14. Hotel in New Delhi
「アハマドに送る武器を大幅に増やしてくれ。内容は先ほど送ったリストに書いてある」
リウは微笑みを浮かべて俺の報告を聞いている。双眸に映っているものは、目の前に居る俺とダニエルではなさそうだ。彼女が見つめている未来のどのようなものか知らないし、知りたくもない。
柔らかいライトが室内に降り注いでいる。流石は五つ星ホテル。間取りは広く、置かれている家具は一流品ばかりだ。外の喧噪や熱気からは完全に切り離されている。床は白の大理石。一見すると美しい。だが、首の角度を動かして見ると、細かい傷が浮いて見えた。人間のようだ。
俺が報告が終えると彼女は待ちくたびれたように言った。
「それだけかしら?」
ダニエルは言葉を失っているようだ。俺の理不尽な暴力の痕が屈辱に歪んでいた。殴られ、蹴られ、身体だけではなく、心も傷ついただろう。同情を与えられずに失望を露わにする彼は、まるで足の折れたヤギのようだ。無様で、哀れで、救いがたい。
リウの興味はリウの上にしかない。当然、俺の興味は俺の上にしかない。だから、リウへの返答はこれだけだ。
「なら、この案件を他の所に持ってゆく。俺にとっては金になれば良いんだよ。別に中国産の武器を売る義理はない。俺がお前の言う事を素直に聞くとでも思っていたのか? まさかだよな。さあ、どうする? 選べよ、お嬢ちゃん?」
俺の冷えきった声に、ダニエルの息の飲む声が重なった。深閑とした部屋の上に、更に静けさが積もってゆく。
ダニエルはまだ幼いが、場の空気は理解できるようだった。さっきまでの怒りを吹き飛ばし、彼の緊張している気配が俺にまで伝わってきた。濃密になってくる暴力の気配に鳥肌を立てている。
「俺から金を取り上げ、国際指名手配にするだけで、縛れるとでも思っていたのか? この世界のことわりを、知ってないお前でもないだろう? 何でもありなんだぜ?」
叩き付けるように言ってみるが、リウの微笑みは揺るぎもしない。一々癇に障る女だ。
俺の言葉に触発されたのか、護衛の影がゆっくりと動く。二人の黒服の身体に圧倒的な暴力が満ちて、膨れ上がったように大きくなる。天井に悪魔が羽を広げたようだ。影が大きく広がった。
「取引しましょう」
彼女は言った。口から出た言葉はカミソリのようだ。発せられる前後で空気が変わった。
「賛成だ」
俺はゆくっりとダニエルの方を顎で示す。これ以降の話に彼は不要だ。そして、それは俺から言う事じゃなく、飼い主が言うべき事だ。
「ダニエル。席を外してくれるかしら?」
彼の頬が腫れ上がっているが、それを思いやるつもりはないようだ。まごまごしているダニエルに叱咤の声が飛ぶ。
「行きなさい」
ダニエルは雨に濡れた捨て犬のように目を昏くした。彼に慰めの言葉をかける奴など、この場にはいない。
「さあ、出て行けよ。キャプテン・ボーイスカウト。お前の飼い主の命令だ」
彼の心に傷が入っていく音が聞こえてくるようだ。表からは見えはしないが、心の背骨が折れてゆく様を眺めるのは心地良い。ダニエルは肩を落として出ていった。
「もう契約を取ってくるとは思わなかったわ。だけど、もっと具体的な話が欲しいわね。報酬の話は後。有能というなら、有能である事を私に証明してみせなさい」
扉が閉じられるなりリウはそう言い放った。椅子に深く腰掛け、白い足を組む。まるで浮浪者に侮蔑の言葉を投げ捨てているかのような態度。実に気に食わない。笑える程にだ。
「あなたの言うプランは、実行可能なの? ローデシア商会の取引をどうやって潰すつもり?」
彼女はそれが知りたいようだ。彼女は既に俺の答えを知っているはずだろう。あえて、それを訊いてくるのは、他に何かないか探る為。
「ウガンダでローデシア商会の取引を潰すのは簡単だ。難しい事じゃない」
「随分と簡単に言ってくれるわね?」
「そうだ。アハマドを通じて交渉すれば良いだろう? アハマドはウガンダの政府高官を知っているはずだ。彼はそう言っていた」
そう、紛争ダイアモンドの会談をしている時のあの会話。
俺はアハマドに訊いた。
「確認するが、ウガンダ政府に知人はいるんだな?」
そして、彼はこう答えた。
「ああ、問題ない」
ウガンダの閣僚に取り入れば良い。ローデシア商会から得られる金額より、より多くのリベートを渡してやる事でローデシア商会は簡単に潰せる。現地警察だろうが、通関員だろうが誰でも良い。摘発させて国際問題に仕上げてしまえば、ローデシア商会はどうしようも無くなる。
アメリカ人ビジネスマン、ロバートに取引詳細を捕まえられた時点でアウトだ。今までは馴れ合いで何もされなかったかも知れないが、新規参入プレーヤーが出てきた時点で、そいつは台無し。嬉しそうに手札を晒している奴は、いつだって間抜けと相場は決まっている。
ウガンダで取引を潰すと言った時点で、この構想は彼女の中にもあるはず。ただ、俺がアハマドではなく、違ったカードを使うかもしれない。それを期待していたのだろう。
彼女は馬鹿じゃない。でなければ、俺に食い散らかされる。
「ウガンダに運び込まれた武器はルワンダ、ブルンジへと送られる。しかし、これは現地の武器商人達が行う。現地武器商人の仕切りはアハマドを使えば良い。良い小遣い稼ぎになるだろう」
「民間軍事会社もローデシア商会が噛んでいる?」
「そうだ。ダニエルがそれを見つけた」
「食い込める?」
「簡単だ。そいつらにビジネスチャンスを与えるんだよ。アハマドが攻勢に出る時に、その民間軍事会社にデータを流してやれば、あいつらは食い付いてくる。出来試合を演じさせてやるんだよ。Win-Win-Winの関係だ」
満足そうな笑みがリウの唇に広がった。細められた目から初めて喜びの感情が溢れてきた。
「次のプランはあるの?」
「報酬次第。次は中東辺りだな」
これからだ。これからリウの内部を探ってゆく。
彼女から手札を引き出せるだけ引き出し、それから、彼女をどうするのか決めれば良い。
金と殺意の交差する複雑なこの関係。悪くない。
雇用関係とはこうあるべきだ。
【Supplement】
物語中での設定や背景の説明。
【カザフの武器輸出の経路など】
日本語での資料。このように多国籍ビジネスになっているので、
首謀者などを搦め捕ってゆくのは非常に難しい。
この物語世界では自由経済が、現在よりも進んでおり、
貨物移送などの取引はかなり増えており、全ての積み荷を管理できていない。
もちろん、検疫官も存在しているが、社会の二極化により、
検疫官を買収されやすくなっている。広がる格差が犯罪の温床になっている。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100125-OYT1T01459.htm
【PMC:民間軍事サービス】
要するに民間の軍隊会社。現代版の傭兵。
テロリストの不必要に煽り、アフリカ、イスラーム圏で起こった事件を
扇情的に報道する事で、こうしたビジネス需要を持ち上げられている。
異文化を理解するより、不理解する事で儲かるという構造になっており、
この構造について、物語は継承している。
本来、ジュネーブ条約で傭兵は禁止されているが、こういった会社形式にする事で、
それは乗り越えられた。また、国家にしても好都合である。
軍を派遣した場合、膨大な予算や作戦中の死傷者など、基本的に政権にとって
メリットは少ない。
ただ、国益を考えて、自分に有利な政権を樹立させる為には武力を輸出したい。
そういった場合の彼らである。
ただ、PMCは実力主義で、人格破綻者も多く居る。強ければ良い。実に簡単明瞭な
システム。捕虜を奴隷市場に売り飛ばしたりだとか、拷問だとか当たり前の世界。
ある意味、傭兵こそが理想的な経済人かも知れない。
http://www.ni-japan.com/topic367.htm
【アフガニスタンの武器商人】
アフガン武器商人のドキュメンタリーのような記事
リウや主人公のターゲットはは基本的にこう言った所ではない。
政府や反政府組織などに、大量に卸している。
ただ、政府、組織から前線への流通過程で士官や担当員の小遣い稼ぎで、
こういった個人商の所にも流れてゆく。
http://www.tabisora.com/travel/069.html




