第三話
リシェアオーガの様子に気付いたランナは、直ぐに彼の前へ近付き、跪いた。
「ギルド剣士・ランナ。リシェアオーガ様の御願いにより、御供させて頂きます。
これは大伯父に、強制されたからではありません。
俺の意思で、喜んで付いて行きます。…だから、そんな顔、しないで下さいよ~。」
何時ものランナの微笑に、リシェアオーガは、気持ちを落ち着ける為に、一息吐き、再び微笑を返した。
「有難う、感謝する、ランナ。」
リシェアオーガの言葉と微笑に、ランナは急に立ち上がり、
「か・可愛い♪相変わらず、可愛い♪」
と言って、抱き締めようとした…が、案の定、ランシェに阻まれる。
「ランナ。無闇矢鱈、リシェア様に触れるな。」
厳しい目を向け、ランナを牽制するランシェに、彼も負けじと、反論を始めた。
「…良いじゃないか、減るもんじゃあないし、神子様が穢れる訳でもない…。」
「お前の馬鹿がうつると、困る。」
止めの言葉を吐かれ、ランナは、ぐうの音も出なかった。
目の前にいる、可愛らしい神子の姿に何も出来無い。お預けを喰らった、大型犬と同じ様子のランナに、リシェアオーガは同情した。
不意に、ルシナリスからも声が掛る。
「ラン、それ位にしてあげたら、如何ですか?リシェア様を抱き締めるのは、認められませんが、、頭を撫でる位なら良いのでは?」
ルシナリスの提案に、ランシェは溜息を吐き、承諾した。
「仕方ありませんね。少しだけですよ。リシェア様、良いですか?」
ランシェに言われ、彼の後ろから、ひょこりと頭だけを出すリシェアオーガ。
その仕草も可愛かったらしく、身悶えするランナに、リシェアオーガは少し引き気味になった。相変わらずの対応に、リシェアオーガは、上目遣いで緑の騎士を見る。
その視線を受け、にっこりと微笑む緑の騎士・ランシェ。
何かあったら止めますよの、意味を込めた微笑に、リシェアオーガは安心し、ランナの方へ寄って行った。
「あの…ランナ……共の件、宜しく頼む。」
意を決して言葉を綴り、頭を下げるリシェアオーガに、ランナは抱き締めたい衝動を抑え、約束通り、下げられた頭を撫でた。
…までは良かったが、やはり我慢は無理だったらしい。
腕を伸ばし、リシェアオーガを抱き締めようとした途端、本人が気付き、素早くランシェの後ろへと戻る。
何かに怯えている様に、ランシェの後ろにしがみ付き、様子を窺うリシェアオーガ。
ランナは、捕まえられなかった神子を残念そうに見つめ、その様子を目の当たりにした、シェンナの森の長や、剣士達が笑い始める。
「ランナ、お前の負けだな。
リシェア様は、お前の趣味に、怖がっておいでだ。諦めろ。」
「そうだ。お前の変態趣味を如何にかしないと、リシェアオーガ様も、お前に寄り付かない。さっさと諦めろ。」
長の言葉と大伯父の、容赦無い言葉の一撃──ランシェの場合、素手の一撃も付いたが──に、ランナは項垂れた。
この趣味は親譲り故に、未だ治らない。
治す気も無いのだが、眼の前で、こうも警戒されると悲しくなった。
そんなランナの気持ちを察してか、リシェアオーガが声を掛けた。
「ランナ…済まない。その…そういう、恋愛的な愛情を込めた物を、他人からされるのは…慣れていない。親愛や敬愛の物なら、慣れているのだが…。」
未だランシェに捕まり、ランナと距離を置いて告げるリシェアオーガだったが、彼の行動が、恋愛感情に近い愛情だと気付く当たり、侮れなかった。
指摘されたランナは、頭を抱えた。
そう、可愛い物好き=恋愛感情と認識されたのだ。
「あの…リシェアオーガ様。
俺、そんな気持ちで、接していない筈なんですけど…。確かに、俺の好みの女性は、可愛い子ですが…。」
「でしたら、無理ですね。リシェア様は、警戒されますよ。
さあ、リシェア様、ランナ殿の御仕置きは、ランに任せて、此方へ。何時までも、ランにしがみ付いていると、ランも御仕置きが出来ませんよ。」
美しい笑顔で、怖い事を告げる光の精霊に、ランナは引き攣った。リシェアオーガはと言うと、素直にルシナリスの傍に行き、その腕にしがみ付いていた。
余程怖かったらしいリシェアオーガの態度に、ルシナリスは苦笑し、空いている手で腕を解き、自分の腕の中に招き入れた。保護者の腕の中に納まった神子を、確認したランシェは、再び容赦無く、ランナを叩きのめしていた。
何故、叩きのめされるのかが判らないランナは、不思議そうな顔をするが、その理由を当の本人が告げる。
「…リシェア様は、両性体だ。だから、お前の趣味を感じ取り、警戒されたんだ。
全く、お前と言う奴は…早く相手を見つけろ。焦っているのが丸判りだ。」
ランナは、大伯父であるランシェに、自分が結婚相手を探している事を気付かれていた。この事実に、彼は驚き、加えて、リシェアオーガも同じ事を感じ取って、自分を警戒しているのにも動揺した。
確かに、女性だとしたら、リシェアオーガは好みの範囲だった。そう言う感情を、リシェアオーガ相手に対して、持てないのかと言うと…断言出来無かった。
自分の目の前にいる、己好みの可愛らしい女性に、口説き文句を言わないなんて、出来そうに無い。これに気付き、自然と謝罪の言葉が彼の口から出る。
「申し訳ありません、自重します。」
目前の子は神子、自らの属性の神の子…。
手の届かない相手に恋するより、身近な相手の方が自分には、お似合いだとランナは思ったが、可愛らしい神子相手では、構いたくて仕方が無い自分もいた。
しかし、子供扱いしていない自分では、リシェアオーガは警戒する。
ふと、目に入ったリシェアオーガは、光の精霊の腕の中にいる。
あれ?とランナは思ったが、ルシナリスの態度と表情で判ってしまった。
ルシナリスが警戒されないのは、神子として接しているから。保護者として、敬愛する者として、溺愛している態度と表情。
リシェアオーガが、それを感じている為、安心して身を任せている。
その内、自分も出来るのだろうか…
大伯父の様に、あの光の精霊騎士の様に…そう、ランナは思った。
「取りあえず、お前から、リシェア様に近付く事を、禁止する。」
シェンナの森を出て、ランシェに言われた言葉にランシェは、判りましたと、素直に承諾した。先程の遣り取りで自分が、リシェアオーガを子供として見ていない事実を認識し、警戒される事を嫌だと思ったからだ。
リシェアオーガはというと、未だに、ルシナリスの腕にしがみ付き、警戒を顕にしている。本能からの警戒だけに、彼自身、如何にも出来無かった。
ランナには悪いと思うが、如何しても近付けないでいた。
ランシェとルシナリスなら、近付いても平気なのだが、今のリシェアオーガには、恋愛という不可思議で、体験の無い物に免疫は無い。
精々距離を取る位しか、出来無かった。
自分に向けられても無用の物と本能が告げ、それに応じる感情が無いと、自覚しているのだ。理由は判らないが、そう感じていた為、なるべく避けて通って来た。
そのリシェアオーガが、幼子の様に保護者にしがみ付き、離れない様子は、誰が見ても可愛らしかった。
これが人間同士の、先の大戦を引き起こした本人と、同一人物だとは思えない程の、可愛らしさ、愛くるしさ。
あの黒き髪の王までもを滅ぼした、雄々しい剣士とは思えない。
極普通の子供に見える、リシェアオーガに対し精霊騎士達は、保護する者と認識して、その腕を取り、腕に入れて護る。
リシェアオーガもそれを感じ取り、無意識で甘えている様にも見えた。
そうこうしている内に彼等は、リューレライの森の精霊達が、守護精霊になっている神殿の近くに着いた。リシェアオーガは再び、自らの姿を精霊に戻し、ルシナリスとランシェに、この場で待機する様に告げる。
ランナと二人っ切りになるのは、少々不安だったが、精霊騎士である彼等が傍に居る事で、余計な詮索をされかねないと、判断した結果だった。
元リューレライの森の精霊に会う為、リシェアオーガの纏う気は精霊の物となり、神気と別の何かの気は、完全に判らなくなっていた。
その変化に、ランナは苦笑した。
目の前にいるのは、あの無邪気だった精霊のオーガでは無く、神々の一人としての、リシェアオーガを確信出来る。
その事実が、ランナの対応に変化を齎せた。
保護する精霊から、仕える神としての存在。
それは、ランシェやルシナリスの、リシェアオーガに対する物とは違っていたが、眼の前にいるのは、ファムエリシル・ルシム…即ち、戦の神…。
守護神・シーラエムル・ルシムとも呼べる存在は、剣士や闘士…武器や素手で戦う者達に取って、敬愛に値する者。
今のオーガから見え隠れする一面に、ランナは、やっと己の心を決めてた。
仕える事が可能なら、この神に仕えたい…大伯父と同じ道を歩もうとも、それでも良い。
そう考える自分に、内心驚いていた。
ある程度距離を取りながら、進むランナに、リシェアオーガは少し安心したが、彼の視線の変化に気付き、その歩みを止め、振り返った。
神龍達と同じ想いを向ける視線に、微笑み、彼に声を掛ける。
「ランナ、ルシェやランがいない分、そなたに負担を掛けると思うが、宜しく頼む。」
先程掛けられた弱々しい言葉では無く、神としての自覚が伺える、はっきりとした言葉に、ランナは剣士として頷いた。
遠くでは、彼等の様子を、光の騎士と緑の騎士が見つめていた。ランナの態度に、ランシェが重い溜息を洩らした為、ルシナリスが苦笑をする。
二人は、緑の剣士が心に決めた事を、手に取るように判ったらしく、会話を始める。
「全く、あの馬鹿は…開いた口が塞がらない。一番厄介な…茨の道を選ぶとは。」
「血は争えなかったらしいですね、ラン、貴方と同じ、道を選ぶとは…。
ですが、茨道ですか…、確かにそうですね。
リシェア様には、既に彼等が集っていますし、如何なるのでしょうね。」
実情を知っている彼等の意見は、ランナの耳には届かなかった。




