28. Connected Beijing
リウとの会談スペースは全て模様が剥がれていた。哀れなものだ。
自己主張の強く、煩わしい飾り付けも、無いよりましだ。空虚な空間には、取り残されたように椅子がある。細かく彫られた雷文だけが中国を感じさせた。俺とダニエルはリウと向き合う形で座っている。
広大な空間は端が見えない。まるで宇宙にでも放り出されたかのようだ。壁はどこまでも遠く、深く。自分がどこに居るかも忘れてしまいそうになる。
「リウ。機嫌はどうだ?」
「シナガワ、随分と暴れ回ってくれたものね」
「大変だったろう? お前が人民解放軍総参謀部第三部の士官だったとはな。流石の俺も驚いたものだ」
解放軍総参謀部第三部とは中国の通信諜報活動を行う機関。ネットや音声通話の傍受。サイバー攻撃を担当している。彼女の英語が流暢なのも当然だ。彼らはワールドワイドな活動をしている。
彼女は沈黙した。だが、頬は少しも動いていない。統制された表情筋。見事なものだ。彼女の内側から押し上げれる感情はどればかりのものだろう。考えるだけでも愉快になる。
「俺に武器を売らせて、軍資金稼ぎをさせながら、ロストナンバーズかどうかを見極める。そういうシナリオだった。そうだな?」
発信者情報さえあれば、ロストナンバーズはVR上でも問題なく諜報活動ができる。諜報機関員とロストナンバーズ。おそらく最悪の組み合わせだろう。
黙秘を決め込むリウを問い正しても、底なしの沼のように無反応だ。何も返ってこない。
「武器を売り捌いて、集めた金をどうするつもりだった?」
マネーロンダリングが行える人員も手配できていない。武器市場を拡張してやったのにも関わらず、それに対応できずにアフリカ市場を放棄。彼女が所属する人民解放軍全体での総意ではない。リウ個人。もしくは数人が共謀して行った事だろう。
「黙りなさい。シナガワ」
リウが声を発する。そこにある空間が裂かれたかのようだった。悲鳴のようにも聞こえる。指先が細かく動いているのが見えた。余裕も無さそうだ。
「もう、あなたを捕まえようとは思わない。中国にとってあなたは敵性勢力。国家安全上、危険と判断。あなたを抹殺するわ」
俺はリウの言葉を取り合わない。
殺す。消す。破壊する。
色んな所で、色んな奴が俺にそう言ってきたものだ。
今更、そう言われたとして、心が動くはずもない。
リウは相変わらずの無表情だが、花びらのような唇が微かにわなないている。それは甘美な潤い。俺の心に染み入る。
「やってみろ」
一度、堰が切れたら、感情は怒濤のように出てくる。リウは俺への敵意を隠そうともしない。口を歪ませ、俺を罵倒する彼女はとても醜悪だった。横たわっていた汚泥のような意識が、悪意がようやく姿を見せた。
「私達の同胞は世界各地に居るわ。アフリカ、中南米、中近東、欧州、北米。あなたの逃げる場所全てに敵が居ると思いなさい」
「おやおや」
「あなたの居場所はイスタンブールの旧市街だそうね。ネットカフェにでも居るんでしょう。トルコに中国人同胞が何人居ると思っているの?」
俺は手を叩いて笑う。
何と言う無様さ。当てずっぽうだ。当たらず遠からずだが、それが返って哀れさを誘う。本当に捕まえるつもりがあるなら、メートル単位で捕捉しなくては。
「どいつもこいつも買収してやるよ、リウ」
「笑うのを止めなさい。シナガワ」
ダニエルの方を振り向いた。彼の心には何も映っていないようだ。話題がめまぐるしく変わるので、ついていけないらしい。今は見ているだけで精一杯。それで良いだろう。
「なあ、ダニエル。今のアメリカがどうなっていると思う?」
「知らない」
俺は満足そうな笑みを浮かべた事だろう。
「だろうな。自分が住んでいる国が世界の中心だと思っているのは、そこに住んでいる奴だけだ。俺も日本でテロが起こった事は知っているが、他国の連中と同様、だからどうしたという感想しかない」
日本でのテロは円を急落させた。今なお復興の兆しが無いらしい。だからどうした? だから何だ? 俺には全く関係ない。
飛行機で飛んで12時間もかかる距離まで離れた国。そんな国、東洋の端にある国が、どうなろうと知った事では無い。その程度の意識だ。
中国人にしてもそうだ。今の生活が第一。そもそも、金が欲しくで国を出た奴に、同胞意識を求めた所で、簡単に買収できてしまう。所属しているコミュニティーがあったとして、個人を切り離してしまえば済む事だ。雑作もない。
俺の嘲笑が癪に触ったのだろう、真っ黒な空間が、更に暗くなった気がした。リウの周囲に怨念のような気配が漂う。
「だが、念には念を押しておこう。俺はそう思ったんだよ。リウ」
彼女の顔を歪んだ。表情がボロボロと溢れてくる。闘争心で俺の身は焼かれてしまいそうだ。
「リウ。お前は査問委員会に呼ばれているんだろう? 今回の失態の件で。彼らはお前を手ぐすね引いて待っている」
言葉に詰まるリウ。自分の立ち位置を思い出したようだ。
「お前の上司達や関係者は自分の地位を守る為に、お前を切り捨てるだろう。それはお前が一番良く知っているはずだ」
ダニエルがバラまいた情報で、欧州メディアは火が付いたような騒ぎになっている。イタリア政府と中国政府の外交問題まで発展していた。誰かが生け贄になる必要がある。そうしないと納まりがつかない。
世界中のメディアが大騒ぎをしている。全ての国が中国政府を非難していた。これだけの不景気だ。誰もが大騒ぎをしたがっている。
「まだ、最期ではないわ」
口惜しいらしい。
彼女は唇を噛み締めた。瞳が僅かに揺るいでいるようだ。
「リウ。お前は俺に言った。世界に憎悪をふりまくと。契約は守ったぞ」
「何をしたの?」
無惨なものだ。あれほどに美しい女だったのに。これだったら、人形の方がまだマシだった。壊しがいのない奴だ。
ダニエルは少し椅子を引き、俺の所に寄る。リウから放射される憎悪を避けようとでもしているかのようだった。
「これから新疆ウイグル自治区で暴動が起こる。彼らはターリバーンに運ぶ予定だった中国製の武器を手にしている」
そう。俺が手に入れられた中国の発信者情報は末端の者しか手に入らなかった。
手に入れられたのは通関に携わる連中の発信者情報。武器の輸送は秘匿性を維持する為に、VR上で指示書がやり取りがされていた。
彼ら通関員がリウの意図する所を理解しているはずもない。それでなくとも、彼らの仕事は忙しい。日常業務で手一杯だ。その間を縫って、指示書の内容を変更してしまえば、不思議に思っても尋ねるような事など無い。
末端の作業員は指示書に従って動く。幹部や責任者がどう思っていようが関係ない。書類に従って作業するだけだ。それがすり替わった俺が偽造したものであったとしても。
ウルムチに運ばれたターリバーンの送るはずの中国製武器は、そのまま新疆自治区にバラまかれた。ターリバーンに渡される武器はロバートのものだ。リベリア、オマーン、ギルギットからウルムチを経由し、タジキスタンに運ばれる。
新疆ウイグル自治区は中国に居るウイグル人が居住している地域。中国漢民族との摩擦で、小さな暴動騒ぎがいつも起こっている。
そこに武器を投入すれば、小さな騒ぎは大きくなる。火に油を注ぐような行為。
憎悪が拡大するのが目に見えるかのようだ。天へと昇り、全てを覆い尽くすような黒煙が東トルキスタンから立ち上るだろう。
「ターリバーンは驚くだろう。あれだけ、中国製の武器を送ると言っていながら、アメリカ製の武器を送ってくるのだから。携わった会社役員を辿るとお前に行き着く。お前からもらった中国人戸籍だからな。彼らが新疆ウイグル自治区、つまりは東トルキスタン独立運動に加担する事があるかもだ」
「よくも」
「カイロではアル・カイーダと会談した。ローデシア商会の武器輸出発覚で、行き場を失って捨て値同然になった欧州の武器が彼らの元へと納品される。彼らは世界のイスラーム武装勢力に東トルキスタン侵攻を呼びかけるだろう。女を抱かせたら彼らのハンドルは俺の手の中だ。女は魔物だな。性病を移されるとは思いもしなかったろうな」
リウから吹き出す怒りが心地良い。今までの疲れが全て吹き飛んでしまう。
「査門委員会でお前が無事でいられる訳がない。国内? 海外? そんなレベルの問題じゃなくなるぞ。世界中が大混乱だ。党指導者は必ずお前を粛正するだろう」
リウは俺を殺したいらしい。彼女の火を吹くような視線。
だが、VR上では物理的なダメージは与えられない。リウにとっては、これほど残念な事もないだろう。
「リウ。哀れな魂だ。これほど国家に忠誠を尽くしたのにも関わらず、お前の忠誠心は顧みられず、罪をかぶらされる。ここぞとばかりに、他の連中の罪までなすりつけられるだろうな。知らない訳でもないだろう?」
組織の中にいれば、否が応でも見てきているだろう。人とはそういうものだ。
「お前がミンダナオに行って交渉に骨を折っていても、彼らは椅子の上でふんぞり返っているだけだ。彼らは何もしないのにも関わらず、命を張って集めてきた金を横取りして、ポケットに入れる。たまらないよな。やってられないよな。お前の血と汗と涙の結晶が、国家の為ではなく、理想の為ではなく、そいつらの為に使われるんだ」
汚職と利権争いに明け暮れるのは人の習性。人民解放軍も例外じゃない。
言葉の滴がリウの心をうがつ。
一滴、一滴。
「お前の家族は顧みられる事も無い。名誉は剥ぎ取られ、逆賊の汚名を被せられ殺される。お前の家族は近所に皆から唾を吐かれて刑場へ引かれてゆくだろうよ」
「黙りなさい。シナガワ」
黙る訳が無い。
「彼らは高官に揉み手をしながら、自分の地位を守ろうと一生懸命だ。海外を飛び回り、あれほど勇猛に戦ったお前に泥を塗り、あれほど果敢に世界と戦争をしたお前の魂をファックする」
「黙れ」
「ああ、俺と戦争を繰り広げた相手がこのような辱めを受けるとは。昼夜を徹して俺をここまで追いつめた戦士がこのように貶められるとは。俺は残念だよ、リウ」
リウから俺への怒りが緩んできたようだ。囁け。囁け。心に囁け。彼女の心は折れかけている。羽虫のように群がれば、彼女は自分の心さえ見えなくなる。
「知っているだろう?
中国高官の資産海外脱出がどうなっているか?
あいつらはお前が懸命になって稼いだ金を海外に持ち逃げして、家族を呼び寄せ、安寧な暮らしをしようとしている。
食事では湯気の立っている皿が並べられ、家族は皆笑っている。
海外での暮らしも順調だ。良いよな。彼らは権力を持っているからな。
お前に比べると聞くに堪えない下手な英語で、くだらないジョークで相手を失笑誘う、センスも無い連中。
そんな奴らが何食わない顔をして海外に脱出。彼らが飲む真っ赤なワインは、お前とお前の家族の血と涙だ。
そいつらの指には金の指輪。妻は金のネックレス。息子にはベンツで、娘にはダイヤモンド」
リウが下を向く。思考がソコに向いたか?
ソコを見てしまったか?
お前の鉄壁は台無しになった。
「お前が牢獄に繋がれた時、彼らは美食に舌鼓を打つ。
お前が死刑台に立たされた時、彼らは美酒に酔う。
お前の首に縄が巻き付けられた時、彼らは美女と戯れる。
お前の足下が開いて体が落ちる時、彼らは政府高官と冗談を言い合いながら笑う」
リウが顔を上げた。
「俺に手を貸せ。最期の望みを叶えてやる」
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【中国人民解放軍総参謀部第三部】
SIGINT(通信諜報活動)を主要任務とする。
要員は13万。
以下の記事では中国人民解放軍総参謀部第三部が近年増加するサイバー攻撃の
司令塔であるとしている。
(中国政府がそれを認めた訳ではないので、”半ば断定した”という事なので注意)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111128/224513/
上記、記事のソース(英語)
電子メールの抜き取りだとか、電話の盗聴のような事も可能でしょうとも書いている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111128/224513/
・
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-pacific-12709417
上記サイトから抜粋
In evidence to the US Senate's Armed Services Committee, Mr Clapper said last year saw a "dramatic increase" in malicious cyber-activity targeting US computers and networks.
He did not mention who might be behind the surge in attempts to steal information from government ministries, major companies and others.
But he added that China had made "a substantial investment" in cyber-warfare and intelligence gathering, saying it had a "very large organisation devoted to it and they're pretty aggressive".
米国上院軍事委員会に提出された資料では、クリッパー(米国国家情報長官)は、
昨年、アメリカのコンピューターとネットワークに対しての悪意のあるサイバー活動が
劇的に増加したと報告している。
急増する官公庁や企業などの情報を盗もうとするの者の背後については言及はしなかった。
しかし、中国がサイバーウォーフェアーと情報収集に実質投資をしており、
非常に大きな組織にそれを関わらせ、姿勢もアグレッシブであると報告している。
【トルコと中国の関係】
トルコは親日国というイメージが強いが、トルコと中国の関係も悪くない。
記事にもあるように、トルコ領内で空軍の共同演習をしている。
また、経済的取引も発生しており、そこではUSドルではなく、
各通貨(トルコリラ、中国元と思われる)で決済をしようというもの。
(但し、トルコは新疆ウイグル自治区ウルムチで発生した暴動鎮圧を虐殺だと非難した事もある。)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1196?page=1
【東トルキスタン】
・中国新疆ウイグル自治区はウイグル人が多い。
また、この地域は中国国内でも類を見ない程にレアメタルを埋蔵している。
ただし、この地では核実験が46回行われ何もされない、
民族弾圧が行われているという主張もあり、
近年ではウイグル人による独立の主張が強くなっている。
東トルキスタンイスラム運動(ETIM)の記事
http://anond.hatelabo.jp/20090720090851
(以下の記事は中国寄り)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0703&f=politics_0703_004.shtml
・2009年、中国新疆ウイグル自治区ウルムチで発生した暴動について
中国政府は、新疆ウイグル自治区のネット、電話を遮断し、
中国メディアには報道管制を敷いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/2009年ウイグル騒乱
・2011年に発生した中国新疆ウイグル自治区カシュガルで発生した襲撃事件
中国政府はテロと主張。ウイグル人はウイグル人の弾圧が原因と主張している。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0101P_R00C11A8EB1000/
・ウルムチ暴動が起こった後の現状についての記事
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120708/chn12070812010000-n1.htm
東トルキスタン独立を主張しているイスラーム武装勢力の概要
・東トルキスタンイスラム運動(ETIM)
http://ja.wikipedia.org/wiki/東トルキスタンイスラム運動
・ウズベキスタンイスラム運動(IMU)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ウズベキスタン・イスラム運動
英語の記事
・IMUがETIMなどの組織と合併し、中国攻撃に関わっていると思われるという記事
http://centralasiaonline.com/en_GB/articles/caii/features/main/2011/08/09/feature-01
【中国のVR事情】
この舞台の中国では、基本的には一般民間人のVRは禁止されている状態。
テロの拡散防止としているが、一般民間人がそこに参加して、
反政府思想を吹き込まれるのを非常に危惧している
ただ、政府高官は認められている。
また、経済特区では政府の監視下の下で容認されており、
共産党員で有力者のコネがある場合は許されるという形になっている
VRビジネスは中国にとっても魅力があるという事
【おまけ:あくまでもブログの情報、恣意的な可能性大】
原発や軍事用に使われている中国製シリコンチップにサイバー攻撃可能な未知の
バックドアが発見される
http://gigazine.net/news/20120528-uk-hardware-assurance/
BIOSやファームウェアに感染してハードウェアに検知不能なバックドアを作る
「ラクシャーサ」とは?
http://gigazine.net/news/20120830-rakshasa/




