第四話
リューレライの森の近くにある、人間の集落の神殿…そこには、元リューレライの森の精霊が、守護精霊として宿っている。
緑に覆われたその神殿は、リュース神を祭る大地の神殿。
それ故か、神殿では珍しく、木で作られ、建物自体が温かみを帯びている。その傍らに、一人の精霊が佇んでいた。
リュース神の恩恵を、生まれながらに持つ精霊。
緑の木々の精霊特有の、緑色の短い髪に、葡萄色の瞳…守護精霊の中でも、神殿の人々を直接護る為に、剣を扱う者。
纏う服は騎士服であったが、神に直接仕える精霊と違い、白地に緑の一本線の縁取りのみの物で、袖と襟にだけに葡萄の房の装飾があった。
その騎士は、聖なる精霊の剣をその腰に帯び、厳しい目で辺りを見ている。そんな彼の目に一人の精霊が映った。
見知ったギルド剣士の姿に、厳しい目は緩み、微笑を携える。
「久し振りだな、ランナ。どうして、ここに?」
前より伸びた髪を、後ろで短く結んでいるランナに、声を掛けた。
「う~ん、ちょっと野暮用…かな?
レスに会いたいって、子がいるから、連れて来たんだ。」
「…見合いなら、お断りだ。お前、前もそうやって、俺に相手を紹介してたな…。
俺はお前と違って、まだ結婚したくないんでな。」
「違うってば。そう言うのじゃあなくて…」
「レス…兄さん…。」
レス…アンタレスとランナの遣り取りに、つい、リシェアオーガは声を挟んでしまっていた。ランナの後ろから聞こえた声に、アンタレスは素早く反応し、前にいるランナを強引に押し退けた。
乱暴だなぁ…と悪態を吐く彼を余所に、アンタレスは声の主を確認する。
そこには紛れも無い、弟の姿…3年経ったと言うのに、成長の兆しは全く無く、前と同じ背丈と年齢、性別に見えた。
華奢な無性別の体と、前よりも闇に近い緑の髪と瞳…あの黒き王を伺わせる容貌に、アンタレスは厳しい瞳に戻る。
「何故、ここにいる。この神殿を破壊しに来たのか…黒き王よ。」
告げられた言葉に、リシェアオーガは呆然とし、ランナは焦って、アンタレスに否定の言葉を投げ掛ける。
「レス、違う。オーガ君は、彼奴じゃあないって。」
「騙されるな、ランナ。
あいつは心を操る。それは先の大戦で、こいつがやった事だ。
残念だったな、この守護精霊のアンタレスには、それは効かない。リュース神の恩恵を、この身に授かっているからな。」
そう言って腰にある剣を抜くと、リシェアオーガに向ける。
剣を向けられた当の本人は、動揺の余り、動けなくなった。
兄と慕っている者に信じて貰えず、剰え、剣を向けられている現実。逃避する気はなかったが、突き付けられた事実に、驚きの眼を向けるしか、出来無かった。
リシェアオーガの様子に、アンタレスは不機嫌な顔をし、
「如何した、黒き王よ。その腰にある剣は…飾りか?」
と挑発をした。だが、リシェアオーガは剣を抜かなかった。
今持っている剣は、精霊の剣。
あの時折れて、使い物にならなくなった剣では、アンタレスの相手は出来無い。
いや、する予定が無かったからこそ、これを持って来た。折角苦労して、手に入れてくれた剣を折った、詫びを入れる心算だったのだ。
直したとしても、自分にこの剣は、もう使えないのだから……。
一向に動こうとしないリシェアオーガに、痺れを切らしたアンタレスは、その一閃を彼へ向けて放った。
それに気付いたランナは、彼の剣を受けようとしたが、他の者が阻んだ。
未だ動けない彼を右手で己の懐に入れ、左手に持っている太い棒状の包みで、アンタレスの剣を受け止める。一瞬の内に、深緑色の衣に包まれたリシェアオーガは、何が起こったのか、判断出来無いでいた。
兄であったアンタレスの放った攻撃を、剣で応戦する気も、避ける気も無く、その身で受け止めようとしていた自分。怪我は一瞬で治す事が出来ると、判っていた故の行動でもあったが、それで、アンタレスの気が済めば良いとも、思っていた。
しかし、今、自分は、深緑色の服を着た者の腕に抱かれ、庇われている。
「…兄上…?」
ここに居る筈の無い、本当の兄を呼ぶと、その腕は力強くリシェアオーガを抱き締め、聞き覚えのある優しい低音が響いた。
「全く、君って子は…。何も言わずに、こんな所へ来て…危ない目に遭うんだから……
……心配したよ。」
アンタレスの剣を受け止めたままで、腕の中の妹を心配する兄に、リシェアオーガは振り向き、無意識にしがみ付いた。
信じて貰えなかった悲しみを告げるかの様、兄の服を掴み、自らの体を兄へ寄せる。そんなリシェアオーガを、兄・カーシェイクは、優しく受け止める。
その様子に、ランナとアンタレスは、只、見つめるしか出来無かった。短い緑の髪と紫の瞳…アンタレスと同じ彩で、深緑の長衣を纏っている人物…。
左手に有る包みは、楽々とアンタレスの放った攻撃を受け止め、その体は全く微動だにしない。剣士とは思えない体付きなのに、ギルド剣士のランナより早く反応し、精霊剣すら物ともしない動き。
だが、纏う気は精霊で無く、人間…。
その人物が一瞬にして現れた事に、彼等は気付かず、只、リシェアオーガを庇う男性の彩と、動きだけに気を取られていた。
その男性がゆっくりと顔を上げ、アンタレスに目を向ける。厳しい目で、同じ彩の彼を見据えながら、周りにいる精霊達を凍り付かせるような言葉を吐き出した。
「私の可愛い妹に、剣を向けるとは、良い度胸だね。
こんなに無抵抗で、可愛くて綺麗な妹を、無残に切り捨てようだなんて、君は剣士の風上にも置けないね。」
妹馬鹿の言動に、リシェアオーガは我に返り、兄の腕の中で脱力した。ランナとアンタレスは、その発言に目を見張り、呆れた視線を送っている。
リシェアオーガの事を妹呼ばわりの上に、可愛いの連続発言…ランナは納得したが、アンタレスは、微妙な顔になった。
自分の攻撃を左手だけで、受け止めた事もあるが、無性別のオーガを妹扱いしている人物に、反感を覚える。その感情は、自分と同じ彩である事にも起因しているが、アンタレスにとって、オーガはあくまで弟、妹ではなかったのだ。
「オーガは、妹じゃあない、弟だ。それに、お前は誰だ!オーガの何なんだ?」
怒りの籠った声で告げるアンタレスに、男性はさらっと答えた。
「私はこの子…オーガの本当の、血の繋がった兄だよ。
全く、この子は、人に心配を掛ける名人なんだから。
やっと戻って来たと思えば、直ぐに出掛けるし…。ちゃんと、行く先を告げないと駄目だって、散々言われたよね。」
「…兄上…ちゃんと言いましたけど…
やっぱり、聞いていなかったんですか…。」
腕の中の思わぬ返事に、兄・カーシェイクの腕の力が緩んだ。リシェアオーガと目を合わせ、確かめる様に言葉を綴った。
「え…それ、本当かい?」
「言いましたよ。最悪にも、本に埋もれている最中でしたから、念の為、義姉上にも言伝を頼みました。
……もしかして、そちらも…聞いていないんですか…。」
妹の言葉に、心当たりがあった兄は、謝罪の言葉を告げる。
「あ…そうか…それは済まなかったね。
でも、危険な目にあってるのは、事実だよね。」
「それは、私の自業自得で…。」
「そうは言わないよ。
実際、君は、黒き髪の王では無いのだし、それを信じないで、剣を向けた方が悪い。」
そう言ってカーシェイクは、受け止めていた剣を弾き、再びアンタレスに視線を合わせた。厳しい視線を送るオーガの兄に、アンタレスも負けじと反論を試みる。
「あんたもその子に、操られているんだろう。」
「違うよ。…君は、先程言ったよね。リュース神に祝福されているから、自分にはこの子の術は効かないって。
この事は、同じ彩の私にも、当て嵌まるだろう?」
先程アンタレスが言った事を、目の前の人間が再び口にした。
そして、もう一つの事実をも暴露する。
「それに、この子はもう、暗い欲望の為の行動はしない。
私が散々、お説教したからね。また私の説教を聞くのは嫌だろうし、自分の犯した罪がどれ程の物か、身に沁みて判っているよ。
この子は同じ過ちを繰り返す程、馬鹿じゃあない。寧ろ、自分の罪を自覚し、それを償う事を申し出たのだからね。」
抱き締めた妹を優しい目で見つめ、微笑む彼に、アンタレスは毒気を抜かれた。彼を兄と呼ぶオーガは、その視線と言われた言葉で、思いっきり頭を横に振っていた。
あの説教は、二度と聞きたくない。
あんな心が痛い物は、もう嫌だ。
そんな想いでの今の行動は、アンタレスが良く知っている幼子のオーガ、そのものだったが、己の考えを否定出来ず、未だ剣を構えたままのアンタレスの後ろから、痛い一撃と共に、痛恨の声が掛った。
「まだやっているのか!この石頭!オーガ、怪我はない?」
聞き覚えのある声でリシェアオーガは、声のした方へ顔を向けた。見知った精霊の姿…リシェアオーガに微笑みかけ、心配の言葉を言うファンアに、思わず頷いていた。
良かったと、安堵の言葉を呟き、白地に緑の縁取りがある長衣を靡かせながら、近付くファンアへ、カーシェイクが声を掛けた。
「あの判らず屋を、私の代わりに張り倒してくれて、有難う。
大丈夫、私が気が付いたから、この子に怪我は無いよ。にしても、あのお馬鹿さんは…本当に、この子の兄代わりだったのかと、疑ってしまうね。
君の方が、それらしいのに…ね。」
「オーガが一番懐いたのが、あれでしたから。
…私に懐いてくれたなら、良かったんですが…。若しかして、貴方に似ていたから…なのかもしれませんね。」
アンタレスが気にしている事を、ずばりと言い当てたファンアに、カーシェイクは答えた。
「それは無いと思うよ。私とこの子が初めて会ったのは、つい最近だし、この子と会った時、驚かれたのを覚えてる。
多分、其処のお馬鹿さんと、同じ色の髪と瞳をしているからだと思うよ。」
初めて会った時の事を思い出し、違うと断言する彼は、この事情から推測される事柄を述べる。
「彼に懐いたのは、どちらかと言うと私で無く、母の方に似ているからだろうね。
母と私は同じ色の髪と瞳…、彼とも同じだよ。それと、彼がこの子の事を、邪険に扱わなかった為だろうね。」
母・リュースを思い浮かべ、返答する実兄に、リシェアオーガも納得した。
母の面影なら、夢で見ていた。前世の記憶と思っていた夢だったが、それは半身であるリルナリーナが、届けてくれた物。
母の顔と父の顔…会えないオーガの為に、彼女が彼に伝えてくれた物だった。そのお蔭で、今のオーガが生きていると言っても、過言で無かった。




