第七話
他の精霊達は、まあ頑張れよ、的な顔で彼を見つめていて、精霊騎士のルシナリスは、カーシェイクの悪い癖が出たと、苦笑している。
只、ランシェは、複雑な顔をしていた。
弟を信じ切れなかったとは言え、身を挺して止めようとした事。
以前、弟を止めようとして、止められなかったランシェ…その結果、弟を失った。弟を止める事は、弟の生き方を否定する事に繋がる為、出来無かった。
アンタレスの行動に、以前の自分が重なり、吹っ切った筈の想いが蘇ってくる。
あの時、無理にでも止めていれば、弟を喪う事は無かった。
例え、彼の生き方を否定しても…。
後悔に苛まれているランシェに、逸早く、リシェアオーガは気が付いた。
彼はカーシェイク達の傍を離れ、ゆっくりとランシェの許へ歩みを進める。何かに誘われる様に、ランシェの傍へ向かうリシェアオーガへ、皆の視線が集まる。
彼等の許に居た時とは違う、彼の雰囲気に、精霊達は無言になり、只、彼を見つめるしか出来無くなった。唯一、実兄であるカーシェイクだけは、何かに気が付いた様子で、微笑んだまま、リシェアオーガの行動を見ていた。
「ランシェ。」
苦悩して俯くランシェの耳に、自分を呼ぶ、柔らかな声が聞こえた。
少し高めの、少年の声。
身近に聞こえた声に、顔を上げると、そこには青い瞳があった。表情は無く、只見つめる瞳に、ランシェは驚きを隠せなかった。
目の前にいるのは、自分の保護する神子…の筈。
その相手が何の表情を浮かべず、自分を見つめている。
彼の唇が再び動くと、心に響く声が聞こえた。
「ランシェ、そなたは、止められなかった後悔をしているな。
だが、本当に止めて、良かったのか?」
「いいえ、止められなくて、良かったと思っています。
ですが…その結果、弟を喪いました……。」
以前聞いた重い言葉を、リシェアオーガは再び耳にした。しかし、以前と違い、その顔に悲しみは浮かばない。未だ無表情のまま、言葉を紡ぐ。
「喪った後悔か…。だが、もし、彼が生きていたなら、彼のままでいたと思うか?
生き方を否定された剣士が、止めた兄を慕うと思うか?」
「……思えませんね。」
落胆した返事を返すランシェに、細い腕が伸ばされた。何事かと思う暇も無くランシェは、リシェアオーガに抱き締められた。
「武器を扱う者は、その使い道を捜す。
見つかった使い道で、命を落とす事となろうが、後悔はしない。
自分勝手だと思うが、それが彼等の生き方。
残された者に悲しみを残すだけだが、彼等には悔いは無い。
それは判っていた事だろう。」
「はい、判っていました。…判っている筈なのに…何故…今更…。」
言葉に詰まるランシェの頬が、濡れた。それを受け止めながら、リシェアオーガは更に強く、彼を抱き締めた。
「ランシェ、そなた…弟を喪った時、我慢をしていたのであろう。
遠慮する事は無い。我が全て、受けて止めてやる。」
ランシェは、自分より華奢な体に包まれ、無意識で、その暖かさへその身を委ねていた。彼の眼から幾つも流れる涙を、リシェアオーガは優しく受け止め、腕の中の騎士を無言で労う。
リシェアオーガの顔は、無表情から慈悲の籠った優しい物となり、周りの精霊達の知っている物では、無くなって行く。
纏う気は、今まで感じた事の無い物。
木々の精霊とも、人間とも、神龍王とも違う、優しく包み込む様な気。
大地の神や光の神にも似た、気を放つリシェアオーガに、自然と膝を折る者が出た。ルシナリスを始め、ランナ、レナム…そして、アンタレス。
この場にいる武器を扱う者達が、少年に対して、無意識に膝を折った。
その様子をカーシェイクは、誇らしげな顔で見ている。
神としての彼の一面…それが初めて、現れたのだ。
今まで常に纏う気として、神龍王と神子の物が前面に出ていたが、リシェアオーガは、神の役目を持つ者。
単独では、全く出ていなかった神の気が、今、完全に表立っている。
本来、神としての役目を持つ者が、纏うべき気。
神子として生まれ、その身に神の役目を受けた者が、持つべき気。
時には優しく、時には厳しく、そして、強烈に強い怒気を含めば、生きとし生ける者全てが、体全体を束縛される気。
それをリシェアオーガは初めて、自分の物としたとも言えよう。
只、残念な事に、意識した物では無く、無意識の物である。
これを意識的に出来る様になるまで、少し時間が掛る事になるが……。
憂いが晴れて顔を上げたランシェは、リシェアオーガの顔を再び見た。
何時もの無邪気な神子の顔では無く、慈悲に満ちた神の顔。
目前の幼子だった少年の変化に、微笑ましく思った。リュンナの森でも思った事だったが、その時以上に成長したと思われる神子…いや、若き神。
一礼をし、リシェアオーガから少し距離を取ると、彼等の周りで、敬礼をしている剣士達の姿が目に映った。
傍にいる少年神へ捧げられていると思われる、最敬礼…。
彼等自身の仕える神で無い筈の、リシェアオーガに対して、捧げられているそれを、不思議とは感じなかった。
横にいる神は、戦の神。
武器を扱う者、何かを護る為の存在にとって、最も敬愛する神なのだから。
周りから最敬礼を捧げられている当の本人は、この事に驚き、何故こうなったか自分では判らずに、不思議そうな顔をしていた。
そんなリシェアオーガへ、カーシェイクが話し掛ける。
「リシェア、不思議そうな顔をしているけど、彼等の行動は当たり前だよ。」
「…?当たり前ですか?」
「そう、君は戦の神。彼等騎士や剣士にとって、最も敬愛する神なんだよ。
君が護る者を定めた事は、戦の神として、自覚が出来たって事。
リシェア、君が自らの役目を自覚し、神として成り立ったから、自然に彼等は最敬礼を捧げたんだよ。
自分達の神として…ね。」
彼等の神と聞いて、リシェアオーガは目を丸くした。
まさか、自分が剣士や騎士の神とは、思わなかったのだ。
護る者の為の剣を持つ神…それ以上の者とは、考えていなかった。確かに彼等は、護る為の剣を持つ者。という事は…。
「兄上、私の役目は、護りの剣…彼等と同じなのですね。」
嬉しそうに言う妹へ、カーシェイクは溜息を吐き、反論を述べる。
「リシェア…自分を物扱いしない。
勿論、彼等も物ではないよ。剣を持つ者…だよ。」
訂正されたリシェアオーガは、苦笑を交え、はいと素直に頷いた。
リシェアオーガが敬礼を崩す様に言うと、膝を付いた者達は立ち上がり、彼の方を見ていた。
保護する者では無く、敬愛する神を見る視線に、リシェアオーガは微笑で返している。幼子として扱われる時とは違う、神の微笑に、彼等は見惚れた。
可愛らしいより、美しいと思えるそれに、見惚れない精霊はいない感じると同時に、彼等の神が、両方の性を持つ事に納得した。
武器を扱い、護る者を持つ者は、男性だけで無い。
女性にも、無生体にも、両性体にもいる。
故に、男女両方の性を持ち、同時に無性でもある者が、戦の神になったのだ。
【戦の神】と呼ばれるに相応しい神…それが目の前のリシェアオーガだと、この場に居る精霊達は感じ取っていた。
そんな折、アンタレスがランシェに近付いた。
何時もと違う彼に、ランナが気付き、その腕を取る。
この瞬間、ランナの方を見たアンタレスは、身内を見る様な優しい微笑を浮かべ、ランシェに向き直った。
「…兄者…ラン兄者。」
アンタレスの口から、無意識に出たのは、目の前の緑の騎士の呼び名。
リュース神に仕える木々の精霊騎士であり、ランナの大伯父であるランシェに対してアンタレスは、初めて会った筈なのに、妙な親近感を覚えていた。
先程のオーガの兄で無いと告られた、ランシェからの否定の言葉に、また叱られたと感じ、兄にはなれなかったというか、兄になりたかったという想いが何故か、彼の心の中を駆け巡った。
しかも、ルシナリスの言葉とカーシェイクの提案で、リシェアオーガの兄として認められた筈なのに…何か、違う気がした。
そう思っている矢先の、ランシェの告白とリシェアオーガとの会話…。
弟を喪った言う、ランシェの身の上を聞き、アンタレスの中で何かが外れた。
目の前で悲しんでいるのは、自分の兄…だった精霊騎士。
そう感じると共に、心の中で湧き上る記憶が、彼を満たした。
以前、自分だった者の記憶。
アンタレスとなって、兄という存在に拘った原因。それが、目の前の騎士だったのだ。
懐かしい呼び方にランシェは、アンタレスを見た。
リュース神の恩恵を受けて、生まれた精霊。
初めて会う者なのに何故、その呼び名を知っているのかと、訝しげに見るランシェに、アンタレスは続けた。
「…ああ、そうか、この体はアンタレスって名だっけ。
以前の名は、ランディルだよ。」
口調の違うアンタレスに、驚くランナだったが、ランシェの方は、その名と口調には覚えがあった。喪った弟のそれに、甥っ子とは別の意味で、驚きの目を向けた。
知っている筈の無いこの精霊が、その名を告げた。
それは、ある事を意味している。
「ディル…か?本当に、ディルか!」
自分より先に逝ってしまった弟・ランディルの生まれ変わり…目の前のアンタレスという名の精霊がそうであるのか、確信は持てなかったが、アンタレスの後ろにいるカーシェイクが、左手で頭を抱えていた。
それに逸早く気が付いたのは、リシェアオーガだった。実の兄が失敗をした時や、思わぬ事を仕出かした時にする仕草。
視線を件の兄へ向け、リシェアオーガは尋ねる。
「兄上、何か、仕出かしましたか?」
溜息交じりの問いに、苦笑しながらカーシェイクは答える。
「…仕出かしたというより、私が彼に、触れたのが起因みたいだね。強い大地の力に触れたから、昔を思い出したみたいだよ。
ランディルはあの功績で、大地の祝福を受けたんだ。…まさか、君の兄代わりが、彼の生まれ変わりだとは…ウェーの悪戯には参るね。」
時の神、運命の神とも言えるウェーニスは偶に、とんだ悪戯をし掛ける。
今回のも、そういう事らしい。
カーシェイクの言葉でランシェは納得し、目の前の精霊に手を伸ばした。
指で触れて感じる気配は、弟と同じ、魂の気配。
緑の騎士に頬を触れられたアンタレスは、静かに目を閉じ、思い出した事柄と、目の前の精霊を比べている。
全く変化の無い、前世での兄。
時が止まった兄と、再び出会えた。あの時言えなかった事を告げようと、アンタレス…いやランディルは口を開く。
「兄者、無茶をして済まないね。
兄者を悲しませる事を速めてしまって…申し訳ないよ。」
言いたかったのは、謝罪の言葉。
ランディルとして謝る事。
今はアンタレスという名の精霊である以上、身内では無い。そこの処を告げようとした時、痛い一撃が、アンタレスの頭に見舞われた。
前世で、ランディルとして生きていた時に、良く受けた痛み。
アンタレスの時にも、同じ痛みはあったが、与える者が違う為、威力も違っていた。以前受けた威力のままのそれを、今、違う姿で受けた。
「…兄者、何を…」
言葉を繋げる前にアンタレスは、ランシェに抱き締められた。
「この馬鹿が…。ただいま…位、言ったらどうだ。
ディル…いや、今はレスだったか?お前の親は、如何している?」
「一応…ただいま…かな?
アンタレス…俺には…いない。一人…いや、オーガがいただけだ。」
今の状況を聞いたランシェは、彼を抱き締めたまま、家族がいないのならと、ある提案をした。
「今の家族がいないなら、うちへ戻るか?
お前の息子もその嫁も、ここにお前の孫の一人もいるし、かなり賑やかだぞ。
勿論お前は、私の弟だけどな。」
「…レスが、ディル爺さんの生まれ変わりか…
そう言えば、やたら俺に構っていたよな、レスって。」
ランシェの提案と、ランナの言葉に微笑みながら、アンタレスは返事をした。
「ランナは、危なかしいからな。放って置けなかったんだ。
前世の孫でなくても、構っていただろうな。
……家族か…良いな、それって。
ランシェ様って言ったら、駄目か……駄目だろうな。ランシェ殿………血は繋がっていないけど、良いのか?」
ランシェの顔色を窺いながら、アンタレスに戻って返事をすると、両方から腕を強く掴まれる、元ランディル。
肯定の行動に、苦笑しながら、宜しくと告げた。
「…兄者…あっと、兄さんの方が良いかい?
名前は今の名前で、行かせて貰うよ。
あの名前は有名過ぎて、使えないというか、使いたくないからね。ランディルは、あの国を護って死んだんだ。
……だから、今の俺は、アンタレスだ。」
堂々と宣言する彼に、ランシェもランナも頷いた。新たな養子になれば良いと、ランシェが提示し、それに決まった。
ランシェの新しい弟として、アンタレスは彼等の家族になった。
呼び方は兄者が良いと、ランシェは頑固に言い放っていた……。




