炎の屋敷 後編
アーネベルアから渡された飲み物を、完全に飲み切った頃には、オーガの体も元通りになり、漸く、バルバートアの腕の中から起き上がった。
「御手数を御掛けして、申し訳ございません。」
「いや、こちらこそ、君の体質に気付かなくて、申し訳ない。
…本当に薄いんだな…気配が、かなり少ない。……?」
熱が無いか確かめる為に、オーガの額に手を触れているアーネベルアは、何か気が付いたように首を傾げる。
その様子に、不思議そうな顔をするオーガとバルバートア。
すると、アーネベルアは、オーガに尋ねた。
「…オーガ君…君、本当に、木々の精霊の血筋なのかい?」
「何故…そう思われるのですか?」
質問を質問で返され、苦笑気味になったアーネベルアは、オーガと目線を合わせ答えた。
「君から、木々の精霊の気配の他に、大地と光の気配を感じるんだ。
どちらかと言うと、後者の気配の方が強い。何か、思い当たる事は、あるかい?」
「大地と光ですか…思い当たる事柄は、有りません。
実の両親が、既に亡くなっているので、調べる術も…ございません。」
俯き加減で答えるオーガに、済まないとアーネベルアは、謝罪をし、その頭を撫でた。辛い想いをさせてしまったと、彼は思ったからだ。
実際のところ、オーガの両親は亡くなっていると、養い親の木々の精霊達に教えられていた。彼等が、大地と光に関係している可能性はあるのだが、調べる術は既に失われている。
嘘ではない、本当の事を話すオーガの声は、震えていた。
演技では無い、心からの言葉と態度…それは、眼の前のアーネベルアとバルバートアに疑われる事無く、伝わっていた。
「丁度、お茶の時間なんだが…オーガ君に、熱い飲み物は無理かな……。」
時間帯の事を言い掛け、そのまま一人考え事を始めたアーネベルアは、ふと、何かを思い付いき、オーガに話しかける。
「オーガ君、君の中に木々の精霊の気配の他、大地と光のそれがあるって、先程私が言ったね。」
アーネベルアの言葉に、呆気にとられ、そのままの表情で、オーガは頷く。それを確認すると、彼は、思い付いた事を口にした。
「今、君に影響している木々の精霊の気配を、大地か光に替えてみないかい?」
「…そんな事…出来るのですか?」
「知り合いの精霊に、両親がそれぞれ別の精霊の子供が居てね。その子は、二つの気配を持っているんだ。それで、その子は、片方の気配だけになる事が可能なんだ。
だから、君にも出来ると思うよ。」
そう言って、アーネベルアはオーガに、方法を教える。
やり方は簡単だった。
自分の内にある気配へ意識を集中させ、それが表へと出る様に促す。その方法を聞いたオーガは、早速やってみた。
確かに自分の中には、大地と光の気配がある。
だが、心の奥底に眠っている闇を使うには、光は不適格。
そこで、大地の気配の方を表に出る様、促した。途端、受けていた炎の気配の重圧が消え、変りに包まれるような感覚を覚える。
大地を暖め、護る、優しい気配…。
木々の精霊の時とは、全く違った炎の気配の受け取り方で、オーガは驚いた。
オーガの様子と感じる大地の気配で、アーネベルアは彼が、先程の方法を実行した事に気付いた。気配の読めないバルバートアには、その事が判らなかったが、オーガの顔色が良くなった事に喜んでいた。
炎の気配の受け取り方が変わり、体調が良くなったオーガは、改めて部屋の中を見た。
ここは公爵家の人間らしくない、質素な調度品に囲まれた部屋で、アーネベルアが華美な装飾を好まず、実用重視の嗜好が良く表れている。
その中に、この部屋の調度品らしくない、一際目立つ紅い装飾品がある。
炎の様に紅い鞘と柄…壁に飾られている剣から、強い炎の気配と力を感じたオーガは、思わず凝視してしまった。
精霊剣より、力ある得物…欲しいと思う反面、扱えないと判るそれ。
力を欲する本能が剣に魅かれ、心の闇が扱えないと叫ぶ。
まさか…と、オーガは思った。
目の前に存在している剣は、あの剣ではないのかと。
オーガの視線に気が付いたアーネベルアは、苦笑しながら、その剣を手に取る。
「オーガ君は、剣に興味があるのかな?
あ…そう言えば、今日の要件は護衛の事だったね。じゃあ、興味があるのは、当たり前か…。」
そう言いながら、オーガに紅の剣を渡す。
受け取ったオーガは、自分の精霊剣よりやや重く、身幅も大きい剣に見入っていた。
溢れんばかりの、炎の力を感じるそれの柄を握り、抜こうとしたが、抜けない。主を選び、その主に従う剣だと気付いたオーガは、眼の前の騎士を見上げた。
炎の神の祝福を生まれながらにして、受けている騎士…。
その符号に導かれた言葉が、自然と口から出る。
「アーネベルア様は、炎の騎士様なのですか?」
炎の精霊騎士とは違う、炎の剣に選ばれた騎士…。
前者を焔の騎士、後者を炎の騎士と呼ぶ事を、師匠から教えて貰っていた。
炎の剣がどの様な形であるかは、知らなかったが、手にある物は、そう呼ぶに相応しい力を秘めているように感じる。
尋ねられたアーネベルアは、苦笑したまま頷き、オーガに渡した剣を取った。
そして、自らの手で抜いてみせる。
鞘から出てきた刀身は、透明な紅金色…。
アーネベルアの瞳と同じ色の剣身は、主の手で出された事を喜んでいる様にも感じる。
「…綺麗ですね…。」
「久し振りに見たけど、相変わらず、綺麗な刀身だね。」
その美しさに感嘆する義兄弟に、アーネベルアは微笑み、語りだした。
「まだ、これでも力を解放してない状態なんだ。解放すると、もっと綺麗な色になるよ。
…私としては、そんな事態が起こらない事を、祈りたいんだかね。」
本音を漏らす彼に、オーガは無言になった。微笑は消していないが、内心その剣の、力の解放の時が来る事を悟っていた。
それは自分が、この世界に厄災を齎す時…彼等との離別の時でもある。
敵として、相対峙する事になる相手に、油断は出来ない。
だが、今の義理の兄であるバルバートアの知人では、無視したくないし、出来ない。
アーネベルアの対処を、如何するかが問題だと、オーガは心の中で思っている。殺せば、バルバートアが悲しむ。それだけは避けたい。
本心を隠し、偽りの関係だけを築く…バルバートアと同じ処置で良いと、決めた。
今はこれで良い、何れは敵となるが、排除するまでもない。
所詮は人間…実力は、精霊の自分に及ばない故、脅威では無いと判断を下す。
大地の気を纏えば、炎の力も恐るるに足りない。
やはり、一番の脅威は、光の剣とその担い手の神のみ。
改めて自分の考えを認識したオーガは、ここへ来た目的を果たす事にした。
そして、話を始める機会を待っていた………。




