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第五話:深き森の放り出しものと泥まみれの幸運

 快適な揺れが止まったのは、太陽が頭上の高い位置まで昇った頃だった。

 俺はふかふかのシートに身を沈めたまま、夢うつつの中で瞼を開けた。

 あまりにも寝心地が良すぎて、ここが異世界へ向かう護送車の中だということを忘れそうになる。

 窓の外から、鳥のさえずりと木々が風に揺れる音が聞こえてくる。


「……着いたか」


 俺は大きく伸びをして、凝り固まってもいない体をほぐした。

 向かいの席では、冷泉カエデが既に荷物をまとめ終え、姿勢正しく座っている。

 彼女は窓の外を厳しい眼差しで見つめていた。


「天道くん。起きてください。到着したようです」

「ああ、分かってる。……名残惜しいなあ」


 俺は座面の革を愛でるように撫でた。

 この馬車ともこれでお別れだ。

 王都を出てから数日。俺たちは本来なら囚人として扱われるはずが、手違いと勘違いの連鎖によって、王族のような旅を続けてきた。

 食事は美味かったし、ベッド代わりのシートは最高だった。

 これから始まるサバイバル生活を思うと、この空間から出るのが億劫になる。


 コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開かれた。

 護衛の兵士長が、申し訳なさそうな顔で立っている。


「……ここが、目的地だ」

「ご苦労さん。安全運転で助かったよ」


 俺が礼を言うと、兵士長は複雑そうな表情で頭を下げた。

 彼らの中では、俺たちは「女王陛下の深遠な配慮によって試練を与えられた特別な存在」ということになっているらしい。

 だから、本来なら森の入り口で蹴り出されるところを、こうして丁寧に声をかけられているわけだ。


「この先は『深き森』と呼ばれる未開の地だ。地図にも詳細は載っていない。我々が案内できるのはここまでとなる」

「十分だよ。あとは自分たちでなんとかする」


 俺はカエデに目配せをして、馬車から降りた。

 一歩足を踏み出すと、そこは別世界だった。

 足元には柔らかい腐葉土が広がり、見上げるような巨木が何本もそびえ立っている。

 木漏れ日がスポットライトのように地面を照らし、空気はひんやりと澄んでいた。

 王都の喧騒とは無縁の、圧倒的な静寂と自然の匂い。


「……これは」


 続いて降りてきたカエデが、ハンカチで口元を押さえた。

 彼女の視線が、地面を這う虫や、垂れ下がる蔦、湿った苔に向けられる。

 その瞳には、隠しきれない嫌悪感が浮かんでいた。


「自然豊か、というよりは……ただのジャングルですね」

「まあ、開拓地って聞いてたしな。こんなもんだろ」

「舗装された道も、建物も、水道もありません。ここで生活しろというのは、正気とは思えません」


 カエデの不満はもっともだ。

 現代日本で清潔な暮らしに慣れていた女子高生にとって、この環境は過酷すぎる。

 潔癖症の彼女なら尚更だ。


 兵士たちが俺たちの荷物を降ろしていく。

 といっても、二つのリュックサック――内容は水筒と非常食めいた黒く硬いパンと塩の結晶が浮くほど干からびたジャーキー。

 これで「死ぬまで国のために尽くせ」というのは、やはり遠回しな死刑宣告に他ならない。


「では、我々はこれで。……どうか、ご無事で」


 兵士長が敬礼をする。

 他の兵士たちも、どこか憐れむような、それでいて敬意を払うような微妙な目つきで俺たちを見た後、馬車へと戻っていった。

 御者が鞭を振るう音が響き、白い豪華な馬車は来た道を引き返していく。

 遠ざかる車輪の音が聞こえなくなるまで、俺たちはその場に立ち尽くしていた。


 そして、静寂が訪れた。

 風が木々を揺らす音だけが、ザワザワと耳に届く。


「……行っちゃったな」

「他人事のように言わないでください。私たちは捨てられたんですよ」


 カエデが冷たい声で現実を突きつけてくる。

 彼女は足元の土が靴につくのを気にして、何度も地面で靴底を擦っていた。


「とりあえず、現状を確認しましょう」


 彼女は気持ちを切り替えたのか、手帳を取り出した。

 こういう時の彼女の切り替えの早さは頼もしい。


「現在地は『深き森』の入り口付近。王都からは馬車で三日の距離です。徒歩での帰還は不可能と考えた方がいいでしょう」

「戻る気はないよ。あんな堅苦しい城より、こっちの方が気楽でいい」

「貴方はそうでしょうね。でも、生きていくために必要なものがありません。水だけは私の魔法で生成できますが、食料は支給されたものだけ。何より……」


 カエデは周囲の鬱蒼とした木々を見回した。


「寝る場所がありません。野宿ですか? この虫だらけの土の上で?」

「木の上とか?」

「論外です。落ちて死にます。それに、熊や狼が出るかもしれません。屋根と壁のある場所を確保するのが最優先です」


 カエデの主張は正しい。

 雨が降ればずぶ濡れになるし、夜になれば気温も下がるだろう。

 安全な拠点は必須だ。

 だが、この見渡す限りの大自然の中で、都合よく家が見つかるとは思えない。

 自分たちで作るにしても、俺たちには道具も技術もない。


「まあ、なんとかなるさ。少し歩いてみようぜ。いい場所があるかもしれない」


 俺は適当なことを言って、森の奥へと足を踏み出した。

 根拠はない。

 ただ、じっとしていても始まらないし、俺の『勘』がこっちだと言っている気がしたからだ。


「待ってください! 勝手に行かないで!」


 カエデが慌てて追いかけてくる。

 彼女は長いスカートの裾を気にしながら、慎重に歩を進めていた。

 俺はポケットに手を突っ込んで、散歩でもするような気分で森を進む。

 道なき道だ。

 草をかき分け、垂れ下がる枝をくぐり抜ける。

 時折、カサカサと何かが動く音がするが、襲ってくる気配はない。

 俺が通る道だけ、なぜか歩きやすいように草が倒れていたり、棘のある植物が生えていなかったりする。

 これも俺の運の良さなのだろうか。



 三十分ほど歩いただろうか。

 少し開けた場所に出た。

 太陽の光が差し込み、小さな広場のようになっている。


「……少し、休みましょう」


 カエデが息を切らして言った。

 体力のない彼女には、整備されていない森の道はきついようだ。

 俺は頷いて、手近な倒木に腰を下ろそうとした。


 その時だった。


 カツン。


 右足のつま先に、何か硬い感触があった。

 石か? いや、木の根っこにしては硬すぎる。

 俺はバランスを崩しそうになり、おっとっと、と片足で踏ん張った。


「危ないですよ。足元くらい見てください」

「いや、なんかあったんだよ。埋まってた」


 俺は足元を見た。

 腐葉土の中から、わずかに茶色い曲線が顔を出している。

 石ころではない。人工的な丸みを帯びていた。


「なんだこれ?」


 俺はしゃがみ込み、手で土を掘り始めた。

 土は柔らかく、簡単に掘り返すことができる。

 カエデが後ろから覗き込む。


「素手で触るなんて……破傷風になったらどうするんですか」

「洗えばいいだろ。お、出てきた」


 土の中から現れたのは、古びた壺だった。

 大きさはバスケットボールくらいだろうか。

 表面には土がこびりついているが、割れている様子はない。

 口の部分には、木の蓋がねじ込まれていた。


「壺ですね。ゴミでしょうか」

「ゴミにしては、しっかり封がしてあるな。埋蔵金だったりして」


 俺は冗談めかして言いつつ、壺を持ち上げた。

 ずっしりとした重みがある。

 振ってみると、コトコトと中で何かが動く音がした。

 液体ではない。固形物だ。


「開けてみるか」


 俺は蓋に手をかけた。

 長い間埋まっていたせいで、蓋は固着しているかと思ったが、意外にもすんなりと回った。

 パカッという乾いた音と共に、蓋が外れる。


 中から出てきたのは、金貨でも宝石でもなかった。

 黒ずんだ布の塊だ。


「……布?」


 俺は拍子抜けした。

 壺の中から取り出してみる。

 それは泥とカビと、経年劣化でドロドロになった、ただの汚い雑巾にしか見えなかった。


「うわっ、汚い!」

「きゃっ!」


 俺が布を広げようとすると、カエデが悲鳴を上げて後ずさりした。

 彼女の顔は蒼白だ。


「なんですかそれ! カビの胞子が飛んでます! 早く捨ててください!」

「いや、待てよ。わざわざ壺に入れて埋めてあるんだ。何か意味があるのかもしれない」


 俺は布を観察した。

 確かに汚い。触っている指先が黒くなるレベルだ。

 でも、生地自体はボロボロになっていない。

 引っ張ってみても破れないし、むしろ丈夫な感触がする。

 ただの布切れなら、こんなに厳重に保管しないはずだ。


「カエデ、これ洗ってくれないか?」

「嫌です! 絶対に嫌です! そんなバイ菌の塊に触りたくもありません!」


 カエデが首をブンブンと横に振る。

 全身で拒絶している。

 まあ、気持ちは分かる。

 今のこれは、生ゴミ入れの底にある布みたいな見た目をしているからな。


「触らなくていいよ。お前の魔法なら、水を操って洗えるんだろ?」

「それは……できますけど」

「頼むよ。これがもしかしたら、俺たちを救う重要アイテムかもしれないんだ。俺の『勘』がそう言ってる」


 俺は真剣な顔で言った。

 カエデは俺の顔と、手元の汚い布を交互に見た。

 彼女は深く、それはもう深くため息をついた。


「……分かりました。貴方がそこまで言うなら、試してみます。ただし、私は絶対に触れませんからね」

「ああ、それでいい」


 俺は布を地面に置いた。

 カエデが杖を構える。

 彼女の瞳がすっと細められ、空気が変わった。

 教室で騒ぐ男子を一喝した時のような、凛とした気配だ。


「『清浄なる水よ、我が呼びかけに応え、穢れを払いたまえ』」


 彼女が静かに言葉を紡ぐ。

 それは呪文というよりは、自分の中のイメージを固定するための宣言のように聞こえた。

 杖の先から、青く澄んだ光が溢れ出す。

 空中の水分が集まり、小さな水の球が生まれた。

 それは生き物のようにうねりながら、地面の布へと向かっていく。


 バシャッ、と水をかけるのとは違う。

 水は布を優しく包み込み、繊維の隙間に入り込んでいった。

 高速で回転する洗濯機の中にいるように、水流が布の表面を撫でていく。


「……浄化せよ」


 カエデが短く呟く。

 すると、透明だった水がみるみるうちに黒く濁っていった。

 布に染み付いた泥、油、カビ、あらゆる汚れが、水の方へと吸い出されていくのだ。

 見ているだけで気持ちがいい。

 テレビショッピングの実演販売でも、ここまで綺麗には落ちないだろう。


 やがて、汚れた水は弾き飛ばされ、地面に吸われて消えた。

 後には、新品同様に輝く布だけが残された。

 魔法によって乾燥まで済んでいるらしく、ふわっと風に舞い上がったそれを、俺は空中でキャッチした。


「……すげえな」


 俺は思わず感嘆の声を上げた。

 さっきまでのボロ雑巾が嘘のようだ。

 手の中にあるのは、滑らかな手触りの、深紅の織物だった。

 光沢のある糸で複雑な模様が織り込まれており、端には金色の房がついている。

 どう見ても高級品だ。


「綺麗になりましたね。……素材はシルクでしょうか。かなり上質なものです」


 カエデも興味深そうに近づいてきた。

 魔法で綺麗になったと分かれば、彼女の警戒心も解けるらしい。


「何か書いてあるぞ」


 布を広げてみると、そこには文字が刺繍されていた。

 この世界の言葉だ。

 俺は召喚された時に言語理解の能力も貰っていたらしく、スラスラと読むことができた。


「えーと、『この証を持つ者に、森の洋館の所有権を譲渡する』……?」


 俺は声を上げて読み上げた。

 カエデが横から覗き込む。


「『洋館の位置は以下の通りとする』……地図もついていますね」

「まじか。これ、不動産の権利書ってことか?」

「誰が書いたものでしょうか。署名には……『とある変人貴族』としかありませんが」


 怪しい。

 とてつもなく怪しい。

 変人貴族が森の中に屋敷を建てて、その権利書を壺に入れて埋めたということか。

 どんな遊び心だ。あるいは、何かの遺産相続トラブルから隠したのか。

 普通なら、罠を疑うところだ。

 だが、今の俺たちにとって、これ以上の朗報はない。


「屋敷だってさ。屋根と壁、確保できたぞ」

「……喜ぶのは早いです。廃屋かもしれませんし、そもそも実在するかも分かりません」

「行ってみれば分かるさ。地図によると……ここからそんなに遠くない。歩いて十分くらいだ」


 俺は地図の方角を確認した。

 運良く、俺たちが歩いてきた方向の延長線上にある。


「行こうぜ、カエデ。今日の寝床が待ってる」

「はぁ……。期待せずに確認だけしに行きます。もし崩れかけた小屋だったら、すぐに引き返しますからね」


 カエデは渋々といった様子だったが、その表情には微かな期待の色も混じっていた。

 野宿よりは、どんなボロ屋でもマシだと思っているのだろう。


 俺たちは再び歩き出した。

 今度は目的地がある分、足取りも軽い。

 俺は手の中の赤い布を握りしめた。

 やっぱり、俺の運は健在だ。

 追放された先で、最初に拾ったものが家の権利書だなんて、出来すぎている。

 まるで、誰かが俺たちのために用意してくれていたみたいだ。


 しばらく歩くと、木々の密度が低くなってきた。

 そして、前方に人工的な石積みが見えてきた。石垣だ。石垣が広い敷地を囲っている。

 その石垣の中心にあるのは、錆びついた鉄の門扉。

 その奥に、木々に飲み込まれそうになりながらも、堂々たる姿を見せている洋館があった。


「……あれか」

「大きいですね」


 俺たちは立ち止まった。

 そこにあったのは、小屋なんてレベルのものではなかった。

 二階建ての、石造りの洋館だ。

 蔦が外壁を覆い尽くし、窓ガラスは汚れて曇っているが、建物自体の骨格はしっかりしているように見える。

 幽霊屋敷と言われれば信じてしまいそうな雰囲気だが、間違いなく家だった。


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