陰謀と野望の渦
王とエレラが恋に落ちる以外、何事も無く夜会は終わり、人々は家路についていた。
離れ難く思っている王を、エレラが説得し、ラングレート候一家も屋敷に戻った。策が成功した事にバンドーリアは、始終ご満悦だった。
エレラは物思いに耽り、溜息を吐いていて、そんな姉をオーガは、心配そうに見ている。
彼等の様子に、バルバートアは苦笑しか出ない。
父であるバンドーリアの野望の、足掛かりになってしまうエレラを思うと、心が痛いが、彼女と王の様子を見る限り、そのまま幸せになるかもと期待も出る。
しかし、エレラの様子が、恋である事を理解出来ない義弟を見ると、教えてやりたい気もしていた。
そんな想いを秘めた、バルバートアからの呼び出しが、オーガにあった。
何事と思いながら、初めて行く彼の部屋へ、案内の使用人と向かう。
「バルバートア様、オーガ様をお連れしました。」
使用人の言葉に、部屋の中から返事が返り、オーガは部屋に通された。
目の前に広がるその部屋は、質素であるが、上質な物が置いてあると判るもので、オーガのそれとは、かなり違っていた。
好みで言えば、自分の部屋より、こちらの方が好きである。豪華過ぎない家具や装飾品で誂られた部屋は、バンドーリアの趣味が良い事を語っていた。
「急に呼び出して、済まないね、オーガ。ちょっと、君の様子が気になってね。」
何か知られたのかと思い、驚いた顔をしながら、オーガは返事をする。
「僕…いえ、私の様子がですか?何か、義兄上の御気に障りましたか?」
驚き過ぎて、不安そうに見えるオーガへ、首を横に振りながらバルバートアは答えた。
「いや、そんなんじゃあないよ。只、君がエレラの様子を見て、心配そうだったからね。」
言われた言葉に操らなくて済むと思い、ほっとしたオーガは、姉を心配する演技を始める。
「…その事ですか…。姉上が何か、物思いに耽っておられて、事ある毎に溜息を吐いていらっしゃる…。私が何を話しても、上の空で…。
…義兄上、私は如何したら良いのですか?姉上は、如何されたのですか?」
「君は心配しなくて、大丈夫だよ。
エレラのあれは、恋に落ちた人の、特有の症状だからね。」
「…恋に落ちた?…では姉上に、想い人が出来たのですか?
…無粋な事を聞いて、申し訳ないのですが、義兄上には相手が誰だか、御判りですか?」
少し寂しそうな顔をして見つめるオーガに、バルバートアは微笑みながら頷き、答えた。
「ああ、恐らく、陛下だろうね。
まあ、相手の陛下も、満更では無い様だったし…多分、大丈夫だろう。」
「…陛下の事なら…アーネベルア様から、御聞きしました。陛下は、姉上に恋をしていると。だから心配いらないと。」
例の王宮の夜会の最中、オーガとアーネベルアが話をしている所を、バルバートアは見掛けていた。仕事中には珍しく、アーネベルアが雑談をしていると思い、その相手がオーガだと判った時、彼は正直驚いた。
しかし、オーガの様子で、彼がバルバートアの義弟を心配して、話し掛けたのだと判断した。年下に向ける笑顔と態度、そして、話が進む内にオーガの表情も、和らいでいく。
話の内容は判らなかったが、今の会話で察しられる。エレラと陛下の事で、姉を心配したオーガを安心させてくれたのだ。
後で、お礼を言っておこうと、バルバートアは思った。
一応、顔見知りの間柄と公言しているアーネベルアに、義理とは言え、弟が世話になったのだ。
バルバートアの説明を受け、納得した顔を作ったオーガは、お礼を言って、その部屋を後にした。
自室に戻ったオーガは、バルバートアの事を考え始める。
操りたくないと思っている彼に、己の本性…いや、目的を知られたくないと、思う自分に気が付く。
エレラを、国王を操り、この国を、世界を、人間を、滅ぼす。無論、今、自分に情けを掛けているバルバートアも、その対象となる。
…喪いたくない…と、オーガは思っていた。
兄と慕ったアンタレスと重なる、現在の義理の兄であるバルバートア。
恐らくこの目的が無く、本当に戦で両親を失った兄弟として、今の自分がいたなら、こんなに悩みはしなかっただろうと、自嘲気味に微笑んでいた。
悩んでも仕方無い、今の自分は、何も知らない木々の精霊でもなければ、人間でもない。邪悪なモノを取り込んだ、邪精霊とでも言える存在。
破壊の為だけに生きているオーガの、失った筈の感情が、バルバートアによって蘇っていく。
何とかしないと思う反面、このままで良いと思う自分がいる。
彼等が自分の全てを知った時、再び孤独を味わい、蘇った感情も消えてなくなる…そうなれば、この国を滅ぼす事に戸惑いは無い。
失いたくないが、その時になれば、必ず失う。
だが、今は…この関係を…続けたい…。
せめて、バルバートアの前だけでも、昔の自分に戻って応じたい。
許されるのならば……。
そう、考えながら、悲しい瞳を暗い窓の外に向けたオーガは、まだ見ぬ未来へ思いを寄せていた。
数日後、ラングレート候の許に、王からの使者が来た。
養女であるエレラを、後宮に上がらせる様、命が下されたのだ。バンドーリアは、漸く自分の野望が動き出す事に、ほくそ笑んでいた。
オーガはというと、この屋敷で姉想いの弟の演技をする、最後の段階を迎えていた。
エレラの後宮入りに戸惑いを見せながらも、姉の嬉しそうな顔を見つめ、複雑そうな表情を作り、準備をする姉や使用人の姿を見つめる。
その奇行の果てに、自分の準備のとして、姉を心配する弟の行動を始めた。
手始めに、自分の事を気に掛けているバルバートアへ、アーネベルアに連絡を取る事を打ち明ける。アーネベルアに会うのに、ラングレード侯爵家の面子を保つ為でもあったが、今は、味方は多い方が良かったからだ。
真剣な眼差しで、バルバートアにあの事を話すオーガ。
彼に絆されて、バルバートアもアーネベルアへ手紙を書き、連絡を取った。
前に彼がオーガへ提案した、後宮入りする姉の護衛の件で、相談したいという旨を書き綴った手紙は、ラングレート侯爵の嫡子が関わっているので、何の妨害も無く届けられた。そして、手紙を送った翌日に彼等は、アーネベルアから返事として、話し合いの場を提供された。
この返事で、自分の思案通りに進む事が判り、オーガは安堵した。
姉の護衛に関しては、宰相であり、義理の父であるバンドーリアも約束はしてくれていたが、如何せん、野心に溢れる者の手では、信用出来ない。
故に、義理の父親だけに任せるのでは無く、他の者の口添えのある方が良いと、判断したのだ。
近衛の者の助言、然も公爵家の者のそれならば、ラングレート家だけでは、対処出来ない貴族の牽制も出来る。
自分が動き易い様に、策を巡らせ始めるオーガに、気付く者はいない。
彼の思惑通り、姉想いの弟の行動…そう、周りから、受け取られていた。
オーガとバルバートアの手紙を受け、アーネベルアは彼等を会う機会を作った。
顔見知りのラングレートの嫡子と何故か、気にかかるその義理の弟。
二人の手紙の内容は、あのエレラの事。
前に自分が話した事を相談する為だと、思い当たったアーネベルアは、非番の日に、彼等兄弟を自分の屋敷に招き、話を聞こうと考えた。
彼の屋敷は、コーネルト公爵家の所有地では無く、神殿内にある。
炎の神の祝福を受けて生まれた者として、神殿にある屋敷に住む事となった彼であったが、別に不自由はなかった。
実家から使用人は来ていたし、家族も暇を見ては、彼に会いに来ている。
神殿側もそれに関しては、何の制限や制約を設けていない。
祝福された者の自由とばかりに、無関心だった。神殿からの唯一の要求は、月に一度の礼拝と、七神の生誕の日と建国祭の一日礼拝だけ。
月に一の礼拝は暇な時で良く、生誕の日と建国祭だけは、必ず休みを取らされていた。
子供の頃は、理不尽だと思っていた事だが、今では当たり前の事。
慣れてしまえば、苦痛でもなくなった。
只…とある一件で、アーネベルアの身に、更なる重みが加わってしまったが…。
そんな事を考えながら、アーネベルアは兄弟を待っていた。
その頃、件の義兄弟は、ラングレート家の馬車で、アーネベルアの屋敷に向かっていた。貴族の屋敷がある区間を、過ぎた事に気が付いたオーガは、バルバートアにこの事を尋ねる。
「義兄上、貴族の方々の御屋敷のある処を、過ぎているみたいなのですが、アーネベルア様の御屋敷は、何処にあるのですか?」
夜会の時より、少し豪華さを抑えた服に身を包んだオーガに問われ、バルバートアは微笑みながら答える。
「そうか…オーガは、知らなかったんだね。
アーネベルア様は、生まれながらに、神の祝福を受けている方だよ。だから、住まいは、神殿の敷地内にあるんだ。」
「…神殿…ですか…。アーネベルア様も大変ですね。」
「確か、そうでもないと、言っていたよ。
実家から色々されているし、本人も周りも、左程気にしていないからね。」
兄代わりであったアンタレスの事を思い出して、尋ねたオーガだったが、この国では、神に祝福された者に対して、神殿の恩恵が篤い事を知った。
神殿の無い、森の中…精霊では考えられない事。
精霊は、神に最も近い種族故に、祝福を受けた者への特別な処置は無い。
只、他人に迷惑が掛らない範囲で、己の生まれた場所とその長から制限を受けず、自由に生きられるという特権があるのみ。
他の人型の生き物と違い、精霊は神を身近に感じれる為、神殿という枷に囚われない。
神に仕える者として、創られ、生まれた者達…それが精霊である。
その為、神に最も近い種族、神と直接対話出来る種族として、周りから重んじられているとも言える。
反対に、アーネベルアと同じ、精霊以外の人型の生き物の場合は、神に直接対話出来る者が少ない。
神に仕える者として、生まれていない…この世界に生活する者として、創られた者達で有るが故だ。故に、神官と言う神に仕え、直接対話出来る者が必要となる。
神官以外でも、神に対話出来る者が祝福されし者。
精霊も、自らの神が祝福された者と神官には敬意を払い、最も大切な友人として扱う。
精霊の中にも、神に祝福された者が生まれ、神に仕える神官もいるが、前者は最も尊き者として、後者は神の鎮め役として、精霊の中で扱われている。
…余談だが、その筈のアンタレスに対し、隣人であり、友人のファンアは普通に接し、容赦なく張り倒していた……。
程無くして、彼等は神殿の敷地内に入った。
貴族の居城地よりは狭いが、小さい村が1・2個入りそうな面積はあった。
その広い敷地には、下級貴族の屋敷位の大きさの建物が点々とあり、その中心に最も大きな白い建物が立っている。
恐らく神殿であろう、その石造りの建物は、白を基調に様々な色彩が小さく装飾されており、そこが多くの神を祀るの物だと示していた。
神殿を左に見ながら、彼等の馬車は、紅い屋根を持つ屋敷へと向かっている。
神殿の中の、炎の彩りを持つ屋敷は、彼等を今か、今かと、主と共に待ち構えていた。