第二話
目的地の神殿へ向かうに当って、リシェアオーガは、自らの姿を精霊時代に戻した。暗緑色の髪と瞳、纏う気も、衣装も剣も精霊の物。
そうしなければ、これから会う相手に、自分が判らないだろうと言う、配慮だった。
以前と同じ姿だったが、以前とは全く違う、志と意思の強さ。
戦の神としての役目と神龍の王としての役目…その両方を、この幼子は背負っているが…流石、神子と言おうか、己の抱え持つ重圧に潰される事無く、真っ直ぐに行く末を見据えている。その何事にも負けない、強い意思と眼差しは、精霊騎士である彼等をも魅了する。
彼に仕える神龍達なら、尚更だろう…とランシェは思った。
緑の騎士の想いに気付いたのか、ルシナリスが話し掛ける。
「ラン、此処に黄龍が居なくて、良かったですね。
恐らく、自分達の王自慢が、始まる所でしたよ。」
軽い笑いを含みながら告げる、光の精霊に、ランシェも頷いた。
「確かに、そうですね。ここに翆龍殿もいない事が、せめてもの救いです。
…いえ、緇龍様の方が…。」
「そうだな、緇龍の方が、主自慢の度が過ぎる。
仕方無い事とは言え、聞かされる本人と周りが困惑する。」
二人の話に何時の間にか、リシェアオーガも加わった。苦笑気味で告げながら、仕方無いと認める辺り、器が大きいのだと思える。
成長された…そう、ランシェは感じた。
シェンナの森で初めて会った頃は、本当に幼子であったオーガ…リシェアオーガが、大いなる神が与えた試練を乗り越え、成長した。
そう、人が変ったのでは無く、大人として成長したのだ。
神々と精霊達の感覚では、まだまだ幼子の域を出ない歳であったが、その心は、徐々に成人へと近付いている。少し寂しいとは思えるが、神として存在するには必要であり、頼もしい限りであった。
神殿に向かう前に、リシェアオーガは、シェンナの森へ赴いた。
アンタレスに会う前に、ランナに会いたいと思ったからだ。
ギルド騎士であるランナは、黒き髪の王の件でギルドから一旦離れ、シェンナの森の警護をしていると、ランシェから聞いた。やっと今、その脅威が無くなり、もう少ししたら復帰するとも、聞いていたので、その前に会えればと思ったのだ。
久し振りの森でも、やはり動物達の出迎えがあった。
彼等は、リシェアオーガが目的を持って来ていると、判っているので、邪魔はしなかったが、リシェアオーガの方が近寄り、声を掛ける。
「久し振りだな。皆、元気だったか?」
口調が変わった事に拘らない彼等は、甘えた声でそれに応じた。少年から伸ばされた手に、擦り寄り、親愛を示す。
彼等の行動に、リシェアオーガは微笑んだ。
幼い頃の、苦笑では無く、慈悲の微笑。
神子として、神として、そこに存在していると思える、微笑だった。
本人には自覚が無かったが、精霊達はその姿に、目を奪われていた。正に、自分達の神の血筋の神子…リシェアオーガの姿と、自身の仕える神の姿が重なる。
大地の神であるリュース神の、光の神であるジェスク神の、慈悲の微笑…その両者の神子も、同じ微笑みを持つ。
この光と大地の神子であるリシェアオーガから、優しい微笑を向けられた動物達は、満足した様に次々と森の奥に帰って行った。
彼等の替わりとばかりに、今度は森の入り口に精霊達が現れた。
シェンナの森の長を筆頭に、森の剣士達が、リシェアオーガを出迎える。
そこにはランナの姿もあった。
「ランシェ、その子を、森に入れる事は出来ない。長として、断固拒否する。」
告げられた言葉に、緑の騎士であるランシェは無言になり、光の騎士であるルシナリスは、厳しい視線を彼等に向けた。二人の騎士に護られる様に、彼等の真中に居るリシェアオーガは、無表情で彼等を見つめる。
今までの事を考えると、致したか無い事だったが、彼等の行動は奇妙にも映った。
「フォルン殿、これは一体、如何いう訳なのですか?
返答によれば、この事を我が神へ、報告せねばなりません。」
リュース神の精霊騎士として、告げるランシェに、長が返答した。
「その子は、黒き髪の王…
先の戦の反省もなしに、同じ過ちを繰り返した…違うか?」
長の返答にランシェもまた、厳しい視線を向けるが、彼と同じく、リシェアオーガの傍に控えていた、ルシナリスが口を開く。
「違いますよ。この御方は、黒き髪の王ではありません。
その王を倒し、平和を齎した御方です。私は、それを目の当たりにしています。
御疑いになるのなら、我が神、ジェスク様に御聞き下さい。この御方は七神から、黒き髪の王の一件を託され、見事終結されたのですから。」
「ルシフの人々も、証人なりますよ。
彼等はこの方の助けを望み、偶然にあの地を訪れたこの方は、彼等を護る為だけに、あの輩を倒されたのですから。」
二人の精霊騎士の言葉に、長は考え込んだ。
精霊騎士は、嘘を言っていない。だが、件の王は、他人を操れる力を持つ。
この幼子も同じ力を持ち、先の戦を仕掛けた者…。
そう考えた長は、自らの剣を抜こうとした。
リシェアオーガの傍で控えていた精霊騎士達も、これに反応し、剣に手を掛けた…が、リシェアオーガが手を伸ばし、それを制した。
「確か…フォルンだったな。そなた達には、迷惑を掛けて済まなかった。
だが、我はあの黒き王では無い。
あ奴は我の名を騙り、混乱を招いた故、我の手で滅ぼした。
此処にいる、精霊騎士の言う通りだ。如何か、剣を収めて欲しい。」
そう言ってリシェアオーガは、彼等に頭を下げる。
彼の行動に長を始め、周りにいる精霊剣士は困惑した。あの幼子とは思えない、対応と言葉使い…だが、その姿はその子だった。
再びその子から、声がした。
「我が名は、ファムエリシル・リュージェ・ルシム・リシェアオーガ。
ジェスク神を父に、リュース神を母に持つ。
我が父と、母の名に免じて、剣を収めてくれないか?」
悲しそうな、懇願の言葉を掛けられ、精霊達は言葉を失った。何故か判らないが、眼の前の子に、こんな顔をさせてはいけないと、思ってしまったのだ。
そんな中、長がリシェアオーガに声を掛けた。
「オーガ君…君は、行方不明の神子だったのか?
だが、あの方々の神子とは…思えない。」
「この姿は、似ていないからな…。」
そう言ってリシェアオーガは、姿を元に戻した。
輝ける金色の髪、空の色を映した水面の様な青い瞳…。その顔はジェスク神に似ており、誰が見ても疑う余地が無かった。
纏う気も精霊の物から、神気と感じた事の無い気へ変わる。
精霊剣士の服を着ていながら、そこには神が存在していた。
この神の悲しそうな瞳に、驚きの余り息を呑んだ彼等は、無意識で剣を収め、自然と眼前の神に目を奪われる。
彼等木々の精霊を創りし、リュース神の神子………その事実が、彼等に無意識の行動を取らせていたのだ。
彼等の行動に気が付いたランシェは、長に忠告をした。
「フォルン殿、これでもオーガ君…いえ、リシェアオーガ様を、我等が神である、リュース様の神子として認めないと?」
言われて、自分達の取った行動に気付き、木々の精霊達は肩を落とした。自分達の敬愛し、信愛する神の神子に疑いを掛け、悲しい想いをさせてしまったのだ。
彼等の様子にリシェアオーガは、慰めの言葉を掛けた。
「そなた達の行動は、仕方無いと思う。
あの輩は我を装い、我と同じ力を持っていたからな。疑われて当然だ。だからこそ、我が手であ奴を葬った。
役目故の義務や、神々に護られし国の者達から頼まれて、仕方無くでは無い。護りたい者達を護る為に、自ら望んでやった事だ。」
リシェアオーガの脳裏には、ルシフの人々と、あの舞踊家達の姿が蘇った。
周りの噂に翻弄されず、自らの意思でリシェアオーガを信じ、待っていた人々。
同じく神としての彼を信じ、危険と判っていても、事の顛末を知る為に、ルシフに留まっていた舞踊家達。
今の彼に取って、愛しき、護りたい人々となった彼等の為だけに、黒き髪の王のと対峙し、これを滅した。
ルシフの人々を想えば、自然とリシェアオーガの顔に、微笑が浮かぶ。
優しく、極上の微笑は、精霊達を魅了した。
「申し訳ございませんでした。」
そう言うと、シェンナの森の長は、膝を折った。この直後、彼等の背後から、声が掛る。
「長!お待ちくだされ……間に合わなんだか…。」
落胆した老人の声が聞こえ、その姿が顕になった。
この森の長老、バザレムであった。
彼は、リシェアオーガの姿を見つけると、急いでその前に駆け寄り、跪く。
左膝を地面に、左手の握り拳を胸に、そして右手の先を地面に付けて、頭を垂れる最敬礼をリシェアオーガに対して施したのだ。
それもその筈、バザレムは、リュース神の恩恵を受けて生まれ、その身にカーシェイク神の祝福の金環を授けられた者。
この二人の神の身内となれば、最敬礼をする相手として、見做されるのだ。
彼の敬礼を受けて、リシェアオーガは言葉を掛けた。
「バザレム…久し振りだな。息災だったか?」
「はい、リシェアオーガ様。この老いぼれ、元気だけは有り余っております。
それと我が森の、馬鹿共を止められずに…申し訳ございません。」
長老の謝罪の言葉に、彼は気にしないと告げ、ここへ来た用件を簡素に述べる。
「フォルン、バザレム…
此処に、ランナがいると思うが…少しの間、借りれないか?」
「ランナを…ですか?私達は構いませんが、本人は如何でしょうか。」
「えっ!俺を~~?!」
長の返答の後、精霊剣士の中から声が上がった。
緊張感の無い、元気な声に、ランシェが脱力した。
「ランナ、お前って奴は、何故、そんなに落ち着きが無い!」
ランシェの、身内専用の口調で、リシェアオーガが笑い出し、そのままの表情で彼を呼び、借り出す理由を告げる。
「ランナ、そなたに用がある。
これから、アンタレスに会いに行くのだが、付いて来てくれないか?」
リシェアオーガに呼ばれ、剣士の中から、彼の姿が現れた。ランシェと同じ、緑の髪と瞳の木々の精霊剣士。
久し振りに見るその姿に、微笑み、言葉を続けた。
「ランナ、強制はしない。これは私のお願いだ。
そなたが良ければ、付いて来て欲しい。」
命令では無く、お願い。
そうリシェアオーガは告げた。
この言葉に、ランナは口を尖らせ、返答した。
「オーガ君…あ…いえ、違った、リシェアオーガ様。その言い方、ずるいですよ。
俺達は、神子様の御願いに弱いんですから。」
「えっ、そうなのか?…ランシェ、ルシナリス?」
驚きの声を上げ、リシェアオーガは思わず、両隣にいる精霊騎士に声を掛けた。
頷きと共に、彼等から返事か返って来る。
「そうですよ。リシェア様。
私達は己の属性の神と、その神子の御願いには、弱いのですよ。
勿論、御命令にも従いますが、心が伴わない場合があります。ですが、御願い…特に、この様な可愛らしい御願いには、心が認めて、全く勝てないのです。」
「ルシナリスの言う通りです。
リシェア様が、この馬鹿に言った様なお願いに、勝てる者はいません。
ランナ、勿論、来るだろう。」
腹黒い微笑を添えた、大伯父に言われ、引き攣りながら承諾するランナに、リシェアオーガは申し訳なさそうな顔をした。




