後編
そんな話をしている時、不意に、扉を叩く音がして、声が掛った。
「カーシェ様、リシェアオーガ様は、いらっしゃいますか?」
「ランシェ…いや、ラン、如何した?」
聞き覚えのある声に、思わずリシェアオーガは声を出す。これに続いて、部屋の主も声を出した。
「ラン、リシェアなら居るよ。入っておいで。」
掛けられた声に扉が開き、見知った木々の精霊が入って来る。彼は、部屋にいる他の精霊騎士に気付き、驚いていた。
「アレスト、エアレアまで…如何したのですか?」
「野暮用だよ。それより、ランは、如何してここに?」
訊ねられたランシェは、リシェアオーガに近付き、手にしていた物を両手を添えて、差し出した。それは竪琴だった。
シェンナの森にいた頃、ランシェから譲られた、薄緑の物。それをランシェは、リシェアオーガに渡しに来たのだ。
「リシェアオーガ様、忘れ物をお渡しします。」
だが、差し出された物を、リシェアオーガは受け取らなかった。代わりに謝罪の言葉を、彼に掛ける。
「ラン…御免。今の私に、それは必要無いんだ。」
「…リシェアオーガ様?それは、如何いう意味ですか?」
厳しい声で言う、ランシェの質問に、リシェアオーガは態度で示した。
虚空に手を伸ばし、言霊を紡ぐ。
『我が竪琴よ。我が前に、その姿を現わせ。』
その言霊に反応して、伸ばされたリシェアオーガの手の中に、竪琴が現れる。
白く輝く輝石で出来た、竪琴。
本体にある太陽と月の装飾には、金色の輝石が填まり、それが何であるか、見ている者達には、はっきりと判った。
「ジェスリム・ハーヴァナム…、リシェア様、まさか…。」
「光の竪琴の、主…、リシェア様?」
「そうだよ、ラン、アレィ。光の竪琴は、リシェアを主と認めたんだ。」
ランシェとアレストの驚きに、カーシェイクは、嬉しそうに告げた。
自慢の妹が、自分の成し遂げなかった事を成し遂げた…と言うより、光の竪琴に対して、見る目があると感心している。
美しく可愛い妹を、竪琴が選んだ。
良く遣ったと、竪琴を褒めて遣りたい気分であったのは、言うまでも無い。
所詮はあの神々の長男、我が子達を溺愛する彼等の息子は、妹達を溺愛し、妻を溺愛する者であった。
唯一の担い手を求める、竪琴の主…その事実に、ランシェは苦笑した。
確かにこれでは、この竪琴は必要無い。手に残った竪琴を如何しようか、思案していると、リルナリーナから声が掛った。
「ラン、それ、私に譲って欲しいの。…駄目かしら?」
「リーナ様が、ですか?何故?」
「オーガも、お兄様も、エアも、アリエとルーニァも竪琴を持っているのに、私だけ持っていないの。ランの大事な物だと、判っているのだけど…それ、凄く綺麗だし…。
オーガが一時でも、使っていた物だから……駄目?」
ランシェの持っている竪琴が、綺麗な物故に相当気に入ったらしく、仲間外れや、双子の兄弟が使っていた物だからと、何かと理由を付けて欲しがるリルナリーナに、ランシェは和んだ。
可愛らしく、愛らしい大地の神子のおねだりに、如何しようかと思った矢先に、その片割れである神子からも声が掛る。
「ラン、良かったら、リーナに、譲ってあげて欲しいんだ…。リーナが、それをかなり気に入っているし、私が詩を習っている時に、一人だけ仲間外れは可哀そうだし…。
それに………私も……リーナと一緒に習いたい………。
でも、無理なら、いいんだ、別のを捜すから……。」
同じ様に可愛らしく、微笑ましくも思える、リシェアオーガの言葉で頷いたランシェは、手にしていた竪琴を、リルナリーナに渡した。
「リーナ様、弟の形見、宜しくお願いします。」
「有難う、ラン、私、大切にするわ。」
極上の笑顔と共に、宣言するリーナに、ランシェは見惚れた。流石は、リュース神の神子、木々の精霊を魅了するなど、御手物だった。
まあ、本人に自覚はなく、素直に反応しただけだったが。
渡された竪琴を強く抱き締め、嬉しそうにしているリルナリーナに、リシェアオーガは突込みを入れる。
「リーナ、あまり強く抱き締めると、弦が狂るって、綺麗な音が出なくなるぞ。」
「えっ、本当?」
「本当だよ、リーナ。君には、手入れから教える必要が、あるみたいだね。
その点リシェアは、必要ないみたいだけど…。」
残念そうに言うカーシェイクに、精霊でしたからと、告げるリシェアオーガ。
竪琴の手入れは、身近にいたファンアという、精霊の遣っていた事を何気に覚えた為、手入れは自分で出来る。
只、弦が特殊な為、その弦を創る事を父親から、教えて貰う事になった。
まあ、嬉々としてジェスクが教えた事は、言うまでも無い。
「ランも来た事だし、リシェア、弾いてみるかい?」
言われたリシェアオーガは、アレストを見る。闇の竪琴の主である彼を前に、遠慮しているのかと思ったが、違っていた。
「アレィ、一緒に、演奏して欲しいんだけど…駄目?この竪琴とアレィので共演したら、如何なるか、試してみたいんだ。」
自分の来た目的を言われ、アレストは驚いたが、すぐに頷いた。
「自分、その為に、来た。リシェア様、曲目、何に、する?」
即答されたのは、リシェアオーガが初めて引いた曲…アレストの演奏を聞き、一番最初に覚えた、光の神の旅立ちの曲だった。
片割れであるリルナリーナも、実兄であるカーシェイクも好きな詩らしく、嬉しそうな言葉が聞こえる。
「オーガ、あの詩を詠うの?嬉しい♪前は、繋がっている状態で、オーガの耳を通してだったから、どうしても、自分の耳で聞きたかったの。
しかも、アレィとオーガの詩を、同時に聞けるなんて…凄く嬉しい♥」
「リーナ、そんなにリシェアの詩は、良かったのかい?」
「勿論、アレィのも良かったけど、オーガのあの詩は、凄く良かった♪」
「それは是非、聞きたいね。」
燥ぎ過ぎ加減のリルナリーナの声と、ご機嫌なカーシェイクの声に、あの詩を聞いた事のある精霊達は頷いた。
初めて詠った物なのに、感心する程上手かったのだ。
あの時、この幼子に、ジェスクの姿を思い浮かべたエアレアは、眼の前の子が、本当に神子・リシェアだった事実に納得した。
剣の腕と言い、竪琴の腕と言い、この幼子とジェスク神の面影が重なる。血筋故の才能、神に愛されし人間では無く、神の愛し子である神子。
今、本当の家族に囲まれ、幸せそうに微笑む幼子に、彼は和み、喜んでいた。
とある国の改革の最中、再会した幼子は、その身を邪悪に染め、心の中では泣いている様だった。愛する者を全て失い、嘆き悲しんでいた幼子…。
その子は今、愛し愛される者達に囲まれ、幸せそうに微笑んでいる。その事実が、エアレアは心底嬉しかった。
それは他の精霊、ランシェも同じだった。あの国の改革の際に再会した幼子は、心を押し隠し、無表情か、邪気を含んだ微笑であった。
敵として出会った彼に、精霊騎士達は戸惑い、剣を向ける事を躊躇した。
だか、その幼子は神と戦い、そして敗れた。
父と知らず、光の神・ジェスクに剣を向けたが、もう一人の自分…今傍にいる、双子の兄弟の片方によって、命を長らえ、家族と会えた。
自身の姿の違いに戸惑い、一時はその身を隠したが、本来の姿に戻った今は、家族…両親であるジェスク神とリュース神の許にいる。
傍らには常に、双子の兄弟のリルナリーナと、兄であるカーシェイクが集っている。
この微笑ましい光景に、彼等精霊は嬉しく思い、自然に微笑んでいた。
リシェアオーガの傍へ座る様、カーシェイクとリルナリーナに促されたアレストは、リシェアオーガの空いている左側に座った。
そして、自分の竪琴を呼ぶ。
呼ばれた竪琴は、主の腕に収まり、ポロンと嬉しそうな音を鳴らす。
その音に応じたのか、リシェアオーガの竪琴も、同じ様な音を響かせる。意思を持つ、対なる竪琴同士が、話している様であった。
闇の竪琴は光の竪琴に、主に出会えた事への祝いの言葉を掛け、それに光の竪琴が返事をした。そう、リシェアオーガとアレストは感じる。
「何だか、闇の竪琴も…喜んでいるみたい…。」
リルナリーナの言葉に、カーシェイクも頷き、
「光の竪琴は、永い間、主を選ばなかったからね。
…まあ、父上から離されて、不貞腐れ、拗ねていた所為だろうけど。」
と、身も蓋もない言葉を掛けていた。それ程、父であるジェスクを慕っていた物が今度は、その実子であるリシェアオーガを慕う。
同じ光の血筋だからで無く、その腕に魅かれた…と思えるのだが、それを披露したのは、闇の竪琴を弾いた時のみ。
若しかして…とリシェアオーガは、アレストに問った。
「アレィ、闇の竪琴と光の竪琴って、対だったよね?
若しかして、繋がっているの?」
子供らしい言葉使いになっている彼に微笑み、アレストは簡素に答えた。
「繋がって、いる。リシェア様と、リーナ様…、御二方と、同じ。」
「じゃあ、闇の竪琴を弾いた者の事を、光の竪琴へ、伝えたって事もあるの?」
「ある。…光の竪琴、リシェア様、選んだの、それが、起因、かも。」
あの時の事を思うと、可能性は有り得る。
初めての演奏で、あれ程上手く竪琴を弾き、詠った詠い手。
主無しの対なるそれに、闇のそれが伝え、件の物が、主としてリシェアオーガを認め、出会う事を願った。そう考えると、あの一件は、不思議では無かった。
対なる者から、伝えられた詠い手を気に入り、その手で奏でられる事を切に望んだ。だからこそ、自身が収められているルシフで、リシェアオーガを呼んだ。
主となって貰いたいから………。
アレストとの会話で、自然に出てくる昔の言葉使い…精霊騎士を相手にしている物で無く、家族である精霊を相手にしていた時の物。
その遣り取りにカーシェイクは苦笑し、そっと、リシェアオーガに話し掛けた。
「リシェア、私にも、その言葉使いで良いんだよ。」
ふと漏れた望みに、リシェアオーガは驚いたが、無理と返事が返って来た。理由はというと、無礼過ぎるだった。
そんな事はない、兄弟なのだしと言うと、じっと見つめ、
「尊敬している兄上に、丁寧な言葉使いをしては、いけないのですか?
それに今は、師匠でもあるんですよ。」
「…尊敬?ああ、そういう事か。
う~ん、私としては、先程の言葉使いの方が、嬉しいんだけどね。」
嬉しいと言われ、一応、努力しますと、返したリシェアオーガ。
それで満足したらしいカーシェイクは、そんな妹の頭を撫でる。
目の前で起こる、神子達の可愛らしい遣り取りに、精霊達も微笑んでいた。
そんな遣り取りが一段落した頃、リシェアオーガとアレストが竪琴を弾き出した。
光と闇の共演…その澄み切った音は、見事なまでに重なり合い、詠い手の声も美しいまでに響き渡る。
以前の担い手である、光の神と闇の神の共演の様に、紡がれる音は、神々の住まいを巡り、詩声は神々の心に沁み渡った。それは、光の神の私室に届き、詩に誘われた空の神が、彼の部屋へ訪れて来る程であった。
「ジェス、この詩は、リシェとアレィか?」
「その様だな。」
「ねぇ、ジェス、ラール、提案があるのだけど…。
あの子達に、今度の生誕祭の詩を頼めないかしら。」
何時の間にか来ていた、闇の女神の声に、光の神と空の神は頷いた。
「リダ、良い考えだな。
早速、他の七神に話して、決まり次第、彼奴等をルシフへ向かわせよう。」
神々の思惑を余所に、光と闇の竪琴の共演は続いた。
それを神々と神子達、そして精霊達は、何時までも聞き入っていた。




