邪悪な心の始動
初めての夜会から数日間、色々な夜会に彼等は、招待されて出席した。
他の貴族から招待された夜会でも、彼等の話題で持ちきりだった。
件の兄弟を一目見ようと、養父であるラングレート侯爵こと、バンドーリアを待ち構える程である。
兄弟の登場で、会場内は溜息と熱い視線に満たされる。それに怯むこと無く、堂々としている…。だが、奢る事をせず、謙虚に対応している彼等に、反感を持つ者は無い。
嫉妬からのそれはあっても、好意的な人々によって、抑えられる。
それ程、彼等に好意的な人々が多かった。
二人の美貌と優雅な行動、人当たりの良い態度及び、謙虚な対応…それ故の人気である様に見えたが、実際は、オーガによる魅了と魁儸の術…。
彼が、相対した多くの人々を操っていた事は、誰も知らなかった……。
そんな中、オーガに不信感を抱く者が出て来た。
とある公爵家の主催の夜会に、休暇で偶々(たまたま)訪れていた者だった。
紅い髪と紅い瞳…公爵家の次男で、近衛騎士である男性…。
生まれながらにして、炎の神・フレィリーの恩恵を受け、かの神の剣の担い手である。
彼は偶然見かけた、オーガの隙のない様子に気付き、それとなく観察するようになっていた。
優雅な身の熟しに隠れて見える、抜身の剣のような鋭い動き。
手練れの騎士ならではの洞察力で、見抜いたそれは、兄弟の境遇に疑問を投げかける。単なる庶民の養子…とは見えない、そう、彼は思い、当の本人に近付いた。
男の視線に気付いたオーガは、人有の様さそうな微笑を浮かべ、術を掛けようとしたが、反発する何かに当り出来無かった。
内心、警戒をしながら、近付く男を見る。
燃える炎の様な紅い髪と紅金の瞳…顔付きは精悍そうな剣士いや、優雅さがあるから騎士であろう。無骨な面は見えず、騎士としても上の人物と判断した。
背はオーガより高く、頭二個分は差が有りそうだった。
体も鍛えられている様に感じられ、見知った精霊騎士達よりも体格が良く、服に付いている紋章は公爵家の物。今の自分達より、上の身分。
術が効かない以上は、無礼にならない様に対応しなけばならない。
こちらから声を掛ける事無く、微笑を絶やさないままで、相手の出方を待った。
「初めまして、ラングレート候の御子息殿。
私はアーネべルア・ハールディア・グラン・コーネルトと言います。
これでも一応、コーネルト公爵家の次男坊ですよ。御兄弟の御噂は、良く聞き及んでおりますが、これ程の御美しいとは思いませんでした。」
目的の弟に向かって、アーネベルアは声を掛ける。それに習い、オーガも挨拶を返す。
「初めまして、コーネルト様。私はこの度、ラングレート侯爵様に望まれて、養子になりました、オーガ・リニア・ラングレートと申します。
まだ良く、こちらの事は判りませんので、御指導の程、宜しく御願いします。」
挨拶を交わす彼等の傍に、姉であるエレラも来た。
姉に気が付いたアーネベルアは、彼女にも声を掛ける。
「初めまして、ラングレート候の御令嬢殿。
私は、コーネルト公爵家の次男坊で、アーネべルア・ハールディア・グラン・コーネルトと言います。御兄弟そろって、噂通りに御美しいですね。
貴女に至っては、まるで闇の女神・アークリダ様が、舞い降りたかのようですよ。」
「初めまして、弟と同じく、養女となりました、エレラ・レムニア・ラングレートと申します。
コーネルト様、流石は公爵家の御方、お世辞がお上手ですね。
でも…私よりも、闇の女神様の方が、もっとお美しいですよ。私など、足元にも及びませんわ。」
エレラの微笑に、とんでもない、本当の事ですよと、慌てながらアーネベルアは返答をしていた。穏やかで優しい笑顔の姉・エレラを視野に置きつつも、アーネベルアの視線は姉で無く、弟を捕えている。
厳しい視線に恐れ、姉の方へ隠れようとするオーガへ、ふと、彼は微笑みかけた。
先程の隙の無さは、気のせいだと思い、年下の、貴族の子弟相手の言葉使いで対応する。
「申し訳ありませんね。つい、職業柄で警戒してしまって…。
オーガ君はこれから、どの様な道に進むのかな?ラングレート宰相殿には、既に跡取りの方がいらっしゃるし、あの方も酔狂で、君を養子にしたのではないでしょうから。」
「姉様を…いえ、姉上を護りたいと思っています。
ですから、この国の騎士になれたら…と、望んでいます。」
男の子らしい発言で、アーネベルアは更に微笑む。
真剣な眼差しで語る年若き少年…彼の頭に手を伸ばし、無意識で撫でていた。
撫でられた本人は、キョトンとして、アーネベルアを見つめていた。
「言い忘れていましたが、私はこれでも王宮の近衛騎士ですよ。
今日は、たまたま非番で、父の代わりにと、母に連れて来られたんです。」
「コーネルト様は、近衛の方ですか?!
あ・あの、近衛のお仕事って、大変なのではないのですか?」
感極まった声で尋ねられ、アーネベルアは苦笑した。
年相応に思える件の弟に、それなりにと言葉を濁して答える。
そんな彼等の遣り取りを、宰相であり、義理の父であるバンドーリアは、満足そうに見ていた。神の祝福持ちである、近衛隊長を相手に、気後れする事無く受け答えをしている、オーガ。
上手く事が運ぶ…そう思うと、笑いが止まらなかった。
この子には将来、将軍にでもなって貰おうか…そう、野心を燃やし始めた。
何事も無く終わった夜会に、ほっとしたオーガは、ラングレートの屋敷の自室で考えに耽っていた。今日、出会ったコーネルト公爵家の次男坊、アーネべルア・ハールディア・グラン・コーネルトの事である。
自分の術が何故、効かないのか…。
取り敢えず、無難に対応出来たが、後々あの男が障害になる可能性が出る。それを踏まえて、如何したものかと考えていると、オーガの心の中から、久し振りに声がする。
『あ奴は、神の祝福持ちだ。しかも、炎の神…少々、厄介だ。』
「厄介?術が効かないからか?」
『それもある。神の祝福持ちには、我等の魅了と魁儸の術が効かない。
然も、奴のは炎の祝福…我等は、炎と光には近寄れない。』
近寄れないと聞き、何故かと問うと、強い浄化の力を有していると、答えが返って来る。
精霊の力ならまだしも、神の力となると、要注意らしい。
炎の神の創りし剣・フレィラナ・シェナムと光の神の創りし剣・ジェスリム・シェナム…その二振りが、邪悪なモノを屠る力を強く持つ。うちの一つ、光の剣と呼ばれる物は神本人が所持していて、件の神が人間の世界に降りない限り、脅威では無い。
だが、炎の剣の担い手は、人間の世界に存在する。
特に、炎の祝福持ちは要注意だと、声は教える。用心するに越した事は無いが、担い手は精霊か人間、若しくは獣人。
精霊騎士に勝った事のあるオーガにとって、恐れる相手では無いと感じた。
一番気を付けるのは、神が降臨した時。
あの精霊騎士を、従える事が出来る神…剣の腕前は、彼等以上であろう。
相対してみたい半面、自らの悲願を打ち破る存在に、会いたくない。
そう、オーガは思った。
そんな折、やっと王からの御声が掛った。
何時もの通り、宰相としての仕事をしているバンドーリアへ、王から言葉を掛けられたのだ。
「バンドーリア、その方、最近養子を引き取ったそうだな。」
薄茶の髪を肩まで伸ばし、後ろで一括りにしていて、その緑の双眼は好奇心に満ちている。件の兄弟の噂を聞きつけ、居ても経ってもいられなくなったらしい。
噂の兄弟の養父である宰相を呼びつけ、王族の主催の夜会の招待状を自ら手渡すと共に、兄弟を是非連れてくるよう、命令した。
「その方の養子の兄弟の噂、吾も聞き及んでいる。元庶民とは思えない、立ち振る舞いと頭の良さ、そして…美しいと聞いた。
吾もその兄弟に会ってみたい。……是非連れてくるように。」
直接の言葉にバンドーリアは、畏まりましたと、速答した。
いよいよ、自分の野心を遂げる機会が、巡って来たと感じていた。
件の兄弟を使い、王に取り入り、この国を自分の思うがままに操る。
その願いが叶うと思うと、心の内では、喜びのあまり、踊り出しそうであった。
王族主催の夜会に出る事となった兄弟の周りは、一段と慌ただしくなっていく。
衣装の準備から、身分の確認及び、対応等々、色々と教わる事が多くなった。
只、オーガは、一度会った人間は全て把握し、操っていたので、確認の為に聞いていただけであった。その中にも、件の相手…コーネルト公爵も含まれていた。
夫人とその次男、長男とは認識があったが、本人には出会えていない。将軍の片腕として、副官の地位にいる人物であったが、多忙故か、未だに会えない。
次男の事もあるので、警戒に越した事はないと判断した。
実際、夫人と長男も、次男のアーネベルアの影響で、術に掛らなかったのだ。父親も、その可能性を秘めていると思い、無難に対処する事に決めた。
後は会った事の無い貴族と、肝心の目的の王のみ。
エレラと王に魅了の術を使うとしても、気付かれない様にしないといけない。
彼女を媒体として、使う事には問題無いが、王はかなり難題と言える。
かの王の周りには、近衛騎士のアーネベルアを含め、護りの者がいる。他の面識のない貴族の中にも、術が効かない者のいる可能性も示唆した。
それを踏まえてオーガは、エレラの魅力を一層引き立てる事にした。
エレラに王を惚れこます為、彼女に更なる魅了の術を施す。
対象は王のみ。
発動条件は出会う事としたが、それは意味をなさない物となる。
当日、彼等は養父であるバンドーリアと、その長男であるバルバートアと共に夜会に向かった。王族主催の、夜会の準備の時に、初めて会ったラングレート候の嫡子だったが、最初から彼等には好意的だった。
薄茶の髪を、この国の貴族特有の長さ──肩を少し過ぎた位──まで伸ばし、後ろで一つに括り、青い瞳の、優しそうな顔立ちの男性。
父親似では無く、亡き母親に似ているらしい彼は、珍しく、貧しい者に情けを掛けた父親に感心し、その相手の兄弟を微笑ましく思ったのだ。
そんな彼にオーガは、敢えて術を掛けなかった。
向けられた好意を無下にしたくなかったのと、兄と言う立場に、躊躇いを見せた為だ。
最初は兄…今はもういない彼と、バルバートアを重ね、術を掛けるのを忘れていた。
それに気が付いた頃には、魁儸のそれを掛けずともバルバートアは、オーガを弟して扱っていた為、彼は、向けられる偽りの無い微笑を失いたくないと思い、心の声に逆らってまで、術を掛けずにそのままで放置している。
頼ってはいけない想い、だか、心の奥底はそれを望む。
矛盾する自分に失笑しながら、偽りの自分を演じ、騙す。これは、幻、偽りと自分に言い聞かせて、オーガは、この日を迎えた。
ここからが正念場、この国を王を魁儸にし、人間の世界に不幸をも垂らす。
その為の第一歩を今、オーガは踏み出した。
王宮の賑やかな喧噪の声は、そんな少年の心を知らず、只、噂の兄弟の登場を首を長くして、待ち構えていた。




