~艶紅ノ節~ (一)
目が覚めた時、自分の側に欲しかった顔を見つける事はできなかった。
だが、それが当然であることを自分の頭は悲しい程に理解していた。
「雅史…っ!!」
瞼を開いた雅史に気付き、最初に声を上げたのは雅恭であった。
続いて周雅、雅匡の姿が視界に入る。自分を覗き込む顔に安堵の色が浮かびきる前に、兄たちを掻き分けるようにして父が目の前に現れた。
疲れの滲むその顔色に、雅史は少しばかり胸が痛む。
「雅史…良かった、気が付いて」
父は雅史の無事を確認すると後から入って来た月村医師にその場を空け、自分は隣で雅史の診察を見ていた。
本当に良かったと何度も呟く父の姿は、とても小さく見える。
つい先日、自分のことを厳しく叱り付けていた人物と同じであるとは到底思えない程に。
「――体の方は大丈夫でしょう。包帯を替えていきますから、もう少しお休みになって下さい」
月村はそう言うと雅史の首に巻かれた包帯を取り替えて、父である在原家当主と共に室を後にした。
二人が出て行った後、眠る気にもなれなかった雅史は、側に居た雅恭と話をすることにした。
どうしても聞きたいことがあったのである。
一体誰が自分を此処に運んだのか。そして若葉は今どうなっているのか。
他にも気になることと眠れない理由とがあったが、雅史はそれを伏せておいた。
雅恭の話によると、見付けたのは兄である自分で、駆け付けた時には、雅史は気を失っていたらしい。 若葉については、まだ牢の中に居るという。扉が開いていようとも、若葉に出る気はなかったと雅恭は付け加えた。
にわかには信じられない様子であった雅史も、あの時の若葉の様子を思い出したのか、少しだけ納得した様子を見せた。
茫然としていて意識があるのかさえ疑わしかった若葉の姿。どこか壊れてしまった人形のように、雅史の脳裏に残っている。若葉が起こした行動も、その所為だろう。そしてそれは、雅史の胸に新たな考えを芽生えさせていた。
次に雅史の質問は、紗霧のことへと変わった。
何故突然止めてしまったのか理由を聞いてはいないかと、雅史が尋ねると、雅恭は答えに戸惑ったが何も聞いていないとだけ口にした。そして雅史が眠り始めたのを見届けた後、この場を雅匡に任せて室を出た。
翌日から、雅恭は雅史の部屋に姿を見せなくなった。
家には帰って来ているらしいが、直ぐに何処かへ行ってしまうのだと雅匡から聞いた雅史は、何かあったのだろうかと、不安を募らせていた。そこへ、周雅が一通の手紙を持って部屋を訪れた。それは雅恭から雅史に宛てたものであった。
内容は、月村を遠ざけろというものだった。
何故そのようなことを言い出すのか、雅史には直ぐには解らなかった。けれども文の続きを読み進めて行くうちに、愕然とした。
自分の症状と、雅恭の記した薬の症状とが、酷似していたからである。
抑え難い眠気と、記憶の混濁。それによれば、自分は眠っていたと思っている間でも、起きている時間があるという。つまり、自分の意識が無い状態の時間があるということだ。
全身に震えが走った。
握り締めた兄からの手紙が、文字列から解き放たれて雅史の脳内を駆け巡る。そして雅史は決断した。
「――雅史、何を言っているのか解っているのか!?」
父の言葉を聞き流すようにして雅史は顔を背ける。
今の雅史にできる精一杯の抵抗であった。
「…雅史、よく考えなさい。お前の体はまだ完治した訳じゃないのだよ。今だって胸の痛みがある筈だ。そんな体で、医者の診察を断るなんて自殺行為だぞ。…何をそんなに苛立っているのか…。不満があるなら言ってみなさい。出来る限りのことは、叶えてやる。お前は私の大切な息子だからね」
宥めるように、努めて声を和らげながら雅史に言った。
「言ってみなさい、雅史」
「…ならば、兄を…。兄さんを呼んで下さい」
「雅史。それは出来ない。あ奴はこの家を出てから、私には何の連絡も寄越していない。何処で何をしているのかさえ、判っていない」
「ならば、このままで構いません。僕のことは放っておいて下さい」
「雅史…っ」
雅史は頭まで布団を被り、断固として自分の意見を通し続けた。何と言われようとも、気持ちは変わらない。その証拠に、月村が来ても口を利かず、奥の書室に閉じ篭もり診断を拒否した。
体が衰えるのが先か意識を失うのが先か。雅史にとっても、これは大きな賭けであった。




