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Sympathy For The Devil  作者: 赤穂 雄哉
Stage Cairo
23/31

23. Bar In Coptic Cairo

挿絵(By みてみん)

 エジプトにあるサッカラビールは淡過ぎて俺には合わない。店主に訊くと舌の長い英語で他のは無いと言われた。

 プラスチック製の安物の椅子に腰を下ろすと、模造石の床に足が擦れ、音が響いた。

 エジプトはイスラームであるので、原則的に酒は禁止されている。しかし、コプト教区では適応されない。酒場までがある。

 十字架もこの地域だと普通に見る事ができる。表通りは整然としており道路は舗装されているが、奥にはいると崩れかけていた。俺としてはこっちの方が好みだ。

 この地区で暴動騒動があったものだが、今はなりを潜めている。表通りに軍警察が銃を持って立っているぐらいだ。

 食堂の中はこざっぱりとしている。いくつかのテーブルには洋服を来た男達が雑談をしていた。角にはテレビが置かれ、アナウンサーがニュースを報道している。

 俺のアラビア語は基本会話程度。ただ、エジプトのそれはナイルの湿りを含んでいるのか、耳を舐められている気がする。


「ダニエル。お前はいつも肉を食っているな」

「うるせえよ」

 噛み付くように喚くダニエル。両手を上げてわかったというポーズをとってみせると、彼はローストチキンにかぶりついた。噛んだ端から脂が飛び、俺のシャツへとかかる。

「ヘイ、ダニエル。慌てて食うな。ローストチキンは逃げたりしないぜ」

「うるさいぞ、シナガワ。静かに食わせろ」

「これだからアメリカンは。お前らはマナーを知るべきだ」

 殊勝な事にダニエルは黙々と食べる事に専念している。彼のアメリカ人としてのアイデンティティーは崩壊寸前らしい。アメリカから出た事の無い彼からすれば、自分の国の事を他の国の視点で考えた事もなかったろう。俺の言葉は届いても、聞こえていない振りを決め込んでいる。

 ハンカチにビール瓶についた水滴を染み込ませて拭ってみるが、脂は生地に染み込んだようで汚れも落ちない。ぼんやりとした黄色い染みがシャツの上に広がった。


 開け放たれた玄関から毛並みの綺麗な猫が入ってきた。人慣れをしているそいつは足に体をすりつけて餌をねだる。物欲しそうな目を向け、小さく鳴いた。生まれついてのビッチ。どのようにしたら食料がもらえるか全て計算済みのようだ。

 エビの唐揚げを噛み砕いて与えてやと、猫は臭いを嗅ぎ、何度か舐めた後に口にした。エジプトでは野良猫が多い。エジプト人は猫には随分と寛容なようだ。灰色の毛は蛍光灯の光を浴び、紫色のように見えた。


「なあ、シナガワ」

 珍しくダニエルから声をかけてきた。彼の手元にはささくれだった鳥足がある。その横にはコーラのビン。ストローが安っぽい光を反射させていた。

 俺は片手を椅子の背に回し、体重を背もたれに預けた。面倒臭い話をしそうな気配を感じて顔をしかめてみせる。


「何だ? ダニエル」

「俺はお前のようになりたいとは思わない。だけど、お前の仕事については俺も思わない所がないでもない」

 舌打ちをして話を止めさせる。会話は止まり、空白が俺達のテーブルに降りた。

 手を回転させてて要点を言えとダニエルにうながす。

 前振りは良い。俺には常に今しかない。余分な言葉の修飾など俺には不要だ。


「ダニエル、要点を言え。話が回りくどい」

 彼は手についた脂を気にしていたのか、視線をテーブルに走らせると、彼はズボンで手を拭こうとした。

「アメリカンらしいな」

 見かねて俺はハンカチを放ってよこす。

 詰るように言うと、ダニエルは暗い目をして指を拭いた。


「いいか。バーチャル・ボーイ。俺に褒め言葉や称賛は不要だ。引き出したい情報があるなら、それを言え」

 目をテーブルに見つめるダニエル。彼の戸惑いに付き合うつもりは無い。ビールを飲んで息をつく。

「お前のようになるにはどうしたら良いんだ?シナガワ」


 思ってもみなかった質問に俺が呆気にとられた。意識に空白を生じさせてしまったようだ。ダニエルは言葉を重ねる。

「お前は最悪の人間だ。俺が見た限り最悪だ。だけど、それを理解して越えなくちゃいけないと俺は思う」

 また俺は舌打ちをする。天井を仰ぐと、大きな蛾が天井にとまって、薄汚れた羽を伸ばしていた。絡んでこようとする人間関係に目眩がしそうだ。

 露骨に嫌な顔をしてみせたが、彼は真摯な目を逸らそうとしない。腹からこみ上げてくる苛立たしさに歯を剥いた。


「シナガワ! 聞いているのか?」

「見て、聞いて、考えろ。俺が言えるのはそれだけだ」

「それだけじゃわからない」

「知るか!」

「シナガワ、お前は東欧で子供達をマイルズの所に連れて行った時に何を感じた?どう思ったんだ?」


 風景が重なる。

 いつか同じような問いをされた覚えがある。そんな気がした。

 どこだは知らない。いつだかは知らない。

 同じような問いをされた覚えがある。

 どこで? いつ? 誰に?


 まずい。

 ラッシュアウトか?


 記憶が収縮を始める。俺の頭にアラーム音が鳴り響く。ポケットに仕舞った筈の錠剤を取り出すと、無様に床に飛び散った。


 こんな場所で?


 視界がぼやけ始めた。目から入ってくる信号が頭で理解できなくなる。過去に見た映像。過去に聞いた音声が、俺の頭の中で奔流となって溢れてくる。見えている景色は脳の中で意味を喪失しはじめた。画像だけがあり、俺は目の前にあるそれを理解できなくなってゆく。遠くで聞こえてくるアラビア語は、怒濤のように脳に押し寄せ、俺の中で記憶されている言語の意味を解いてゆく。


 駄目だ。このままでは。


 俺は自分の頭をテーブルに打ち付ける。ショックで、痛みでラッシュアウトを抑えた事があったはず。記憶の片隅にそれがあった。混乱した脳はデタラメに記憶を取り出し、俺の中で再生を行う。


 テーブルから崩れ落ちた。

 周りで騒ぎになっているようだ。


「エムシー!」(あっちへ行け!)

 近づく人の群れを片手で制し、もう一方の手で頭を抑える。言語中枢が侵され始めているようだ。自分が何語を喋っているのか、意識が追いつかない。


 英語?

 アラビア語?

 俺は何を喋っている?

 

 そもそも、喋るとは、どういう意味だ?

 言葉とは何だ?


 歯を食いしばって細めた視線の向こうに腰を浮かせているダニエルの姿が見えた。彼は大きく口を開けているようだ。だが、その表情や動きが何を意味するのか、俺の脳は捕える事ができなくなっている。


 意識。俺と言う意識が消えてゆく。

 考える事すら処理できなくなった。



 


 自分の意識の中に、自分の存在を認めた時。

 俺は酒屋の床にうつ伏せになっていた。

 人が俺を囲むようにして立っていて、影が中で俺は目覚めた。彼らは口々に何があったのかと尋ねているようだ。手探りで言葉を探す。


「マヒーシュ・ムシュケラ」(問題ない)


 立ち上がろうとするが、体が言う事を効かない。壁にもたれようとすると、幾人かの人間が寄ってきて、俺を椅子に座らせる。彼らの目は本当に大丈夫かと訊いているかのようだった。


「マヒーシュ・ムシュケラ」(問題ない)

 笑って言うと、彼らは席へと戻る。頭を押さえてテーブルに肘をつくと、ダニエルが口をわななかせているのに気付いた。息をするのでさえ困難なようだ。彼の口から漏れ出る息は今にも途切れそうだ。食べかけの鳥足が床に転がっているのが見えた。


「お前は悪魔だ」

 ダニエルがそう呟いた。俺は笑うしかない。俺を見ろとばかりに両手を広げると、軽蔑と侮蔑の視線が俺に刺さる。


「そうだ。知らなかったのか?」 


 そうだ。ダニエル。

 俺達はどうしようもない、ドン詰まりの中で生きている。


【Supplement】

 物語中での設定や背景の説明。


【サッカラビール】

http://beer.findthebest.com/l/472/Sakara


【コプト教会区】

・カイロのコプト教会区の位置:Google Map

https://maps.google.co.jp/?ll=30.005718,31.228941&spn=0.005575,0.010568&t=m&z=17&brcurrent=3,0x0:0x0,1

・カイロのコプト教会区の風景:Google Map

https://maps.google.co.jp/?ll=30.005996,31.228464&spn=0.005575,0.010568&t=m&z=17&brcurrent=3,0x0:0x0,1&layer=c&cbll=30.005996,31.228464&cbp=12,0,,0,0&photoid=po-78867083


・コプティックカイロの動画(グロ無し)

 教会ばかりが撮影されているだけ

 舞台となるのは、もっと奥になる。

http://www.youtube.com/watch?v=x3REpW8CJW8



・カイロ、コプト教会区辺りでの暴動

 日本のニュースソースではなかったので、英語

 教会を破壊されたのを抗議している所に軍警がやってきて少なくとも

 24以上死んだというニュース。

 動画は兵士が救急治療しているシーンがあるので、血を見たくない人は見ない方が良い。

(但しグロというほどもでもない)


 コプト教徒とイスラームとの間には格差が実際には存在している。

 コプトが富める者で、そうでな者がカイロには多い。

http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2011/10/2011109155853144870.html


【東欧での人身売買】

 冷戦が終了し、東西の壁を除かれたが、これによって経済格差が表面化してしまった。

 モノ、金は移動できるが、人間はそうもいかない。

 特に社会インフラも弱く、市場経済に慣れていない東欧国民の多くは、

 資本主義の荒波に対応する暇もなく、企業破産、高失業率を生み出す事になった。

 雇用もなく生活を維持する事が難しくなった国々では、

 人身売買などが行われるようになっている。

 売春や臓器売買業者が当たり前のように闊歩する世界になっている。


・以下は東欧を中心とした人身売買のドキュメント

 人身売買(おそらく全世界)で年間316億USドル、

 その内、売春は278億USドルの売上げを上げているという記事。(人権団体かNGOの記事)

http://www.thea21campaign.org/the-problem.php


・東欧人身売買について

http://en.wikipedia.org/wiki/Human_trafficking_in_Eastern_Europe

より抜粋

Crime groups in the Balkans and the former Soviet Union have achieved success by being flexible and altering their routes and methods to suit the rapidly changing global market.[2] Previous work experience and high education levels have enabled traffickers to "produce fraudulent documents, utilize advanced communications technology, and operate successfully across borders."


バルカン諸国や旧ソ連の犯罪組織は人身売買ルートや売買方法を

グローバルマーケットの急速な変化に会わせるのに成功している。

以前の職から得た経験や高学歴が偽書類作成、ネットなどの通信技術の活用、

国境横断を可能なものとさせた。

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