第六話:掃除中の事故と規格外の輝き
俺とカエデの視線の先に、その建物は静かに佇んでいた。
地図に記されていた「森の洋館」。
それは、想像していたよりも遥かに立派で、そして遥かに厳重な代物だった。
まず目に入ったのは、敷地全体を取り囲む高い石垣だ。
苔むした石が隙間なく積まれ、城塞のような堅牢さを感じさせる。
その石垣の向こう側に、木々に飲み込まれそうになりながらも、堂々たる姿を見せている洋館の上部が見えていた。
石造りの二階建て。左右に翼を広げたような構造は、貴族の別荘か、あるいは隠れ家といった風情がある。
だが、その表面は長い歳月を物語るように、びっしりと蔦に覆われていた。
緑色の蔦は壁を這い、窓を塞ぎ、屋根の煙突にまで絡みついている。
まるで森そのものが、この洋館という人工物を飲み込もうとしているかのようだ。
「……出そうですね」
隣でカエデがぽつりと呟いた。
彼女は顔をしかめ、持っていたハンカチで鼻と口を覆っている。
「何がだよ」
「お化けです。あるいは、もっとタチの悪い何か。どう見ても廃屋じゃないですか」
「失敬な。ヴィンテージ物件と言ってくれ。磨けば光るタイプだって」
俺は軽口を叩いたが、カエデの懸念ももっともだ。
人の気配は全くない。
聞こえるのは風に揺れる葉の音と、どこか遠くで鳴く鳥の声だけ。
石垣に沿って歩くと、ほどなくして入り口となる正門が現れた。
錆びついた鉄の門扉。
かつては威厳を示していたであろう重厚な装飾も、今は赤茶色に腐食し、見る影もない。
蔦が鎖のように絡みつき、門扉を固く閉ざしている。
「鍵、かかってますね。というか、錆で固着して動きそうにありません」
カエデが杖の先で門をつついた。
カン、という鈍い音が返ってくる。
「乗り越えるか?」
「嫌です。服が汚れますし、スカートでそんな真似はできません」
「だよな。じゃあ、どうするか……」
俺が腕組みをして、どうやって開けようかと考えあぐねていた、その時だった。
ギィィィィィ……。
俺はまだ何もしていない。指一本触れていない。
なのに、錆びついてびくともしなそうだった鉄の塊が、まるで俺たちを待ちわびていたかのように、ゆっくりと内側へ開き始めたのだ。
重苦しい金属の摩擦音が、静まり返った森に不気味に響き渡る。
おいおい、なんだこのベタな演出は。
「……開きましたね」
カエデが一歩下がって、杖を構え直した。その顔は明らかに引いている。
「勝手に開きました。風も吹いていないのに。……これ、完全に『出る』やつですよね? 『ようこそ冥府へ』的なやつですよね?」
「考えすぎだって。きっと、主人の帰還を歓迎してくれてるんだよ。気が利く家じゃないか」
「ポジティブすぎます! どう見ても罠か心霊現象です!」
「まあまあ。自動ドアがついているなんて、いい物件だぞ」
「錆びついた鉄格子の自動ドアなんて聞いたことがありません!」
俺は怯えるカエデをよそに、悠々と門をくぐり、敷地内へと足を踏み入れた。
背後でカエデが「憑かれたら祓いますからね……」とブツブツ言いながらついてくる。
石畳のアプローチは雑草に埋もれ、所々ひび割れているが、歩くのには支障がない。
庭には見たこともない色の花が咲き乱れ、木々には赤い実がなっている。
手入れさえすれば、素晴らしい庭園になりそうだ。
今はただのジャングルだが。
アプローチの先に、ようやく洋館の全貌が現れた。
玄関の前には数段の階段があり、その上に木製の両開きの扉があった。
こちらは石造りの庇の下にあったおかげか、腐ってはいないようだ。
俺はドアノブに手をかけた。
鍵はかかっていない。
カチャリと音がして、ノブが回る。
「お邪魔しまーす」
誰に言うでもなく挨拶をして、俺は扉を押し開けた。
重たい木材が擦れる音とともに、屋敷の内部が露わになる。
開かれた隙間から、ひんやりとした空気が流れ出してきた。
それは、長い間時間が止まっていた場所特有の、埃とカビの混じった匂いを含んでいた。
「……うわ」
中を覗き込んだ俺は、思わず声を漏らした。
そこは広いエントランスホールだった。
天井は高く、吹き抜けになっている。
正面には二階へ続く大階段があり、優雅な曲線を描いている。
造りは素晴らしい。
王都の貴族の屋敷にも引けを取らないだろう。
だが、その惨状は目を覆うばかりだった。
床の大理石が見えないほどに積もった灰色の埃。
天井の隅やシャンデリアに幾重にも張り巡らされた蜘蛛の巣が、わずかな風に揺れておどろおどろしい影を落としている。
壁紙は薄汚れ、本来の色が分からないほどだ。
歩けば足跡がくっきりと残るだろう。
「……」
背後で、カエデが沈黙していた。
恐る恐る振り返ると、彼女は小刻みに肩を揺らしていた。
恐怖ではない。
そこにあるのは、生理的な嫌悪と、我慢の限界を超えた怒りだ。
「……無理です」
カエデがハンカチで鼻と口を強く押さえながら言った。
「この空気、肌に触れるだけで鳥肌が立ちます。物理的に汚いだけじゃありません。じめじめとして、陰気で、不衛生極まりない……!」
「まあ、ずっと閉め切ってたみたいだしな」
「それだけじゃありません。この薄暗い雰囲気、まるで幽霊屋敷そのものじゃないですか。私、こういう得体の知れない気配が大嫌いなんです」
カエデは眉間に深い皺を刻み、ホールの奥を睨みつけた。
彼女にとって、汚れと不気味さは同義らしい。
清潔で明るい場所こそが正義であり、このカビ臭く薄暗い空間は、彼女の生活領域として認められないのだ。
潔癖症の彼女にとって、ここは地獄の入り口に等しい。
「掃除すれば住めるって」
「掃除? ええ、しますよ。やりますとも。徹底的に!」
カエデが前に出た。
彼女は右手に握りしめた白い杖――魔導杖を構える。
その姿は、悪を討つために立ち上がった聖女そのものだった。
ただし、討つ相手は魔王ではなく、この屋敷を支配する不浄と陰気な空気だ。
「天道くん。貴方はそこで見ていてください。中途半端に手を出されると、埃が舞い上がって迷惑です」
「了解。高みの見物をさせてもらうよ」
俺は入り口の壁際に避難した。
カエデが深く息を吸い込む。
彼女の周囲の空気が、ピリリと張り詰めるのが分かった。
強大な魔力が練り上げられていく。
彼女の瞳には、汚れを許さない決意の炎が垣間見えた。
「この湿っぽい空気も、まとわりつくような埃も、すべて私の水で洗い流してあげます。明るく、清潔で、私が息をしても良いと思える空間に変えてみせます!」
カエデが高らかに宣言する。
それは単なる清掃作業への意気込みではない。
この不気味な廃屋を、彼女好みの空間へ作り変えるための宣誓のようなものだった。
「『清浄なる水よ、我が呼びかけに応え、あまねく穢れを払い、陰鬱なる空気を一掃せよ!』」
カエデの詠唱と共に、杖の先端が青白く輝いた。
ブォン、という低い音が響き、何もない空間から大量の水が湧き出した。
それは床を濡らすことなく、空中に浮かび上がり、カエデの周りを渦巻く龍のように回転し始めた。
美しい光景だ。
幻想的な青い光がホールを照らす。
その光が、薄暗かったホールを一瞬で明るく染め上げ、隅々に巣食っていた陰気な影を追い払っていく。
「行きます……浄化!」
カエデが杖を振るう。
水の龍が弾け飛び、無数の飛沫となってホール全体に拡散した。
それはただの水ではない。
カエデの意思が宿った、不浄を許さない聖なる水だ。
水滴の一つ一つが、壁に、床に、天井に吸い込まれるように張り付いていく。
シュアアアア……。
炭酸が弾けるような音が響き渡る。
水滴が汚れを分解し、包み込み、浮き上がらせている音だ。
こびりついた泥も、長年の埃も、油汚れも、カエデの水魔法の前では無力だった。
まるで早回しの映像を見ているかのように、世界の色が変わっていく。
くすんだ灰色が消え去り、白く輝く大理石が現れる。
壁の金色の装飾が輝きを取り戻す。
曇っていた窓ガラスが透明になり、外の光をたっぷりと取り込み始める。
「すげえ……」
俺は口をあんぐりと開けて見ていた。
もはや掃除というレベルではない。
空間そのものが一新されている。
しかも、水浸しになることは一切ない。
汚れを吸着した水は、空中で再び集まり、一つの巨大な黒い球体となってホールの真ん中に浮かんでいる。
綺麗な水だけが蒸発し、汚れの塊だけが残る仕組みらしい。
「ふん!」
カエデが杖を一振りすると、その黒い球体は玄関の外へと弾き飛ばされ、庭の彼方へと消えていった。
後に残ったのは、新築同様に輝くエントランスホールだけ。
空気までもが清々しい。
さっきまでのカビ臭さは微塵もなく、森の新鮮な空気が満ちている。
「……ふぅ。まずは玄関、クリアです」
カエデが額の汗を拭う仕草をした。実際には汗などかいていないようだが、達成感の表現なのだろう。
彼女はコツコツとヒールを鳴らして磨かれた床を歩き、手すりを指でなぞって確認している。
「埃ひとつありません。これなら幽霊も逃げ出すでしょう」
「ああ、眩しいくらいだ。これならお化け屋敷なんて言われないな」
「当然です。私が住む場所に、あんな陰気な雰囲気など許しません。……さあ、次はリビングに行きますよ。あそこも薄暗くて気持ち悪かったので、徹底的にやります」
カエデの目は本気だった。
彼女の潔癖心と、恐怖を怒りで塗りつぶすパワーに火がついてしまったらしい。
こうなると、もう誰にも止められない。
俺たちは一階の部屋を順に攻略していくことになった。
まずはメインのリビングルーム。
広々とした部屋には、暖炉と、見るからに高そうな革張りのソファセットが置かれている。
ここも埃まみれで、カーテンはボロボロになり、まるでお化けの住処のようだったが、カエデの魔法が一掃した。
綺麗になったソファに、俺は早速ダイブしてみる。
「うお、最高……」
体が沈み込むような柔らかさ。
革の感触も滑らかで、まるで高級ホテルのラウンジだ。
馬車のシートも良かったが、このソファも負けていない。
足を伸ばしてくつろげる広さがあるのがいい。
「天道くん、くつろぐのは後です。次は食堂に行きますよ」
「へいへい」
俺は渋々ソファから起き上がり、カエデの後を追う。
食堂には、二十人は座れそうな長いテーブルが鎮座していた。
カエデが杖を一閃させると、テーブルの上の汚れが消え、磨き上げられた木目が美しい光沢を放つ。
「これなら、いつでもパーティが開けますね」
「参加者は俺たち二人だけだけどな」
「形が大事なんです。食事は環境で味が変わりますから。薄汚れた場所で食事なんて、私のプライドが許しません」
そして、カエデが最も力を入れたのが厨房だ。
料理好きで潔癖症の彼女にとって、安全地帯とも言える場所。
そこには、俺の知っている世界のものとは少し違うが、明らかに「コンロ」や「オーブン」の役割を果たす設備があった。
さらに、壁際には巨大な箱のようなものがある。
「この箱、中から冷たい空気が出ていますね。何か光る石のようなものが埋め込まれています」
「魔法で冷やしてるのか? ってことは、冷蔵庫みたいなものか」
「おそらく。ここの技術は分かりませんが、食材の保存には使えそうです」
カエデの声が弾んでいる。
彼女はピカピカになった調理台を愛おしそうに撫でた。
不衛生の極みだった場所が、彼女の手によって清潔なラボのように生まれ変わっていた。
水回りも申し分ない。
蛇口をひねると、透明な水が勢いよく出てくる。
どうやら、この屋敷の水道設備は生きていたらしい。あるいは、カエデの魔力が呼び水となって再起動したのかもしれない。
「素晴らしいです。これならまともな料理が作れます」
「そりゃ楽しみだ。今日の晩飯、期待してるぞ」
「食材があれば、ですけどね」
一通りの掃除を終え、俺たちは再びリビングに戻ってきた。
一階は見違えるように綺麗になった。
窓を開け放つと、午後の明るい日差しが差し込み、磨かれた床や家具を暖かく照らしている。
もはや廃屋の面影はない。
俺たちはソファに座り、馬車から持ってきた水筒の水を飲んだ。
ただの水だが、労働の後の一杯は格別だ。
俺はほとんど見ていただけだが、気疲れくらいはしたということで。
「さて、残るはあの部屋だけだな」
俺は視線を廊下の奥に向けた。
一階の突き当たりにある部屋。
扉の隙間から、古い紙の匂いが漂ってくる場所だ。
「書斎、ですね」
「ああ。何か役に立つものでもあるといいんだが」
俺たちは重い腰を上げ、最後の部屋へと向かった。
扉を開けると、そこは知識の宝庫だった。
壁一面の本棚に、びっしりと並べられた書物。
中央には重厚な執務机。
そして部屋の隅々には、ガラス戸のついた飾り棚が置かれ、中にはコレクションが陳列されている。
「うわ、本だらけ」
「すごい数ですね……。歴史書、魔法理論、魔物図鑑……。この世界のあらゆる知識がここにありそうです」
カエデが目を輝かせて本棚に駆け寄る。
彼女は背表紙を目で追い、一冊の本を慎重に手に取った。
パラパラとページをめくる。
「読めます。召喚の時の恩恵ですね。これがあれば、私たちはこの世界のことを学べます。街の位置や、通貨の価値、常識や法律まで」
「勉強熱心なこった」
俺は、飾り棚の方へ近づいた。
中には、ねじれた角のようなものや、複雑な幾何学模様が刻まれた金属板、動物の骨で作られた置物などが並んでいる。
前の住人は「変人貴族」だったらしいが、なかなかの収集癖があったようだ。
その棚の中で、一際存在感を放つ物体があった。
台座に鎮座する、直径三十センチほどの透明な球体だ。
水晶玉。
あの王宮の玉座の間にあった「真実の水晶」によく似ているが、あれよりも透き通った水晶に見える。
「これで占いでもするのかな」
「天道くん、そこも掃除しますから退いてください」
カエデが本を置いて近づいてきた。
彼女は杖を構え、棚のガラス戸を開けた。
繊細なコレクションを傷つけないよう、魔力を絞って慎重に埃を払おうとする。
「細かい作業だな」
「壊したら大変ですからね。集中しますから話しかけないでください」
カエデは、杖の先端を棚の中へと差し入れた。
水晶玉の周りの埃を、風で巻き上げるようにして除去しようとした、その時。
カツン。
カエデの肘がわずかに動き、杖の先端が水晶玉に接触した。
本当に、軽く触れただけだった。
デコピンよりも弱い衝撃。
だが、その水晶にとっては、それが起動の合図だったらしい。
ブォン!
空気が震えるような低い音が響いた。
次の瞬間、水晶玉の中心から、目を開けていられないほどの黄金の光が溢れ出した。
「っきゃっ!」
カエデが短く悲鳴を上げて飛び退く。
俺も反射的に腕で顔を覆った。
フラッシュバンのような強烈な閃光。
部屋全体が金色に染まり、影という影が消え失せる。
「な、なんですか!? 爆発!?」
「お前が叩いたんだろ!」
「叩いてません! 触れただけです!」
俺たちが言い合っている間に、光は収束し始めた。
水晶玉の上空、俺たちの目の高さあたりに、光が集まっていく。
そして、空中に文字列が浮かび上がった。
ホログラムのようなステータス画面。
それは城で見たものと同じ形式だった。
=========================
名前:天道 アタル
職業:一般人
レベル:2
体力:15
魔力:15
スキル:
【天運招来EX】
=========================
そこまでは、見慣れた……いや、少し数値が上がっているが、誤差の範囲だ。
問題は、その下に表示された項目だった。
スキル:【天運招来EX】
城では「なし」と表示されていたスキルに、金色の文字で堂々と刻まれていたのだ。
EX。
エクストラ。
規格外。
その意味を理解した瞬間、俺の隣でカエデが固まった。
「……は?」
彼女の美しい唇から、間の抜けた音が漏れる。
カエデは目をこすり、瞬きをして、もう一度文字を見た。
幻覚ではない。
そこには確かに、俺の隠された能力が示されていた。
「天運……招来? しかも、ランクEX……?」
「みたいだな」
俺は頭をかいた。
まあ、そうなるよな。
ボタンの件、チョークの件、馬車の件、そしてこの屋敷の件。
これだけ都合のいいことが起これば、何か仕掛けがあるとは思っていた。
それがスキルという形で証明されただけのことだ。
「これ、城ではスキルが出ませんでしたよね?」
「ああ。『なし』だったな」
「……信じられません」
カエデがふらりと机に歩み寄り、一冊の本を開いた。
さっき見ていた魔法道具の専門書だ。
彼女は血眼になってページをめくる。
「ありました。『真実の水晶』……伝説の魔法使いが作ったとされる、魔導具。神の加護や、隠蔽された真実すらも見通す……」
「へえ、いいもん拾ったな」
「感心してる場合ですか! これ、とんでもないことですよ!」
カエデが本を叩きつけて俺に詰め寄る。
「ランクEXは、規格外のレベルです。勇者の『光魔法』だってランクSなんですよ? それを超えるスキルなんて……。城の水晶じゃ測定できなくて当然です。測定不能だったから『なし』と表示されたんですね」
「なるほど。テキトーな水晶だったわけか」
「……貴方、自分のことなのにどうしてそんなに他人事なんですか」
カエデが呆れ果てたように肩を落とした。
俺は肩をすくめた。
「だって、スキルがあろうとなかろうと、俺は俺だろ。運が良いのは便利だけど、それで世界を救えって言われても困るし」
「それは……そうですが」
「むしろ、城でバレなくてよかったよ。もしバレてたら、間違いなく最前線送りだ。魔王の攻撃が全部外れる盾として使われたかもしれない」
俺の言葉に、カエデは想像したのか、ぞっとしたように体を震わせた。
「確かに……。あの女王ならやりかねませんね。『無敵の盾』として貴方を矢面に立たせる未来が見えます」
「だろ? だから、これは俺たちだけの秘密だ」
俺は人差し指を口元に当てた。
カエデは少し考えてから、深く頷いた。
「分かりました。この情報は封印しましょう。……それにしても、納得がいきました」
「何が?」
「貴方の周りで起こる理不尽なほどの幸運です。あの馬車も、この屋敷も、全部このスキルのせい……いえ、おかげだったんですね」
カエデは水晶に表示された文字を見つめ、複雑そうな顔をした。
呆れと、羨望と、そして少しの安堵のある表情だ。
「私の努力や計算が、貴方の運の前では霞んで見えます」
「そんなことないって。この屋敷を見つけたのは俺の運だけど、これを住める場所にしたのはカエデの力だ。俺一人じゃ、ここで埃まみれになって寝るしかなかった」
「……ふん。分かっていればいいんです」
カエデはそっぽを向いたが、耳が少し赤くなっていた。
満更でもないらしい。
「ついでに、カエデのも見てみるか? 掃除でレベルアップしてるかもよ」
「そうですね。私も気になります」
カエデが水晶に手を触れる。
表示が切り替わる。
=========================
名前:冷泉 カエデ
職業:大聖女
レベル:15
体力:20
魔力:250
スキル:
【水魔法】レベル10
【浄化】レベル5
=========================
「……あら」
カエデが目を見開いた。
レベルが1から15へ。
魔力が85から250へと跳ね上がっている。
「レベルがこんなに……。まだ魔物一匹倒していないのに」
「この屋敷中の埃という敵を全滅させたからじゃないか? MVP級の活躍だったし」
「ゲームや小説の常識で考えても、ただの掃除でレベルが上がるなんてありえません。普通は魔物を倒したり、厳しい訓練をして強くなるものでしょう?」
カエデが考え込んでいる。
まだこの世界の常識を詳しくは知らない俺たちだが、それでも「掃除=レベルアップ」という方程式が成立しないことくらいは分かる。
雑巾がけで英雄になれるなら、この国の清掃員は世界最強の軍団になっているはずだ。
「……もしや、これも貴方のスキルの恩恵なのでしょうか」
カエデが推測する。
『天運招来』が周囲の人間にも良い影響を与えるのだとしたら、彼女の急成長も説明がつく。
俺の近くにいるだけで、経験値ボーナスが入るようなものか。
歩くパワースポットだな、俺。
「強くなったんだから、素直に喜べよ。これでより強力な魔法が使えるようになったんだろ?」
「ええ。魔力がこれだけあれば、屋敷全体の結界を張り直すこともできそうです。防犯対策も万全になりますね」
カエデは早速、今後の管理計画を立て始めているようだった。
頼もしい限りだ。
水晶の光がゆっくりと消えていく。
部屋には静寂が戻ったが、俺たちの空気感は少し変わっていた。
お互いの「役割」と「能力」を再確認し、これからの生活への自信が確信に変わったような気がする。
「さて、一階はこれで制覇だな」
俺は伸びをした。
外を見ると、まだ日は高い。
「次は二階ですね。寝室を決めないと」
「ああ。一番ふかふかなベッドは俺がもらうからな」
「それはジャンケンで決めましょう。公平に」
俺たちは階段へと向かった。
ピカピカに磨かれた手すりに手をかけ、二階へと続く段差を上がっていく。
「天道くん、足元気をつけてくださいね。まだ二階には、何があるか分かりませんから」
「へーきへーき。俺には最強の運がついている」
「……本当に、調子のいい人ですね」
カエデの呆れ声も、どこか心地よく聞こえた。




