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Sympathy For The Devil  作者: 赤穂 雄哉
Stage Cairo
19/31

19. Den in Islamic Cairo

挿絵(By みてみん)

 交渉は三日間にも及んだ。


 絨毯の上でくつろいだ姿勢を取りながら、苦みばしったシャーイと呼ばれる紅茶を飲みながら言葉を闘わせる。個人的に思うのはイスラームの連中は甘党が多いようだ。糖で舌が絡まってしまうほどに、彼らは砂糖を入れていた。

 俺としては、キック力のあるトルコ・コーヒーが飲みたい所だったが、交渉に参加した連中の中に、コーヒーを禁じられている奴がいたらしい。要求しても出てこなかった。


 電力の供給が一定でないのか、赤みの強い電球の明かりは不安定だ。時折、強くなる光の中に埃が浮かんでは沈んでゆく。直線的なコンクリートに囲まれたこの部屋で、俺達の声だけが反響している。熱を帯びた声はこだまし、虚空の中へ消えてゆく。

 部屋の隅では暗闇がこちらの様子を伺っているようだ。ハウンド犬のような顔をしたセト神がそこに隠れて、好戦的な目を輝かせているようだった。


「合意しよう。シナガワ。君のプランは我々の宗旨に合致する。悪くない。良いとは言えない取引だが」

 嗄れ声で首長と思わしき男が言った。黒いターバンが印象的な、四十位の男。口が笑っているだけで、彼の背後からは俺を信用しないという黒い瘴気が漂っていた。


「あなた達と契約ができて、とても嬉しく思います」

 つぶれた丸ソファーから立ち上がって握手を求めると、彼は警戒しながら手を伸ばしてきた。威圧感を与えたいのか、俺の手の平を奪うかのように乱暴な手つきだ。そのまま、手を引き抱擁をする。

 慌てた相手が俺の体を突き放す。良く知り合った同士なら当たり前の動きでも、異邦人からされるのは以外だったのだろう。目を丸くしていた。不動の心も少しは動いたか?


「私達は既に友人です。同士です。ほら聞こえませんか?ゴグ・マゴクの戦乱はすぐそこです」

 ハルマゲドン。最終戦争の名前を言われて黒ターバンは驚いたようだ。彼は顎を引き、俺を見据えて言った。嫌悪の色を隠そうともしない。毒つくように彼は呟く。

「お前の背後にシャイターン(サタン)に見える」


 笑うしか無い。俺にシャイターン(サタン)の影を見るとは。


 俺は舌を伸ばして絡み付く。彼の思念に忍び寄り、彼らの背後をとってしまう。足下から忍んでいけば、それと気付かず彼らは嵌る。

「神によって隠された救世主。マフディー。私はあなたこそが、その『待望される者』と思っているのですよ。心の底から。本当に。あなたがシャイターン(サタン)など汚らわしい言葉を使うべきではありません」


 甘言で心をくすぐると、人は悪い気はしない。他の信者がいる前で、最期の審判の時にやってくる救世主。マフディーと呼ばれたなら、気分を悪くするはずもない。

 繰り返される戦乱の毎日の中で、自分の信仰を何度も確かめている事だろう。

 信義とは?

 正義とは?

 自由とは?

 繰り返される自問の中で自分の場所を求めて迷う事もあるはずだ。それを明言してくれる人間を、それを肯定してくれる人間を、彼らは無意識的に探している。


 テロリスト。反乱分子。平和を乱す者。

 あらゆるメディアが存在を否定する。

 非情、酷薄、残虐というイメージが彼らの首にかけられる。

 どのようなレッテルが貼られようとも、彼らは人。そこから逸脱する事など有り得ない。

 家族を殺され、娘を犯され、息子を洗脳され、全てを失った。

 イスラームの民は彼らを支援するが、果てのない孤独な戦闘を繰り返す彼らの心は常に孤立している。

 隠れ家に険しい目をしながらも、どこか寂しさを滲ませているのは、それが理由だ。


 彼らの言葉で彼らを騙す。


 異邦人なら語られる事がないだろう言葉。

 その言葉は彼らにとって鉄鎖になる。自負心が強ければ強いほど、強い象徴と結びつきたがる。

 だから、彼らは絡めとられる。


「イーサー(イエス)は異邦人である東方の賢者によって、誕生を祝福されました。後千年王国をもたらすであろう指導者は、極東の国から来た私が祝福いたしましょう」


 終末戦争を待ち望み、聖戦を繰り返してきた聖戦士達には魅惑的な言葉だろう。理想郷の到来を、彼らは何度も心の中に思い描いただろう。


 イメージ。

 イメージ。

 イメージ。


 彼らの言葉を持って、彼らの理想を模倣する。

 俺の口から発せられる言葉は、彼らの脳をファックする。


 面影を求めて彷徨する魂は、俺が生み出すイメージに引きつけられる。まるで砂漠に水を求める遭難者のように。


 理想郷だと?

 そんなものがあるものか。


 俺の言葉は聞こえても、心を横切る思考までは聞こえまい。

 これからだ。これから彼らの心を覆う、無数の鎧を剥がしてゆく。


「ところで、聖戦士の皆様。交渉が終った所で、こちらで余興を用意させて頂きましたが、ご都合はいかがでしょうか?」

 彼らはお互いに目配せをし始める。彼らが言葉を交わし出す前に俺は提案する。視線で気持ちは語れても、細かな意思疎通まではできないものだ。

 彼らの言葉で会話をされると、俺は彼らが何を考えているのか、その過程が見えなくなってしまう。集団の意思決定をする前に、一方的に話を進める。


 三日に及ぶ交渉は俺だけでなく、彼らの心をも摩耗させているはずだ。長い交渉は彼らの習慣。彼らの習慣に乗っ取って、緊張感を与えるように演出を加えている。疲労感を覚えているのは俺だけではない。


「こちらで女を用意しました。繰り返される戦乱に聖戦士達の魂もくたびれているでしょう。美しい女と夜を明かし、明日の戦いに気力を充実させるのも、戦士の務めであると思います」


 逡巡の色を見せる彼ら。互いの目が相手の様子を伺っている。戒律が許すのかと、彼らの目が言っていた。俺の言葉の前に立ち止まっていた。


 渡ってしまえ。

 禁断の一歩を踏み出してしまえば、お前達はもう戻れなくなる。


「金髪碧眼。欧州はハンガリーから連れてきた女達です。当然、異教徒。あなた達の禁忌に触れる事もございません。もう、手配もすませており、指定さえ頂ければ、あなた達の寝間に訪れさせてみせましょう」


 彼らの女性の好みを把握している訳ではない。しかし、彼らの多くは金髪碧眼を好む傾向があるようだ。彼らがよく見るメディアに登場する女性達を見ていれば、その国で好まれる女性がおのずとわかる。


「いいだろう」


 探るような態度をしながらも、彼らは好奇の心を隠せない。承諾の声を聞いて、俺の心が彼らを嗤う。


 閉じられた鉄扉を開ければ、赤い月がナイルの風の中で揺れている。

 血の臭いが漂ってくるきそうな赤だった。

【Supplement】

 物語中での設定や背景の説明。


【エジプトでの挨拶】

 親しい場合には、男同士でもキスをする場合がある。

 ただ、それはあくまでも文化を同じくするものであって、

 異教徒、異国人の場合については、そこまで行われる事は余りない。親しければ別。

http://www.biglife21.com/manner3.html


【ゴグ・マゴクの戦乱】

 要するに最終戦争の事。

 キリスト教、イスラム教ではこの戦乱を超えて、救済がやってくるとされている。


・旧約聖書でのゴク・マゴク

http://chiiroba.net/MatsudaFamily/christian/GoguMagogu.htm

・コーランであるゴグ・マゴクの戦争

 http://www.islamreligion.com/jp/articles/367


【マフディー】

 神の命で再臨して、全世界でのイスラームの確立、公正と平和をもたらすとされている者。

 神に正しく導かれた者と表現されたりもする。

 スンニー、シーアなど諸派によって、誰がマフディーとなるか解釈が異なる。

 主人公がこの単語を使いながらも、具体的な表現を避けたのは、

 諸派によって思想の違いを明確化させてしまい、対立を起こってしまったりしない為である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ムハンマド・ムンタザル


【イスラームから見たキリスト】

 旧約聖書、新約聖書もイスラームにとっては、唯一神から示された啓典である

 なお、イエス・キリストについてはキリスト教とは違い、

 神の子とはされておらず、予言者の位置づけ

 但し、マフディーによる最終戦争時に再臨して、マフディーに加勢するとある

http://ja.wikipedia.org/wiki/イスラームにおけるイーサー



【イスラーム世界での売春】

 宗教的な戒律で、売春など認められていないと思われる向きがあるが、

 実際には存在している。

 以下はエジプトで売春を斡旋した者が逮捕されたという記事。

http://japanese.ruvr.ru/2012_10_29/ejiputo-baishun/

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