第五話
カーシェイクの言葉で、納得したファンアは、リシェアオーガに向き直った。
そして、ずっと、気にしていた事を口にした。
「オーガ、本当の家族に会えたんだね。今は…幸せかい?」
聞かれた言葉に一瞬驚いたが、満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。
「ファン、私は幸せだよ。
父上や母上、兄上と義理の姉上も、私を愛おしく思ってくれているし、双子の兄弟もいる。他にも、私を慕ってくれている者が大勢いる。
だから……幸せだと感じる。」
そう、良かったねと、嬉しそうに返すファンアから頭を撫でられ、リシェアオーガは安心していた。しかし、未だ不服そうに佇んでいるアンタレスに、ファンアは気付き、もう一度、盛大な張り手をお見舞いしていた。
「レス、言いたい事があるなら、言えよ。」
怒っているらしく、口調が悪くなっているファンアの言い草に、アンタレスも言いたい事を口にする。
「…森に捨てておいて、戻ったら気に掛ける。
そんな勝手な家族の許で、オーガが幸せな筈がない。それは偽りだ!」
「偽りでは無いよ。この子がいなくなってから、随分と捜したんだ。
父も母も私も…知り合いの者達を総動員して捜したのに、見つけられなかった。」
リシェアオーガがいなくなった当時の事を思い出し、悲しげな顔で告げるカーシェイクは、そのままの表情で先を続ける。
「知り合いの御蔭で、やっと見つかったと思ったら、この子は邪悪に騙されて、大戦と混乱を起こしてるし、父親とは知らずに、剣を向けているし…大変だったんだ。
まあ、色々とあって、やっと帰って来たんだから、良いんだけどね。」
色々省略した物言いであったが、真実を述べ、最後に微笑を浮かべるカーシェイクへ、アンタレスは更に反論を言う。
「嘘だ、捜していたなら、すぐに見つかるはずだ。」
しかし、義理の兄の言葉に対して、実兄は即答する。
「無理だよ。この子は、全てを変えてしまっていたからね。
纏う気も、姿も違ってしまったら、母と父以外、見付け様が無い。
私ですら、難しいのに…。
あっとリーナなら、出来たかな? でも、あの子も、この子と同じで小さかったから、捜しに出ること事態が無理だったんだけどね。」
彼の纏う気と姿が変わった事と、双子の兄弟の事を言っているらしいカーシェイクに、彼等も納得した。
人間として捜していたのでは、到底見つからない。
精霊としての気配と、姿をしていたのでは、見つけられっこないのだ。
そうこうしている内に、彼等の騒ぎを聞き付けた他の精霊が数名程、神殿の中から出て来た。アンタレスと同じ衣装に身を包んだ精霊は、訪問者へ目を向ける
「何だ、ランナが来たのか…おや、其方の方は?…それに…オーガか?」
深緑色の長衣の人物と、その腕の中にいる子供に気が付いた精霊は、己の確認の為、その子供の顔を暫く見つめた後、彼等へと歩みを始める。
お久し振りですと、声を掛けるランナに微笑み、軽く会釈をして、己の歩みを進める。そして、目的の場所に着くと、長衣の人物に簡単な挨拶を交わし、その人物の腕の中にいる見知った子供に、精霊は声を掛ける。
「久し振りだな、オーガ。わしが何を聞きたいか、判るか?」
相変わらずの若い姿と、それに合わない言葉遣いの精霊。
真剣な眼差しで問い掛ける彼に、リシェアオーガは答える。
「誤った道を進んで…申し訳ありません。レナム師匠…あの…」
「わしが聞きたいのは、そんな事ではないだろう。」
「…剣の使い道は…見つかりました。
私の剣は、護りの剣です。私を慕ってくれる者達を、護る為の物…生きとし生ける愛しい者達と、全ての物を護る為の剣です!」
告げられた言葉に、レナムは絶句した。
剣を扱う者に取って、一番重く辛い剣の使い道…この幼子は、それを我が道として自覚したのだ。
最も険しい、茨の道であると同時に、命が幾つあっても足りない道。
師匠として、一番選んで欲しく無い道ではあったが、眼の前の幼子は、真っ直ぐな力強い眼差しで、己の歩むべき道だと告げている。
彼の返答に溜息を吐く師匠と、その言葉に叫びを上げる者がいた。
「そんな道…お前が歩むもんじゃあない!
そんな厳しく辛い道は…神々や精霊騎士達が歩むべきものだ。
人間であるお前の、進む道じゃあない!」
アンタレスの叫びに、リシェアオーガは首を振り、カーシェイクの腕から離れて、腰にある剣を彼に返した。
渡された剣に、違和感を感じたアンタレスは、リシェアオーガに向き直る。
「私は、その為に生を受けた。これは私の定め…誰にも、変える事の出来無いもの。初めの七神でさえ、私の宿命を曲げる事は出来無い…。
それと、済まない、レスにいさ…いや、アンタレス。これはもう、私には使えない。
私の力を、この剣が受けけ切れない。だから…。」
そう言われたアンタレスは、渡された剣を鞘から出した。見事に刃が折れている精霊剣に、驚き、リシェアオーガに問いかけた。
「剣が無くて、どうやって護るんだ。この剣以外に、受け切れる剣は…。」
言葉を綴るアンタレスに、リシェアオーガの兄の持つ物が、目に入った。
長い包み…その中身が、剣である気がした。
視線に気が付いたカーシェイクは、微笑みながら返答をする。
「残念だね。これは、私の物…私の剣だよ。
だけど、この剣でも、この子の力は受け切れない。
この子には、この子の剣がある。我が妹の君も…呼べるだろう?」
カーシェイクの持つ包みが剣と知って、リシェアオーガは驚いたが、普段の兄は、剣を扱わないだけと判っていた為、特に追及はしなかった。
言われた通り、虚空に右手を翳し、心の中で剣を呼ぶ。
竪琴を同じ様に主を選んだ剣は、その呼び声に応じ、主の前に姿を現す。声を出す呼び方と、心で呼ぶ呼び方…そのどちらでも、かの物は、主の手の中に納まる。
リシェアオーガの手にあるのは、間違う事の無い長剣…様々な長龍・神龍が鞘に描かれていて、その柄の部分には、黄金と銀の龍の装飾がある物。
その剣が何を意味するか、剣を扱う者なら、一目瞭然であった。
「まさか…神龍王の…剣?」
「オーガ、お主は…神龍の王として、生まれていたのか?!
……成程な。じゃから、わしやアンタレスより、強いのか…。」
「神龍の王…じゃあ、オーガが親元から離れたのも、先の大戦を起こしたのも…その為だったんだ………。」
紡がれる精霊の言葉に、実の兄弟達は頷き、妹扱いされているリシェアオーガは、その姿を元の光髪と空の瞳に戻し、その服装も替える。
金龍の装飾が施されている騎士服は、神龍王の物。
大地の神龍である翆龍と、光の神龍である黄龍が用意してくれた物で、元の姿のリシェアオーガには、良く似合っていた。
神龍の王として目覚め、その運命に身を投じた彼の真の姿。
だが、それは同時に、ある事を意味していた。
人間と神龍王の、時間の進み方の違い…普通に時間が流れる人間と、時間の止まる神龍の王…何れは来る、家族との離別を示唆していた。
それを指摘しようとする、精霊達に気付き、カーシェイクが自らの包みを解いた。
「これは、何だと思う?」
出されたのは長剣…リシェアオーガの物より大きく、太い物だったが、精霊剣とも違う装飾だった。剣の刀身が見える様、少し抜き加減で、彼等に見せるカーシェイク。
鞘と柄は緑の地に蔦が這い、鞘の真ん中に葡萄の房が一つ、紫の輝石・リュシアナ・クルーレアで飾られていた。
それを踏まえ、改めて見ると、緑の地は輝石その物…リュース神の輝石・リューシリア・ラザレア…そして、少し見えている刀身は、透明な紫の色…同じ神の輝石・リュシアナ・クルーレア…。
この事から導き出される答えは、只一つ。
「大地の…剣…?まさか?」
アンタレスの回答を受け、にこやかに微笑みながら、カーシェイクは事実を告げる。
「そう、これは大地の剣・リューシリア・シェナムだよ。」
「兄上、それって、母上が創られた物ですか?」
更なる驚愕の事実を、しれっというリシェアオーガに、注目が集まる。
何時もと同じ様に、兄へ話し掛けていたリシェアオーガは、まだ自分達の身の上について、話していなかった事を思い出す。
まあ、リシェアオーガのこの姿で、血族を察しない者がいなかった所為もあったが、ここの精霊達は判らない様だった。
それに気が付いたリシェアオーガは、戸惑った視線を兄の方へ向けた。
剣を包み直したカーシェイクは、妹の視線を微笑みながら受け、言うべき言葉を告げ、己の纏う気を戻した。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったね。
私の名は、ハールシェリアクルム・リュージェ・ルシム・カーシェイク。
この子の兄で、知の神の役目を担っている。
我が妹である君も、正式名を名乗りなさいね。」
「…ルシム・ラムザ・シュアエリエ・リシェアオーガにして、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガ。
光の神・ジェスク神を父に、大地の神・リュース神を母に持つ。
今は神龍の王と、戦の神を兼任している。」
二人の名乗りと纏う気の変化で、精霊達は目を見張った。
自分達が育てていたのは、行方不明だったリュース神の神子…即ち、彼等の神の神子だったのだ。神龍の王であった事も驚きだったのに、更にその上を行く真実に、精霊達は言葉を失くした。
神々が、自分達の子供を捨てる筈も無く、忽然と姿を消した我が子を血眼に探してい居た事は、彼等も知っていた。その子が見つかり、家族の許にいるという事は、家族から多くの愛情を受けている事となる。
そう、溺愛と言う愛情を、神子は注がれるのだ。
自分達の育てた子供が神の許に戻り、愛情を受けている事は明白、その最たる証拠が、眼の前の兄であった。
滅多に使わない剣を持ち出し、妹を助ける為だけに、態々この神殿へと出向いた。その妹を先程まで、誰にも傷を付けられない様、腕の中に納めていた。
知の神・カーシェイクが、母親であるリュース神から大地の剣を贈られたが、それを扱う事が稀である事を、知らぬ精霊はいない。
剣豪でもある父親から受け継がれた剣の腕は、相当な物だったが、彼が常に使う物として選んだ武器は、知識。
馬鹿では、勝てる戦も負ける…それがカーシェイクの持論であり、伯父と呼んでいるクリフラールと、同じく、伯母と呼んでいるアークリダの影響だった。
だが、知識のみでは、如何にもならない時だけ、大地の剣を使う。
扱い方は、父と伯父に習っていたので、左程不自由はしていない。そのいざと言う時に使う、剣を持ちだし、助けられた(?)妹は、再び兄の許へ戻っていた。
自ら告げた名に、家族だった精霊が無言になった。
その事実に居た堪れなくなったリシェアオーガは、自分を自分として扱ってくれる、兄の傍へ戻ったのだ。
リシェアオーガが自分の処へ戻った事で、カーシェイクは、また妹を腕に収めた。まだ子供の、護るべき愛おしい妹を、優しく抱き留める兄。
彼等の姿に気付き、リシェアオーガ達から離れた場所で、控えていた精霊騎士達が神殿を訪れた。
一人は光の精霊騎士、もう一人は見知った、木々の精霊騎士…そこに居るランナの大伯父だった。
「カーシェ様。
勝手に此処へ来られては、ジェスク様とリュース様に叱られますよ。」
子供を窘める様に告げる、光の騎士の言葉で、カーシェイクは苦笑し、返答する。
「ルシェ、愛しい妹の危機に平然としていられる程、私は大らかでは無いよ。
リシェアは、リーナと一緒で、大切な妹だからね。
それを傷つける事等…させない。」
意志の強い言葉で、光の騎士・ルシナリスは微笑み、納得していた。腕の中のリシェアオーガは、兄の想いに触れて嬉しいと思う反面、自分の役目を自覚した。
「兄上…お気持ちは嬉しいのですが、私は、戦の神の役目を担う者。
戦で傷を負うのは、当たり前ですし、怪我位は直ぐに治ります。…それとも兄上は、私の剣の腕を御疑いなのですか?」
一応反論を試みるが、兄の意見で、見事に両断される。
「疑ってはいないよ。只、兄としては、心配なだけ。戦に関しては仕方無いけど、今の様に無用な争いで、リシェアが傷付くのを見ていられないんだよ。
それとも我が愛しい妹の一人であるリシェアは、無用な争いから君を護る事すら、私にさせてくれないのかな?」
「いいえ、そんな事は…ありません……。」
リシェアオーガは、カーシェイクから殺し文句を言われ、肯定の返事をするしか、無かった。両親や兄の、自分達への溺愛振りは、彼等の許に帰ってからの一年間で、嫌と言う程体験済みだ。
迷惑とは思わないが、度を過ぎているとは判っている。
だが、愛情から来る物を、拒む事は出来無いし、したくも無い。
愛されていると判る心地良さに、以前の様な本能の否定は全く無い。
前は神龍王としての目覚めに、必要のある事を本能が選んでいた為、家族に関する事は全て、それが拒否していた。
しかし、目覚めた今、過度な愛情を与えられていても、本能の拒否は無く、寧ろ敢えて従え…いや、委ねろと、本能が叫ぶ位だ。
拒絶していた分、委ねろと告げる本能が強く出る。
今もそう、本能は兄の愛情に応じる。
その優しい腕を突き放すのでは無く、無意識に自らの体を預ける。
今まで家族と過ごしていない分、甘えろと言うが如くに…。




