闇の竪琴 後編
彼等の沈黙にオーガは、ゆっくりと頭を上げた。
精霊であれば、最大の喜びだと判る誘いだが、自分の本能は、それを受け入れない。
違う、と叫び、それを否定する。
精霊の筈の自分の、心の奥底にある何かが、これは自身の目的では無いと告げるが、自分の目的は何かと自問すれば、何も判らないし、的確な答えも出ない。
憂いを含んだオーガの瞳が彼等を捕え、言うべき言葉を綴った。
「御免なさい。僕にはまだ、何も判らないんです。
何がしたいのか、何故、剣の腕を、知識を求めるのか。
今は…自分が精霊なのかも…判らなくなってしまいました。精霊である以上、神に仕えるという最高の喜びでさえ、そうでないと感じる自分がいる…。
…僕は…一体…何なのでしょうか………。」
最後に告げられた言葉は、小さな呟きになって、彼等の耳に届いた。幼子の、悩みに答えてあげたいと望むが、彼等にも、その答えはなかった。
いや、ランシェにはあったが、それを告げられなかった。
告げようとすると、何かが止め、言葉に出来無い。
不思議な事であったが、ランシェの本能が、それで良いと肯定している。
告げてはいけない真実……オーガが人間で、森の養い子である事は、この子に告げてはならない。
本能の警告は、ランシェにある事を考えさせた。
リューレライの森の精霊も、そうであったのか。
だから、彼を精霊として育て、人間としての事実を隠した…隠せざる負えなかったのかと。
この事はランシェの考えに、確信を齎せつつあった。
オーガは、ある役目を持って生まれた者…それ故に、人間として生まれ、精霊として生きる。そして…当たって欲しく無い定めをも、その行く末にある。
重い雰囲気を壊す為に、エアレアはオーガに話しかけた。
「オーガ君、今は、その気になれなくても良いよ。もし、その気になったら私か、アレィ、ランに言えば良い。強制はしないから、心の隅にでも覚えてくれたら良いんだ。
それはそうと…ラン、食事の用意をしようか?オーガ君も、お腹が空いているでしょう?」
言われて、頷くオーガへ微笑みかけながら、エアレアとランシェが、食事の支度に行った。残されたアレストは、無言でオーガを見つめていた。
精霊の誉れを断った少年。
定められた何かがあるからこそ、断った…そう、考えた。
自分がオーガの中に見た、危険なモノと、得体の知れない何か。それが、関わっているからこそ、彼は精霊騎士の誘いを断った様に思える。
だが、それは彼に言えない。
不確かな物で、彼の不安を煽りたくなかったのだ。
真剣な眼差しのアレストに、オーガは、不穏な空気を感じ取った。声を掛けようとするが、掛け難い。
如何したものかと、考えた矢先に、彼の不安を感じ取ったアレストから、声が掛った。
「オーガ、心配、無い。レアの、言う通り、気が、変わったらで、良い。」
微笑みながら言うアレストに、ほっとして、オーガは話を続けた。
「判りました。それと…また、詩を教えて下さい。…特に、その…。」
「ジェスク様と、リュース様の話?判った。」
余程判り易かったのか、アレストからの即答に、恥ずかしそうに頷くオーガ。アレストには、その仕草が可愛らしく映り、つい、頭を撫でてしまっていた。
また、幼い子供扱いされているな~と思いつつも、素直に受け入れるオーガは、彼の優しさを嬉しく思った。
食事が終わり、オーガが眠りに落ちると、精霊騎士達は別室で話を始めた。
口火を切ったのは、エアレアだった。
「ラン、あの子は…本当に精霊なのかい?」
「あの子は…森の養い子、人間と聞いています。ですが…」
「人間、らしくない。精霊、らしい。でも、精霊、らしくない、処、ある。」
問われたランシェは、その質問の答えを口に出来た。如何やら、オーガがいない場であれば、告げれるらしい。本人に知らせない事が、話す事を許される条件の様だ。
ランシェの言葉に、アレストも反応し、オーガの事を話し出す。
そう、人間らしくなく、精霊らしくもない。食事前の遣り取りで、そう感じた彼等は、オーガの正体を探ろうとした。しかし、続く言葉は無く、一人一人が、自分の考えを纏める事となった。
エアレアの方は、まだ、あの意見を捨て切れていなかった。
オーガは、光の神と大地の神の神子…生まれて間も無く、行方不明になった神子・リシェアというものだった。
かの神の神子は双子で生まれ、直ぐに片方の赤子だけ、その姿を消した。
両親である神は元より、その兄弟と他の初めの七神、そして、精霊達が隈無く捜しても、未だ見つからない。
だが、死んでいる可能性は無い。
何故ならその子は、一卵性の双子…一つの魂と一つの体を二人で分けて生まれた、お互いが繋がっている子供だったのだ。
両親の許にいる神子は、元気そのもの。時折、不思議な事を言うと聞いていたが、それは繋がっていると判断出来る物だった。
しかし、オーガをその子とは、断言出来無い。
片割れの子と姿が、違い過ぎるのだ。
光髪と青い瞳…ジェスク神の特徴を受け継いでいるその子と、木々の精霊そのものの姿の幼子。繋がっている双子なら、容姿は全く同じで、両性体の事が多い。
親元にいる子は両生体で、オーガは無生体。
ランシェが即答した様に、その神々の神子とは思えない。
だが、オーガの剣技の型といい、今日の竪琴の腕といい、如何してもジェスク神を彷彿とさせる。姿は似ていなくても、剣を振るう時と竪琴を弾く時に、微かに感じる雰囲気は似ていた。
技術の高みにいる者同士は、似ていると言われば、そうかもと納得してしまうが、それでは片付かない出来事がある。
神に仕える事を拒んだ。
それは、神に近い者という事が言える。
神子は、神に仕えない。神から愛情を得て、その愛情を返す存在。
癒しになりはしても、自分から神の世話をしない。寧ろ神の方が、世話を焼きたがる位だった。
俗にいう、溺愛と言う愛情を、彼等の神々は持っている。
まあ、躾は、きちんとされているので、特に問題は無いのだが、子供自慢を聞かされる事は、苦痛を伴う場合もある。
エアレアも、その被害に何度かあった…。
それはさて置き、エアレアの思案を悟ったランシェは、溜息を吐いた。
確かに彼が言った、行方不明の神子・リシェアと言う線は、否定し切れない。オーガの才能から言えば、神子である可能性の方が高い。だが、纏う気は精霊の物。
神々も故意に纏える気ではあるが、この年の神子が故意に纏える物では無い。故に肯定が出来ず、かと言って、今の現状では否定も出来無い。
オーガが神に仕える事を拒んだ時点で、全面否定が出来無くなったのだ。役目を持つとはいえ、人型を持つ者や精霊にとって、神に仕える事は誉れであり、嬉しい事だ。
それを拒むのは、神と神子のみ。
敬愛を含む場合の除き、彼等は基本、神に仕えない。
オーガの行動は、正にそれが当て填まる。
だが、確信は無い。
只、神の事を知らないだけである場合も、捨て切れないのだ。
事実そんな人間と、ランシェは会った事がある。
神を否定し、自ら神を名乗った愚かな輩。
神々により制裁を受け、今、償いの為の転生を繰り返している。
オーガがそう成らなければ良い、とランシェは思った。
一方、アレストは、オーガの中に眠る得体のしれない何かが、原因だと思っていた。
龍人と同じ様な、何か。
知っている中で一番近いのが、尊敬している闇の神龍・緇龍だった。
自分と同じく、闇の女神に仕える神龍であり、アレストが神々と神子以外で唯一、様付けで呼んでいる騎士。然も、彼より剣が強い。
だが彼等は、属性を持つ。
あの得体のしれないモノは、決まった属性が無く、禍々しいモノが包み隠そうとしていた。
故に危険なモノと判断したのだが、それがオーガの本質だとすると…大変なものになる…。
そう、アレストは感じていた。
三人の思惑を余所に夜は耽り、新たな波乱の朝を迎える事となる。
それは彼等にとっても、オーガにとっても、吉兆とは言い難い物であった。




