まほろばの夢
彼等の思案とは別に、オーガは、安らかな眠りに落ちていた。
そして…久し振りに、あの夢を見ていた。前世の夢と思われる、両親の夢。
輝くばかりの金髪と、青い瞳の男性──父親と思われ──と長い緑の髪と、紫の瞳の女性──母親と思われ──が、心配そうに自分を見ている。
「大丈夫よ。お父様、お母様。」
自分から発せられる、少女の様な高い声。自分の頬に当るのは、父親と同じ、長い金髪の髪。瞳の色は判らないが、父親と同じと感じる。
自分が声を出しても、心配そうに見つめる両親に、再び声を掛けている。
「本当に、大丈夫よ。私は一人じゃあないわ。お兄様もいるし、もう一人、一緒だわ。」
「リーナ、もう一人…って、誰かしら?」
母親に聞かれ、少女は内緒と含み笑いと共に、心の中で話しかけていた。
『貴方の事よ。私の中の、もう一人の…私さん。…早く、会いたいわ…オーガ。』
名を呼ばれ、オーガは驚いた。今まで、前世の夢だと思っていた物が、違う物だと感じたのだ。
『嘘…だ。これは、夢だ。前世の…夢だ。』
そう、否定して、首を横に振る。その途端、オーガは夢から覚めた。
目を開けると、傍でアレストが座った状態で、眠っていた。壁に寄りかかり、双眸を閉じ、全く動かない状態でそこに居る。
起き上がったオーガは、自分に掛っている布に目を向ける。それは、目の前の騎士の外套。漆黒の色で、裾に月と星をあしらっている、闇の精霊騎士の物。
昨夜、自分が彼の腕に倒れ込んだ事は、覚えていたが、その後、姫抱っこされて…?
「…眠ちゃったんだ…。」
ぼぞりと漏れた呟きに、アレストが反応する。
「オーガ、起きた。食事、いる?」
優しそうな微笑と共に尋ねられたオーガは、自分のお腹が空いている事に気が付いた。力強く頷くと、アレストは立ち上がり、食事を取りに行った。
食べる場所まで歩けるのに…と、オーガは思ったが、絶対止められると思い、何も言わなかった。
昨日の状況が状況だけに、無闇に動く事を止められると、推測出来たからだ。
一人になったオーガは、先程の夢を反芻した。
まだ、鮮明に覚えている夢。
前世の記憶だと思っていたが、自分が入っている少女から、名を呼ばれた。
誰だろう…そう、オーガは思った。
自分の両親は、既に亡くなっていると、教えられている。
精霊の両親…とは、違う気もする。…しかし、光の精霊と大地の精霊…と思えば、違わない。
父親の方は、光の精霊の特徴を持ち、母親の方は、大地の精霊の特徴…いや、二人とも、其々(それぞれ)の神から、生まれながらの祝福を受けた者の、特徴を持っていた。
本当の両親だろうか?だけど…自分に、兄弟はいない筈。
そう、彼は考えた。
兄弟がいないからこそ、アンタレスやファンア、長に育てられた。
夢の中の自分には、兄弟がいる。然も、兄。アンタレスに当る、兄という存在がいたのだ。
考えれば、考える程、謎の深みに填まり、オーガは頭を抱えた。判らない事は、忘れてしまえ、そう、本能が告げる。
『本当に、忘れて良いの?彼女は…一体…誰?』
忘れようにも、印象が強過ぎた今日の夢を、オーガは心の奥底に仕舞った。
何時か…、この夢の真相が、判る時が来る。
オーガは心の奥深くで、そう、呟いていた。
アレストが食事を取りに行くと、エアレアとランシェが丁度、食事を始める所であった。
彼が来た事に気付いたエアレアは、如何したの?と声を掛けると、帰った返事が、
「オーガ、やっと、目、覚ました。食事、持って行く。」
だった。そう言って、用意された食事を運ぼうとするが、エアレアが妥当な提案をする。
「だったら、オーガ君を連れてくればいいよ。あの時みたいに、抱かかえて…ね。
その方が、彼にも負担がないし、こっちも、彼の様子を確認したいから。」
言われたアレストは納得し、何も持たずに、元居た部屋に戻った。部屋では、座ったままのオーガが佇んでいた。
彼の傍に近付き、アレストは声を掛ける。
「レアが、連れて、来いと、言った。自分、オーガ、運ぶ。良い?」
「大丈夫です。歩けま…」
オーガが返事をする前にアレストは、彼の体を自分に寄せ、抱き上げる。
抗議の声を上げようと、オーガは口を開きかけたが、止めた。
心配を掛けている自覚があった為、大人しく運ばれて行ったのだ。
「あの…アレスト様。僕、重くないですか?」
華奢とは言え、剣士のオーガの体には、一応筋肉が付いている。普通の女性の様に、柔らかな体で無く、硬い、男性の様な体である為、重い筈だった。
しかし、帰って来た答えは、オーガの考えとは反対の言葉。
「重くない。寧ろ、軽い。自分、騎士。鍛え方、違う。これ位、大丈夫。」
言われてオーガは、少し落ち込んだ。男として如何なのか…と。
だが、自分は無性だと、思い出し、仕方無いかと諦めた。
これから、性別は分かれて行く。
その過程で、どちらの性別になるかは、未だ判らなかったが……。
エアレア達の所に着いた、アレストとオーガは、用意された食事の前に座った。と言っても、オーガはアレストの膝の上、正に幼子の扱いをされていたのだ。
これにはオーガも困惑し、その膝から降りようとした。厳しい目線で、駄目と告げる黒騎士に、オーガも負けじと反論した。
「これではアレスト様が、食事を摂れません。だから、僕は、横に移動します。」
「駄目。オーガの、食事、手伝う。オーガ、三日、食事、してない。
だから、普通の、食事、無理。動くのも、無理。」
アレストの言葉にオーガは、自分が三日も寝ていた事を知った。動き辛いとは思わなかったが、彼等に心配を掛けたのは、明らかであった。
「あの…僕、そんなに寝ていたのですか?」
「そうだよ。オーガ君てば、あれから、ず~っと、寝てたんだよ。
まあ、安らかな寝顔だったから、良かったけど。」
エアレアから告げられた現実に、驚き、呆然とした。そんなに寝ていたのでは、彼等に心配を掛けて当然だった。
だが、断固として、膝から移動しようとするオーガを、アレストが力で、押し留める。強く抱かれ、身動き出来無くなったオーガは、飛ぼうとしたが、今度はエアレアによって、止められる。
「オーガ君、飛ぶのは、止めた方が良いよ。ここ、狭いし、今度はランに、迷惑が掛るよ。」
明らかに、家が壊れるよ~的な発言で、オーガもやっと観念した。横向きになり、アレストの右肩に頭を着け、口元に運ばれてくるスープを大人しく口に含む。
固形物でも大丈夫なのに…と思いつつ、深皿に入れられたスープを間食した。二杯目を持って来ようとする、ランシェへ要らないと告げた。
「オーガ、沢山、食べる。でないと、体、持たない。」
アレストから注意されたが、オーガ自身、これ以上食べられなかった為、正直に、今の状況を彼等に告げた。
「僕、もう、お腹いっぱいです。これ以上、無理!食べられません。
…本当に、無理です。」
強調していうオーガに、アレストも目線を合わせ、本当?と聞いて来た。思いっ切り強く、頷くオーガ。
その仕草で真実だと理解され、オーガはやっと、アレストの膝から解放される。ほっとして、横に座るが、アレストの手がオーガの頭に触れる。
「無理、しない。自分に、寄り掛かれば、良い。」
そう言って彼は、自分の右肩にオーガの頭を寄せる。過保護にされてるな~と思いながら、オーガは体制を変え、アレストの肩へ背を預ける。
彼等の食事風景を横目で見ながら、オーガは、自らの体の状況を確認した。
三日間、飲まず食わずの睡眠で、衰えている筈の体は、全くその傾向は無く、寧ろ、満ち溢れている。身体も力も正常より上、元気が有り余っている様にも感じた。
眠りにより回復した、というのが正解らしい。
精霊では最も難しい、全回復の方法だったが、何故か不思議に思わなかった。そういう物と、認識している自分がいる。
あの夢の出来事が、関連しているのだろうか、オーガは、そう思えてならなかった。
食事を終えた彼等は、オーガを質問攻めに合わせた。主に、体調に関する物だった。
動けるかに始まり、眠くないか、怠さや眩暈はないか、等、色々聞いてきた。その質問にオーガは、大丈夫の一言で済ませ、体を動かしてみせる。
何の支障も無く動き回るオーガに、安心した様子の精霊騎士達へ、彼は心からの言葉を告げた。
「ご心配をお掛けして、申し訳りませんでした。僕は本当に、大丈夫です。」
再び、大丈夫を強調するオーガの姿で、エアレアも、ランシェも苦笑する。アレストは未だ、心配そうな瞳で見ていたが、微笑を返すオーガに降参したらしかった。
「それはそうと、エアレア様とアレスト様は、ずっとここに、いらっしゃたんですか?」
オーガの素直な質問に、アレストとエアレアは答えた。
「自分、休暇中。暇、だから、ランシェの、所、遊びに、来た。」
「私は風の精霊だから、自由気ままだよ。用があれば、エア様から招集が掛るし、自由にあちこちへ行き来する事を、許可されてるからね。」
「まあ、エアレア達、風の精霊騎士は、情報収集も兼ねていますから、勝手気ままの方が、何かと良いのですよ。」
帰って来た返答でオーガも納得し、他の人達に迷惑を掛けていない事を知り、安心した。
「あの…ランナさんは、如何してますか?」
この場にいない彼の事を、オーガは思い出し、質問した。それに、ランシェは即答する。
「ランナなら、実家に戻っていますよ。
只、ギルドから要請があったようで、明日から、出かける様な事を言ってましたね。」
「そうなんだよね~。ギルドから来いって、五月蠅くてね~。
…あ…オーガ君、起きたんだ♪」
目聡く、オーガの姿を見つけたランナは、嬉しそうに近付こうとしたが、ランシェがそれを拒んだ。
「ランナ、オーガ君は、病み上がりだ。お前が近付く事は、禁ずる!!
良くなったものも、悪くなる。」
「ランシェ大伯父様~~。そんな~殺生な~~。」
ランナの言葉にランシェは、彼の頭を何時もの通りに張り倒し、早々に首根っこを掴み、外へ放り出す。五月蠅いのが居なくなったとばかりに、ランシェはオーガへ、彼が眠っていた間、決まった事を伝えた。
「ランナが、ギルドへ帰る事になったので、私が、オーガ君を預かる事になりました。
まあ、今と、あまり変わらないと思いますが、宜しくお願いしますね。」
「あ…、えっと、こちらこそ…改めて、宜しくお願いします。」
ランシェの挨拶に、キョトンとしながら返答した。ギルド騎士が多忙なのは知っていたが、こんなに早く、ランナと別れるとは想像出来なかった。
彼から、ギルド騎士としての、アンタレスの様子を聞きたかったな…そう、オーガは思っていた。
オーガの気落ちした様子に、アレストが話しかけた。
「自分、まだ、ここにいる、つもり。駄目か、ランシェ?」
「良いですよ。ランナと交代ですか…。
私としては、五月蠅くないアレストの方が、ランナより良いですし…ね。」
「あっと、私もいるよ。ランシェ、家事とかの、手伝いがいるでしょ。
流石にアレィじゃあ、家事は出来ないし、オーガ君も無理そうだからね。」
エアレアの提案に、溜息を吐きながら、ランシェは承諾する。連帯感のある、目の前の遣り取りにオーガは、目を見張るばかりであった。
今後の方針が決まった事で、ランシェがオーガに向かって、忠告した。
「取りあえず、オーガ君は、今日一日、安静にして下さいね。」
「…安静…ですか?」
不服そうに答えるオーガに、ランシェは厳しい視線を送る。その視線にシュンとなる彼へ、エアレアが提案する。
「オーガ君が退屈そうだから、色々話をしてあげるよ。」
「エアレア様の、御話ですか?」
目を輝かせ、エアレアを見つめるオーガに、彼は優しい微笑で返す。好奇心剥き出しで喜ぶ幼子に、つい、頭を撫でていた。
その様子に、アレストとランシェは驚いていた。
本来、何にでも興味を持ち、一ヶ所に留まる事を嫌う性分の風の精霊。
その精霊が一つの対象に興味を持ち続け、その場所に留まる事は滅多に無い。
だか、眼の前の幼子は、その対象となっていた。感情豊かで、次々と新しい面を見せるだけで無く、何か、精霊を引き付ける物があると思える幼子。
まあ、オーガの場合、エアレアが剣の腕に、まだ興味を持ったままと言うのが、正解なのかもしれない。
劃してオーガは、今日一日、ランシェの家で過ごす事となった。
退屈しのぎにと、エアレアとアレストの行った行動で、思い掛けない事態を後々、引き起こす事になるとは気付かずに…。