闇の竪琴 前編
ランシェの言い付け通り、オーガは今日一日、家の中で大人しくする事になった。
ランシェは、長からの呼び出しで、家には居ない。
先程の提案通り、オーガはエアレアから、色々な人間の国の事を興味深く聞いている。
精霊以外、獣人や龍人、人間等、人型を取れる者が多くいる事実に、驚いていた。
そして、何時かは、彼等に会ってみたいと思った。
森を出た事の無い、オーガにとって、外の世界は不思議に満ち、興味深い物だった。
そんなオーガを見て、エアレアはふと、ある事を思い立って、尋ねてみた。
「オーガ君、神話は知っている?」
聞かれたオーガは、少しだけと答えた。オーガの知っているのは、リュース神に関する物が少しと、神々の名のみ。
実際の姿は知らないが、特徴だけは知っているのみだった。それを知ったエアレアは、アレストの方に向いた。
「アレィ、君、竪琴を持っていたよね。今、あるの?」
「手元に、無い。でも、呼べる。」
そう言って、彼は虚空に手を伸ばし、言霊と呼ばれるものを綴った。
『我が、竪琴よ。我の、呼び声に、答えよ。』
アレストの呼びかけに答えた様に、彼の伸ばされた手の中に、黒い竪琴が現れた。
小型のハープの様な形……一本の太い主柱があり、そこから三角形を描く様に少し細い管が、主柱の上部から下部へと伸び、その管の間に14本の弦が張られている物。
上部の管は、途中にうねりがあり、曲がりくねっていて、下部の管は真っ直ぐに斜め上に向かって伸び、丁度その管が繋がる部分は、円を描く様に丸みを帯びている。磨かれた様に黒く輝く竪琴は、不思議な雰囲気を持っていた。
装飾は、アークリダ…闇の女神を象徴する、月と星。
そこにも、深い紫色の不思議な気配を持つ、石が填まる。
オーガにとって、竪琴自体は、ファンアが持っていたので見慣れた物であったが、眼の前の物は、普通のそれと違って見えた。
興味に駆られた目を向けるオーガを、エアレアもアレストも、微笑ましそうに見ていた。
「これ、闇の、竪琴、アークレィア・ハーヴァナム。持ち主、選ぶ。」
「アレストの竪琴は、アークリダ様の持ち物だったんだ。
アークリダ様が、民の安らぎの為にって、下賜された時、アレィを持ち主と選んでね。
それからずっと、アレィと一緒なんだ。
これと対で、光の竪琴も存在するんだけど…未だに、主無しなんだよ。」
「光の、竪琴、気難しい。竪琴の、名手、カーシェ様すら、選ばなかった。」
目の前の、竪琴の説明を聞いて、オーガは不思議に思った。神の持ち物であるこれが、普通の素材で出来ているとは、思えなかったのだ。
ファンアと共に、色々役立つ石を採った事のあるオーガは、黒く輝く鉱物を幾つか知っていた。だが、それらとも違う。そう思ったオーガは、アレストに尋ねた。
「この竪琴…僕の知っている素材と、違う様に感じるのですが…。
アレスト様。何で出来ているのですか?」
「リダ様が、創る、輝石。アークレィア・ラザレアで、出来てる。
そして、ここにある、飾り、アークラナ・クルーレア。」
「両方とも、アークリダ様の輝石、神々の輝石だね。
アークレィア・ラザレアは、闇の結晶で、アークラナ・クルーレアの方は、闇を閉じ込めた水晶だよ。」
オーガは、彼等の説明を聞きながら、アレストの竪琴を見ていた。
黒く光る本体がアークレィア・ラザレアで、アレストが示す、竪琴の主柱の上部に当る場所と、先端の、丸みを帯びた部分の装飾に填まっている、黒に近い紫の結晶が、アークラナ・クルーレアだという。
輝石が神々の創る鉱物であり、結晶だという事は知っていたが、これ程大きな物は、初めて目にした。精々自分が持つ、精霊剣に填まっている物と同じ位の大きさしか、見た事が無い。
竪琴自体の大きさの輝石といい、填まっている装飾の物といい、どちらも知っている物より大きかった。
「この竪琴は、神が自ら創った神の御業と呼ばれる物で、弦も特殊なんだ。
闇を紡いで出来ていて、絆を持つ奏者が奏でると、音も他とは違ってくるんだよ。」
エアレアの説明で、更に驚いたオーガは、この竪琴がどんな音を出すのか、聞きたくなった。我慢出来無くなり、アレストに弾いてくれる様、頼む事にした。
「アレスト様…あの…この竪琴の音色を、聞いてみたいのですが…。」
好奇心には勝てないと感じる声で、尋ねるオーガに、アレストは微笑み、返事の代わりに竪琴を爪弾く。
優しい音と共に闇を感じる音色…今まで聞いた事の無い、澄み切った美しい音色に、オーガは瞳を閉じた。
聞こえる音色は、闇の女神の慈悲に満ちた愛で、包まれる様な感覚を齎す。その音色に乗せて、アレストの声が神話を綴る。
始めに聞こえたのは、創世の一節。
アレストの、低音の良く響く、澄んだ声が、紡ぎ出す。
遥かな昔 一つの意思 無の闇だけの世界に目覚めり
かの意思 孤独なり
自らの他 生ける者 この世界に無し
故にかの意思 他の世界を手本とし 七つの命を創りき
七つの命こそ 最初の神々なり
空の神・クリフラール 時の神・フェーニス 闇の神・アークリダ 光の神・ジェスク
大地の神・リュース 水の神・ウェーニス 炎の神・フレィリー
この七神を以てして 神々の始まりなり
この一節から始まり、命の神の誕生の詩、光の神と大地の神の恋物語、闇の神と空の神の馴初めや、海の神と川の神の詩、果ては知の神と癒しの神の恋詩まで、披露してくれた。
恋詩が多いな~と思いつつ、オーガが興味を持ったのが、光の神と大地の神の物だった。
恋詩ではあったが、波乱万丈の物語で、囚われた大地の神を、光の神の装った吟遊詩人が、出会った人間の騎士と精霊の騎士と共に、助け出すという話は、わくわくして面白かった。
オーガの様子に、エアレアも苦笑していた。少年らしい反応で、光の神と大地の神の詩を聞いている姿は、普通の子と変わりがなかった。
この子が、レナムやアレストを負かした剣豪だとは、誰も思わない。極普通の反応で、アレストの詠う神話を聞いている。
聞き慣れている神話なのに、この子がいると新鮮に聞こえる、そう、エアレアは感じた。
それ程、オーガの反応は、面白かった。
神殿の無い森で生まれ育った、精霊ならではの反応だったが、こうも表情が変わると、面白い物だなと、彼は思った。
アレストの詩が終ると、オーガは拍手を送った。その拍手を受けたアレストは、照れた様に見える。
珍しいアレストの照れに、エアレアは感心した。ここに来て、オーガの相手をすればする程、アレストの表情は豊かに動き、普段の無表情が信じられなくなる位だった。
まあ、永年の付き合いでなければ、判らない、表情の変動だったが、それでも、今の様に表情が現れる事は、少なかった。
オーガ君のお蔭かな?そう、エアレアは思った。
当の本人のオーガは、アレストの詩と演奏に、喝采を送っている最中だった。ファンアの物より、数段上の、洗練された竪琴の演奏と、咏声に魅了されている。
初めて聞く、これ程までの奏者と詠い手の詩…その感動を、拍手と言う形で表したに過ぎなかったが、されたアレストは頬を赤らめ、少し俯き加減になった。
今のオーガの様に、激しく拍手された事はあったが、何故かその時よりも、照れてしまった自分に驚いていた。
好意を持っているか、否か…それが今の行動に表れていると、気が付いた。アークリダ神に褒められた時と同じ、そう、アレストは思った。
微笑と共に拍手をするオーガに、エアレアはある事を提案した。
「オーガ君も、弾いてみる?」
言われたオーガは、目を大きく見開いて驚いた。竪琴はおろか、楽器を手にした事の無い彼にとって、名手を目の前に弾くなんて、考えもしなかった。
エアレアの提案に、アレストも乗り、
「オーガ、竪琴、弾くなら、教える。」
と、言い出す始末。アレストにそう言われて、断る事が出来無くなったオーガは、意を決して、習う事にした。その前に、自分の状況を言わないければと、口を開く。
「僕…、今まで、楽器を手にした事は、無いんです。
だから、弾けるか如何かも、怪しいんです。それに、詠った事も無いですし…。
音を外すかもしれません。才能が無いかもしれませんが、それで良いのなら…。」
俯いて、語尾が段々と小さくなるオーガに、彼等は吹き出す。大丈夫、最初は誰もそうとエアレアが言うと、アレストがオーガに自分の竪琴を渡した。
渡されたオーガは驚き、アレストと竪琴を交互に見る。
その様子に、アレストが声を掛けた。
「オーガ、この竪琴、弾いて、みる。音、出たら、大丈夫。」
アレストの言葉に、恐る恐る、竪琴の弦に指を掛ける。音が出なかったら、如何しようと思いながら、アレストが弾いたように、爪弾いてみた。
何も鳴らず、弦が動いただけだったが、アレストがオーガの手を取り、
「弾き方、違う。こう、弾く。」
と、オーガの指を動かした。アレストが手出ししている為か、音は鳴った。今度は手を離し、同じ様に弾かせる。
教えられた通りに指を動かし、弦を爪弾く。すると、先程とは違った、普通の音が弦から響いた。
「えっ…鳴った?アレスト様、音が…。」
「出た。オーガ、大丈夫。竪琴、弾ける。」
アレストの言葉で、安心したオーガは、先程のアレストの詩で印象に残った、光の神と大地の神の詩の、一節を弾き出す。
音を確認しながらの演奏に、竪琴も滑らかな旋律を奏でる。
旋律を確認出来たオーガは、詩を紡ぎだした。
我は行かん
天空にありし者にて
地上にありし者にて
我は行かん
人間の国を知る為に
人間の世界を知る為に
我は行かん
地の果て 海の果てを見る為に
星の果て 天の果てを見る為に
我は行かん
全てを知る為に
全てを見る為に
我は行かん
我は行かん
それは、光の神の旅立ちの詩だった。
光の神が、自らの住まいを抜け、人間の住む世界に向かう詩。
音から引き寄せられた様に、これを詠うオーガ。そんな彼をアレストは、満足げな顔で見つめ、エアレアは、初めて竪琴を演奏し、詠う幼子に驚いている。
普通なら一回聞いただけで、覚えられる物では無く、ましてや何もかも初めてで、これ程高い技量で演奏し、詠える事は有り得無い。
だが、眼の前の子は、それを成し得た。あの闇の竪琴が主以外で、音を出した事だけでも驚きなのに…だ。
自ら主を決める楽器は、その担い手でしか、音を出さない。例外は主から、弾く許可を得た者で、楽器も奏者を認めた時のみ。
今までアレストから、弾く許可を得ても、音を出せた者は稀だった。ここに居ない、ランシェとカーシェイク神、後、持ち主以外の、初めの七神のみだった。
だが、音色は、アレストやアークリダ神の物と違い、普通の音色…今、聞こえている物と同じ。
そして、初めて詠うオーガの声…少年らしく、まだ高めの声であったが、アレストと同じく、透明な響きを持ち、辺りを優しく包み込む様な声だった。
程良い大きさの、綺麗な響きを持つ声は、聴く者の心を揺るがし、詩の背景すら、映し出すような錯覚を起こす。
これが、絆を持つ楽器だったら…その力は、絶大だろうと思われる。
アレストが、本気を出して詠った時を思い出すような声…、ある種の力を持つ咏声に、エアレアも無言になった。
『…この子は…一体、どれ程の可能性を、秘めているのだろうか…剣にしてもそうだし、この詩にしても…。』
真剣に考えている、エアレアの様子に、気付いたアレストが、声を掛けた。
「レア、オーガ、才能、ある。闇の竪琴、認めた。これ位、出来て、当たり前。」
「出来て、当たり前って…オーガ君は、何処まで非凡なんだか…。」
脱力して言うエアレアに、アレストが笑い出す。肩を震わせ、静かな声で笑うアレストに、エアレアも笑い出した。
二人が笑い出した事でオーガは、自分の演奏に何か、不手際があったのかと思い、がっくりと頭を下げた。
その頭へ、アレストの手が伸びてきて、優しく撫でる。
「オーガの、詩、上手。エアレア、オーガ、才能ある事に、驚いて、力、抜けた。
だから、可笑しかった。」
言われた言葉に顔を上げ、アレストと目が合った。嘘を言っていない、闇の精霊騎士に、オーガはほっとして微笑んだ。
すると、エアレアからも声が掛った。
「そうだよ。オーガ君の演奏は、良かったよ。
だけど、君が余りにも非凡で、私が驚いたから、アレストに笑われたんだ。決して、君の演奏で、笑ったんじゃあないからね。」
寧ろ、本当に良かったよと、念を押して褒められた為、更に微笑むオーガに、エアレアもアレストも息を呑んだ。危うく、見惚れる所だったのだ。
オーガの、神々に愛された精霊と言う、呼び名を改めて認識した二人は、彼の才能も、そこから来ていると思った。
神々に愛されているからこそ、多くの才能を与えられ、その微笑で、多くの物を魅了する力をも持っている。そう、考えた。
事実は、それより奇なる物で、彼等、闇と風の精霊の、考え以上の物であったが………。