第三十一話:氷結の甘味と、揺るがぬ平和
勇者たちを撃退した後、再び平和な風景が戻ってきていた。
庭の石畳は、カエデの水魔法によって徹底的に洗浄され、まるで新築のように白く輝いている。
夕日を受けて、濡れた表面がきらきらと光る様は、この場所が聖域であることを改めて主張しているようだった。
泥も、埃も、そして彼らが持ち込んだ不穏な空気も、すべてが綺麗さっぱり洗い流されていた。
「ふぅ。これでようやく、本当の意味で片付きましたね」
カエデが満足げに呟く。
「お疲れさん。見事な手際だったよ」
俺はテラスの椅子に座り直した。
騒動のせいで、少し汗ばんでしまった。
喉が渇いたな。何か冷たいものが欲しい。
そう思って、俺は何気なく庭に視線をやった。
そこには、先ほどカエデが放った魔法の名残である、小さな氷の粒がいくつか落ちていた。それらが夕日を受けてきらめいている。
その光景を見た瞬間、俺の脳裏には、ある閃きが走った。
(……待てよ?)
カエデが勇者たちを捕らえるために放った、あの氷の魔法。
一瞬で周囲の空気を凍てつかせ、対象の自由を奪ったあの冷気。
あれは確かに強力な攻撃手段だった。だが、俺の着目点は攻撃という点ではなく「急激な冷却」にある。
もしも、あの強烈な冷気を、攻撃ではなく、もっと平和的で、建設的な方向に使えたとしたら?
冷たいもの。甘いもの。
牛乳。卵。琥珀蜜。
そして、魔法による絶対的な冷却。
その全ての組み合わせが、俺の頭の中で完全に組み合わさった。
「……これだ」
俺は思わず膝を打った。
最強のデザートが完成する予感がした。
「よし。なあ、みんな。少し喉が渇かないか?」
俺の唐突な問いかけに、まだ周囲を警戒していたセレスと、芝生でゴロゴロしていたレイナが反応する。
「そうですね。少し運動しましたから、体は火照っています」
「ボク、喉乾いたー! なんか冷たいの飲みたい!」
「よし。じゃあ、特別なデザートを作ろう」
俺は立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた。
それは、新しい遊びを思いついた子供の顔だったかもしれない。
「デザートですか?」
カエデが興味深そうに首を傾げる。
彼女は杖をしまい、こちらに歩み寄ってきた。
「ああ。さっきのカエデの魔法を見て、思いついたんだ」
「私の魔法?」
「そう。あの氷魔法、最高だったろ? あれを使って、最高の冷菓を作る。風呂上がりの牛乳も最高だったが、今回はその第二弾だ」
俺の自信満々な宣言に、三人は顔を見合わせた。
まだ何を作るのか想像もついていないようだが、俺の「食」に関する提案が外れたことはない。
その信頼があるからこそ、彼女たちからの期待がヒシヒシと感じられた。
俺たちは連れ立ってキッチンへと移動した。
カエデが頻繁に使用している場所で、ほかのどこよりもピカピカに磨き上げられている。
俺は魔導冷蔵庫を開け、冷えた牛乳と卵を取り出した。
この牛乳は、先日フロンティアで手に入れた品物だ。濃厚なコクがありながら、後味はすっきりとしている。
卵は、庭の鶏小屋にいる『暁の鶏』たちが産んだものだ。殻は硬く、中には太陽のように濃いオレンジ色の黄身が詰まっている。
そして、棚の奥からとっておきの調味料――琥珀蜜の瓶を取り出した。
「牛乳と卵、そして琥珀蜜。……まさか、プリンですか?」
材料を見たカエデが予想する。
確かにプリンも魅力的だが、今の気分はもっと冷たい刺激だ。
「惜しいな。もっと冷たくて、もっと甘いものだ」
俺は大きめの金属製ボウルを用意し、卵を割って黄身だけを取り出した。
そこに黄金色にとろりと輝く琥珀蜜を加え、泡立て器でよく混ぜる。
カシャカシャと小気味よい音が広がる。
さらに、牛乳を少しずつ加えながら、丁寧に混ぜ合わせていく。
琥珀蜜の甘い香りと、牛乳の優しい香りが混ざり合い、キッチンに幸せな匂いが漂い始めた。
「これは……?」
「アイスクリームの素だ」
「アイスクリーム……?」
セレスとレイナが不思議そうに復唱する。
どうやら、この世界にはアイスクリームという概念が一般的ではないらしい。あるいはごく一握りの高級貴族の嗜みとして存在するかもしれないが、少なくとも庶民や冒険者の口に入るものではないのだろう。
氷魔法を使える魔導師が専属で調理しない限り、冷凍保存など不可能だからだ。
「見ててくれ。ここからが魔法の見せ所だ」
俺は地下倉庫から持ってきた、漬物用のような大きな木製の桶を用意した。
その中に、砕いた氷と塩をたっぷりと入れる。
氷に塩をかけると、温度が急激に下がる。凝固点降下というやつだ。
そして、アイスクリームの素が入った金属ボウルを、その氷の中に沈めた。
「カエデ、出番だ。この桶の中の氷が溶けないように、さっきの氷魔法で冷やし続けてくれるか? ただし、凍らせすぎてカチカチにするんじゃないぞ。マイナス十度くらいをキープするイメージで」
「……なるほど。冷却材として私の魔法を使うのですね」
カエデは呆れるどころか、むしろ職人のような真剣な眼差しになった。
彼女にとって、魔力の操作は良い訓練になるらしい。
それに、美味しいもののためなら労力を惜しまないのが彼女の流儀だ。
「お安い御用です。『氷結の息吹よ、静かに留まれ』」
カエデが短く詠唱し、杖を振るう。
すると、桶の中の空気が一気に冷え込んだ。
氷が青白く輝き、白い冷気を放ち始める。
ボウルの表面に、うっすらと霜が降りるのが見えた。最適な温度にされている。
「よし。次は力仕事だ。セレス、レイナ。このボウルの中身を、固まるまでひたすら混ぜるんだ。空気を含ませるように、でも力強く」
「了解です、主君! 剣の鍛錬に比べれば造作もありません!」
「任せてー! 混ぜ混ぜするの得意ー!」
二人はやる気満々で泡立て器を握った。
セレスがボウルを固定し、レイナがかき混ぜる。
カシャカシャカシャカシャ!
獣人であるレイナの腕力と瞬発力は凄まじい。残像が見えるほどの速度で泡立て器が動いている。
「おおっ……! すごい勢いです!」
「もっとだ! 空気を含ませるように、ふんわりとなるまで混ぜるんだ!」
俺が指示を出すと、二人はさらに勢いよく混ぜ続けた。
その顔は真剣そのものだが、どこか楽しそうだ。
キッチンに広がる金属音と、冷気が漂う不思議な光景。
まるで、理科の実験をしている子供のようにはしゃいでいる。
「代わります、レイナ殿! ここからは私の持久力で!」
「うん! セレスお願い!」
二人が交代しながら、根気よく混ぜ続けること数十分。
カエデの魔法による冷却と、二人の撹拌によって、ボウルの中の液体は劇的な変化を遂げていた。
とろりとした液体が、徐々に重くなり、やがて角が立つほどの固さへ。
真っ白なクリーム状の物体。
「……完成だ」
俺はスプーンで少しすくい上げ、味見をした。
口に入れた瞬間、ひんやりとした冷たさが広がり、次いで濃厚なミルクの風味が爆発する。
卵のコクと、琥珀蜜の深みのある甘さが絶妙なハーモニーを奏でている。
市販のものよりずっと濃厚で、それでいて後味はすっきりとしている。
「……美味い」
思わず声が出た。
これは成功だ。いや、大成功だ。
異世界で食べる、手作りアイスクリーム。
これ以上の贅沢があるだろうか。
「さあ、みんなで食べよう」
俺たちはガラスの器にアイスクリームを山盛りにし、テラスへと運んだ。
日は沈みかけ、空は藍色と茜色が混じり合う美しいグラデーションを描いている。
心地よい夕風が吹き抜ける中、俺たちはテーブルを囲んだ。
それぞれがスプーンを手に取り、白い山を口へと運ぶ。
「んん〜っ! 冷たーい! 甘ーい!」
レイナが目を丸くして叫んだ。
あまりの冷たさに頭がキーンとしたのか、こめかみを押さえているが、その顔は満面の笑みだ。
尻尾がブンブンと振られ、椅子の背もたれを叩いている。
「……信じられません。口の中で溶けてなくなります。まるで雪を食べているような……いえ、雪よりもずっと濃厚で、夢のような味です」
セレスもうっとりとした表情で、スプーンを口に含んでいる。
騎士としての凛々しい表情が崩れ、年相応の少女のような顔になっている。
「牛乳と卵だけで、こんなに美味しいものが作れるなんて」
カエデも感心したように頷きながら、上品にアイスクリームを楽しんでいる。
彼女の目元が緩み、幸せそうなオーラが漂っている。
さっきまで冷酷な魔導師として勇者を制裁していた姿とは、まるで別人のようだ。
俺も一口食べる。
冷たい甘味が、火照った体に染み渡っていく。
騒動の疲れも、彼らが残していった嫌な空気も、この甘さが洗い流してくれるようだ。
体の中から熱が引いていき、代わりに幸福感が満ちてくる。
「最高だな」
俺は背もたれに体を預け、空を見上げた。
一番星が輝き始めている。
平和だ。
本当に、平和だ。
国や勇者たちがどれほど干渉してこようとも、この場所には快適な衣食住がある。
それを守るための力がある。
石垣と門、そしてカエデの魔法。セレスの剣技。レイナの野生の勘。
そして何よりも、信頼できる仲間がいる。
俺たちの生活基盤は、盤石だ。
誰にも揺るがすことはできない。
そういえば、先日訪ねてきたギルドマスターが言っていた。
勇者たちが失敗したことで、国はさらなる騎士団や、あるいは別の勇者をフロンティアに派遣してくる可能性がある、と。
備えるべきだと忠告された。
普通なら、防衛策を練ったり、逃走ルートを確保したりするべきなのだろう。
だが、俺の直感はそれを否定していた。
特段の対策は不要だ。
俺の『天運招来EX』が、そう告げている。
俺がここでアイスクリームを食べている間に、勝手に事態は好転していくだろう、と。
「アタルくん、何をニヤニヤしているんですか?」
カエデが不審そうに俺を見ていた。
スプーンをくわえたままの姿は、なんだか小動物みたいで可愛い。
「いや、なんでもない。ただ、明日も明後日も、こうしてのんびり過ごせたらいいなと思ってさ」
「そうですね。……でも、油断は禁物ですよ。いつまた変な人が来るか分かりませんから」
カエデは釘を刺すが、その表情は柔らかい。
「大丈夫だよ。俺がついている」
俺は、いつもどおり運任せで、まったく根拠の答えをした。




