17. Hotel and Bar in New Delhi
「そうだ」
短く言い切った。リウがレポートに目を落としていた。長いまつげは細く、まるで黒いレースのように目を覆っている。
ダニエルはというと精神的に疲れ果て、俯いたままだ。悲壮で今にでも死にそうな顔をしていた。ターリバーンの連中に囲まれ、凄まれ、自分の居場所すら無くしてしまったかのようだ。
ホテルの部屋は相変わらず、清潔な空気に満ちている。やや、人工的な香水の臭いがわざとらしいが、苦にはならない。
「ターリバーンに武器を買わせる契約を結んだのに加えて、ローデシア商会が卸しているイスラーム武装組織への商売を横取りしたと言う事?」
ウガンダでローデシア商会の武器輸出が露見したのと同時に、ドイツの人権団体とオランダのNGOに抗議行動をさせる段取りになっている。最近、彼らは活動のインパクトが薄く、寄付金少なくなっているらしい。大騒ぎをやらかすはずだ。
英国BBCに関わりを持つジャーナリストにも情報を与える予定だ。スクープが欲しい彼らにとっては涎がでるような話だろう。
欧州経路の武器ビジネスは更に困難になるはずだ。もっと食い扶持を稼ぐ事ができるだろう。だが、そこまで報告する必要はない。
リウは俺が作成したレポートを読んでいる。会談が終わってから作成したもの。VRにダイブして、リウのVRアドレスに送信した。全てを書いている訳じゃない。俺はリウはそういう関係だ。信用、信頼という安っぽいものは必要無い。
「インドネシア、フィリピン、アルジェリアにマリが俺達のマーケットだ。商品の調達。空路、海路などの運送手段の手配は俺の仕事じゃない。お前の仕事だ」
彼女の仕事はそれだけではないが、それは後で言ってやろう。
応接室の天井には、ファンが取り付けられている。モーターの音が微かに部屋に響いていた。空調によって冷やされた、内陸性の乾燥した空気が、ゆっくりと部屋の中で撹拌されている。
これでリウの手が見えるはず。
誰を使うか?
何を使うか?
「もし、私が武器を送らなかったのだとしたら、あなたはイスラーム武装勢力の信用を失ってしまうわね」
おやおや。
契約破棄をして、俺を追い込むという事か。
「どうなのかしら?」
絡み付くような視線。粘質でねぶるような卑しさが感じられた。猫が遊びでネズミをいたぶる時に、このような目をするのだろう。残虐をもてあそぶ女王を演出したいようだ。
「やってみろ」
一笑に付す。
「主語を間違うな。お前が決して信用されなくなる、永遠にな」
俺達が住んでる世界はジャングルだ。弱肉強食が俺達のルール。
「オフショア法人を通じると国籍はなくなる。知り合いの武器商人の武器を売ってしまえば済む事だ」
勘違いは適切に、徹底的に正してやる必要がある。俺の主人は俺だ。彼女じゃない。
「ビジネスで約束を守れない奴は三流なんだぜ、お嬢ちゃん?」
顎を上げるリウ。目を細めて俺を見やるが、表情は動かない。彼女の鼻息が微かに聞こえた。能面のようにな無表情。白い絹をドブに浸すような快感が俺の胸を満たす。
「戯れ言に本気になるなんて、随分と余裕がないのね?」
「どうでも良い。武器商人を乗り換えるという事で決定だな。それで良いんだな? これはお前が言った事で、お前の選択だ」
肌がひりつくような雰囲気。空気に含まれる緊張感が高まり、身動きできなくなりそうだ。
「とにかく、今の発言は多いに俺を失望させたぞ、リウ。残念だ。がっかりだ。失望した。実に残念だよ。俺は非常に不愉快な気分になった」
「あら、へそを曲げてしまったのね?子供みたいだわ」
「当たり前だ。さあ、不機嫌になった俺をどうあやす?」
挑発してみても良かったが、ここは報酬を引き出した方が良さそうだ。侮辱感を煽るように薄笑いを浮けべて見せた。
「報酬で手を打ちましょう。少し時間を与えてもらえないかしら?」
「駄目だな。今だ」
退路を防ぐ。考える時間を与えない。急かして、崩して、俺は欲しいものを手に入れる。ついてこれなければ、それで終わり。見捨ててしまえば良い。
「あなたの機嫌を治すには?教えてくれない?」
「倍払いだな」
護衛の体が固まった。主人の屈辱は自分の屈辱だと、大きな勘違いをしているらしい。だから、彼らは護衛止まり。いつまで経ってもリウの奴隷だ。
「話にならないわね。10%」
「20%だな」
「15%が限界ね」
「それに中国人の戸籍5人分で手を打とう」
「わかったわ」
彼女の口元に微笑みは浮かんでいない。消し飛ばしてやった。慢心は必ず油断を連れてくる。ワイヤーの上でダンスしているという事を忘れない事だ。
「それで俺の機嫌は直った。パーフェクト。感心したよ…」
大きく息を吸う。部屋を満たす香水にカモミールの匂いが含まれているらしい。俺の神経は沈静化した。
「レディー・リウ」
俺は胸に手をあて、少しだけ頭を下げる。敬服の姿勢をしてみせた。
目は嗤っていたかもしれない。
「アフリカはあなたの方で手配できないかしら?」
本当に手配できないのか?
ルワンダ、リベリア。いくらでも航路ならあるはずだ。
俺を探りを入れにきているのか?
今一読めない。リウは一度は俺を嵌めた相手。彼女の前でカードを広げるのは、余りにも危険だ。毒の入った壷を調理棚に置くような行為は避けるべき。
「武器商人は知っている。そいつに食わせるが、それで良いのか?」
「そうね。そうしてもらえるかしら?お願いするわ」
「切って捨ててくるとはな。予想外だ」
「後でその武器商人とやらと話ができれば最高だわ。協力関係を結べるかもしれないわね」
彼女は俺を巻き込むつもりか?
「それにダニエル。あなたどうしたの?怪我をしているじゃないの?痛むでしょう?シナガワに何かされたの?」
彼女の唇が開き、ダニエルを誘うかのように唇を舐めた。場の雰囲気が変わりそうだ。
ダニエルにはロバートの事を調べさせている。
今、ダニエルをリウに渡すべきではない。
「ああ、彼には場数を踏んでもらったんだ。何しろ若い頃は経験だからな。場数を踏まなきゃスペシャリストどころか、プロフェッショナルにもなれない。今の彼はアマチュアだ。大きくなる為に乗り越えなくちゃならないステップだ」
俺が何を言っているのか、ダニエルはわかっていないだろう。会話の中で自分が注目されている事に驚きを見せていた。
俺とリウが話をしているのは、本当に彼の事を心配している訳ではない。それを理解できていない彼は戸惑っているようだ。
「こいつは素晴らしい逸材だったぜ、リウ。俺も色々な奴を見てきたが、こんなにタフな奴を見たのは久しぶりだ。タフなネゴだったからな。普通ならあそこで泣き喚いて、どうしようもなくなるのに、こいつはそれに耐えきった。俺が驚いたよ。この俺が、だ」
とにかくダニエルに絡み付きそうになっている触手を切り飛ばしてしまう。今はそれに集中した。こいつ経由で死神を送られるのは御免だ。
ダニエルの肩を抱いて揺すっていると、彼は俺の目を覗き、真偽を探しにきた。
残念ながら、俺の目には偽しかない。
「ダニエル、今日、これから祝杯を上げにいくぞ。酒を飲んで、女を抱いて、今日は大役を果たしたからな。それを慰労しなくては」
さあ、最期に仕上げだ。
俺はリウを突き飛ばす。レポートに記載されていない事。それを教えてやらねば、ビジネスマンとして失格だ。
「イスラームの武装勢力の指導者がお前に会いたいと言っている。VR上ではない。直接だそうだ。インドネシア、フィリピンに行ってくれ。俺はエジプトに飛ぶ。アフリカは俺の担当だろう?お前はそう言ったよな?ダニエルも連れて行くからな」
リウに時間を取らせて、俺は脱出路を探る。月の彼方まで飛んでゆけ。
自分の身柄を他人に預けるなど、俺にすれば有り得ない。
女豹が顎を引いて下がった。こちらを見据える眼光は鋭く、ファンのモーター音だけが、いやに大きく聞こえた。
「ヘイ、マイルズ。もう来ていたのか?」
「当然だろう?それにしても、ダニエルの顔色が優れないようだが?」
ホテル内にあるバー。暗くて足下さえ見えない。マイルズはカウンターに腰掛けており、既に飲んでいるようだ。
落ち着いたピアノ曲が流れている。この店にはインド人ではなく、外国人が多いのを考えてだろう。静寂な湖面を撫でるような旋律の中、人々のざわめきが聞こえてくる。
俺とダニエルが飲みにいった所で、交わす言葉もほとんどない。そこでマイルズを呼ぶ事にした。
俺、ダニエル、マイルズという順番に座る。席に着くとカウンター席の革が擦れて音を立てた。
注文を取りにきたので、俺にはシーバス、ダニエルにはラッシーカクテルを注文する。ラッシーはインドで良くある乳性飲料だ。
「今日は交渉があった。タフな仕事だった。なあ、ダニエル」
俺に肩を叩かれて、ダニエルは俺の機嫌を探るような目をしている。不信感と自分を認めて欲しいという懇願が見え隠れしている。
「ああ、大変だった。もう何が何だかわからない」
その様子。ダニエルが沈んでいるのを見て取ったのだろう、片眉を上げて、マイルズが言葉を挟んできた。ダニエルが座っている、カウンター席の背のバーに手をかけて顔を寄せる。
マイルズ流。
距離を近づけ、親密感を与える。腰を低くして、目線を合わせ、ゆっくりと、そしてしっかりした声で囁く。重くて渋みのある彼のバリトンは、人の精神を安定させる。マイルズもそれを自覚している。
「ヘイ、ブロー。何を落ち込んでいる。シナガワはお前の事を褒めていたぞ。ガッツがある奴で、とても才能がある奴だって言っていた。そうなんだろう?」
俺からの方からだと、はっきりは見えなかったが、おそらくダニエルは目の曇りを拭っただろう。
俺からマイルズには何も言っていない。彼が状況を読み取り、即座に判断したのだろう。恩を売っているのかも知れないが、俺もそれを望んでいる。マイルズは俺にアイコンタクトを取り、これで良いのかと尋ねてきた。
「シナガワ、お前は少し厳しすぎだ。潜在意識はポジティブにプログラムしなくては」
神経言語プログラミングか。
コミュニケーション技法の事を言っているのだろう。
冗談ではない。俺は人と価値観を共有するつもりはない。
「俺から見える世界は、俺と俺以外。それしかない」
「ヘイ」
抗議をするようにマイルズが片手を上げた。今のマイルズはダニエル側に立っている。そうして、ダニエルと歩調を合わせ、彼の心をポジティブにする。
俺は片手を上げて応じる事にした。
「冗談だ」
マイルズの顔を見ながら、彼からどのような厄介事を頼まれるのか考えた。
この後、マイルズは俺に何かを要求してくる。
エジプトに飛ぶまで一仕事ありそうだ。
口に含んだシーバスの香りの中に、スパイスの香りが溶込んでいる気がした。
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【イスラーム武装勢力】
アル・カイーダは国際的なネットワークを持っており、他のイスラーム武装勢力と関わりを
持っている。
ターリバーンとアル・カイーダは最近、反目しているという噂もあるが、
ここでは共同戦線を張っているという事になっている。
また、現実ベースと同じく、インドネシアのジェマ・イスラミア、フィリピンのアブ・サヤフ、
同じくフィリピンのモロ・イスラーム解放戦線は共同戦線を張っており、
資金、武器の調達についても、協力体制が引かれているとしている。
以下の記事はアズ・ヤザフ、ジェマ・イスラミア、モロ・イスラーム、アル・カイーダが
協力しているという事を記載している記事。
http://passion-fruit.blog.so-net.ne.jp/2011-05-11-1
各組織の概要について
アル・カイーダ(AQ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルカーイダ
ジェマ・イスラミア(JI)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェマ・イスラミア
アズ・ヤザフ(ASG)
http://ja.wikipedia.org/wiki/アブ・サヤフ
モロ・イスラーム解放戦線(MILF)
http://www.worldtimes.co.jp/special2/bali/ba021114.html
【イスラーム武装勢力は必ずしも一枚岩ではない】
事実ベースの話であるが、アル・カイーダとターリバーンが反目しているのではないかと
噂されている。
理由はターリバーンが現アフガン政権と和平協議を持っていたかもしれないという事らしい。
このように、イスラーム武装勢力は互いの立場が異なるので、いつも共闘しているわけではない。
ただ、情報戦でそのように報道されている可能性もあるので注意が必要。
・アル・カイーダとターリバーンが反目しているのではないかという記事。
http://blogos.com/article/26374/
イスラーム勢力とキリスト教がいつも反目しているわけではない。
ナゴルノ・カラバフ戦争においては、アルメニア側がキリスト教徒とシーア派イスラーム、
対してアゼルバイジャンがスンニー派イスラームというケースもある。
・ナゴルノ・カラバフ戦争において、イスラーム同士が敵対関係にあったという記事。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/ussr/nagornokarabagh.html
【アフリアのアフガニスタンと言われているマリ北部の状況について】
・アフリカの状況について記載された記事。
冷戦終結に伴い、旧ソ連の武器の払い下げ、武器商人の暗躍によって、
こういった反政府活動は盛んになってきている。
また、近年は民間軍事会社(PMC)も出てきており、今後も戦場の拡大が
予想される。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/2212c58af7633b0d14e8652db30387a5
アフリカのイスラーム武装勢力の概要
・アザワド解放国民運動(MNLA)
http://gnoeagrai.lionra.cher-ish.net/c-new-arrival-term/502-mnla.html
・西アフリカ聖戦統一運動(MOJWA)
http://gnoeagrai.lionra.cher-ish.net/c-new-arrival-term/501-mojwa.html
・イスラーム・マグリブ・アル=カーイダ機構(AQIM)
http://ja.wikipedia.org/wiki/AQIM
(個人的な見解)
イスラーム圏の武装勢力はアルカイーダの国際的ネットワークを使って、
お互いに協力関係にあるのは事実。既に抗議活動から次のフェーズに移っており、
闘争の為の闘争になってしまっている所が見受けられる。
何故こうなったのかという事について周知されてない構造はこの物語にも引き継がれている。
【ラッシー】
インドで一般的な飲み物。店によって濃度や味が違う。
ヨーグルト飲料のようなもの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ラッシー
【NPD心理学:神経言語プログラミング】
マイルズが主人公に言った、潜在意識はポジティブにプログラムするというのは、
神経言語プログラミングの事。
コーチングに取り入れられたりもする。
要するにポジティブな人格にする為の技法。
http://www.transkultura.net
http://www.nlpjp.com




