31. Sympathy For The Devil
マイルズの未来には人種の壁が立ちふさがり、出世競争で足踏みをしていた。
先を行く白人達の背中を幾度も見送り、歯ぎしりをしていたらしい。会社に籠もって研究を続けるが、誰の目にも留まらなかったのだそうだ。
「私は先に帰るよ、マイルズ」
「ああ」
「今日も残って研究か?」
「そうだ。世界を揺るがすような発見をする。それは俺の小さい頃からの夢だったんだ」
アジア人の同僚はそれを聞いて、同情するような顔をしたらしい。そして、マイルズに言ったのだそうだ。
「マイルズ。有色人種が白人会社で成功できる訳がない」
「そんな事はないはずだ」
「今ある適度の幸せで十分じゃないか? それで満足した方が良い」
「俺は成功を掴んでみせる。それに足るだけの能力はあるつもりだ」
アジア人研究者はため息をついた。
「そうだな。マイルズ。君は優秀だ。先に帰るよ」
マイルズは毎日深夜まで一人で研究を続けた。休日も何も関係なかった。妥協を許さない心。情熱が彼のエンジンだ。
だが、彼の熱意を誰も拾おうとしなかった。蛍光灯までが呆れて瞬きをする始末。振り返られる事の無い、注目される事の無い努力は、いつしか心を蝕んでゆく。
希望は失望になり、失望は絶望に変わっていった。
報われない努力の末、自分の会社では黒人が差別されている事に気付いた。情熱が取り払われて、ようやく周りを見渡す事ができたらしい。
「空気の階段を登っているかのようだ」
マイルズは魂が抜けたような表情をしていた。彼が努力してきて手に入れたモノはガラクタだった。周囲から期待され、それに応えるべく積み重ねてきた年月。それは全て無駄だったと気付いてしまったらしい。
そして、俺に向かってこう言ったのだ。
「俺は世界を変えたい。皆に平等な機会が与えられるようにしたい。だから、力を貸してくれ。お願いだ。何だってする。何だってしてみせる。だから、お願いだ」
マイルズの目は真剣だった。人生をかけた悲願。切実な声は悲鳴のようで、祈るようにして組まれた手は実験試薬で変色してしまっていた。
「魂を捧げても構わない」
彼は言い、俺は応えた。
「OK. Done」
空港は別れの場所だ。
俺とダニエルは別々の便に乗る。トランジットで待合室の椅子に座り、俺はコーヒーを飲む。捻りのない味。どこでも飲める味は凡庸で、香りも意識しないとわからないぐらいだ。
「シナガワ、どうして俺をマイルズの会社に放り込んだりしたんだ? 俺は頼んでもいないのに!」
窓の外では飛行機が離陸している。エンジンが金切り声を上げ、待合室の空気を震わせた。
「立ち止まるのは誰にでもできる」
「マイルズは最低野郎だ! 俺は嫌だ!」
ダニエルはやや興奮気味だ。感情が異様に荒ぶっている。白目に血管が浮き出ていた。
「お前を見ていると昔のマイルズを思い出す」
「何?」
「黒人の自由を勝ち取る。彼の主張は今でもそうだ。大学奨学金に多大な貢献をしている。都市教育委員会の委員長もしていたな。そして、それ以上にボランティアや寄付にも意欲的だ。お前は知らないのかもしれないが」
ダニエルは言葉に詰まる。
「それは後ろめたさを隠す為だ。そんなもので誤摩化されるものか」
聞く耳を持たない者に、何を説明しても無駄だ。それほど馬鹿らしい事は無い。
屈辱に歪む彼に俺は声をかける。
「ダニエル。お前に機会が与えられた。そして、それをどう使うかはお前次第だ。それを忘れるな」
「何を言っている?」
「リウの配下。そいつらのほとんどは中国のソフトウェア産業の重要ポストに散らせた。そして、お前は運営企業のソフトウェア部門に配属される」
「それがどうした?」
俺が答える訳がない。彼がそこに行き着くのかどうか。
VR運営企業はほとんどのプログラムを下請けに発注している。そして、その発注先は中国やインドのようなコストの安い国々。それらをチェックし、導入するのが運営企業のソフトウェア部門。
VRで使用されるプログラム。それをリウの手先を作って製造し、チェックをスルーして導入させてしまえば何でもできる。
VRに接続している連中。つまり、政治家、資本家、あらゆるアンダーグラウンドの連中の脳回路。ダニエル次第で彼の手中に収める事も可能だ。ファックしようが、洗脳しようが、どうにでも。
俺はと言えばリウから入手した多数の発信者情報がある。つまり、誰にでも変われる。中国を紛糾させるのも片手仕事だったぐらい。手元に有るカードが多過ぎ、手が溢れるほどだ。
「ダニエル。見ろ、聞け、考えろ。俺に言えるのはそれだけだ」
「何だよ。俺にわかりやすく教えろよ、シナガワ」
彼は強気に見せているが、心の底ではそうではないのだろう。
進める足を決められずに悩んでいる。声は消えてしまいそうだ。
「俺はどうしたら良いんだ、教えてくれよ」
アナウンスが放送された。
もう、行かなくてはならない。俺は立ち上がって、ダニエルに別れを告げる。
「お前がどうしても力が必要になったなら、俺を呼び出せ。その時は取引してやろう」
ダニエルは置き去りにされた子供ような顔をしていた。
不意に彼に訊かれた質問を思い出した。
「シナガワ、お前は東欧で子供達をマイルズの所に連れて行った時に何を感じた? どう思ったんだ?」
以前に同じ事を訊かれた。
雪の降るルーマニアの町だった。訊いたのは小さな少女。首から掛けたボードにはこう書かれていた。
「Salvation Will Come(救済はくる)」
誰も見向きもしない、人通りの少ない道。落ちてくる雪は天使の抜け殻のようで、その中で澄んだ青い瞳が俺を見つめていた。積もった雪で音はせず、まるで無音の世界に居るかのようだった。灰色の雲が重く世界を覆っていた。
小さな頭には毛糸の帽子を乗せて、首はマフラーの中に埋めていた。寒さに震えながら、彼女は全てに抵抗して生きていた。
あの時に感じた事。あの時に思った事。
あの時も、どの時も、いつだって、どんな時だって、俺の思いは変わらない。
人間の、人間の中にあるという、内なる神を俺に見せてくれ。
もし、俺に会ったら
礼儀をもって、もてなしてくれ
いくつかの憐れみと、趣向をもって、もてなしてくれ
品位のあるマナー、それを忘れずに
でなければ、お前の魂を潰してやる
エンディングテーマ
http://www.youtube.com/watch?v=nGFDfALBvMw
本小説を最期まで読んで頂いた方に感謝をいたします
主人公の言動や思想は作者のそれと同じではなく、
一つの視点の見方にしか過ぎませんので、
誤解なきようお願いいたします
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【シナガワ】(日本国籍)(憤怒)
二十代後半
他にソンマイ(タイ国籍)、ヒタン(インドネシア国籍)を持つ人物
ロストナンバーズと呼ばれる、他人と入れ替われるチッブを脳内に埋め込んでいる
非常にクールでドライな性格
彼は経済人であり、ビジネスマンであると自負している
合理主義者で物事について科学的なアプローチをする傾向がある
基本的に彼は功利を追求し、倫理は彼の妨げにならない
資本主義の体現者として、物語の役割を与えられている
その為、利益を追求する傾向が非常に強い
また、非常にマナーに厳しい所がある
人に物を教えるときは、基本的にNOTが多い(するな、やるな、という感じ)
日本人的な細かい性格を引き継いでいる
肉体的には華奢である為、暴力は彼の得意とする所ではない
ただ、闘争心は非常に強く、それは彼の生い立ちによって、刻まれているものである
【リウ】(中国籍・漢民族)(傲慢)
人民解放軍総参謀部第三部の士官
とても美人
年齢は三十前半
生真面目な性格であるが、嗜虐傾向がある
彼女が嗜虐的であるというのは、自分の中に鬱積している感情を吐き出す為でもある
中国人の特性として、一回言った事は曲がらないという一面を継承している
リーダーシップはある
護衛などの態度もあるように、彼女と配下の間には絶対的なランクがある
反面、非常に排他的な所があり、それは彼女の思想が中華思想に基づいているからである
彼女の用意する会談スペースが中華風になるのは、それが理由である
本編ではないが、自国の歴史を誇りに思っている
(三国志とか語り出したら長くなりそう)
ただ、目的の為には手段を選ばないという所がある
実行力はあるが、ビジネスパーソンとしてのトレーニングを受けていない為、
シナガワを扱いかねている所がある、これは彼の行動原理が理解できていない事に起因する
彼女は完全縦型社会に居る為、シナガワも高圧的に出る事でコントロールできると考えていた
実質、情報網からシナガワを捕え、それを追跡しながらも、
ビジネスや社会の仕組みを把握しきれている訳ではない
彼女がシンパを起こすのも理由があり、
中国政府が安い子供達を買い上げて、VR関連の特許に邁進するのを心痛めてからである
自国には逆らえずにVR運営企業に矛先を向ける事になる
【マイルズ】(アメリカ国籍・黒人)(強欲)
元々はバイオベンチャーに籍を置いていたが、快感中枢を刺激する研究により、
VR技術部門最高責任者まで登り詰める
彼は一流のビジネスマンであるが、人情的な一面もある
ただ、ビジネスとプライベートを使い分ける事ができる
元々、ソーシャルスキルも高く、知性や教養も備えている
自分の存在や過去については肯定的に考えており、
あれがなかったら、もっと多くの人間が救われなかったと言い切ってしまう所がある
(彼の価値観的に、快感中枢の研究は必要であったとしている)
ビジネスでは数値を重視する、その結果を社会福祉に流して、
恵まれない人に機会を作ってやろうと思って行動している。
彼が俺はいつでもSを持ってくるというのは、smileであるのと同時に、
シナガワというカードであり、それはSatanという意味を合わせて持っている
【ダニエル】(アメリカ国籍・黒人)
十八歳位
正義感があるが、それは自分が抑圧された階層で育ったのを憤っている所から社会への不正や不平等について怒りを持っている。彼は抑圧された根本的な原因を自分が属する黒人に対しての不平等と認識している。その為、それを改善するという思いが非常に強い。
彼はティーンエイジャーであり、社会経験も余り無く、正義感で空回りしている部分がある
ネット社会で過ごしてきた時間が長い事もあり、そこでの言説が基本的な彼の主張
そもそも、彼自身、周囲から認められる事が少なかったので、自分自身に常に劣等感を持っている
シナガワに反発するのは、彼自身が負けを認めたくない、自分を認めさせたいという心が根底にあるからである
海外に出るのは始めてなので、どこかの国に行ったりする事で、戸惑うのが多いのは、
今までの彼が学習したノウハウが活かせない環境に放り込まれたからである
異文化コミュニケーションをどのように行って行くべきか、手探りをしている所がある
彼自身としては、ウクライナを始めとする東欧諸国の連中とコミュニケーションを取っていた経験を持っている。その時の言語は英語であり、他の言語を意識する事もなく、彼が使用できる言語は英語のみ
他国の人間と接触するというのは、彼にとっては大した事がないという認識だった
ハッカーをやっていた時に、他国の人間と接触する機会があったからである
それは慣れ親しんだコミュニティー内での接触で、価値観・文化は共通していた
【アルベルト】(イタリア人)(暴食)
ンドランゲータに在籍する
利益は全てにおいて優先されるという行動パターンを持っている
イタリア人らしく、都市国家的な考え方を持つ
つまり、自分の属する都市が優先され、他はどうでも良い
(イタリア人という総体で考えるのではなく、どの都市に所属するかという事)
【アジズ】(インド人)
バナルジ商会に居る
シナガワとは昔からの付き合いがある
【ロバート】(アメリカ人・白人)(嫉妬)
アメリカの武器商人
マーケットを拡大させたがっている
典型的なアメリカ人で、自分の常識が世界の常識と思ってしまっている所がある
他の国の人間を見下げている所があり、アメリカがナンバーワンと思っている節がある
他人に対してはへりくだった態度を取る所がある
これは彼が異文化理解がよくできていない為、深く関わらないでおこうという考えが有る為
家族の事は非常に大切にしており、良い父親で、父母に対しては善き息子であろうとしている
南部の育ちで、それを隠す為に、ニューヨーカー気取りな部分がある
南部育ちがコンプレックスになっており、その為、標準的なアメリカ人成功者像を目指している
(つまり、ステレオタイプ的な成功者の持ち物、生活様式を獲得する事で、
自分の評価をしてもらいたがっている:コンプレックスの裏返し)
優秀なビジネスパーソンである一面はある
ただ、リウ、マイルズ、シナガワに比べると狡猾さに欠ける所がある
【ディエン】(ベトナム人)(怠惰)
シナガワのパシリ
良いように使われるだけの小悪党に過ぎない
【キット】(タイ人)(色欲)
バーに勤めているホステス




