心の闇
次の日、オーガは変わりない朝を迎えた。寝ぼけ眼で近くにいる者を捜し、気が付く。
ここはシェンナの森…傍に、兄・アンタレスはいない。
自分の行動に肩を落としていると、背後から抱かれた。
いや、正確には、羽交い絞めにされた。
「オーガ君、起きたの?」
明るい声が聞こえ、後ろの人物が誰か判る。
「エアレア様。あの…この手を、離しれくれませんか?動けないんですけど…。」
「駄目だよ。折角夕べ、手合わせをしようと思ったのに、出来なかったから、
罰として、抱っこさせて♪」
エアレアの言葉に、これは抱っこで無く羽交い絞めですと、オーガが抗議すると、そう?と告げて、腕を緩ませる。
自由になったと思いきや、今度は膝の上に乗せられた。
もう直ぐ14歳になるとは言え、この姿の子供達の中でも小柄な方である為、大人の、然も精霊騎士であるエアレアの腕の中に、すっぽりと埋まってしまった。
小さな子が良く親にされている、膝の上に座らされ、抱きかかえられる様子に、オーガは頭を抱えた。
昨日もアレストから同じ様な事をされて、食事をさせられたが、それよりも数段上の、幼い子供扱いに文句を言いたくなった。
「エアレア様、これは如何言う、指向なのですか?」
怒りを含めた言い草に、エアレアは気にせず、さらっと流した。
「う~~ん、趣味かな?あ、じゃない、これ位の歳の子供って、どんな感じかなっていう、好奇心だね。私としては、もう少し幼い姿の方が良いのだけど、昨日、アレィがしてたから真似してみたんだ。
それとオーガ君、私を呼ぶ時は、愛称のレアで良いから。そう、呼んで欲しいな♪」
極上の笑顔を向けて、言われたとあっては、オーガは拒否出来無かった。好奇心旺盛で、堅苦しい事の嫌いな、風の精霊らしい発言。
仕方無くレア様と呼ぶと、更にご機嫌な笑顔になった。
彼の様子で、ふと、ランシェの事が、オーガの頭に過った。ランシェはエアレアの事も、アレストの事も、愛称で呼んでなかった。不思議に思い、それを尋ねる。
「レア様。ランシェ様は、何故、愛称で呼ばれないのですか?」
「ああ、あれね。あれは、ランの癖だから。彼、ああ見えてもお堅いから、愛称で呼んでくれないんだ。敬称抜くのも、大変だったんだよ。
だから、今は、あれで十分。本当は、愛称で呼んで欲しいんだけど…。」
「呼ぶ気は、ありません。私の仕える方でも、身内でもないのですし、貴方の方が年上なので、これで十分です。」
背中から掛った、怒りを含んだ声に、だそうで、とエアレアが付け足す。
真後ろで、仁王立ちしていそうなランシェに、エアレアは振り向き、今から行くよと声を掛けた。
やっと解放されたと思いきや、エアレアは、オーガをアレストの胸に押し当てた。それを受けて、抱き留める格好となったアレスト。
「アレィ、オーガ君を頼んだよ~。お守り、よろしく。」
と言い残し、朝食を作る為に移動して行った。それを見計らってか、アレストが小さな呟きを漏らす。
「レア、狡い。」
まだ、アレストの腕の中にいるオーガには、その呟きが聞こえ、何事かと思い、尋ねた。
「アレスト様。レア様が、狡いって?」
「オーガに、愛称、呼ばれてる。自分も、そう、呼んで、欲しい。…駄目?」
アレストに覗きこまれて、目を合わす形になったオーガは、懇願の眼差しが向けられた事に、困惑した。エアレアといい、アレストといい、精霊騎士たる者が、こんな異質な幼子に懇願している姿は、滑稽に思える。
無言で考えていると、アレストの表情が曇りだし、悲しそうになっていく。それに気が付いたオーガは、はっとし、意を決して呼んでみた。
「アレィ…様?」
途端に表情が明るくなり、抱き締める腕の力が強くなった。
離したくない…この腕の存在を、ここに留めて置きたい。さすれば、この子の心の中の、危険なモノは動けない。
そう思ったアレストは、腕の中の存在が大切な者だと自覚した。
恋愛感情では無く、只、護りたい大切な存在。
庇護欲を掻きたてる幼子に、アレストは夢中になっていた。
親の溺愛に似た行動…光の神の神子と、初めて会った時と、同じ感情をオーガに感じていた。
腕の中に納まる可愛らしさに、時間を忘れて構っていた神子…カーシェイクの事を思い出す。今は成長して、腕の中に納まる大きさでは無いが、やはり会うと、子供の頃の様に抱きしめたくなる。
オーガも何れは、そうなってしまうのだろうと、思い、少し寂しく感じていた。
一方、腕の中のオーガは、アレストの行動が、兄であるアンタレスと似ていると思っていた。
何かと、無言で抱き締め、時には、同時に頭を撫でる兄…。
今は会えない兄を思い出し、アレストの腕の中で大人しくしていた。
『レス兄さん…如何しているのかな…、会いたいな。』
そう思い、つい、アレストにしがみ付いていた。オーガの様子に気が付いたアレストは、優しくその頭を撫でていた。
「何をしているのかな?アレィ♪」
陽気な精霊騎士の声がして、オーガは我に返った。
アレストの腕の中に納まり、剰え、甘えていた事に気が付いたのだ。問われた件の闇の精霊騎士は、しれっとして答える。
「幼子の、子守り。泣きそう、だったから、抱き締めた。
…オーガ、幼い頃の、カーシェ様に、似ている。」
精霊の、年相応の扱いを受けていると、感じたオーガは脱力した。13歳では、精霊は幼子…やっと歩けるようになる姿の歳。
だが、今のオーガの姿は、50年以上生きた精霊の姿…少年の姿。
心の方も幼子では無く、少年の心。
この姿と心の違いに違和感を受けず、彼等精霊は、年相応の幼子の対応をする。
されている本人は複雑な気分になるが、仕方無いと、諦めている部分が多々ある…。
「…カーシェ様ね…。
そう言えば、アレィって、カーシェイク様の子守りもしてたんだっけ。」
エアレアの言葉に頷くアレストは、腕の中の幼子が、しがみ付いていない事に気が付いた。安心した事を確認し、その腕を緩めた。
「オーガ、もう、大丈夫。寂しくない。」
そう言って、再び頭を撫でるアレスト。
オーガは彼の優しさで、その身を任せようとした…が、何かが、これを拒否した。
不思議に思うオーガの脳裏に、突然浮かんだ、リューレライの森の精霊の姿、…その嘆きと悲しみの声。頭に響く様に聞こえてくる彼等の叫びに、オーガは呆然とした。
そして、何が起こっているのか判らず、頭を押さえ、蹲るオーガ。
彼の様子に気付いた精霊騎士達は、彼に近付こうとしたが、大きな結界に阻まれる。
無属性の強い結界…、それを解除しようとしたが、如何にも出来無い。
そこへ、異変を感じたランシェもやって来た。
彼は、オーガを囲む結界に驚き、その場にいる二人に説明を求める。
「エアレア、アレスト、これは一体、如何いう事なのですか?
何が原因で、こうなったのですか?」
「判らない。でも、オーガ、苦しんでる。助けたい、けど、無理。」
「ラン、この結界は壊せない。オーガ君が作っているとは、思えないんだが…。
かなり、強い。…神々の結界並だ。」
精霊騎士達の焦りを余所に、結界の中のオーガは、聞こえてくる声と、脳裏に浮かぶ姿に翻弄されていた。
兄であるアンタレス、隣人のファンア、師匠のレナム、祖父代わりの長、そして、共にレナムの所で学んだ者達………。
その嘆きと苦しみ、悲しみ…聞こえる心の叫びに、オーガは耐えられなくなった。
「…行かなきゃ…みんなの…許へ…。」
途切れ途切れに、紡がれる言葉で、ランシェは叫んだ。
「オーガ君、いけない。その力は…。」
ランシェの言葉が聞こえないのか、ふらりと立ち上がったオーガは、無表情の目を虚空に向け、長や師匠から、一時期まで禁じられた力を解き放つ。
一瞬で空間を移動する力…風の精霊の力に似ているが、異なる物。目的地が無いと、飛べないそれを使い、リューレライの森へと向かったのだ。
オーガの姿が消えたのを見計らって、囲んでいた結果も消えていた。
目の前の出来事に何も出来ず、見つめる事を余儀無くされた精霊騎士達は、我に返り、オーガを捜そうとした。
「ラン、あの子の行きそうな所、知ってる?」
「恐らくは、リューレライの森でしょうね。ですが…あそこは……。」
珍しく、言葉を濁すランシェに、エアレアは疑問に思った。
「ラン、その森に何があったの?」
一瞬ランシェの表情が曇ったが、直ぐに真剣な眼差しとなり、返答をした。
「行けば、判ります。」
「判った。ラン、アレィ、私の近くへ。」
エアレアの言葉に応じて、呼ばれたランシェとアレストは、彼の近くに寄った。それを確認すると、エアレアは、風の精霊の力を駆使し始める。
集まる風の力を使い、先程のオーガと同じく、一瞬にして目的地へと飛んだ。
後の残されたのは、渦巻く風の名残と、住む者が去った住居だけだった。
その頃、オーガは自分の若木の許へ、赴いていた。
だが、その周りを囲む風景の、あまりの変貌振りに呆然とした。
以前まで他の木々で覆われ、太陽の光が届かなかった地面に光が満ち溢れ、それに伴い新しい草が芽生え始めている。
大きな木が在った場所には、それ相当の切り株があり、名残のみを残していた。まだ新しい切り口を晒すそれは、木々の精霊の本体が失われた事を意味し、その命を奪われた事となる。
「レス兄さん、ファンア、レナム師匠…?」
辺りを見回し、さらに奥へと進むオーガだったが、切り株のみが続き、その最奥には一際大きな切り株が…。
「…じっ様…嘘…だ。い…やだ、嫌だ!!!」
そう、長の本体の残骸が、そこに座していたのだ。その前でオーガは絶叫し、蹲った。
置いて行かれた、一人だけ残されたと思いながら、声の限り叫んでいた。
そんな彼の心に、付け入るモノがいた。
『一人残されて…寂しいか?此れは人間が遣った事…、人間が御前を一人にした…。』
低く響く声に、オーガは耳を傾ける。絶望の淵で囁く、何か。
普段なら警戒をして、耳を貸さないオーガだったが、たった一人、残された寂しさが、彼の警戒心を失くす。
「人間?」
『そうだ、人間だ。残された物を良く見ろ。自然に折れた物では無い。
人間が使う刃物で切った後だ。』
指摘され切り口を確認すると、確かに鋭利な刃物を打ち込んだ跡がある。人間が仲間を切った…その事実が、オーガに憎悪の心を植え付ける。
「人間が…皆を…殺した…。」
『そうだ、御前の仲間を奪ったのは、人間だ。…憎いだろう。もっと憎め、そして、人間を滅ぼせ!』
聞こえる甘い囁きに、オーガは答えた。
「そんな力…僕には無い…。」
『あるさ、あの風の精霊と遣りあった時、使っただろう。風の力を消した…、あの力を。』
言われて、エアレアとの、剣の手合わせを思い出した。夢中で放った力、向けられた風の力が一瞬消えた…あれは自分がやった事なのか?
それに疑問を感じたオーガへ、再び声が話し掛ける。
『そうだ、その力だ。その力は、御前の物。御前が自由に使える物だ。
それを使えば、人間の国など一溜りもない。』
声の告げた言葉に、オーガは自身の両手を見た。
風の力を消したものが、本当に自分の力…ならば…と思い、片手を長の残骸に翳す。
あの時の同じ様に、消す事のみを頭に思い浮かべる。すると、長の切り株は何も残さず、綺麗に無くなった。
そこにあるのは、剥き出しの地面。
同じ様に他の残骸全てを、オーガは消し去る。
何の感情の無い瞳を向け、剥き出しの地面が広がる場所で、オーガは語りかける声に耳を向ける。
『はっははは…、見事な物だ。その力で、人間の国を滅ぼせば良い。』
「…この力は使わない…。」
否定の言葉を告げるオーガに、声は驚きの叫びを上げる。
『何!折角の力を、使わないだと…!』
怒りを含んだ声に、オーガは怯まず続けた。
「この力に頼らずとも、人間は滅ぼせる。奴らを操り、同士討ちをさせてやる……。」
感情を押し殺した声、そして、その顔には微笑が…狂気の微笑とも、悪しき微笑とも、言えそうなものが浮かんでいた。
エアレアに運ばれ、アレストとランシェが、オーガを追って来た。
そこは、か細い木が一本、残っているだけの荒れ地だった。既に木々の残骸である切り株は、オーガによって、跡形も無く消え失せ、大地が覗いていた。
「ラン…これは…。」
目を伏せたランシェは、エアレアの疑問に答えた。
「リューレライの森の木々は、人間の神殿の修復に使われています。この若木を残す条件で、ここの長が承諾したとの事でした。」
「人間が切ったのなら、切り株があっても良いのに…何故、ないのかな?」
一面の大地を見て、エアレアに呟かれた言葉は、アレストに返答される。
「オーガの、力。レアの、力を、消したのと、同じ。」
「アレィ…?」
聞こえた答えに、エアレアは声の主の方を向いた。
アレストの目は、真っ直ぐ前を見つめ、厳しい視線を送っていた。
彼の視線を辿り、エアレアとランシェは、オーガの姿を見つけるが、何時もと様子の違う、オーガに息を呑んだ。
瞳は表情を失い、虚空を見つめ、その身には精霊の気では無く、禍々しい程の闇を纏っていた。暗緑色の瞳と髪は、更に闇色に近くなり、その微笑は邪気を含んでいる。
「…あれが…オーガ君…なの…か…?」
エアレアの声に、アレストが頷き、言葉を続ける。
「オーガの、心の中の、危険なモノ、表、出てきた。
あれに、自分、無力。この身が、染まってしまう、可能性、ある。」
アレストの言葉に、エアレアとランシェは驚いた。
闇の精霊が、染まってしまう可能性のある闇。邪気を含んだ闇…それは…一つの物を示している。
「まさか…あれは…邪悪なる闇…邪悪なるモノなのですか…。」
ランシェの導き出した答えに、アレストは頷き、オーガへ向かって叫んだ。
「オーガ、駄目。それに、身を、任せては、いけない。それは、自らをも、滅ぼす、モノ。
心の中から、出しては、駄目だ!」
アレストの叫びに一瞬、オーガの視線が彼等に向く。
しかし、それは直ぐに虚空へと戻った。
……そして……オーガの姿は、その場から掻き消えた。
後には精霊騎士と、何も無い大地だけが残された。




