第四話:取り違えられた馬車と白いステッキ
城門の先には、広場と呼ぶには少し手狭な、石畳の空間が広がっていた。
そこには一台の馬車が停まっている。
俺たちの視線の先にあるその物体を、馬車と呼んでいいものか、俺は少し首を傾げた。
車輪がついているから移動手段なのだろうが、その見た目はどう見ても移動式の檻だった。
窓には太い鉄格子が嵌められ、木造の車体はあちこちが黒ずみ、腐りかけているように見える。
馬をつなぐ棒の部分もささくれ立っていて、牽引する馬もどこか痩せ細って元気がない。
全体的に、「ここに入ったら生きては出られませんよ」という無言の圧力を放っている。
なるほど。
これが俺たちを地獄の『深き森』へと連れて行くための馬車というわけか。
女王陛下も随分と念が入っている。
ただ追放するだけでなく、移動中もたっぷりと惨めな思いを味わわせようという魂胆らしい。
「うわぁ……」
隣でカエデが、露骨に嫌そうな声を出した。
彼女は眉間に深いしわを刻み、ハンカチで口元を押さえている。
「不潔です。あんなものに乗せられたら、目的地に着く前に病気になってしまいます」
「まあ、贅沢は言えないだろ。俺たちは無能な囚人なんだから」
俺は努めて軽く言った。
実際、覚悟はしていた。
ふかふかのシートなんて期待していない。
雨風がしのげれば御の字だし、最悪、荷台に放り込まれるだけでも移動の手間が省けるならそれでいい。
俺は自分の足で歩くのが何よりも嫌いなのだ。
「さあ、乗れ! ぐずぐずするな!」
護送役の兵士が、槍の柄で俺の背中を突こうとした。
俺はそれをひらりと身をかわして避ける。
兵士はバランスを崩してよろめいたが、すぐに体勢を立て直し、顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「貴様! 反抗する気か!」
「滅相もない。足が滑っただけだよ」
俺は両手を上げて降参のポーズをとる。
兵士は舌打ちをして、檻の扉に手をかけた。
「いいから入れ。お前らの席はあの藁の上だ」
兵士が指差した先、檻の中には確かに藁が敷き詰められていた。
だが、その色は茶色く変色し、何かの排泄物の臭いすら漂ってきそうだ。
カエデの顔色が青ざめていく。
潔癖症の彼女にとって、あそこは物理的な地獄だろう。
俺は小さく息を吐いた。
さて、どうしたものか。
俺一人なら適当に鼻をつまんで寝ていればいいが、この生真面目な委員長が発狂するのを見るのは、あまり気分のいいものではない。
兵士が檻の鍵を開けようと、ガチャガチャと乱暴に鍵穴をいじり始めた時だった。
バキッ!
乾いた音が、広場に響き渡った。
全員の動きが止まる。
音の出所は、俺たちの目の前にある護送車だった。
後輪の車軸付近から、悲鳴のようなきしみ音が聞こえてくる。
「なんだ?」
兵士が怪訝な顔で覗き込んだ、その瞬間。
ドゴォォォン!
凄まじい音と共に、護送車の後輪が弾け飛んだ。
支えを失った車体が大きく傾き、地面に激しく打ち付けられる。
腐りかけていた木材は衝撃に耐えきれず、メキメキと音を立てて崩壊し、鉄格子がひしゃげて外れ落ちた。
あっという間に、護送車はただの瓦礫の山と化した。
もうもうと土煙が舞い上がる。
俺とカエデは、呆然と立ち尽くしていた。
兵士たちも、口をあんぐりと開けて固まっている。
痩せた馬だけが、驚いていななき、繋がれていた棒を引きちぎってどこかへ逃げ去ってしまった。
「……壊れましたね」
カエデが、冷静な声で事実を述べた。
俺はポリポリと頬をかく。
「ああ、壊れたな。派手に」
整備不良にも程がある。
もし俺たちが乗った後にこうなっていたら、今頃は大怪我をしていたかもしれない。
乗る前でよかった。
本当に、俺の『運』はいい仕事をする。
「お、おい! どうするんだこれ!」
「馬車がないぞ! これじゃあ囚人を運べないじゃないか!」
兵士たちが慌てふためき始めた。
彼らの任務は、俺たちを今日中に王都から連れ出すことだ。
女王陛下の命令は絶対であり、遅れれば彼らの首が飛ぶかもしれない。
「代わりの馬車を手配しろ! 急げ!」
「無理ですよ隊長! 囚人用の馬車はこれ一台しか空きがなかったんです!」
「なんだと!? じゃあ歩かせるのか?」
「『深き森』まで徒歩なんて、一ヶ月かかっても着きませんよ!」
現場はパニック状態だ。
俺は心の中でニヤリと笑った。
これはチャンスだ。
このまま出発が延期になれば、とりあえず今日はどこか屋根のある場所で休めるかもしれない。
あるいは、面倒になった兵士たちが、俺たちを適当な場所で解放してくれる可能性だってゼロではない。
だが、事態は俺の予想とは違う方向へと転がり始めた。
広場の向こう側から、一人の初老の男が走ってきたのだ。
上質な服を着て、手には分厚い書類の束を抱えている。
どうやら、城の事務を取り仕切る役人のようだ。
「おい、そこの兵士たち! 何をしている!」
「じ、事務官殿! 実は事故がありまして……」
兵士長が事情を説明すると、事務官は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ええい、使えない連中だ。女王陛下は、彼らを『直ちに』追放せよと仰せなのだぞ。一刻の猶予も許されん」
「しかし、運ぶ手段が……」
「手段ならあるだろう。そこに見えているではないか」
事務官が指差した先。
俺たちの視線の外側、広場の隅の木陰に、もう一台の馬車が停まっていた。
さっきの護送車とは、天と地ほどの差がある代物だ。
車体は白く輝くように塗装され、窓には高価なガラスが嵌められている。
車輪には衝撃を吸収するためのバネのような機構が見え、屋根にはアステリア公国の紋章が金色のレリーフで飾られていた。
見るからに、高貴な身分の人間が乗るための馬車だ。
「あれは……辺境伯の視察用に手配されていた予備の馬車では?」
「そうだ。だが、急な予定変更で、今は空いている」
「ですが、あれを罪人に使わせるなど……」
兵士長が躊躇する。
当然だ。
あんな豪華な馬車に、俺たちのような「無能」と「反逆者」を乗せるなど、常識では考えられない。
事務官はイライラした様子で、手元の書類をめくった。
その時、一陣の風が吹き抜けた。
春の陽気を含んだ、少し強めの風だ。
事務官の手の中で、書類がバサバサと音を立てて舞い上がり、数枚が宙に浮いた。
「ああっ! 私の書類が!」
事務官が慌てて空中の紙を掴み取る。
彼は乱れた書類を適当に束ね直し、一番上のページに目を落とした。
そこには、俺の名前が書かれていた。
ただし、何かの手違いか、あるいはインクの滲みか、『天道アタル』の文字の横に、王族を示すような特殊な印章がかすれて写り込んでいたのだ。
さっき風で飛んだ時に、別の重要な書類と重なり、インクが移ってしまったのだろうか。
事務官の目が、点になった。
彼は俺と、書類と、そして崩壊した護送車を交互に見比べた。
そして、何かに納得したように大きく頷いたのだ。
「……なるほど。そういうことか」
「は? どういうことですか?」
「貴様ら、察しが悪いぞ。これは女王陛下の『慈悲』であり、同時に『試練』なのだ」
事務官は声を上げて、兵士たちに説くように言った。
「陛下は表向き、彼らを追放するとおっしゃった。だが、異界の客人に対して、最初から最後まで非道な扱いをするのは王家の名折れとなるとお考えになったのかもしれん。だからこそ、護送車が壊れることを見越し、最初から予備の馬車を用意させておいたのだ」
「な、なんと……! そこまでのお考えが!」
「それに、この書類を見ろ。特別な印がついている。これは『丁重に扱え』ということに違いない」
とんだ深読みだ。
ただの偶然と整備不良が重なっただけなのに、彼らの中では「女王陛下の深遠なる配慮」という物語が出来上がってしまったらしい。
組織人間というのは、上の意向を勝手に解釈して暴走するのが常だが、今回ばかりはその暴走が俺にとって良い方向に働いている。
兵士長が姿勢を正し、俺たちの方に向き直った。
さっきまでの傲慢な態度は消え失せ、どこか困惑と畏敬が入った表情になっている。
「……コホン。予定を変更する。お前たち……いや、貴方方は、あちらの馬車に乗っていただく」
兵士長が指し示したのは、もちろん、あの白い豪華な馬車だ。
「えっ? あれにですか?」
カエデが目を丸くして聞いた。
「そうだ。陛下のご慈悲に感謝して、大人しく乗るがいい」
兵士たちは恭しく道を開け、俺たちを案内し始めた。
カエデはまだ信じられないといった顔で、俺の袖を引いた。
「天道くん、これは罠かもしれません。中に毒ガスが充満しているとか、床が抜けて引きずり回りにされるとか……」
「考えすぎだって。毒ガス使うなら、わざわざ高い馬車を汚すような真似はしないだろ」
「でも……」
「いいから、乗ろうぜ。俺はもう立ちっぱなしで疲れたんだ」
俺はカエデの背中を軽く押し、馬車の方へと歩き出した。
近くで見ると、その豪華さはさらに際立っていた。
扉の取っ手は銀で作られ、ステップには滑り止めの絨毯が敷かれている。
御者が扉を開けると、中からふわりと良い香りが漂ってきた。
俺は躊躇なく足を踏み入れ、中のシートに腰を下ろした。
その瞬間、俺の尻は雲の上に座ったかのような感覚に包まれた。
最高級の革の中に、たっぷりと羽毛が詰められているのだろう。
身体のラインに合わせて沈み込み、それでいてしっかりと支えてくれる。
これまで座ったどの椅子よりも快適だ。
学校の硬い木の椅子とは雲泥の差だ。
「……失礼します」
カエデも恐る恐る乗り込んできた。
彼女は座る前に、懐から取り出したハンカチで座面をサッと拭ったが、ハンカチには埃一つついていなかった。
「……綺麗ですね」
彼女が驚きの声を漏らす。
潔癖の彼女が認めるレベルの清掃が行き届いているらしい。
「この清潔さは評価できます。埃も、塵も、カビの臭いもありません。まるで新車のようです」
「そりゃよかった。これで病気の心配もないな」
俺は背もたれに体重を預け、足を伸ばした。
足元も広々としていて、前の席に膝がぶつかることもない。
中央には小さなテーブルが固定されており、そこにはガラスの瓶に入った水と、焼き菓子のようなものが置かれていた。
「これ、食べていいのかな?」
俺が焼き菓子に手を伸ばそうとすると、カエデがピシャリと俺の手を叩いた。
「ダメです! 毒が入っているかもしれません!」
「お前なぁ、さっきから毒、毒って。そんな手の込んだ殺し方しないでしょ、普通」
「用心するに越したことはありません。私が調べます」
カエデは真剣な顔で焼き菓子を見つめ、何やらぶつぶつと呟いた。
水魔法を使っているのだろうか。
しばらくして、彼女はほっとしたように肩の力を抜いた。
「……私の水魔法に反応はありません」
「ほらみろ」
俺はクッキーを一枚つまみ、口に放り込んだ。
サクッという小気味よい音と共に、バターの濃厚な香りが口いっぱいに広がる。
美味い。
デパ地下で売っている高級菓子より美味いかもしれない。
「んー、最高。これなら追放も悪くないな」
御者の合図とともに、馬車が滑るように動き出す。
石畳の凹凸をまるで感じさせない乗り心地に、俺は感心しながら座席に身を預けた。
快適すぎる。
ふと、座席の肘掛けの脇に、ちょっとした収納スペースがあることに気づいた。
蓋が少し開いている。
「ん? なんだこれ」
俺は軽い気持ちで手を突っ込んだ。
指先が滑らかな木の手触りを捉える。
引っ張り出してみると、それは一本の細長い棒だった。
長さは1メートルほど。
全体が艶のある白い木で作られており、持ち手の部分は複雑な銀細工で加工されている。
「忘れ物かな? けっこういい木を使ってるっぽいけど」
俺はそれをしげしげと眺め、自分の肩にコンコンと当ててみた。
ちょうどいい重さだ。
「ただの棒か。でもまあ、肩たたきにはちょうどいいな。ここんとこのカーブがツボに入りそうだ」
「……待ってください」
俺が適当に棒を振っていると、カエデが鋭い声を上げた。
彼女の目が、俺の手にある棒に釘付けになっている。
「それを見せてください」
「え、肩こってんの?」
「違います。とにかく、貸してください」
カエデは俺から棒を奪い取ると、すぐに自分のハンカチを取り出して丁寧に全体を拭き上げた。
相変わらずの潔癖ぶりだ。
一通り拭き終わると、彼女は真剣な表情で目を閉じ、棒を握りしめた。
何をしているのかと思いきや、彼女の手から淡い光が溢れ出した。魔力を通しているらしい。
ブォン。
微かな振動音と共に、棒の先端が淡く青い光を帯びた。
車内の空気が、一瞬だけ澄み渡ったような感覚がする。
「……やはり」
カエデは驚愕と、ある種の畏敬を込めてその棒を見つめている。
「これはただのステッキではありません。試しに魔力を通してみたら、力がうまく通る感じがします。……おそらく、魔法使いが使う道具の一種でしょう。しかも、この反応の強さは尋常ではありません」
「え、これ魔法の杖なの?」
「はい。本来この馬車に乗るはずだった貴族が、護身用か、あるいは儀礼用なのか、そこは分かりかねますが……。ここに常備していたものと考えられます」
カエデの声が少し上ずっている。
どうやら、魔法使いにとっては垂涎の品らしい。
「これなら、私の魔力にも耐えられますし、より強力な魔法の行使が可能になります」
「へえ、すごいじゃん」
俺は他人事のように感心した。
俺は魔法を使わないし、使えないので、このステッキに肩たたき棒以上の価値を見出だせない。
だったら、有効活用できる奴が持っていたほうがいいに決まっている。
「ラッキーじゃん。カエデにあげるよ。俺には猫に小判だし」
俺は興味なさそうに言った。
カエデは目を丸くして俺を見た。
「……いいのですか?」
「森に行くんだから、お前が魔法を使いこなせたほうが、俺たちの生活も快適になるんじゃないか?」
「それは……確かにそうですが」
カエデは複雑そうな顔をした後、深い、本当に深いため息をついた。
「……貴方の運には、呆れるのを通り越して恐怖すら感じますね」
彼女はそう言いながらも、杖を愛おしそうに撫でた。
そのデザインは装飾が少なくシンプルで、機能美を好む彼女の趣味に合っているようだ。
それに、新品同様に綺麗だったのもポイントが高いらしい。
「分かりました。ありがたく使わせていただきます。この杖があれば、私の『浄化』もより強力に行えますから」
カエデは杖を大切そうに膝の上に置いた。
これで頼れる『大聖女』様の装備も整ったわけだ。
俺の『運』と、カエデの『魔法』。
この二つがあれば、これから向かう未開の地でも、案外どうにかなるんじゃないかという気がしてくる。
窓の外を、王都の景色が流れていく。
美しい街並みだ。
石造りの家々、賑わう市場、楽しそうに歩く人々。
俺たちはそこから切り離され、外の世界へと追いやられるわけだが、不思議と寂しさはなかった。
むしろ、この快適な個室で、誰にも邪魔されずに過ごせる時間が愛おしかった。
「ねえ、天道くん」
カエデが窓の外を見つめたまま、静かに口を開いた。
「私たち、これからどうなるんでしょうか」
「さあな。なるようになるんじゃないか?」
「……貴方はいつもそうですね。不安ではないのですか?『深き森』なんて、名前からしてとんでもない場所でしょう?」
「まあ、どんなところでもなんとかなるだろ。それに、住めないなら、住めるようにすればいい。無理なら、別の場所に移動すればいい。先のことを考えて悩むより、今はこれを楽しもうぜ」
俺はふかふかのクッションを抱きしめた。
カエデは俺を見て、ふっと小さく笑った。
それは、教室で見せていた冷たい表情とは違う、年相応の少女の笑顔だった。
「そうですね。貴方と一緒だと、深刻になるのが馬鹿らしくなってきます」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」
馬車は王都の門をくぐり、街道へと出た。
舗装された道から土の道へと変わったが、揺れは変わらず穏やかだ。
春の柔らかな日差しが窓から差し込み、俺の瞼を重くしていく。
満腹感と、心地よい揺れ。
最強の睡魔が襲ってくる。
「……俺、ちょっと寝るわ。着いたら起こして」
「もう寝るんですか? まだ出発したばかりですよ」
「寝だめだよ、寝だめ。向こうに着いたら忙しくなるかもしれないし」
言い訳をしながら、俺は横になった。
このシートは、背もたれを倒すと簡易ベッドのようになる優れものだった。
どこまでも人間をダメにする馬車だ。気に入った。
カエデは呆れつつも、それ以上何も言わなかった。
彼女は手に入れたばかりの杖を傍らに置き、鞄から手帳を取り出して何やら書き込みを始めたようだ。
今後の計画でも立てているのだろうか。
マメなことだ。
俺は目を閉じ、意識を手放した。
夢も見ない、深い眠りへと落ちていく。
次に目が覚める時は、どんな光景が待っているのだろう。
不安がないわけではない。
でも、俺の『運』が用意してくれたこの馬車と、あの杖のように、きっと次も何かしらのサプライズがあるに違いない。
そんな楽観的な思考と共に、俺の意識は途切れた。




