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第三話:無能の烙印と潔癖な反逆者


「お待ちください」


 凛とした声が、玉座の間の空気を切り裂いた。

 俺の背筋に、冷たいものが走る。

 聞き間違えるはずがない。

 教室で、俺のボタンのほつれを指摘した時と同じトーン。

 妥協を許さず、曲がったことを嫌い、自らの正義を疑わない、あの声だ。


 俺は振り返った。

 そこには、案の定、冷泉カエデが立っていた。

 彼女は一歩前に踏み出し、壇上の女王を真っ直ぐに見据えている。

 その背筋は定規が入っているのではないかと疑うほど伸びており、黒髪の姫カットがわずかに揺れていた。


「……何でしょう?」


 女王が片眉を上げる。

 不快感を隠そうともしない表情だ。

 さっきまで俺に向けられていた冷淡な視線が、今はカエデに向けられている。


 やめろ、カエデ。

 俺は心の中で叫んだ。

 余計なことを言うな。

 今は黙って流れに身を任せるのが一番なんだ。

 お前は『大聖女』なんていう素晴らしい職業をもらったんだから、大人しく城に残って、美味しいご飯でも食べていればいいじゃないか。


 しかし、俺の心の叫びが彼女に届くはずもない。

 カエデは、吸い込まれそうなほど深い瞳で女王を見つめ返し、はっきりと言葉を紡いだ。


「女王陛下の決定に対し、異議を申し立てます」


 その場にいた全員が、息を止めた気がした。

 神官たちは顔面蒼白になり、兵士たちは槍を握る手に力を込める。

 クラスメイトたちは、「あいつ何言ってんだ?」と信じられないものを見る目をしている。


 異世界に召喚されたばかりの若者が、その国を統べる女王に対して公然と反論する。

 それは勇気ではない。ただの無謀だ。

 空気が読めないにも程がある。


「異議、ですか」


 女王の声が、さらに低くなる。

 まるで氷点下の風が吹き抜けたようだった。


「女王である私の決めたことに、口を挟むということですか?」

「はい。間違っていることは、誰が決めたことであれ間違いです」


 カエデは一歩も引かない。

 彼女の辞書に「忖度」や「長いものに巻かれる」という言葉は存在しないらしい。


「彼、天道アタルくんを『深き森』へ送るという決定は、あまりに不当です。彼は私たちと共に、貴国の都合によって無理やり召喚されました。その責任は、貴国にあります」


 正論だ。

 ぐうの音も出ないほどの正論だ。

 勝手に呼びつけておいて、能力が低いからといって死地に追いやる。

 それが人道的に許されるはずがない。


「能力の多寡によって待遇に差が出るのは、ある程度は理解できます。しかし、生存すら危ぶまれる場所への追放は、処遇の範囲を超えています。それは殺人と同じではありませんか?」


 カエデの言葉は、鋭い刃物のように女王の矛盾を突き刺していく。

 普段の俺なら、「よく言った!」と拍手喝采したいところだ。

 だが、今は違う。

 相手が悪すぎる。


 女王は、カエデの言葉を単に聞いている。

 いや、本当に聞いているのか?


「……だから、なんでしょうか?」


 女王は首を傾げた。

 まるで、言葉の通じない小動物の鳴き声を聞いているかのような反応だ。


「もし、仮に私がそのものを殺害したとしても、何か問題でも?」

「っ……!」


 カエデが息を詰まらせる。

 彼女は、女王が自身の非を認めるか、あるいは少なくとも恥じるそぶりを見せると期待していたのだろう。

 だが、この女王には通用しない。

 彼女にとって、役に立たない人間は人間ではないのだ。

 道端の石ころを蹴飛ばすことに罪悪感を抱かないように、無能な召喚者を処分することに何のためらいもない。


「貴女は勘違いをしているようです」


 女王は玉座から立ち上がり、階段を数段降りてきた。

 カエデとの距離が縮まる。

 圧倒的な威圧感。

 生まれながらにして人の上に立つ者だけが持つ、絶対的な自信と傲慢さの塊。


「ここは私の国です。私の言葉が法であり、私の意志が正義です。貴女たちの元の世界がどうだったかは知りませんが、郷に入っては郷に従いなさい」

「それは……暴論です!」

「いいえ、真理です」


 女王は冷酷に言い放つ。


「力なき正論など、犬の遠吠えにも劣ります。貴女は『大聖女』という稀有な才を与えられた。ならば、その才をこの国のために振るうことだけを考えなさい。無駄な雑草に情けをかける必要はありません」


 無駄な雑草。

 俺のことか。

 まあ、言い得て妙だなと俺は思った。

 踏まれても抜かれても、気づけばまた生えてくる。そんなしぶとさだけが取り柄だ。


 カエデは悔しげに唇を噛んだ。

 彼女の「正しさ」が、理不尽な力の前にねじ伏せられようとしている。

 普通の人間なら、ここで心が折れるか、恐怖で震え上がって引き下がるだろう。

 クラスメイトたちも、カエデの無謀な抵抗を見てひそひそと囁き合っている。


「委員長、もうやめとけよ……」

「女王様を怒らせたら、私たちまでヤバいって」

「ていうか、天道のためにそこまでする意味わかんなくない?」


 彼らの言う通りだ。

 俺のためにリスクを冒すなんて、割に合わない。

 俺だって頼んでいない。


 だが、冷泉カエデという人間は、俺の想像の斜め上を行く生き物だった。


「……いいえ、従えません」


 彼女は顔を上げた。

 その瞳には、恐怖ではなく、燃えるような怒りの炎だけが燃えていた。

 それは、汚れたものを許せない、彼女特有の潔癖さからくる怒りだろう。


「不当な命令に従うことは、不正に加担することと同じです。私は、私の信じる規律に反することはできません。例え相手が、一国の女王であろうとも!」


 言い切った。

 この状況で、真正面から女王を否定しやがった。

 俺は思わず天を仰いだ。

 ああ、終わった。

 これはもう、ただの説教じゃ済まないぞ。


「……なんとも愚かなことを」


 女王は淡々とした声で語っていた。

 けれど、その女王の美しい顔が、何か恐ろしいものに見えた。

 張り付いた笑み――その裏側にある、根本的に俺とは違う思想が垣間見えるのだ。


「大聖女の才があるからと、少し増長しているようですね。あるいは、私の寛大さに甘えているのでしょうか?」


 女王はカエデのすぐ目の前まで歩み寄り、じっと彼女を見始めた。

 値踏みをするような、冷たい視線だ。


「才能は認めましょう。ですが、飼い主の手を噛む犬には躾が必要ですね」


 何かを決めたかのような態度で女王は周囲を見回す。 


「よろしい」


 女王はくるりと背を向け、玉座へと戻りながら宣言した。


「そこまでその無能な男と運命を共にしたいと言うのなら、その望みを叶えてあげましょう」


 え?

 俺は耳を疑った。

 今、なんて言った?


「冷泉カエデ。貴女もまた、天道アタルと共に『深き森』へ向かいなさい」


 女王は平然と言い放った。


「カエデ……お前、馬鹿だろ」


 俺は思わず、小声で呟いてしまった。

 隣に立つカエデを見る。

 彼女はショックを受けているかと思いきや、意外にも晴れ晴れとした顔をしていた。


「……後悔はしていません」


 彼女は小声で返してきた。


「間違った主君に仕えるくらいなら、泥水をすする方がマシです。それに、私の魔法があれば、泥水くらい真水に変えられますから」


 強い。

 強すぎる。

 この女、メンタルがダイヤモンドでできているんじゃないか。


「それに、あなた一人では野垂れ死にするのが目に見えています。監視役が必要でしょう?」


 カエデは少しだけ呆れたように、でもどこか楽しげに言った。

 監視役。

 異世界に来てまで、俺は委員長に管理されるのか。

 ため息が出そうになるのを、俺は必死で飲み込んだ。


「では、決定です」


 女王が高らかに宣言する。


「天道アタル、そして冷泉カエデ。両名は直ちに王都を去り、『深き森』の開拓地へ向かうこと。二度と私の前に顔を見せないように」


 兵士たちが動いた。

 俺とカエデを囲み、出口へと促す。

 まるで犯罪者を連行するかのような扱いだ。


 クラスメイトたちの反応は様々だった。

 アタルざまぁみろ、と笑う者。

 カエデが巻き込まれたことに同情する者。

 そして、自分たちが安全圏にいることに安堵し、優越感に浸る者。


「おいおい、大聖女様まで追放かよ」

「バカだねぇ、黙ってりゃいい暮らしできたのに」

「ま、俺たち勇者パーティの足手まといが減って清々するぜ」


 光の勇者に選ばれた男子生徒が、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。

 彼らにとって、俺たちはもう「負け組」の象徴でしかない。

 これから始まる彼らの輝かしい英雄譚に、俺たちのような不純物は不要なのだ。


 俺は肩をすくめた。

 勝手に言ってろ。

 お前らが魔王と命がけで戦っている間、俺は森の奥で昼寝でもさせてもらうさ。

 ……まあ、隣にうるさい管理者がいるのが玉に瑕だが。


「行きましょう、天道くん」


 カエデが毅然と前を向いて歩き出す。

 兵士に腕を掴まれそうになると、「触らないでください。自分で歩けます」と冷たく言い放ち、その気迫で兵士を怯ませた。

 彼女の背中は、追放される者のみじめさなど微塵も感じさせない。

 むしろ、高潔な意志を貫いた誇りに満ちていた。


 俺はその後ろを、のろのろとついていく。

 城の出口へと続く長い回廊。

 コツコツと響く足音が、これから始まる波乱の生活へのカウントダウンのように聞こえた。


 ふと、窓の外から心地よい風が吹き込んできた。

 春のような、柔らかくて暖かい風だ。

 その風が、俺の頬を優しく撫でていく。


 ――なんとかなるさ。


 根拠はない。

 けれど、俺の『勘』がそう告げている。

 この追放劇は、決してバッドエンドじゃない。

 むしろ、面倒な魔王退治から逃れ、自由を手に入れるために必要なことなんじゃないか。


 それに、俺の幸運アンテナが、ピクリと反応していた。


 何かが起きる。

 つまり……ラッキーの予感だ。


 俺とカエデはその予感とともに、重厚な扉をくぐり、まばゆい外の世界へと足を踏み出した。


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