闇夜の舞
夜の訓練場で、再び手合わせを始めたアレストとオーガは、お互いに最初から、利き腕で剣を持った。
相手の様子に、アレストも微笑み、言葉を口にする。
「本気、出す。君も、同じ。」
「はい、アレスト様も、本気なら、僕もそうします。」
対峙する二人の剣士は、お互いの意気込みを確認し、剣を交えだす。昼間とは一味違う、アレストの剣技に、オーガは喜んだ。
自らの奥底に眠る力を、思う存分使える…そういう思いに駆られ、何時しか気持ちは、高揚していた。
今まで、相手を傷付けたくない一心で、自らの力を制限し、出し切れなかった。だが、今は違う。
眼の前の精霊騎士なら、本気を出しても大丈夫、自分の限界に触れる事が出来るかも…そう、思える相手だった。
昼間の打ち合いで、感じた強さ。間合いを取り、向かい合っているだけでも、昼間以上の強さを感じる。
アレストの方も、同じ事を感じていた。木々の精霊の筈なのに、自分が譲渡した力のお蔭で、眼の前の少年の力が満ちている。
エアレアを相手にしていた時、何故、自分が相手では無いのか、悔やまれた位の力量。
それが今、自分に向けられている。いや、昼間以上のそれが、自分に向けられている。そう、彼は感じた。
故に、双方が、先程の宣言を交わしたのだ。
エアレアとランシェは、眼の前で、繰り広げられている打ち合いに、見入っていた。
滅多に見られないアレストの本気と、それに付いて行ける幼子…剣士見習いの本気。…いや、まだ幼子の方は、本気を出し切れていないのかもしれない。
徐々に、速度と力が増してくるオーガ。アレストも、それを見越して、速度と力を増して来ている。
互角で打ち合っている彼等に、隙は無い。だが、舞うような剣技は、その凄さを感じさせず、見ていて美しい物でもあった。
拙い筈の見習いの剣技、それが流れる様な動きと共に、相手を攻撃を受け、自らの反撃を繰り出す。だが、レナムの剣技を知っている、ランシェとエアレアは、違和感を感じた。
オーガの剣に、レナムの型を見出せない。
普通、師事する者がいれば、基本が師匠の型に填まってしまうが、オーガには、それすら見受けられない。ありとあらゆる剣技、彼等の知っているギルド騎士・アンタレスの剣技、エアレアのそれ、そして、今対峙しているアレストのそれ…。
体験した剣技を、自らの物とし、見事昇華している。
天賦の才とも言える剣技に、彼等は驚き、感心した。ふと、エアレアが、ランシェに尋ねた。
「…ラン、オーガ君の剣技…何処かで、見た事ない?
色々な型が融合されて、完全に別の物になっている様な…。」
エアレアの言葉に、ランシェは、自分が思っている事を口にした。
「エアレア…見覚えがあるというか、良く見知っている気がしますよ。
これは…あの方々の剣技に、良く似ています。特に…ジェスク様の方に…。」
リュース神に仕えているランシェにとって、その夫であるジェスク神…光の神の剣技は、見慣れた物であった。
最も強く、美しいと言われる、ジェスク神とクリフラール神の剣技…。相手の力を受け流し、且つ、それをも利用し、撃ち込んでいく剣技。
クリフラール神の方は少々無骨で、力強い面が見られるが、ジェスク神の方は、舞を舞っている様に見える物。
眼の前の幼子の剣技は、正にジェスク神の剣技、その物に近かった。
天賦の才とは言え、これ程まで高みに近い剣技を、眼前の幼子は身に付けている。
誰もが望む、剣の高み…それに位置しているのは、ジェスク神とクリフラール神の二神のみ。
精霊騎士でも、中々到達出来無い代物………。人間では尚更……いや、可能性はある。あの子の本当の姿は、金髪で青い瞳…その可能性を秘めている。
だが、運が良ければの話であって、確実では無い。それはこの先、目の前の幼子が、自分達の敵になる可能性も秘めているのだ。
その考えに至ったランシェは、無言で、オーガを見つめていた。
もし、この子があの宿命を持って生まれているのなら、自分達の敵として、その歩みを始める事になる。そして、止められる事が出来るのは、あの方々のみであり、この子自身の手によって、行く末が決まる。
最悪になるか、最善になるか。
そんな事を考えていたランシェに、エアレアが話し掛ける。
「ラン…あの子…。まさか、高みに近いんじゃあ…。」
「恐らくオーガ君は、今の剣技を見る限り、それを望んでいる様です。
自分の限界を、引き出そうとしているみたいですよ。」
力の限界に近いと、思われるオーガの様子に気が付いたランシェは、止めようとするが、彼等の気迫で近寄る事も、声を掛ける事も出来無かった。
打ち合う剣圧、お互いしか見えていない、双方の瞳。
時間的には、アレストの方が優勢の筈なのに、オーガの方の力は、衰えを見せない。オーガ自身にも、奥底から湧き上る力と、周りから、力を受け取っている様な感覚がある。
然も、双方には殺気が無く、無心で打ち合っている姿は、剣に憑り付かれた者の様であった。
付かない勝負に焦りも無く、只、本能のみで打ち合う剣豪。
そう、見える手合わせだった。
その打ち合いも、終わりを告げた。アレストの剣撃を受けたオーガが、その反動を使い、彼の剣をその手から離れさせたのだ。
それを見届けたオーガは、頭を下げ、自らの剣を支えにして、その場に膝を付く。初めて、息を切らした状態になったオーガは、満足した。
初めて、自らの力を出せるだけ出して、打ち合えたのだ。まだ、余裕はあったが、如何せん、力の補充が十分に出来無い。無意識にしている物では、間に合わず、もう少しで、倒れ込む所だった。
だが、後悔は無い。
今までの相手では、出来無かった事……今の力の限界を知れた事が、一番の喜びであった。
これで戦いながらの、力の補充の仕方を覚えれば良い、そう、オーガは思った。
一方、アレストの方は、自分の足元に落ちた剣を拾い、鞘に納めながら、自分を負かした少年に視線を送った。
まだ修行の旅に出ていない、見習い剣士…だが、その方が良かったと、彼は思った。この少年の腕は、世間に出すべき物では無い。
純粋な心を持つが故に、この腕前は時として、彼に不幸をもたらす。世の中を、人間の世界を見るには、彼は幼過ぎると判断した。未熟な心では、人間と付き合えない。
自分達精霊が持ち得る、そして、魅かれる、純粋過ぎる心を、このオーガと言う少年の精霊は持っているのだ。
出来れば、精霊騎士になって欲しい、アレストはそう思った。
人間の世界に行かないままで、この森で成長して、自分と同じ、神に仕える騎士になって欲しい。
そう、アレストは願った。
その場に跪いているオーガに、アレストは声を掛け、手を差し伸べようとしたが、視線に気付いたオーガが、直ぐに顔を上げた。
少し息が上がっている様子の彼は、満足そうに微笑み、
「アレスト様。手合わせの相手をして下さって、有難うございます。」
と、感謝の言葉を口にする。アレストも微笑み返し、同じように返す。
「こちらこそ、感謝する。君、強い。自分、久し振りに、本気、出せた。」
「僕も…限界近くまで、本気を出せました。こんな充実感は…初めてです。」
剣で体を支え、やっとの事で跪いている様子のオーガに、アレストは、改めて手を差し伸べた。
オーガは、その手を取り、立ち上がろうとするが、体勢を崩し、そのままアレストの腕の中へ、倒れ込んだ。受け止めたアレストは、しっかりと彼を抱き留める。
「大丈夫?動ける?」
「…判りません。」
オーガの返事を聞いて、アレストは彼を横抱きに、抱き上げた。一瞬、何が如何なったか、判らなかったオーガは、自分の状況に気付き慌てた。
「あ…アレスト様?!あの、これは一体???」
「昼間、自分、迷惑掛けた。今度は、君の番。この方が、運び易い。」
「だ………大丈夫です。だから、降ろして下さい。自分で歩けます。」
焦りながら、尋ねるオーガに、アレストは平然と答え、彼を抱えたまま運ぼうとしたが、腕の中の少年は暴れ出した。
その為、アレストは、少年を見据えて、言葉を告げる。
「駄目。大人しく、する。レア、オーガの剣、持って、来て。」
告げられた言葉と、合わさった視線に、オーガは大人しくなった。アレストの視線は、真剣その物であり、心配を含んだ物だった。
この視線故に、アレストの心配を知り、オーガは暴れるのを止めたのだ。
そんな折、彼等の許へ、ランシェとエアレアが近寄って来た。エアレアの手には、何時の間にか、彼の腰から外された鞘に入った、オーガの剣があった。
「オーガ君、無理しては駄目と、言いましたよね。」
怒りを含んだランシェの声に、オーガは申し訳なさそうに、俯いた。小声で御免なさいと呟く彼を、アレストが援護する。
「ランシェ、オーガ、悪く無い。悪いのは、自分。楽し過ぎて、時間帯、忘れてた。」
「アレスト様は、悪くありません。調子に乗った、僕の方が…。」
二人の意見を聞いて、ランシェは一言、告げる。
「双方に、責任がありますね。アレスト、そのまま、オーガ君を運んで下さい。
…エアレア、残念そうな顔をしない。」
「…ラン、何故、そう思うのかな?」
「顔に出てますよ。オーガ君と、手合わせしたかったってね。」
ランシェの指摘に、バレたか、という呟きを漏らしたエアレアは、彼に再び張り倒された。
今度は素直に攻撃を受けず、見事躱したが、追撃により、それは無駄に終わった。その様子を、アレストは楽しげに見ている。
ふと、腕の中のオーガに目を戻すと、自分に身を任せ、瞳を閉じていた。四肢から力が抜け、微かに聞こえる寝息…。
昼間のアレストと同じく、安心し、寄り添って眠っている腕の中の存在に、アレストは微笑んでいた。
「ランシェ、レア、静かに、する。でないと、オーガ、起きる。」
厳しい目で、告げられた言葉に、二人は無言になり、アレストの腕の中を見る。安心し切って眠る幼子に、何時しか微笑み、彼等はランシェの家に戻る事となった。
ランシェの家に着くと、アレストは、寝床にオーガを運んだ。
自分の腕の中から、ゆっくりと、丁寧に彼を下すと、その傍に座る。
自分の外套を布団代わりにと、オーガに掛け、その安らかな寝顔に、満足そうな微笑を向けていた。
未だ成長し切っていない、少年の華奢な体から、あれ程までの力を見せた剣士に、更なる興味と好意を持った。闇の精霊を恐れない、木々の精霊。ランシェも、ランナもそうだが、彼程、興味が湧かなかった。
三つ編みを解かれ、広がる暗緑色の髪に触れる。
やはり、大地と光の気配を感じ、不思議に思う。
何故、自分がこの少年に魅かれるのか、この光の存在がその原因なのか、そう彼は思った。
しかし、相手は少年、男性…自分に、その趣味は無い。
彼の様子にランシェが気付き、言葉を掛ける。
「この子はまだ、性別が決まっていないそうですよ。今は、無性状態です。」
「無性…状態?」
「はい、私達木々の精霊は、幼い時は無性で、何れは、性別が決まります。
ですが、この身体付きの姿で、無性なのは珍しいのですよ。」
ランシェの言葉に、アレストは驚いた。少年と思っていた精霊が、実は無性状態で、未だ性別が決まっていない事実は衝撃だったが、自分の想いが、恋愛感情だとは思えない。
何かに憧れ、魅かれる、そんな感じだった。
「?ランシェ、何故、そんな事、言う?」
「貴方が、オーガ君に、好意を持っているからですよ。」
「それ、恋愛感情、違う。もっと、別の、…敬愛に、近い。」
ランシェが告げた好意という言葉に、アレストは即、反論した。それを受けて、エアレアが、彼の想いを推測する。
「…アレィが、敬愛か…。珍しい事もあるもんだね。
アークリダ様に近いのか、ジェスク様に近いのか…、ジェスク様の方だね。」
エアレアに言われ、頷くアレスト。ジェスク神に近いと、感じる精霊剣士に再び目を向けた。
「色、違うけど、似て、いる。」
アレストの言葉に、ランシェを始め、エアレアも、オーガに目を向けた。暗緑色の髪と瞳。確かに違うが、この子には光と大地の気配がある。
「…まさか…あの…行方不明の…神子様?」
エアレアの言葉に、ランシェが反論した。
「違いますよ。あの方々の捜しておられる神子様…リシェア様は、光髪で青い瞳です。
それに…精霊の気は、纏っていません。」
「ランシェの、言う、通り。人間の、気も、この子、持ってる。」
オーガの奥底に眠る、人間の気を、アレストは感じ取った。彼の言葉に、ランシェは驚き、尋ねた。
「アレスト…何故、それが判るのですか?」
「自分、闇の、精霊。心の、闇の中、眠るモノ、判る。
人間の気と、別の…何か、得体、知れない、危険なモノ、この子、持ってる。」
危険なモノと、警告した闇の騎士に、ランシェは目を見張った。自分の憶測…この子が、敵になるかもしれないという考えが、証明された気がしたのだ。
エアレアは、彼の言葉に目を細め、厳しい視線で尋ねる。
「アレィ、その危険なモノって、今、排除出来る?」
尋ねられた本人は、少し考えて、無理と、答えを返す。
「触れようと、すると、見え無く、なる。でも、大丈夫と、思う。
このまま、何も、無ければ……」
語尾を濁すアレストに、エアレアとランシェは、不安に駆られた。特にランシェは、このまま何も無いとは思えなかったのだ。
本当に、何も無ければ良いねと、エアレアが言うと、アレストは頷いた。ランシェも頷いたが、如何せん、先程の考えが過っていた。
この先ずっと、何事も無ければいい。
この子が、あの宿命を持っていなければ、何事も無い筈…。
そう、ランシェは、願わずにいられなかった。




