第三十五話:勘違い勇者と、哀れなピエロ
魔王は、俺のくしゃみによって自爆した。
それは、あまりにもあっけない最期だった。
上空で輝いていた第二の太陽が消え、世界には再び静寂が戻ってきた。
庭に残されたのは、巨大なクレーターと、その中心で紫色の光を放つ特大の魔石。
そして、空からハラハラと舞い落ちてくる、光の輝きだけだ。
俺はテラスの手すりにもたれかかり、大きく息を吐いた。
「ふあぁ……。やっと静かになったか」
これでようやく、中断されていたティータイムを再開できる。
俺はテーブルに戻り、冷めてしまった紅茶を見つめた。
まあいい。カエデに頼めば、また新しいのを淹れてくれるだろう。
「アタルくん、大丈夫ですか?」
カエデが心配そうに覗き込んでくる。
彼女の手には、すでに新しいポットが握られていた。さすがだ。
「ああ、平気だよ。ちょっと驚いただけだ」
「驚いた、ですか? 貴方が?」
「そりゃあな。いきなり目の前で爆発されたら誰だってビビるさ」
俺が言うと、カエデはくすりと笑った。
「そうは見えませんでしたけどね。まるで、最初からこうなると分かっていたかのような……」
買いかぶりすぎだ。
俺はただ、面倒くさいことになりそうだなぁと思っていただけだ。
結果的に、俺の『運』が勝手に処理してくれたわけだが。
「さて、と」
俺は視線を庭へと向けた。
魔王という最大級のゴミは片付いたが、まだ掃除しきれていない「燃えるゴミ」が残っている。
植え込みの陰。
さっき魔王によって強制的に引きずり出された、サカモトたち勇者一行だ。
彼らは、魔王が消滅した空を呆然と見上げていたが、やがて状況を理解し始めたのか、ノロノロと動き出した。
「……死んだ、のか?」
サカモトが、掠れた声で呟くのが聞こえた。
彼は泥だらけの聖鎧をガチャガチャと鳴らしながら、ふらつく足取りで立ち上がった。
「魔王が……死んだ……?」
彼の周りにいた取り巻きの女子たちも、顔を見合わせている。
その表情は、恐怖から困惑へ、そして徐々に別の感情へと変化していく。
安堵? 違う。
もっとドロドロとした、卑しい欲望だ。
「おい、サカモト……。魔王、いなくなったぞ」
「ああ、見たか? あいつ、勝手に爆発しやがった」
「ラッキーじゃん! 俺たちが戦う手間が省けたってことだろ?」
彼らは口々に勝手なことを言い始めた。
さっきまで腰を抜かして震えていたくせに、脅威が去った途端にこれだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言ったものだが、こいつらの場合は熱さを忘れるどころか、自分に都合よく記憶を書き換えようとしている。
サカモトが、顔についた泥を乱暴に拭った。
「……そうだ。魔王は死んだ」
彼は独り言のように呟き、そして急に声を張り上げた。
「俺たちが追い詰めたんだ!」
「は?」
俺は思わず声を出してしまった。
何を言っているんだ、こいつは。
サカモトは、狂気じみた笑みを浮かべて、俺たちの方を見た。
いや、俺たちを見ているんじゃない。
その視線は、テラスにいる俺たちを通り越して、もっと遠く、自分たちの「栄光」を見ているようだ。
「そうだろ!? みんな! 俺たちが王都で戦って、魔王に深手を負わせたんだ! だからあいつは、魔法の制御を失って自爆したんだ!」
「そ、そうだ! サカモトの言う通りだ!」
「私たちの攻撃が効いてたのよ! あと一歩だったんだから!」
取り巻きたちが同調する。
集団心理というのは恐ろしい。
嘘でも大声で言えば真実になると思っているのか、それとも本当にそう信じ込んでいるのか。
彼らの中では、すでに「魔王討伐の英雄」は自分たちに書き換わっているらしい。
サカモトは胸を張り、刃こぼれしてボロボロの聖剣を高く掲げた。
「聞いたか、アタル! お前はただ見ていただけだ! 運良く生き残っただけの一般人が!」
彼はテラスの下まで歩いてきて、俺を指差した。
「女王も死んだ今、この国を統べるのは誰だ? 魔王を倒した勇者である俺たちだ! 我々こそが、この地の新たな王となる!」
……頭が痛くなってきた。
ここまでくると、もはや才能だ。
ポジティブシンキングの極地というか、現実逃避の成れの果てというか。
「主殿、斬り捨ててよろしいでしょうか」
セレスが真顔で剣を抜こうとする。
その瞳は、ゴミを見るよりも冷たい。
「待て、セレス。剣が汚れる」
俺は彼女を止めた。
こんな連中の血で、うちの庭を汚したくない。
「でも、アタルくん。あんな妄言、放っておくんですか?」
カエデも不快そうに眉をひそめている。
彼女にとって、嘘や不正は許せないものの一つだ。
「放っておけばいいさ。どうせ、誰も信じないだろ」
俺は肩をすくめた。
街の人たちは、俺たちが何をしてきたかを知っている。
それに、あんなボロボロの状態で「俺たちがやった」なんて言っても、説得力のかけらもないだろう。
だが、サカモトの暴走は止まらなかった。
彼は振り返り、屋敷の門の方へ向かって叫び始めた。
そこには、魔王の出現と消滅に驚き、様子を見に来た街の人々が集まり始めていた。
ギルドマスターも、いつの間にか門の方へ走っていき、住民たちをなだめている。
「聞け! 愚民ども!」
サカモトは、集まった人々に向かって演説を始めた。
「我こそが光の勇者サカモトだ! 魔王は我が剣によって討ち滅ぼされた! 感謝しろ! ひれ伏せ! そして、これからは俺たちのために貢ぎ物を捧げろ!」
街の人々は、ぽかんとしていた。
何を言っているんだ、この薄汚い男は、という顔だ。
彼らの視線は、サカモトではなく、テラスにいる俺たちに向けられている。
「天道様、あいつら何ですか?」「頭がおかしくなったんですか?」という無言の問いかけが飛んでくる。
俺は困って、ポリポリと頭をかいた。
どう説明すればいいんだろう。
「元クラスメイトが錯乱してます」で通じるだろうか。
「……おい、アタル」
サカモトが再びこちらを向いた。
彼は、俺が何も反論しないのを「畏縮している」と勘違いしたらしい。
勝ち誇ったような顔で、要求を突きつけてきた。
「お前もだ! お前が溜め込んでいる物資、食料、そしてその屋敷! すべて我々に献上しろ! それが、勇者に対する礼儀というものだ!」
「……はあ」
俺は深い深いため息をついた。
学習しない奴らだ。
以前、屋敷に押しかけてきた時も同じことを言って、カエデに撃退されたのを忘れたのか?
いや、今の彼らは正常な判断力を失っているのかもしれない。
恐怖と絶望、そして突然の生存による興奮で、脳内麻薬が出まくっている状態だ。
「断る」
俺は短く言った。
面倒くさい。
これ以上、関わりたくない。
「なんだと!?」
サカモトが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「貴様、勇者の命令に逆らう気か! 反逆罪で処刑されたいのか!」
「勇者とか反逆罪とか、どうでもいいよ。ここは俺の家だ。帰れ」
俺は手でシッシッと追い払う仕草をした。
それが、サカモトのプライドを完全に粉砕したようだ。
「舐めるなよ……! 一般人の分際で!」
彼は聖剣を構え、テラスに向かって駆け出した。
殺気立っている。
本気で俺を斬るつもりだ。
セレスが前に出ようとする。
レイナが牙を剥く。
だが、それよりも早く、俺の隣で冷たい風が吹いた。
「……不潔です」
カエデだ。
彼女の声は、氷点下の冷気を帯びていた。
その手には、白い杖が握られている。
「嘘、強欲、傲慢……。貴方たちの心は、泥よりも汚れています。私の屋敷に、これ以上その汚れを持ち込まないでください」
カエデが杖を振るう。
詠唱はない。
ただ、強烈な拒絶の意志が、魔力となって具現化する。
「カエデ、やってくれ」
俺は言った。
「ええ、喜んで」
カエデは冷徹な笑みを浮かべた。
そして、杖の先端を、迫りくるサカモトたちに向けた。
「高圧洗浄……最大出力」
彼女が静かに宣告した瞬間だった。
ドバアァァァァァァッ!!
杖の先から、とてつもない水流が噴射された。
それは、もはや魔法というより、ダムが決壊したような奔流だった。
暴力的な威力を持った水の塊が、鉄砲水となってサカモトたちを直撃する。
「ぶべらっ!?」
サカモトの悲鳴は一瞬で水にかき消された。
剣を構えた姿勢のまま、彼は木の葉のように吹き飛ばされる。
後ろに続いていた取り巻きたちも、まとめて水流に飲み込まれた。
「きゃあぁぁぁっ!」
「な、なにこれぇ!?」
「息が、息ができな――ぶごぉっ!」
カエデの放つ水魔法は、ただの水浴びではない。
頑固な汚れを根こそぎ剥ぎ取るための、超高圧の水流だ。
鎧の隙間に入り込んだ泥も、染み付いた垢も、そして彼らの薄汚れたプライドも、すべてを強制的に洗い流していく。
「やめてください! やめてください!」
「死ぬ! 溺れる!」
彼らは必死に地面にしがみつこうとするが、カエデの魔力はそれを許さない。
水流は彼らを地面から引き剥がし、洗濯機の中の衣類のように揉みくちゃにしながら、庭の外へと押し流していく。
「貴方たちは汚れです。この神聖な場所には不要です」
カエデの目は据わっていた。
手加減という文字は彼女の辞書にはないらしい。
水流は勢いを増し、彼らを一直線に門の方へと運んでいく。
ズザザザザザッ!
サカモトたちは地面を滑り、転がり、お互いにぶつかり合いながら、無様に流されていく。
せっかく魔王から生き延びたのに、今度は水攻めだ。
自業自得とはいえ、少しだけ哀れに思えてくる。
「……あーれー」
最後の一人が門を通過し、森の奥へと消えていった。
ドッシャーン、と遠くで何かが激突する音が聞こえてきた。
おそらく、森の入り口あたりまで一気に流されたのだろう。
カエデが杖を下ろすと、水流は嘘のように消滅した。
後に残ったのは、綺麗に洗浄された庭の石畳だけだ。
泥も、勇者たちの足跡も、すべてが洗い流されていた。
「ふぅ……。すっきりしました」
カエデは満足げに息を吐き、髪を耳にかけた。
その表情は、大掃除を終えた主婦のように晴れやかだ。
「……容赦ないな」
俺は苦笑した。
まあ、あれだけの水圧で洗われたんだ。
身も心も、少しは綺麗になったかもしれない。
物理的に叩きのめされた彼らが、二度とここに来る気力を起こさないことを祈るばかりだ。
これで、本当に終わった。
魔王も、勇者も、俺たちの前から消え去った。
「さようなら、サカモト」
俺は森の奥に向かって、小さく手を振った。
もう会うこともないだろう。
彼らがこれからどう生きていくのかは知らない。
ビショ濡れのまま森を彷徨うことになるのか、それともどこかの街へ逃げ帰るのか。
いずれにせよ、俺の平穏なスローライフには、もう関係のないことだ。
「天道くん」
カエデが声をかけてきた。
彼女はもう、戦闘モードから完全に切り替わっていた。
「お茶、淹れ直しましたよ。今度は少し濃い目にしました」
「ああ、ありがとう」
俺は席に戻り、カップを受け取った。
温かい湯気が、心の中のささくれを溶かしていくようだ。
「主殿、見事な采配でした」
セレスが感心したように言う。
俺は何も指示していないんだが、彼女の中では俺がカエデに指示を出したことになっているらしい。
「アタル! あのデカい魔石、どうする? ボク、あれで遊びたい!」
レイナが、魔王が遺した特大魔石の周りをぐるぐると回っている。
彼女にとっては、世界を滅ぼすエネルギーの塊も、ただの面白いおもちゃらしい。
「遊ぶのはいいけど、壊すなよ。あれでお風呂を沸かすんだから」
「はーい!」
平和だ。
本当に、いつもの日常が戻ってきた。
魔王が来て、勇者が騒いで、嵐のように去っていったけれど。
俺たちの生活は、何一つ変わらず、ここにある。
俺は紅茶を一口飲んだ。
芳醇な香りが鼻に抜け、適度な渋みが舌に残る。
美味しい。
「さて」
俺は空を見上げた。
青空は、どこまでも高く、澄み渡っている。
邪魔者は消えた。
やるべきことも終わった。
だったら、することは一つしかない。
「昼寝の続きでもするか」
俺がそう言うと、カエデとセレス、そしてレイナは、顔を見合わせて笑った。
その笑顔が、俺にとっての何よりの報酬だった。




