15. Buffet in New Delhi
「イスラーム?それもターリバーンに武器を売るのかよ?」
昨日の傷を腫らしたダニエルが大声を出す。朝食はビュッフェだが、その落ち着いた雰囲気が台無しだ。隣に居たオレンジのサリーを着た女が、険しそうな目つきで俺達を見つめる。大袈裟なターバンを巻いた係員がこちらの様子をうかがい始めた。
「頼むぜ。ビデオゲームからまだ卒業できていないのか? お前が今居る世界は現実なんだよ、バーチャル・ボーイ」
「うるせえよ」
テーブルに並べられたシルバーの器には、インド料理と洋食の二種類がある。香辛料の酸い臭いが鼻をくすぐる。昨日、俺にとってはホット過ぎだ。萎びたクロワッサン、不要なスパイスが加えられたスクランブルエッグ。それと焼過ぎで板状になったベーコンを食べる事にした。素晴らしい朝食。これで一日の活力が出てくるというなら、どうかしている。イギリス植民地時代に味覚をすり潰されでもしたか?
「ヘイ、シナガワ」
不満顔をしてベーコンを取っている俺に誰かが声をかけてきた。聞き覚えのある声だ。振り向くとジム帰りのような格好をしたマイルズが両手を広げて立っている。
大股でやってくる彼をフロアー中の皆が視線を向けた。真っ黒な肌で筋肉質の彼は俺よりも頭二つ分ほど大きい。側に来ると、それだけで息苦しくなりそうだ。
「マイルズ? お前が来ているとは聞いていたが」
「アジズの所に電話したらお前が来ていると聞いた。ここのホテルだと聞いたから寄ってみたんだ」
彼の笑顔は相変わらずだった。俺を見つけて嬉しそうに笑っている。健康的な白い歯は歯並びも良く、育ちの良さがそこからのぞく。
「お前はいつも笑っているな」
「忘れたか? 俺はいつでもSを持ってくる」
「Miles brings smiles(マイルズは微笑みを持ってくる)、か?」
彼は笑みを大きくした。
「そうだ。シナガワ」
大きな手で包むように俺の手を取り、握手をしてくる。彼の手は大きく、手の平は乾燥していた。彼から熱気が押し寄せてくる。
「なあ、シナガワ? お前の隣に居るのは誰だ? 紹介してくれないか?」
「ああ、ダニエルだ」
ダニエルはマイルズの方ではなく、俺の方に目を向けている。人見知りをしているらしい。口を閉じるのを忘れているのか、薄く口が開いていて舌まで見えた。
「ダニエル。こいつはマイルズだ。ほら、アジズが言ってたろ? バイオベンチャーに勤めていた。その会社のおかげでコロンビアのコカは増産体制に入る事ができたんだ」
苦笑いをするマイルズ。首を振った後、ダニエルと握手をして、腕を軽く叩いた。相変わらず、洗練されている動きだ。鷹揚な動きに見えて好印象を与えるように計算し尽くされている。
「よろしく、ニガー。ミスターシナガワは悪い奴だが、仕事はきっちりやる男だ。勉強して大きくなれよ」
マイルズは黒人同士の気安さだったつもりらしいが、ニガーという言葉にダニエルは身を固くした。二人の間には温度差があるようだ。何も言わずに上目遣いで、頷くだけだった。
それに気付いたのか、マイルズはダニエルの両肩に手を置き、優しく囁くように言う。
「ヘイ、ブロー(兄弟)。何て顔してるんだ。俺達は自由だ」
長いまつげが返事をするだけで、ダニエルは口を開こうとしない。何を話して良いものか、戸惑っているのだろう。今まで会ってきた連中と雰囲気が違うのを感じとっているらしい。
マイルズはそんな彼を励ますように軽く揺すり、俺の方に向き直る。
「ところで、シナガワ、今度会えるか?」
「これから仕事だ。後で電話をしてくれ」
「電話番号変えただろ?」
「オーケー、マイルズ。電話を出せ」
朝食を取置いていた皿を置き、電話番号を交換する。
電話番号を確認した後、マイルズは去って行く。颯爽とした背筋は伸びており、快活な声を残して行った。
「トラブルに巻き込まれるな」
「お前こそな」
薄笑いを返してやると、彼は白い歯を見せて、俺を指差した。
「なあ、あのマイルズってどういう知り合いなんだ?」
アジズの所に着いてもこの調子だ。気になるらしい。一流のビジネスマンとして、通用するだけのマナー、教養、そして、人格をも兼ね備えた奴だ。ダニエルが気になるのも不思議じゃない。ダニエルの言葉の中には憧憬が含まれているようだ。
「ああ、昔、大仕事を一緒にした事があるのさ」
「それってどんな?」
「あいつに聞けよ。よし、ダニエル。VRデバイスを起動しろ。確認するが、ダイブするのは初めてじゃないんだな?」
「ああ、問題ない」
どうだか。
彼はリラックスしようと、肩を上下運動させ、大きく息を吸っている。
「設定をもう一度確認しろ。外部ラインは全てオフだ。着信、メールがあった場合、通知マークを表示させるだけ。どちらにしても会談は機密レベル4の部屋で行われる。外部との通信は一切遮断されるが油断はするな。視覚情報の録画、聴覚情報の録音もできない。覚えておけ。視覚情報に挿入されるガイド表示はオフ。交渉中は意識を逸らせるような要因は一切排除。相手から意識が逸れていると決して思われるな」
「わかったよ。大丈夫だ」
椅子の背もたれに何度も座り直している所を見ると、俺の話を聞いているかどうかもわからない。
「交渉相手は外国人慣れしていない。握手はこちらが先に手を出して、相手に出させるな。嫌がる素振りを見せる前に、スキンシップで、安心感を与えるのが目的だ。アクションも、話もこちらがアドバンテージを取る。それを忘れるな」
「もう良い。大丈夫だ。耳が痛い位だ。シナガワ。俺はやれる」
十分だと言わんばかりに、ダニエルは両手を天に上げる。
ターリバーンへの不快感はもう忘れているようだ。今の状態にすっかり興奮をしている。
「途中でアウトしたいなら、俺の膝を叩くなりして教えろ。行くぞ」
俺達はVRにダイブした。神経がVR上へと投げられてゆく。
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【コカインの品種改良】
主人公がマイルズの会社がコロンビアのコカを増産させたという発言について。
ボリビアーナ・ネグロと呼ばれる品種をモチーフとしている。
これは研究室で作られたのではなく、畑で選抜育種によって作られたものとされている。
ボリビアーナ・ネグロ(黒いボリビア:スペイン語)はスーパーコカ、
ラ・ミヤナリア(富豪:スペイン語)とも言われており、
米国がドラッグ根絶キャンペーンに使った、除草剤にも耐性を持つ品種。
コカの葉を大きくしたり、葉の枚数を増やす、木の背を高くするなどして、
生産効率を高くするなどの品種改良もあるらしいが、それはソースが無いので
確かな事は言えない。
・ボリビアーナ・ネグロの資料(英語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Boliviana_negra
・ボリビアーナ・ネグロが研究室で作られており、
密売人がDNAを変えてくれる人を尋ねていたというような話(注:信頼性不明確)英語
http://www.cocaine.org/supercoca/index.html
【VRのセキュリティーについて】
主人公が言っている、機密レベル4(Supreme secret)とは貸し与えている空間の
セキュリティーレベルの事で、米国機密レベル分類システムの
レベル3(Top secret)以上のセキュリティーという事になっている。
外部との通信は完全に途絶されており、録画・録音、ストリーミング送信も不可。
信号は暗号化された状態で対象者に送信、暗号化が脳内で復号、脳神経に信号を送る。
現時点の公式発表では、VRダイブ時のハッキングはされていないとされている。
セキュリティーレベルが下がると当然、外部着信やメールの受信、閲覧も可能。
この物語上では、思念マッピング(造語)が十分では無いので、
VR上で手、足以外の投影物を持っていない。
(思っただけで処理が開始されるという共通フォーマットが確立していない)
【視覚情報に挿入されるガイド表示】
視覚情報に差し込まれるプロンプト。文字情報、映像、写真などを視覚に
表示させる機能。
これはAR(拡張現実)で使用しようという事で、現在開発中の技術でもある。
つまり、日常生活にナビゲーションを重ねたりする事が可能になる。
ただ、脳の視覚情報などに信号を送らないといけなくなるため、
莫大な通信が発生する。先進国でも情報インフラが未整備であるのが現状。
新社会資本という名の、莫大な公共投資が行われており、当然これに、VR運営企業が
噛んでいる。換言すると、VR運営企業のフォーマット一つで
発注業者が変えられる状態である。
つまり、建設業界や製造業、その献金を受けている議員に対して影響力を持っている。




