18. Airport in Cairo
エジプトのカイロに到着した。ダニエルは興奮をしたままだ。剥き出しにされた好奇心が、俺にはうるさい。表情、感情。全てはつけこまれる隙になる。
消毒液の臭いが構内に溜っている。あまりの臭いの濃さに、俺の肺まで消毒されてしまいそうだ。どこか砂っぽい感じがするのは、着陸の時に見た、黄土色をしたサハラ砂漠のせいなのかもしれない。
通り過ぎる人種は雑多だ。ヨーロッパから観光に来た連中も多いのだろう。税関を抜けると急に白人が増えたような感じを受ける。
ダニエルにすれば珍しいのだろう。携帯電話を取り出して、先ほどから空港の構内を撮影している。
「おい、ダニエル。俺を写すな」
「誰もお前を撮ったりしねえよ」
「行くぞ、着陸が既に一時間も遅れている。向こうを待たせているはずだ」
「シナガワ、俺達のせいじゃないだろ?」
のんびりと立ち話をしている連中をすり抜けてゆく。中には後ろから追い抜いてゆく、俺をとがめる奴もいたようだが、言葉がわからない振りをした。肩を竦めてみせると舌打ちをするだけだ。それ以上に関わろうとしない。
入国管理は簡単にすり抜けた。税関についてもおとがめなし。手荷物を調べもせずに係員は頷いただけだ。
俺の顔写真がインターポールに掲載されている。入国管理員達は訓練をされているが、それでも、アジア人を見分けるのは難しい。
インターポールのサイトは、貧弱で顔写真も一枚か二枚。そして、そこにはこう書かれている。
IF YOU HAVE ANY INFORMATION PLEASE CONTACT
(情報があるなら連絡を下さい)
Your national or local police
(あなたの国か警察)
General Secretariat of INTERPOL
(インターポール事務総局)
インターポールなどただのデータベースに過ぎない。国家主権の前にひざまずいている浮浪者。局長が各国に飛び回ってプレゼンテーションを行い、予算をかき集めているのが実情だ。国をまたいだ犯罪者が出る度に自分達の必要性を解くが、誰もが財布に手を伸ばそうとしない。
「あれだ。ダニエル」
到着口に俺の名前を書いて待っている連中がいた。両手一杯に手書きの文字を広げている。頭に被り物をしており、煤けた色のシャツを着ていた。生地がボロボロで見ているこちらが哀れになる。伸ばしたヒゲは濃く、頬にはカミソリで切った跡が残っていた。
俺が近づくにつれ、待ち人どもから緊張感が走る。この空港にはアジア人はそれほどいない。いたとしても間抜け面ばかり。何かあれば瞬時に吹き飛ぶような脆さだ。鳥かごから引っぱり出されたヒヨコのように頼りない。
「サラーム、俺がシナガワだ」
「あ、アッサラーム・アレイクム。思っていたより若いな」
訝しげな顔をして、頭の先から足の先まで見ている。隣りにいた連中と小声で話をし始めた。
「ああ、俺はヒゲを生やさないからな。若く見えてしまうんだろう」
強引に手を伸ばして握手する。案内人は手を引っ込めようとするが、手を離さない。彼が俺の目を覗き込んだ時に、手を上下に振った。
彼らがアジア人と交流を持つのは珍しい。こちらのペースが読めていない。俺が多少強引な事をしたとてしても、彼らはほとんどの場合、文化の違いによるものだと勝手に解釈する。そこを利用して、こちらのペースに巻き込む。会った時点で交渉は始まっている。お互いの立ち位置を決めるのは、常にアクションだ。
車に乗り、イスラミック・カイロへと向かう。カイロはアフリカにある都市で最も大きい。地区もいくつかに別れており、車の窓からはモスクの尖塔が天を突き刺すように伸びている。空港から回路までは高架になる。低い屋根の町並みはどこか疲れた色をしているかのようだ。茶色に黄土色。活気を感じさせる色彩が欠けていた。その中で、モスクの尖塔が痛々しいばかりに伸びている。
「ピラミッド、見て行きますか?」
どうでも良いと答えようとするが、ダニエルはそうではないようだ。何も言わないが物欲しげな表情をしている。
「ああ、行ってくれ」
途中、ピラミッドが見えるとダニエルはタクシーの窓に張り付くようにして見ていた。サハラに浮かんだ三角錐に、彼の心は捕われているかのようだ。
高架から下りると、路上にはクラクションの音が満ちていた。ここでの人は横断歩道など関係なく道路を横切る。それが余計に混雑に混乱をもたらせていた。
途中で車を止めて、奥に入ってゆく。商店街にはアラビアの音楽が流れている。インドとは違い、眠気を誘うようなシタールの音はない。楽器の中にアラビアの臭いがする。吹かれる笛の音に古代エジプトの神々が潜んでいるかのようだ。
表通りはマンションが並び、道にも車が通って賑わっていた。だが、奥に入って行くに従い、建物は風化しているような様相を示しはじめる。
無数の店が立ち並び、開けっぴろげに商品が並べられている。シャワルマと呼ばれる肉の塊にはハエがたかっているようだ。強い日差しの中でも元気なものだ。
古びた壁はまるで砂岩から削り出したかのように見える。金属の門戸やシャッターが取り付けられており、地肌の鉄ですらくすんだ色をしていた。崩れてゆく寸前の気配。乾いた砂が口の中に混じったような気がする。黄土色に茶色。どこか不統一感のある町並みは歪。でたらめな町並みには喧噪が泳いでいる。
裏道に入ると日光が遮られ、急に暗くなる。周囲の音も遠ざかったかのようだ。
後ろでダニエルが唾を飲む声がした。
「ここです」
鉄扉を開く。そこは地獄の入り口のようだ。奥には目を光らしている男達が絨毯の上で座って待っていた。彼らにアドバンテージを渡すつもりはない。いつだって、どんな時だって、俺が先手を打つ。黙って地虫のように様子を伺っている彼らに、俺は深々と頭を下げた。
「アッサラーム・アレイクム。私がシナガワ。あなた達を理解する者です」
そして、お前達に混乱をもたらす者。
後ろで鉄扉が閉じらた。
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【ヘジャブ】
イスラームでは、女性とは男性を誘惑する存在であるとして、
体やボディーラインを露出するのはタブーとされている。
・ヘジャブ
スカーフのようなもの。宗派やウンマと呼ばれる共同体の指導者によって、
色なども制限される場合もあるので、一概にこうだとも言えない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヒジャブ
・ブルカ
アフガニスタンでは女性はこのような格好をしている。
網目の部分は影になっており、顔すら見えなくなっている。
アフガニスタンだけではなく、戒律の厳しい所はブルカを着ている様子。
他の国でも見かける事がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Afghan_woman_and_child_in_Parwan_Province.jpg
【インターポール】
インターポールは国際指名手配の連絡を受けて、各国警察に連絡をする為の組織。
独自の捜査を行ったりは基本的にしない。また、したとしても現地法に縛られる。
国家主権を侵害する事もできない為、他国の警察とを結びつけるという
役割しか持たない。
これをモデルとして、ユーロポール、アセアンポールというのが存在する。
情報提供を求める為に、インターポールが写真を掲載しているという記事
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2739257/5944437
上記の内容。実際に掲載されたページ
(内容はこの程度:多くの国が警察と通関、移民に携わる人員は
別の行政組織に属している事が多い。
国際指名手配になったとして、世界中の全ての行政機関が同一基準で
逐一チェックしている訳ではない。それらは管理する行政機関に依存する)
http://www.interpol.int/Wanted-Persons
【イスラミック・カイロ】
・イスラミックカイロの位置:Google Map
https://maps.google.co.jp/?ll=30.047959,31.250031&spn=0.009398,0.019011&t=m&z=16&brcurrent=3,0x0:0x0,1
・イスラミックカイロの地図
http://www.touregypt.net/cairo/Map09.htm
イスラミックカイロの風景など
http://4travel.jp/overseas/area/africa/egypt/cairo/travelogue/10535669/
・空港から高架、それからピラミッドを通って、イスラミックカイロの動画(グロ無し)
http://www.youtube.com/watch?v=qmIWZhPRoYc
・イスラミックカイロの様子を撮影した動画(グロ無し)
色々店に入ったりしている。
http://www.youtube.com/watch?v=zHkB8gXf01M
【おまけ】
スフィンクスの尻尾:ブログ
http://4travel.jp/overseas/area/africa/egypt/giza/travelogue/10431721/
【シャワルマ】
中東ではシャワルマ。トルコではケバブと言ったりもする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ドネルケバブ




