21. Connected USA
出し抜いても、出し抜かれるな。
それが俺が住む世界の鉄則だ。出し抜かれたら最期。骨の髄までしゃぶり尽くされる。そこには一片の慈悲もない。だから俺達は自分が行動する際には最低限の証拠しか残さない。枝葉を残せば必ず根元を刈りに来る奴が現れる。
「シナガワ。今はカイロか?」
「おやおや、随分と情報が早いな。俺がカイロに居るとどうして知った? ロバート」
今回の会談はカリブの海に浮かぶバミューダ諸島の景色。空を映しているかのような海原はどこまでも広く、波間に屹立する岩礁は黒々と天に向かってそびえ立っている。後方には色とりどりの建物が並んでいる。夜になるとライトアップされ、満天の星空の下に浮かび上がるそれは幻想のように美しい。
「何を言っているんだ。君は国際指名手配犯だろう? すっかり有名人じゃないか?バンコクからニューデリーまで陸路で行くしかなかったのに、どうしてカイロまでは空路でいけたのか? 不思議でしかたない」
悠然とした態度。ロバートから驕りに満ちた余裕が臭ってくる。俺は身体中の神経を広げ、ロバートから出てくる信号を探る事に意識を落とす。
「全て筒抜けか。困ったものだ。誰から聞いた?」
「言うと思うか?」
俺の顔を寄せて、囁きかけるようにロバートは喋る。不快な余韻を残す為だろう。ゆっくりでしっかりとした発音だった。
「イエロー・モンキー」
広げられた口には丈夫そうな歯が並んでいる。鮮やかなほどの手の平返しだ。
リウが漏らした? それとも、ダニエル?
「シナガワ。どちらにしてもお前は国際指名手配犯だ。俺がお前はカイロに居ると言い、懸賞金をかければお前は直ぐに捕まる。いいか、お前は俺の奴隷だ」
実にアメリカ人らしい考え方。自分のルールが世界のルールだと勘違いしているようだ。
CIA、ICE、沿岸警備隊、国境警備隊、移民局、関税局。彼の国の全ての治安維持機関。それらは自分の予算を守る為、協力もできずに立ち往生している。手にした甘露を手放す事ができず、その利権争いが法の抜け穴を作り出している。ロバートはそれを理解していないようだ。行政機関などその程度のもの。彼もそれらも同類なのに、それをすっかり失念している。
「オーケー。ロバート。ウガンダにある中国産の武器は引き取ろう。お前達の独占市場だ。数日中にリビアかチュニジアに空輸させる。そして、お前はアフリカのイスラーム武装勢力への武器を、俺が持つペーパーカンパニーを通じる事で販売する事ができる」
ロバートはアフリカの広大なマーケットを手に入れる事になる。彼の成績は鰻上り。社長勲章どころか、米国議会名誉黄金勲章がもらえるかもだ。最近、景気が悪くなっている米国経済には喜ばしいニュースだろう。
「シナガワ。モアだ。モアなんだよ。俺はもっともっと稼ぎたい」
スマートに見える彼のアバターから貪欲が漏れ出てきていた。抑えきれない欲望に彼のアバターが弾けとんでしまいそうだ。
バミューダの海岸に海鳥が飛んでいる。それらは炯眼で、水面に浮かぶ小魚を狙っている。澄んだ青い海を泳ぐ魚は、自分の敵が空から襲いかかってくる事を知らない。そう、自分の命がついばまれる、その瞬間まで。
「リベリアからオマーンを経由してギルギットまでのフライトを用意しておくから、それに武器を積み込んでおけ。払い下げられたボーイング747の改造機がある」
「ギルギット? パキスタンか? ターリバーンにコネがあるのか?」
俺の提案に彼は顔を綻ばせていた。はち切れんばかりの脂ぎった欲が溢れてきそうだ。白い膿のような脂が顔から浮いてくるかのようだった。
「ロケットランチャー、ライフル、地対空ミサイル。とにかく積み込んでしまえ。俺のペーバーカンパニーを通して、だ」
眉を上げるロバート。彼の金への執着心はモア、モアと叫ぶ続けているのだろう。
「お前のペーパーカンパニーを通す必要があるのか? 思い出せ、お前は俺の奴隷だぞ? 今直ぐ牢獄に繋がれたいか?」
「ならばそうしてみろ。更なる市場が欲しいのではなかったのか?成績を伸ばして今の会社なんて辞めてしまって、独立してもっと稼ぐ。そういう人生もあるんだぜ、ロバート?」
ロバートの目の動きが止まる。頭の中で計算をしているようだ。彼の頭の中ではこうなっているだろう。大きな金を手に入れて、今よりもっと裕福な生活がしたい。車を買いたい。まだ存命している両親に、フロリダに家を買ってやりたい。
だから、人身売買などをやって小金を稼いでいる。
だから、自分のVR空間に車や家のカタログを広げている。
ロストナンバーズ相手にプライバシーなど存在しない。彼のVR空間は既にファック済みだ。銀号口座はダニエルに暴かれ、ネットの検索履歴や社内資料は俺に閲覧されている。
彼は出世欲の塊だ。より良い生活を得る為に、販売成績を上げて、より大きな成功を掴みたがっている。独立も考えているらしい、検索履歴にペーパーカンパニーの作り方が残っており、スイスのプライベートバンク口座についても興味津々のようだ。
「ロバート。考えても見ろ? オフショア法人の作るには何が必要だと思う? 知っているのか? そして、オフショア法人があったとしても、テロリスト容疑で追いかけられてしまえば、開示要求が出て一発でバレる。他の国の戸籍の買い方を知っているか? もっと金が欲しいのだろう? どうなんだ?」
彼の視線は俺に釘付けだ。値踏みをしている。自分の将来を考え、俺を天秤にかけている。
「フロリダ、フロリダ、フロリダ。美しい海岸に並ぶ椰子の木々。ヨットハーバーで海に溶けてゆく夕日を眺める生活。実に素晴らしい。グリーンの芝生はまるで絨毯のようで、気候は温暖。自然の慈愛に満ちあふれている。天から降り注ぐ日光は天使の輝きのようだ。そして、キッチンには新しい鍋がある。ステンレス製のそれは顔を映す鏡のようで、お前の両親は満ち足りた生活を送る事ができる」
「……」
「オーブンカーも良いな。真っ赤なそれは熱く燃える情熱だ。スポーティーな車体は日頃のストレスを吹き飛ばしてくれるだろう。足下からは上品なエンジンの振動が伝わり、お前の生活をもっとパワフルにしてくれる」
「シナガワ、何が言いたい?」
「俺はお前に選択肢を与えている。欲しくないのか?フロリダの家、赤のオープンカー。俺売ったとして、お前はそれを手に入れられるのか? お前はそれを与える事ができるのか? 寝ぼけるな。お前の財布を思い出せ」
物欲に捕われた魂というのは、物質に屈した魂だ。手に入れる為には何だって売る。人だろうが、魂だろうが、お構いなしだ。
黙りこくったロバートに俺は囁く。提案された煌びやかな生活が彼の思念を掴んで離さない。手を伸ばせ、お前の理想は直ぐそこだ。お前の目の前に、その願いを叶えてくれる奴がいる。
「選べよロバート。俺とフロリダと車の生活か? それとも今までの日常の延長か? お前は言ったな。モア、モア。俺がモアだ。俺と契約をしろ」
VR上の俺のオフィスに戻り、自分の口座を確認する。リウからの振り込みがあったようだ。戸籍、それとパスポートは郵送されている。それにまつわる電子書類が送られてきていた。どうやらインドネシアの契約がうまく結べたようだ。
俺のアドレスのいくつかのメールが放り込まれている。中身を確認すると開封通知がリウの元へと送られる。
どうやら苦戦しているようだった。メールの文書は冷ややかな文言で埋め尽くされてる。
それはそうだろう。ムスリムとの会談に女が交渉に訪れたなら、うまく行く交渉もうまくいかなくなる。自分の性別を隠していたら尚更だ。
ウガンダの武器を引き上げた事を聞けば、どのような反応をするか考えてみた。ガラス細工のような無表情も消え去るかもしれない。
怒りは大きければ、大きいほど愉快だ。もう少し黙っていて、盛大な爆発を楽しみにしておこう。
書類を処理して意識を現実世界に戻すとダニエルが俺の脇に立っていた。俺の両手足が手錠で繋がれている。VR上に意識を投下している間は、一定の閾値を越える刺激がないと現実世界に戻る事はない。ダイブ中に硫酸をかけられなかったのは幸いだったのかも知れない。
「やっと起きたかシナガワ。いや、ロストナンバーズ。俺から要求事項がある。それを聞かないのなら、俺にも考えがある」
色々とバレているらしい。
しかし、ダニエルにはセリフに余裕が無さ過ぎだ。躊躇いが舌の上で様子見をしているかのようだった。
「言ってみろ」
犬歯を見せて笑うと、ダニエルは唾を飲み込んだ。
期待はできなさそうだ。挑発するように言葉を投げつけてやる。
「俺を失望させるなよ」
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【バミューダ諸島】
http://www.tripadvisor.jp/Tourism-g147255-Bermuda-Vacations.html
【国際指名手配】
国際指名手配された場合、基本的に加盟国の政府(基本的には、そこから警察に)
逮捕される事になってしまう。
主人公の場合、一応は日本国籍になるので、犯人引き渡し条約とは関係無しに、
日本に送還される事になる。
国際間をまたがるテロ事件に関わっている、もしくは凶悪犯などでない場合は、
国際指名手配に成る事はない。
しかし、ICPOの部分でも触れているが、あくまでも捜査協力要請であるので、
そのままの場合もある。
・国際手配
http://ja.wikipedia.org/wiki/国際手配
・インターポール(ICPO)
http://ja.wikipedia.org/wiki/国際刑事警察機構
【ICE】
911テロ後に、それぞれの行政機関が縦割りになっている事で、
効率的に動けていないという事で設けられた機関。
CIA、沿岸警備隊、国境警備隊など、それぞれ独立した行政機関で、
互いの活動が重複しているにも関わらず、
統合的な活動ができていないという事で設立されている。
現行、この機関が動けていると言えば、そうではない。
事実上、自分の機関に属する情報を開示せずに、他の機関の動きを見ている状態。
既に組織として存続している為に、その硬直性が問題視されているが、
これら機関からすれば、自身の存在意義を失う事や、利権を手放す事になっており、
ICE設立時に求められた理想にはほど遠い状態である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国国土安全保障省
【911でのCIAの動き】
CIAには日々色んな情報が集められてくる。
911前にも、アル・カイーダの情報を掴んでいたが、その情報は役にたてられていない。
(もちろん、未然に防がれている事件もあるが、もたらされる全ての情報が正しいという
保障は無い)
911ではNSAからCIA、FBIにアル・カイーダの工作員グループがクアラルンプール入り
したという連絡がされている。
その後、CIAはこのグループの一人が、米国のビザを持っている事を発見しているが、
FBIに電文を送るのを見送っている。
その後、CIAからFBIには通知済みの電文が送られるなどしている。
http://www.boilingfrogspost.com/2011/09/09/the-cia-911-part-i-a-meeting-in-malaysia/
【VRについて】
視神経について説明すると一次視覚野(V1)のあたりに信号を送る仕組みがある。
(無機有機ハイブリッド?とにかくナノマシーンではない)
ちなみに脳に送られる際の画素数はハイビジョン程度しかない。
これは送られる情報を制限する為。また、人間の眼球と同様にその画素数は10度ほどの
視野に集中的に配置されており、それは人間の眼球と同じ働きをもたらす為である。
感覚器官の切り替えは基本的に脳の高次活動部位では行われていない。
その為、視覚の場合、色相野(V4)、視覚運動野(V5)などに損傷がある場合においては、
VRをもってしても視覚異常が起こる。(色盲、視覚運動性盲が発生する)
触覚では認知密度がかなり粗い状態。現実世界と比べて人体が感じる程に、
仮想空間上では触覚を得る事はできない。
感覚切り替えが行われた際には、脳は基本的に現実の身体にある刺激を認知していない
状態になる。
脳に入力は届かない状態にはなるが、ある一定の閾値を越えた場合については、
ハード的に強制的に現実界に戻される。
これは生命維持に問題が発生した場合に備える為。
尿意や便意があった場合には操作者がオプションで選択できる。
(つまり通知機能がある。重度のVR中毒患者はオムツでもしていると思われる)
なお、人工視覚という事が最近ニュースになったりするが、
これは眼球に異常があった場合に適応される技術であって、
脳に損傷がある場合については、現在の技術を持ってしても、正常人と同じ視覚を与えられない。
【アバターなどについて】
基本的には自分の身長、体重に合わせる事が多い。
これはVRの学習を効果的にする為でもあり、
意識に現れない脳の補完作業を潤滑に行わせる為である。
・グラスを捕る時に、知覚出来ないぐらいの速度でグラスを動かしても、
意識は手を移動した所に動かした覚えがなくとも取れる
・ランニングマシーンで負荷が上がっても、足は自然に動いており、
意識がそれを認知するのが遅れる
このように、脳機能は身体は、物理界を無意識下で知覚して、動作の調整を行っている。
(意識上に現れずに、脳の制御が働く)
身体のサイズが異なると、こういった無意識下の、脳の動作調整にズレが発生してしまう。
その為、一般的には身体のサイズに会わせる事が多い。
そうでない場合、グラスを捕るのにも、視覚情報の確認をしながら、手の広げ方、
角度を調整して捕らなくてはならなくなる。
(脳内に学習記憶が残れば別。ただし、現実界に戻った際に、更に困惑する事になる)
感覚信号や運動信号をVRの入出力にしてしまうので、ダイバーはあたかも
自分がVR上の存在になったと脳が錯覚を起こす。
但し、発汗や唾を飲み込むなどの生理現象については意識されないままに、
脳が自動的に制御していて、VR上に昇る事はない。
【おまけ:手錠の外し方】
S&W M-100
注意:エンターテイメントなので、警察から逃げる時に使わないように
http://www.youtube.com/watch?v=kXeamc7e31c




