闇の竪琴 中編
それから、オーガは、アレストに四季の訪れの詩と、鎮魂歌を習った。良く詠われる物で、覚えておいた方が良いと、アレストとエアレアから、言われたのだ。
一通り詠えるようになった頃、ランシェが帰って来た。家の中から聞こえる咏声に、自然と微笑が漏れた彼は、早速、オーがいる部屋に入って来た。
「大人しくしていた様ですね。…おや、それは…闇の竪琴では?」
オーガの手に収まっている、竪琴に気付き、ランシェは彼等に尋ねた。
「自分、貸した。オーガ、弾ける。でも、竪琴、無い。」
「ラン、オーガ君てば、凄いよ。
アレィの竪琴の音を鳴らせるし、詩も覚えるのが早いんだ。」
「…教える方々が、上手いんです。僕は只、覚えるのに、必死なだけです。」
アレストとエアレアの言葉で、オーガの演奏の腕は、闇の竪琴を奏でる事が出来ると判った。自分と同じく、アレストの竪琴を弾けた、オーガに目を向ける。
木々の精霊は、楽器を弾ける者が多い。それが例え、初めてでも、それなりに弾ける。
アレストとエアレアの態度から、オーガの腕は、それ以上と考えられると推測し、ランシェは彼等に声を掛けた。
「少し、待ってて下さいね。良い物を持って来ますから。」
そう言って、ランシェは一旦、部屋から出て、ある物を持って来た。オーガの見知った、普通の鉱物で出来た楽器…竪琴であった。
薄い緑の本体にアレストのと同じ、14本の弦を持ち、蔦の装飾が施されている。普通の竪琴だと判るそれは、木々の精霊を象徴した物だった。
「オーガ君に、これをあげますよ。」
ランシェから、不意に渡された物を、オーガは受け取った。しかし、手にした物を細部まで見回し、彼を見上げ、手の物を返そうとする。
ファンアの持つ木で出来た物とは違い、手にした物は、高価な物と思える代物。
丹念に、手入れも施してある。そんな大切な物を、受け取れなかったのだ。
オーガは、その旨を、ランシェに告げた。
「ランシェ様…こんな高価な物…受け取れません。」
オーガの行動に、微笑みながら拒否し、ランシェは言葉を続けた。
「それは、私の物ではありません。それは…弟の形見です。
もう、担い手の無い物をそのまま放置しているより、新しい担い手の手で奏でられる方が、この竪琴にも良い事でしょう。オーガ君、弟の分まで、これを奏でてくれませんか?」
ランシェの弟の形見と聞いて、余計に受け取れないと思ったオーガだったが、続いた言葉に無言になる。
楽器は、奏でられてこその物。
飾られている事は死んだも同じと、ファンアから教えられていた。
良いのですかと念を押したが、ランシェが微笑と共に承諾の言葉を紡いだ為、オーガはその竪琴を受け取る。
アレストの物と違い、担い手を選ぶ物では無い普通の竪琴だったが、オーガには大切な物と映った。
手に取り、軽く爪弾く。普通の音でも、かなり澄んだ音が、竪琴から響く。
その音色と共に、初めて詠った物語の、別の一節を詠ってみた。
我は会う
天空にて美しき者に
地上にて美しき者に
我は会う
人間の国で愛しき者に
人間の世界で赦し難き者に
我は会う
地の果て 海の果てで悪しき想いの者に
星の果て 天の果てで熱き想いの者に
我は会う
全てを愛する為に
全てを見極める為に
我は会う
我は会う
光の神と大地の神の出逢い、そして、彼等を取り巻く人々との、出会いの詩。
先程の、光の神の旅立ちの詩と旋律は同じで、詩が違うだけ物だったが、こちらも印象が深かった。
神と人との出逢い、それが切実に表れているこの詩も、オーガは好きになっていた。旅立ちの詩は今の心境を、この詩は彼のこれからの心境を、顕している様に思えたのだ。
オーガの詩が終わり、余韻が辺りを満たしていく。
ランシェは、初めて通しで聞く、オーガの咏声に言葉を失くした。外に漏れていた練習の声より、オーガの意思で詠う声の方が、心に揺さぶりを掛けていたのだ。
それは、アレストの詩と同じく、奏者の意思で、与える感動を変えられる物。
闇の竪琴がオーガの手で、音を奏でた事を納得させられる程、彼の咏声と演奏は巧みであった。亡くなった弟と同じ、いや、それ以上の才能があると、ランシェは思った。
それは、アレストも同じだったらしい。
オーガの手に、収まっている竪琴を見て、言葉を漏らしていた。
「ディルの、竪琴…。ディル、奏者、出来て、喜んでる。
オーガ、ディルの様に、才能ある。…ディルより、上手く、なるかも…。」
寂しそうな笑顔で語るアレスト。ディルという名が、ランシェの弟の名だと気付いたオーガは、兄であるランシェの方に目を向けた。
オーガの視線に気付いたランシェは、彼の事を話し出した。
「弟…ランディルは、人間の争いに巻き込まれ、命を落としました。
ですが、私は人間を憎めません。弟が…命を懸けて護った人間が、弟が護ったものの為にと、色々な努力を惜しまなかったので…。
弟が望んだのは、平和な世界でした。それを成し得る為に、彼等は努力をしています。今も尚…。」
「ミルアー・エカウの国だね。
あそこは確か、今も精霊に対して、尊敬の意を送ってたね。特に、木々の精霊は彼等にとって、恩人であり、英雄らしいから…。
そっか、あの英雄は、ディルの事だったんだ。道理で、そっくりな銅像だと思ったよ。」
そう言って、かの国にある、英雄の像を思い浮かべるエアレアに、ランシェも頷いた。あそこには、弟の像がある。英雄として湛えられ、今尚、人々に慕われている。
それを知っているからこそ、ランシェは彼等を憎まず、民を護った弟を誇りに思っている。自分も同じ、神々と共に彼等を護る者。
だからこそ、あの時、弟を止めなかった。
喪われると判っていても、自らも出向く戦いに、来るなと言えなかった。
精霊騎士としてのランシェと、精霊剣士のランディルでは、実力の差があり過ぎると判っていても、弟の意思を曲げる事はしなかった。
只、受け入れ、共に戦う事を認めた。
民を護る為の剣、それがランディルの生きる目的、剣の使い道だったから…。
想いに耽っていたランシェの様子に、オーガは近寄り、声を掛けた。
「ランシェ様。…辛い事を思い出させて、申し訳ありません。」
素直に謝るオーガに、彼は微笑み、その頭を撫でる。辛い事ではありませんよ、と声を掛けるが、幼子の瞳は、心配そうに歪んでいた。
「過ぎた事ですし、今では弟も、新しい人生を送っている事でしょう。精霊かもしれませんし、人間かもしれない、獣人や龍人かもしれません。
ランディルとして会えなくても、今の名と姿で会えるでしょうから…。」
そう言って微笑むランシェには、憂いが見えなかった。今まで出会った精霊、人類と死に別れても、姿を変えて再び出会える。
ランシェだけでなく、ここに居る精霊騎士達も同じ想いだった。神に仕える事になると、精霊と獣人、龍人は、その身に流れる時が緩やかになる。
中には止まる者もいるが、大体はかなりゆっくりと時を刻む。故に身内が老いて、自分より早く神の許に逝くのを、何度も見送る事となる。
辛い事ではあるが、他の者が望む、敬愛する神の傍にいる事の代償と思えば、辛くない。彼等の分まで、自らの神の傍に居る。それが、神に仕える者達の想いだった。
何時か、この子も私より年老いて、いなくなる…。
そう思い、ランシェは、目の前の幼子を見つめた。その気持ちはエアレアも、アレストも同じ様だった様で、意を決したアレストが、オーガに声を掛ける。
「オーガ、精霊騎士に、なる気、無い?」
聞かれた本人は驚いていたが、エアレアもランシェも同感した。オーガの実力は、精霊騎士を務める事の出来る程であった。
しかし、オーガは、ランナから誘われた時と同じ様に、即答で断った。
「…申し訳ないのですが…僕に、その資格があるとは思えません。それに…僕は、自分の剣の使い道も、目的も、まだ判らないんです。
そんな者が、精霊騎士だなんて…冒涜です。」
俯き加減で、真実を語るオーガに、彼等は無言になった。
精霊なら、神に仕える事は、最大の喜びと感じる。
その最たる誘いを、眼の前の子は普通に断り、自分では冒涜とさえ告げたのだ。