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一人の弟子

 ~魔法の力に満ちた世界オーレナス。

 人々は時折神の力を授かる事がある。

 唐突に、突然に。

 神は人を選ばない。

 いつでも平等な神は時に人を幸せにもすれば、不幸にもする。

 神の力といえど魔法の力は無限ではない。

 それは水を継ぎ足すことのできない如雨露のようなもの。

 一度水を入れればそれがなくなるまでしか使えない。

 なくなったらどうなるのか?

 そこで、終わる。

 水のなくなった如雨露に存在価値も意味も無い。

 神は時に無情で残酷である。~


 朝の日差しの中でリフ・アインスハイルは目を覚ました。

「ん‥‥‥ふぁ‥‥‥はれ、今何時‥‥‥」

 時計の針は時針が九時、分針は四十五分を示していた。ぼんやりとぼやけて見える時計の文字盤に目を向けながら目をこする。だんだんと視界がはっきりし始める。

 同時に彼女の思考回路も回復した。

「やっばい!寝過ごした!!」

 慌ててベッドから飛び降り、机の背に掛けてあった特徴的な緑を基調としたコートをはおり、寝間着のズボンを脱いでこれまた薄いグリーンの地のスカートに履き替える。頭の上に乱暴にベレー帽を乗せ、バタバタと部屋を出て行ったが直ぐに戻って来て忘れていた杖を取って再び走り去った。

 後には人のいなくなった木造の部屋が残された。

 机の上に置かれた本が風でページをめくる。最初の項にはインクで『魔法学』と書いてある。


「もう時間になるが‥‥‥」

 中年の金髪をした男の口から漏れる低い声、それは独り言なのか、その隣に立って不安そうな面持ちでそわそわしている華奢な男に向けられた物なのかはわからない。中年の男性は小太りで、華奢な男よりも大分派手な格好をしている。そして、その男と並ぶ細身の男はへの字に口をつぐんでイライラと忙しなく足を動かしている。好青年というよりは気難しい男に見える。見ただけで冷気を感じそうなその青い瞳の色もそう思わせる要因の一つかもしれない。

「リフ・アインスハイルは姿を現さんなぁ‥‥‥?」

 小太りの男がさっきよりも少し大きな声で言った。今度はこちらに語りかけたのだと捉えるべきだろう。

「ええ、多方寝坊でもして、ぎりぎりにやってくるのでしょう」

 そうは言うものの、内心かなり不安だ、やはり今朝彼女の部屋に寄って声をかけてくるべきだったか、とも思うが今となってはもう遅い。今の俺にはリフを信じることしかできない。

 声をかけなかったことを自分の失敗のように悔いながらも彼は扉が開くのを待った。

「フン、開始時間までに来なければ試験は受けさせんぞ、わしとて暇ではないのでな」

「わかっていますよ、グリト様」

 グリトと呼ばれた男はもう一度「フン」と鼻を鳴らして同じく扉に目をやった。試験の開始まで5分を切った。

「‥‥‥来んな、これ以上は待っても無駄だろう」

「なっ、試験まではまだ時間が‥‥‥!」

「暇ではないと言ったろう、弟子とは言え、そこまで甘くされては困る。それは過保護というものだよ、分かるかね?クロイツ・アイスベルグ・・・?」

 立場上、強く言われると何も言えなくなる。クソッ俺が若いからって下に見やがって、それで俺が苦労するだけなら構わない。だが、それであいつが、リフが辛い目に会うのはごめんだ。ただでさえあいつには‥‥‥

 その時、勢いよく部屋の戸が開いた。

「魔導師見習い‥‥‥リフ・アインスハイル‥‥‥来ました・・・・・・!」

 隣でグリトが小さく「ちっ、間に合ったか」と呟いたが、そんなことを気にしている時ではない。今はこいつにどうしても言わなければならないことがある。

「このバカッ!なんでこんなギリギリになる!?いつも時間に余裕を持って行動しろと言っているだろうが!」

「ゴメンゴメン・・・・・・でもあたし間に合ったでしょ?」

「間に合えばいいって話じゃない!」

 ゴン、とリフの頭に拳骨する。彼女は「いったぁ~い」と言いながら頭を抑えているが、さんざん心配させられたんだ、このくらいの罰でちょうどいいくらいだ。

 ちなみに誰かさんは今日のことが心配でなかなか寝付けなかったにもかかわらず、早朝に目が覚めて試験の開始時間より一時間も早くここに来ていた。

「戯言はいい・・・・・・さっさと試験をはじめるぞ」


 試験の内容は聞かされず、リフは隔離された部屋の中に通された。天井に一つ穴があり、木の板で蓋がしてある。クロイツとグリトは鉄格子の付いた窓から中を見ている。

「あの、試験って何をするんですか?」

 リフが首だけで振り返りながら聞いたところで、その質問を予想していたかのようにグリトは答えを返した。リフの後ろを指差しながら。

「アレを倒せ、それができれば一人前として認めてやる」

「アレ?」

 グリトの隣でクロイツも訝しげな表情をしている。

 ガコッ、と天井の上からなにかを外すような音が聞こえてきた。そして、天井の穴から1メートルは優に超えている狼が姿を現す。天井から床までは3メートル強の高さがあるが、狼はしなやかに着地した。

「えっ・・・・・・アレって、アレ・・・・・・?」

「いかにも」

 グリトはにやりと笑いながら頷いた。

「ば、馬鹿な!俺が試験を受けた時にはこんなことはしなかった!魔法を発動するところを見て問題がなければ合格できるはずだぞ!?」

 クロイツはグリトの襟元でも掴みそうなほど興奮しながら指摘する。

「フン・・・・・・試験の方法が変わることなどよくある事、実戦経験が重要なのは・・・・・・クロイツ、お前も知っているだろう?」

「しかし、こんなの危険すぎる!たしかにリフは魔法訓練も受けているし、戦闘訓練だって受けています!でもこれは明らかに素人にやらせていいことじゃない!取り返しがつかなくなる前になんとかしないと!!」

 慌ててクロイツは策を探す。扉を開けて自分が助けに行こうそう思って足を動かした瞬間グリトに静止の声をかけられた。

「その必要は無い、クロイツ・アイスベルグ」

「どうして止めるんです!?このままではリフが・・・・・・!」

「構わんと言っているんだ、あいつはここで死ぬべきなのだ。この魔法塔のためにもな」

(なん・・・・・・だと!?)

 リフが死ぬべき?何を言っているんだこの男は?

 その言葉に色々な情景が一瞬でフラッシュバックした。


 5年ほど前のことだ。彼女がこの魔法都市ミュートの魔法塔にやってきたのは。やってきた、と言ってもそれは彼女の意思ではなかった。リフから真意を聞いたことはないが、きっとそうだったはずだ。

 彼女がやってくる一週間前、大きなニュースが世間を騒がせた。西方にある割と大きな街が一つ、まるごと滅んだという。信じない者もいたが、真実を見せ付けられるとその口を閉じた。しかもそれが一人の少女による物だというではないか、その事実がさらに世間に驚きを与えた。

 魔力の覚醒。この世界では誰に起こってもおかしくない現象だ。普通の人が魔法に目覚めるとき膨大な力を周囲に拡散する。それが魔力の覚醒による爆発。この世界で唯一、無からエネルギーが生まれる瞬間だ。それは個人の魔力の量にもよるが、そんなに大きな衝撃は起こらない、せいぜい、部屋がめちゃくちゃになるとか、ひどくても家屋が半壊するとか、そんなところだ。それでも平均すると数十年間魔法を使える程のエネルギーを秘めている。そして、街が消し飛ぶほどの膨大な魔力を持つ彼女を魔法協会が放っておくわけがなかった。魔法を使えるだけで国にとっては巨大な力であり、同時に驚異でもあるのだ。

 そして彼女はここへ連れてこられる。強制的に・・・。

 ここへ来た彼女を見る目は犯罪者を見る目しかなかった。街に住んでいた罪なき人を何百、何千と葬った人間。そして魔法塔の中には彼女を戦略兵器として利用しようとする者と排除しようとする者が小規模な派閥争いをしている。ちなみに、グリトは後者の思想の持ち主だ。そんな冷たい視線にさらされ続けても、彼女は俺に笑顔を向けて来た。

 信じられなかった。あの境遇であんなふうに笑えることが。この歳で魔術師の師範になったものの、人との接し方がわからなくて、腐ってる俺を助けてくれたのは、あいつの笑顔だった。そしてあいつは俺の最初の弟子になった。

 リフは悪い奴じゃない。望まない大きすぎる力にただ振り回されているだけなんだ・・・!

 あいつに人殺しのレッテルなんて、あってはいけないんだ。

 脳裏に浮かんでいたあの時の彼女の笑顔は不意に轟いた狼の鳴き声によってかき消された。遠吠えではなく、目の前の獲物を威嚇するための鳴き声。

 慌てて目の前の鉄格子に張り付いて中の様子を確認する。

 まだ二人は接近していないが、あの狼が彼女に襲いかかるのも時間の問題だろう。もし、あの狼が、一息に襲いかかったら・・・。

 そう考えると嫌な汗が吹き出した。

(くそっならここからでも)

 鉄格子から手を突き出し、魔法を発動させる。クロイツの氷結魔法がじわじわと形成されていく。空気中の水分が冷却され、結晶となり、キラキラと光を反射して輝き始めた。

 しかし、彼は思わぬところから静止をかけられることになる。叫んだのはリフだった。

「やめて!」

「何を言っているんだ!これはもはや試験でもなんでもないぞ!」

「確かに、そうかもしれないけどさ、違うんだ、あたしはやらなきゃいけないことがあるから!それは、この試験に合格すること、たとえどんな条件だったとしても。でもここで手を借りたら、私失格になっちゃう、私の失態は・・・・・・師匠であるクロイツの失態‥‥‥そんなの、絶対にダメ!!」

「‥‥‥!」

 くそっ、こんな時まで俺のことなんか考えやがって、今そんなこと言ってる場合じゃねーだろーが!

 だからといって、彼女の意思を無碍にするわけにも行かない。クソッ、ここは、リフを信じて見守るしかないのか・・・・・・?


 格子の中で炎が光を放った。リフの魔法が発動したのだ。

 杖の先端に炎を灯し、狼に向けて杖を降ると遠心力に従うように炎は火球となって杖を離れ、後方に飛び退すさった狼の足元に焦げ跡を作った。

 言っている割に攻撃がぬるいじゃないか!クロイツはそう思った。

 彼女の攻撃に全く殺意や戦意が感じられない。

 そんな攻撃で、戦闘態勢に入った野獣を倒せるとは到底思えない。

 彼女は手加減しているのだ、否、むしろ動物に対して本気を出せないと言ったほうが正しい。優しすぎるのだ。動物に対しても、人間に対しても。今もどうせ、あの狼を傷つけずに戦いを終わらせる方法を探しているのだろう。

「リフ!やらなきゃやられるぞ!!」

 格子の向こうのリフに叫ぶ、となりからグリトの文句が聞こえてくるが聞こえないふりをして、リフが小さく頷いたのを確認した。

 途端に狼がリフに飛びかかった。彼女は杖を噛ませて喉元を狙ったその一撃を回避した。狼の鋭い眼光が彼女を至近距離で捉える。リフは恐怖で体が竦む。一瞬、力が抜けた隙に、狼は首を振るって杖をリフの手から奪い取り、放り捨てた。

 狼の視線が再びリフに戻る。

 袖を抜いたコートを狼の目の前に広がるように投げ、体を横に投げ出し、石造りの床を転がって距離を取る。かぶっていたベレー帽が床に落ちた、狼に投げられた杖を拾い上げる。

 一連の動作をしながらも、彼女は全く別のことを考えていた。

自分の命と、この狼の命。二つを天秤にかけてみる。

 自分が勝てばクロイツに迷惑をかけることもない。しかしそれはこの狼の死を意味する。そして、私が生き残ることを魔法塔の師達は喜ばない。

 自分の負け、つまり、私が死ねば、この狼の命は助かる。魔法塔の権力者たちは喜び、安堵するだろう。

 どちらを取るべきか、自問してみる。

 答えはすぐに出た。どちらを選んでも、何かを失うことになるが、仕方ないのだと必死に自分に言い訳をしながら、彼女は魔法を発動させる。杖を媒体にしない魔法。それは彼女の持つ特異魔法。


特異魔法というのは、自然界のマナを呼び、現象を起こす普通の魔法とは違い、人それぞれが固有に所持する魔法のことを言う。もっとも、魔道士の全員が持っているわけではなく、特異魔法を持つ人の確率の方が僅かに低い。そして、その特異魔法の種類はそれこそ千差万別、十人十色。強力な物もあればほとんど役に立たないものまである。

普段は魔法を制御するためのペンダントでその発動を封じている。よほどのことがない限り彼女はこの魔法というにはあまりにも桁外れな力を使わないようにしている。

 狼はすでにリフを視界に捉え、飛びかかろうとしている。

 後ろ足が床を蹴る。

 勢いをつけて、ほぼ棒立ちのようになっているリフの太腿あたりに牙を向ける。

 クロイツは思わずリフの名前を叫んでいた。


そして彼女は自分の持つ特異魔法を発動させた。


 彼女の得意魔法が発動する。視覚的には何の変化も見えないが、狼は空中で力が抜けたように首を折り、そのまま慣性の力でリフにぶつかった。リフは押し倒されるようになって尻餅をついたが、それだけで、何も無かった。狼が追撃を見せる素振りもない。

なぜなら、リフが頭を抱き寄せて抱えているその狼に既に命は無い。


彼女の特異魔法。

生き物からマナを自然界に還すという、ほかに例を見ないものだ。

三年前の大事故はその魔法が爆発したことによって起こった。

彼女以外の街の生き物、人間も、鳥も、植物でさえ、生命の源であるマナを強制的に自然に還され、朽ち果てた。

魔法の中で最強にして、最凶の力を彼女は否応なく持ってしまった。

人々はその力を『悪魔の能力』と読んだ。能力が悪魔の物なら、それを使う彼女もまた悪魔だと・・・・・・。


彼女は狼の亡骸を抱いたまま、つぶやいていた。

「ごめん・・・・・・ごめんね?・・・・・・恨むなら、恨んでもいい、呪ってもいい。言い訳はしない、弁明もしない。私は逃げないから、気のすむまで呪ってくれればいい」

クロイツが傍らに立った事にも気づいていない。

「・・・・・・リフ」

 遠慮がちに声をかける。彼女はハッとして顔を上げた。その目尻は濡れている。

「クロイツ・・・・・・終わったよ」

 そう呟いて、彼女はまた視線を落とした。勝ちたいと願って掴んだ勝利も素直に喜べない。罪なきものを葬ったという後悔と自責の念が渦高く積もってゆく。

 敢えて彼女が『終わった』と言ったのは、試験の事ももちろんだが、この狼の事を言っていたのかもしれない。

 だがクロイツは前者の意味で捉え、返事をした。

「そうだな、合格だそうだ。グリト様は証書を俺に預けた途端どっかに行っちまったよ」

 そう言って、先ほどグリトから乱暴に渡された紙の証書一枚と、魔導師の証であるバッジをリフに渡した。

「あはは、こんな紙切れのためにこの子の命を奪っちゃったんだね」

 リフは気丈に振舞っているのがばればれな様子で、

「・・・・・・しかたあるまい、そうでもしなかったら、お前が危なかった。正当防衛くらい主張できるさ」

 意味のわからないフォローだと思ったが、彼女の表情が少し和らいだのでよしとしよう。「弔ってやるか」と提案すると彼女は黙って頷いた。(もっとも、彼女は言うまでもなくそうしていただろうが)

 リフは傍らに置いていた杖を拾い上げ、コートをはおり直した。クロイツがこの魔法塔の制服とセットになっているベレー帽を拾い上げ、リフに被せる。

「ありがとう」

「気にするな、というか一応合格したんだし・・・・・・もう少し嬉しそうな顔したらどうだ?なんというかその、俺だって、師匠として教えたんだ、当人のお前がもう少し喜んでくれないと、俺も喜び甲斐がないだろう」

「ごめん・・・・・・でもこんなことになるなんて思わなかった」

「ああ、俺もだ。まさかここまで露骨に仕掛けてくるとはな・・・・・・」

「え?なに?」

 後半の部分が聞き取れなかったのだろう、リフは顔を向けて聴き直してきたが、「なんでもない」といい、狼を肩に担いだ。ずっしりと重く、毛が首元にチクチクと刺さって痒い。

 大丈夫?とリフは訪ねてくる。

「それはこっちの台詞だ。怪我はないのか?」

「うん・・・・・・大丈夫」

 こいつがしおらしくしている時は張り合いがないな。早くいつもの調子に戻ってもらわないと、こっちの調子まで狂う。さて、どうしたものか、と考えを巡らせる。

「そうだ!」

「え、なに?」

「今日は外食にしよう」

「なんで?」

「なんでって、祝いだよ!祝い。お前がいっちょ前の魔導師に一歩近づいた祝いだ、これでもお前の師匠だからな、好きなもん食わせてやるよ」

「ほんとに!?」

「ああ、もちろん、だからな・・・・・・もう顔を伏せるのはよせ、お前らしくねーんだよ」

「あ・・・・・・」

 気を使ってくれてるんだ。

 そう思うと、不意に彼女の頬を雫が伝った。それを見ていたクロイツがぎょっとする。しかし、彼以上に、リフのほうが驚いた表情をしていた。

「はれ?なんで・・・・・・目にゴミでも入ったのかな」

 と言って彼女はハハ、と笑った。珍しく弱ってるな、と思う。

 普段なら、もうそろそろ気持ちの切り替えができる頃なのだが、今日は少し切り替えに戸惑っているようだ。

 ビシッ、とリフの頭に空いている左手でチョップを打ち込む。

「痛っ」

 なによぉ!と頬を膨らますリフ。彼女の文句を無視して、壁に立てておいた自分の杖を取って駆け出す。駆けると言っても自分の身長ほどもある杖を狼を肩に背負っているため、全く速くはなかったが。

「墓地のある丘まで競争だ。俺より遅かったらデザート抜きだぞ!」

「え、ちょっと待ってよ!」

 彼女の静止を無視してクロイツは窓から飛び出す。数十メートルの上空からその身を放り出す。空中で魔法を発動し、杖の上に立って、バランスを取る。後ろには、空を支えるようにそびえる巨大な塔。魔法塔。そして眼下には塔を囲むように街が広がっている。塔の周りには彼のように杖に乗って飛んでいる魔導師が何人もいる。

 後ろからリフが追いついてきた。クロイツと違い、杖に腰掛けるようにして乗っている。魔導師の女性は大体こうして飛ぶ。立っていると見えてしまうというシンプルな理由だ。

 高度を下げて、民家の屋根の上を飛んでみる。道端ではたくさんの露店が出され、果物やパンなどを住民が買っている。彼らに気づいた子供は空を指差し、屋根の上で日光浴をしている男性が手を振る。それらの光景がどんどん後方へ流れていき、やがて街を抜け、小高い丘に差し掛かる。少し後ろをついてきていたリフに目配せする。息を合わせて、ほぼ同時に加速する。

 顔に当たる風が強くなり、コートがはためき、飛びそうになるベレー帽を抑えて、丘の上を目指して澄み渡る空の下を一直線に突っ切った。


 先に目的地についたのはリフだった。ベレー帽が吹っ飛び、それを取りに戻ったのが敗因。だと彼女は思っている。それが事故なのか、意図的なものなのかなど、彼女が探るはずもなく、また、クロイツもそんなことを言うはずがなかった。

 あたしの勝ちね!デザートにありつける、と彼女はほっとしながらにこにこと笑う。

 その顔が見れたから俺の勝ちだろう、と声には出さず、心の中で呟く。やっぱりお前に暗い顔は似合わんよ。

 それも、心の中で呟いたこと。面と向かってこんなこと言えるはずがなかった。


「しまった!」

「どうしたの、クロイツ!?」

「ショベルを忘れてきた」


 そう言って眉を潜めてみせると、リフは吹き出した。

 丘の上に二人の笑い声がしばらく続いた。担がれたままの狼も、まんざら嫌でもない顔をしているように見えた。

 

 しばらく待つと街の教会から神父がやってきた。

 初老もとっくに過ぎ、顎にたくさん髭を蓄えた男性だった。

 神父は丘に横たえられた狼の姿を認めると、手を組んで目を閉じた。これはいわば約束のようなもので、本当の祈りはこの後だ。こちらの世界で言う。合唱して「南無」と唱えるのと大差ない。

「埋めてやってくださるか」

 神父の老人は二人に呟く。二人は頷き、地面にショベルを突き立てた。

 穴を掘り終えると、狼の亡骸を入れ、土を被せる。

 その間神父は祈りを唱え続けていた。

 狼を埋め終わると神父は持っている杖で地面に陣を書き始めた。狼を中心に、半径1メートル程の円。そこに縦や横、斜めに線を引き。最後に文字を刻んでいく。この世界の宗教では亡骸の場所に魂と体の行くべき場所を刻み、案内するという儀式がある。肉は土へ返し、蘇らぬように、魂はマナとして世界を巡り、いつか再び新たな命として生まれてくるように、と。


「ところで・・・・・・」

 神父は一通りの埋葬の義が終わると、話を切り出した。

「お二人さんはどうしてこの狼を埋葬に参ったのかな?普通狼は害獣だ・・・・・・悲しいことではあるがな。彼らも昔は神の使いと崇められとったもんじゃが・・・・・・おっと、話が逸れたか、して、どういった理由で?」

 二人は顔を見合わせた。

 余計な詮索だ、などと思うようなことはないが、なぜ、この老人がそのようなことを聞くのかわからなかった。だが、別段隠すようなことでもない。

 クロイツは老人に経緯を話すことにした。

「ほぉ、それで彼女は合格できたのじゃな」

 老神父は自分の髭をしごきながら笑った。ついでに、おめでとう、と祝いの言葉を付け足す。

「ありがとうございます・・・・・・でもそんな事のために犠牲を出してしまいました。やっぱりあたしは棄権するべきだったのかも

 彼女の台詞が言い終わることはなかった。途中で老神父が言葉を挟んだからだ。

「彼のおかげじゃな?」

「え?」

 神父は杖で狼を埋めた地面をトントンと付きながら言った。

「彼はお前さんが一人前になるために、自ら試練となってくれたんじゃ。彼の命、ありがたく受け取っておきなさい。恨まれることはない。ただし、尊い犠牲を忘れてはいかん。心に留めておく限り、お前さんのことを見守ってくださるじゃろうよ」

「・・・・・・」

 リフはただ涙をこぼしていた。背負おうとしていた十字架から解放されたような、肩が、心が、体全体が軽くなったように思えるほど、その老人の言葉は暖かく、どんな教典よりもありがたいものに思えた。

「ありがとうございます」

 リフは老人に礼を言った。

「俺からも礼を言わせてください。ありがとうございました」

「気にするでない、人の悩みを聞くのが、神父の仕事なのでな」

 そう言って、老人は丘を下って行くのだった。


 さて、ここはミュート市内にあるとある料理屋である。

 テーブルに向かい合って座る弟子と師匠がいる。

 時刻は午後7時。今から二人はリフの魔法試験合格祝いの晩餐会だ。

 テーブルには既に数種類の料理が並んでいる。

「こんなに、いいの!?」

 リフがそれを見て目を丸くする。

「当たり前だ、まさかお前が合格するとは思っていなかったからな、このくらいは当然だ。」

 と、いつものように可愛い弟子をおちょくりながら晩餐を楽しむ。

「むぅ」と頬を膨らませるリフに「なんだ、いらないのか?」と言うと、彼女は向きになってがっつき始めた。

 あの老人に会ってから彼女はすっかり吹っ切れたようだ。と言っても、今日の一件が、の話だ。過去の事故はまた別だ、試練なんてモノで片付けていい問題ではない。事故の被害者の中には当然彼女の両親だって含まれているのだ。もちろん、親しかった友人も・・・・・・。

 周りの非難する連中にだって一理あるかもしれないが、彼女もまた、多くのものを失っていることに気付くべきだ。それを考えれば、そこまで酷い事は言えないだろうに・・・・・・。

それを彼女が受け止めて、納得するには「試練」などという言葉はあまりにも茶地すぎる。

 そんな事を考えていて、ふと目を上げると彼女と目があった。よほど辛気臭い顔をしていたのだろう、心配を通り越して、驚いたような表情さえ伺える。

「どうしたの!?・・・・・・クロイツ」

「あ、いや、なんでもない。気にするな」

 俺は首を振りながら言った。彼女への返答というより、考えをかき消す意味合いの方が大きかった。

「さて、俺もいただくとするかな」

「えんぶくぉいふのおごいらけろね」

 全部クロイツの奢りだけどね、と言ったのだろう。

「食いながら喋るな」

「・・・・・・はぁい」

 そう、全部俺の奢りなのだ。彼女は、金さえ持っていないからな。

「ねぇ、これも食べていい?」

 彼女は大きなメニューを広げてクロイツに無邪気に話しかける。

「ああ、好きにしな」

 

 ああ、相変わらず素直になれないな、俺は。本当に伝えたいことの何割こいつに伝えられているのだろう。

 まぁ、いいか、俺がどう思っていようとこいつとの関係は師匠とその弟子の関係でしかないんだしな。


 またまた注文を増やしたリフがクロイツを呼ぶ。

「何時頃魔法塔に戻るの」

「何時でもいいさ」

 お前に任せるよ、お前がそうやって笑っていられるなら、俺はいつまでだって付き合ってやるさ。俺の持ち金が尽きるまで、な。


どえらい長くなってしまいました。

2部に分けてもよかったかも・・・

誤字や脱字があれば報告してくださると嬉しい限りです。

駄文ではありますが、よろしくお願いします。

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