母も…後を追う様に……亡くなりました…。
その時から…ぼ…いえ、私達…兄弟は…生きる為に…逃げて……やっとの思いで…ここに…。
逃げる…途中で…身…内…も…何もかも…失って…僕には…姉と…たった一つ…残された…父の…剣しか…無い……」
溢れてくる涙で声が詰まり、再びオーガは俯いた。偽りの身の上に、自分の本当のそれが被り、自然と流れた涙に嘘は無い。養い親だった木々の精霊は失われ、自分に残ったのは、憎しみの心とあの精霊剣のみ。
失ったものが多過ぎて、あの時に流れなかった涙が今、オーガの頬を伝う。
強引に手で拭おうとすると、横からバルバートアがハンカチを差し出した。
それを受け取り、涙を拭く。
すると、バルバートアが、オーガの肩を抱き寄せ、
「もう、大丈夫だよ。これからは私達が、家族だからね。
エレラの事も出来るだけ、護れるようにするから…オーガも勿論、私達が護るよ。」
と、優しく囁く。その声に思わず、バルバートアにしがみ付くオーガ。
一時の偽りと、心の中で繰り返し暗示を掛けるも、あの闇が眠っている為か、上手くいかなかない。手にした温もりを失いたくない、このままで生きれたら…という考えが、オーガの頭を過る。
……だが、それは儚い夢でしかない事を、後々、オーガは思い知る事となる。
自分の腕の中にいる義理の弟の事を、バルバートアは愛おしく思った。
他の兄弟と同じ扱いの、まだ子供の弟。
この子が自分の手を望むなら、貸してやりたい。
初めて会った時からの想いを今、再確認する。
大人の中で必死に背伸びをして、付け入る隙を見せないと感じていたオーガが、自分の腕の中で年相応の姿を晒している。
父の手駒になる事は避けられないとしても、この子の行く末が幸ある物となる為に、助力を惜しまない。故に今、バルバートアは、自分の友人であるアーネベルアを頼り、オーガの手助けをしている。
姉を心配し、その護衛として宮中に上がれるよう、彼と共に手配する心算だった。
陰謀が渦巻く王宮へ行かせるのは、心配ではあったが、本人の希望を無視出来ない。だからこそ、最も安全を確保し易い道を、作ってあげよう。
そう、バルバートアは思っていた。
一方、アーネベルアの方は、未だオーガの事を信用し切れていなかった。
近衛という職業故の警戒心か、炎の騎士故のそれか、判断が付かない。
友であるバルバートアが肩入れをし、先程からのオーガの微笑と涙で、余計にあやふやになっていたのだ。
夜会で見かけるオーガの姿は、警戒に足りる物。
だが、今日見せた微笑と涙は、自身の心を揺さぶる物。
その為彼は珍しく見惚れ、手を差し伸べそうになってしまった。
先にバルバートアが、抱き締めるという行動に出た為、何もしなかったが、もし、その行動が無かったら、自分がバルバートアと同じ行動を取ったであろう。
何時もの行動とは違い、今日のオーガのそれは意図が見えない。
人を懐柔しようという意識が無い行動に、保護欲を掻き立てられる。
三年前の戦と言えば、ある忌まわしい国が滅亡した物しか、思い出せないが、恐らくまだ12・3の子供…両親を失い、苦労をしてきたと思われる子に、無体は出来無い。
自分達大人が保護し、手を差し伸べ、道を示すものだ…と、アーネベルアは自分の両親と、神官達に教えられている。
だが、眼の前の子を初めて見た時、警戒心が先立ち、教えられた行動が出来なかったのも事実。
あの野心家の養子と言う理由と何かしら、この子供から感じる物が、アーネベルアを近衛騎士として行動させた。目的を悟られぬよう近付き、接触をして相手を探る。
得体の知れない者として、認識されたオーガは更に、警戒の対象となる。
友人であるバルバートアを懐柔したとあっては、余計それは強まった。
しかし、それは、今、崩れている。
バルバートアがオーガを構うのは、何時ものお節介であり、義理とは言え、家族故の愛情。彼らしいと言っても、過言で無い行動。
それを取らせるオーガは、バルバートアの前だけ、自分を曝け出しているように見える。
義理とは言え、兄と共有の秘密を持った事を喜び、失った家族の事を思い、兄の腕の中で泣きじゃくる。生きる為に自分を押し殺し、唯一血の繋がった姉を護ろうとしている…そう、感じる。
だが、アーネベルアの警戒は薄れていない。
もしもオーガが、バルバートアを傷つけたり、裏切る事があれば、容赦はしないだろう………。
バルバートアの腕の中で、落ち着きを取り戻したオーガは、顔を上げ、彼を見た。
優しい微笑を見つめ、少し恥ずかしそうに謝罪をした。
「義兄上…申し訳ありません。…御見苦しい所を、御見せしました。
アーネベルア様も…失礼をしてしまって…」
「いや、私は失礼だとは、思っていない。今まで、辛いのを我慢していたのだろう。
だから、こうなるのは、当然の事だよ。」
「べルアの言う通りだよ。良く、頑張ったね。」
二人からの言葉を受けてオーガは、如何返して良いか、判らなかった。困惑した顔で、彼等を交互に見つめ、答えを探している。
子供らしいその行動に、微笑を浮かべたアーネベルアが、例の件の事を口にする。
「もう、何も心配しなくていいよ。
護衛の件は、私からも口添え…いや、推薦状を書いておくから。…その前に、君の剣の腕を確かめても、良いかい?」
告げられた提案にオーガは頷き、彼等は早々に、お茶の時間を切り上げた。
向かうは屋敷の庭…アーネベルアが普段から、鍛錬に使っている場所だった。
そこでオーガは、彼の剣の腕前がどれ位の物か、知る事となる。