第二話:異世界召喚と残酷な格差
ふわりとした浮遊感が消えたかと思うと、唐突に足の裏に硬い感触が戻ってきた。
重力が仕事を再開したらしい。
俺は膝のクッションをうまく使って衝撃を殺し、その場に着地した。
いや、着地したというよりは、立っていた場所にそのまま戻されただけかもしれない。
視界を覆っていた白い光が、薄皮が剥がれるように消えていく。
俺はまず、自分の体を確かめた。
手足はついている。痛みもない。制服も着たままだ。
ポケットの中の小銭や、いつの間にか入っていた安全ピンまでそのままだ。
どうやら、身体的な欠損や変化はないらしい。
まずは一安心といったところか。
しかし、周囲の状況はそう穏やかではなかった。
「……ここ、どこだよ?」
「教室じゃない……嘘でしょ?」
「おい、スマホ! 圏外になってるぞ!」
悲鳴にも似た声が、あちこちから上がり始めた。
さっきまで教室にいたクラスメイトたちが、俺と同じように呆然と立ち尽くしたり、パニックになって座り込んだりしている。
俺はとりあえず、騒ぎに巻き込まれないように周囲を見渡した。
そこは、明らかに日本の高校の教室ではなかった。
天井が高い。
体育館よりもはるかに高く、見上げる首が痛くなるほどだ。
そこにはシャンデリアのような巨大な照明器具が吊り下がっていて、電気とは違う、暖かみのあるオレンジ色の光を放っている。
床は丁寧に磨き上げられた石材だ。
大理石だろうか。継ぎ目がほとんど見えないほど精巧に敷き詰められていて、俺たちの靴音をコツコツと高く響かせる。
壁には巨大なタペストリーが飾られ、太い柱が何本も立ち並び、その奥にはステンドグラスが外の光を取り込んでいた。
要するに、そこは「お城」だった。
映画やゲームの中でしか見たことがないような、西洋風の王城。
そのど真ん中に、俺たち三十人余りの高校生が放り出されたというわけだ。
「みなさん、静粛に」
騒然とする空気を、冷ややかな水で濡らしたタオルで拭うような、透き通った声が制した。
決して大きな声ではない。
怒鳴ったわけでもない。
けれど、その声には有無を言わせない響きが含まれていた。
クラスメイトたちの視線が、一斉に声の主へと集まる。
俺たちの正面。
数段高くなった壇上に、豪奢な椅子が置かれていた。
玉座だ。
その背もたれに優雅に体を預け、こちらを見下ろしている人物がいた。
若い女性だ。
年齢は俺たちとそう変わらないかもしれない。
透き通るような金色の髪が、照明の光を受けてキラキラと輝いている。
肌は陶器のように白く、整いすぎた顔立ちは、美術館に飾られている彫刻のようだ。
頭には宝石を散りばめた冠を載せ、身体のラインを美しく見せるドレスを身に纏っている。
綺麗だとは思う。
クラスの男子たちが、恐怖を忘れて一瞬だけ見惚れたのが分かった。
だけど、俺は本能的に警戒心を抱いた。
彼女の瞳だ。
深い青色をしたその瞳は、俺たちを見ているようで、実は見ていない。
あれは、人間を見ている目じゃない。
もっと別の、たとえば数字や道具、あるいは家畜の数を数えているような、そんな無機質な雰囲気しかなかった。
「ようこそ、アステリア公国へ。異界の若者たちよ」
彼女はゆっくりと立ち上がった。
その動作一つ一つが洗練されていて、無駄がない。
周りに控えていた鎧姿の兵士たちが、ザッという音を立てて姿勢を正す。
その金属音が、ここが安全な学校ではないことを改めて突きつけてくる。
「私はこの国を統べる女王、ヴィクトリア・フォン・アステリアです」
女王。
やっぱりか。
俺は小さくため息をついた。
状況証拠が揃いすぎている。
魔法陣、異世界、お城、そして女王様。
これはいわゆる「異世界召喚」というやつだろう。
ライトノベルや漫画で散々使い古された展開だ。
まさか自分の身に降りかかるとは思わなかったけれど、起きてしまったことは仕方がない。
問題は、なぜ俺たちが呼ばれたのか、だ。
観光旅行の招待というわけではないだろう。
一方的に呼びつけておいて、「はい、楽しんでください」なんて虫のいい話があるはずがない。
必ず、何か対価を求められる。
それも、とびきり面倒なやつを。
「単刀直入に申し上げます。あなた方には、世界を救っていただきたいのです」
ほら来た。
俺は心の中で毒づいた。
世界を救う。
言葉にするのは簡単だが、その中身は労働基準法も真っ青のブラック案件に決まっている。
命の保証はなく、報酬も怪しく、拒否権もない。
「世界を……救う?」
「なんだよそれ、映画かなんかの撮影か?」
「帰してよ!」
クラスメイトたちが口々に叫ぶ。
当然の反応だ。
いきなり誘拐されて、世界を救えと言われて、「はいそうですか」と納得できる人間なんていない。
しかし、女王ヴィクトリアは動じなかった。
彼女は困ったような表情や、申し訳なさそうな顔をすることもしない。
ただ、淡々と事実を告げるだけだ。
「現在、我が世界は『魔王』と呼ばれる存在の脅威に晒されています。彼の率いる魔物の軍勢により、多くの土地が奪われ、民が苦しんでいます。私たちの力だけでは、もはや抗うことが難しいのです」
「だからって、なんで俺たちなんだよ!」
クラスの中心グループにいた男子生徒が叫んだ。
さっきまで教室でプロレスごっこをしていた奴だ。
ガタイが良く、声も大きい。
普段なら威圧感たっぷりの彼も、今は顔を引きつらせて、縋るように女王を見上げている。
「古き予言にあります。『異界より来たる者、大いなる力を宿し、闇を払わん』と。あなた方は選ばれたのです。この世界を救う英雄として」
英雄。
その甘美な響きに、何人かの表情が動くのが見えた。
特に、日頃から目立ちたがり屋の連中は、不安よりも好奇心や自尊心が勝り始めているようだ。
「……もし、断ったら?」
誰かが尋ねた。
女王はニッコリと微笑んだ。
その笑顔は、背筋が凍るほど美しく、そして冷酷だった。
「元の世界へ帰る方法は、魔王城の奥深くに封印されていると言われています。魔王を討伐しない限り、あなた方が故郷へ戻る術はありません」
「なっ……」
「それに、この城の外は魔物が跋扈する危険な土地。力を持たぬ者が一人で放り出されれば、どうなるかは想像に難くありませんね?」
脅迫だ。
綺麗な言葉で包んでいるけれど、要するに「やるか、死ぬか」の二択を迫っているだけだ。
なんて理不尽な話だろう。
俺は壁際の一番後ろで、気配を消しながらそのやり取りを聞いていた。
目立ちたくない。
こんな面倒な交渉の矢面に立つなんて御免だ。
クラスの空気が重苦しく沈む中、一人の少女が一歩前へ出た。
冷泉カエデだ。
彼女は真っ直ぐに女王を見据え、凛とした声で言った。
「質問があります」
「許可しましょう」
「私たちに戦えとおっしゃいますが、私たちはただの学生です。武器を握ったこともなければ、魔法を使ったこともありません。そのような私たちが、軍隊でも勝てない相手に通用するとは思えません」
至極まっとうな意見だ。
カエデの論理的思考は、異世界に来ても健在らしい。
女王は満足げに頷いた。
「良い質問です。確かに、今のままでは無力でしょう。ですが、異界の渡り人は、この世界に招かれた瞬間に特別な力を授かるとされています。まずは、その力を確認させていただきたいのです」
女王が合図を送ると、白いローブを着た数人の神官たちが進み出てきた。
彼らは手に、透明な水晶のようなものを恭しく捧げ持っている。
直径三十センチほどの球体で、内側から淡い光を放っている。
「これは『真実の水晶』。触れた者の魂に刻まれた能力を映し出す道具です。一人ずつ、前に出て触れてください」
能力測定か。
健康診断みたいなものだろうか。
それとも、ゲームのステータス画面みたいなものが出るのだろうか。
「では、まずはそちらの方から」
神官に促され、さっき大声を上げていたガタイの良い男子生徒がおずおずと前に出た。
彼は不安そうに手を伸ばし、水晶に触れる。
その瞬間。
カッと水晶が強く輝き、空中に文字の列が浮かび上がった。
ホログラムのようだ。
そこには、日本語でハッキリとこう書かれていた。
=========================
職業:光の勇者
スキル:【聖剣召喚】【身体強化】
=========================
「お、おおっ!」
神官たちがどよめいた。
女王もまた、目を細めて感嘆の声を漏らす。
「素晴らしい……『光の勇者』ですか。数百年ぶりに現れた伝説の職業です。やはり、あなた方は希望の光だ」
男子生徒は、呆気にとられたように空中の文字を見つめていたが、次第にその顔に色が戻ってきた。
いや、色が戻るどころか、興奮で赤くなり始めている。
「勇者……俺が、勇者?」
「すごいよ! やっぱお前、選ばれた人間なんだよ!」
取り巻きの連中が囃し立てる。
男子生徒は自分の両手を見つめ、グッと拳を握りしめた。
その顔からは、さっきまでの怯えは消え失せ、代わりに全能感に満ちた笑みが浮かんでいた。
「へっ、なんだよ。楽勝じゃんか。魔王だか何だか知らねーけど、俺に任せとけって!」
単純だなぁ、と思う。
おだてられて、その気にさせられて。
でも、それがこの場の空気を一変させた。
他の生徒たちも、「自分も何かすごい力があるんじゃないか」という期待に目を輝かせ始めたのだ。
恐怖のどん底だったお通夜のような雰囲気が、一転して新作ゲームの発売日みたいな熱気に変わっていく。
次々とクラスメイトたちが水晶に触れていく。
結果は驚くべきものだった。
職業:聖騎士
職業:大魔導師
職業:暗殺者
出るわ出るわ、強そうな職業のオンパレードだ。
どうやらこのクラスの連中は、異世界基準で見てもハイスペックな集団だったらしい。
数値も軒並み高いらしく、そのたびに神官たちが「おおっ」とか「素晴らしい」とか合いの手を入れるものだから、みんな有頂天になっていた。
もはや誰も「帰りたい」なんて言わない。
この世界で、特別な力を振るって活躍する自分を夢見ている。
現実世界では勉強や部活に追われるただの高校生だった彼らが、ここでは英雄扱いされるのだ。
その快感に酔いしれるのは、無理もないことかもしれない。
やがて、カエデの順番が回ってきた。
彼女は浮ついた周囲の空気にも流されず、緊張した面持ちで水晶に手を触れた。
ブォン、と一際強い光が溢れる。
=========================
名前:冷泉 カエデ
職業:大聖女
レベル:1
体力:8
魔力:85
スキル:
【水魔法】レベル5
【浄化】レベル1
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「これは……!」
神官長らしき年配の男が、驚愕に目を見開いた。
「凄まじい魔力量だ……! それに、水の適性がこれほど高いとは。回復と浄化の要となる、稀有な才能ですぞ!」
『大聖女』。
いかにもカエデらしい、清廉潔白そうな響きだ。
クラスの女子たちが「きゃーすごい!」と黄色い声を上げる。
しかし、カエデ本人は浮かない顔をしていた。
彼女は自分の手のひらと、空中に浮かぶステータスを見比べて、小さく溜息をついた。
「……責任重大ですね」
彼女が呟いた言葉が聞こえた気がした。
力を手に入れた喜びよりも、それをどう使うべきか、その義務の重さを既に感じ取っているようだ。
相変わらず、真面目すぎて損をする性格だこと。
「さて、次は……そこのあなたですね」
神官の視線が、最後に残った俺に向けられた。
俺はずっと柱の陰で気配を消していたのだが、さすがに全員が終われば順番が回ってくる。
仕方ない。
俺はのろのろと前に出た。
クラスメイトたちの視線が集まる。
その多くは、ニヤニヤとした好奇心に満ちていた。
「おい見ろよ、天道だぜ」
「あいつ、いつも寝てばっかじゃん。どうせ、地味なスキルとかじゃねーの?」
「ああ、『空気』とか?」
失敬な奴らだ。
まあ、俺も自分が勇者だなんて微塵も思っちゃいないけどさ。
適当な生産職とか、後方支援系の地味な職業なら御の字だ。
戦いに出なくて済むような、安全なポジションが欲しい。
農家とか、釣り人とか、そういうのでいいんだよ。
俺は水晶の前に立ち、適当に手を乗せた。
ひんやりとした感触。
少しして、ぼんやりとした光が灯った。
他の連中のような、目がくらむような輝きはない。
蛍光灯が切れかけた時のような、頼りない光だ。
空中に文字が浮かぶ。
=========================
名前:天道 アタル
職業:一般人
レベル:1
体力:10
魔力:10
スキル:なし
=========================
……ん?
俺は目をこすって、もう一度よく見た。
=========================
職業:一般人
=========================
一般人。
どこからどう見ても、一般人だ。
勇者でもなければ、魔法使いでもない。
ただの人。
能力値も、体力10、魔力10。
さっきの勇者が体力500だったことを考えると、誤差みたいな数値だ。
スキル欄に至っては「なし」と書かれている。
空白ですらない。「なし」と明記されているのが、逆に清々しいくらいだ。
玉座の間が、静まり返った。
誰も言葉を発しない。
神官たちも、困惑したように顔を見合わせている。
水晶が故障したのかと思って叩いてみたりしているが、表示は変わらない。
「……ぷっ」
誰かが吹き出した。
それが合図だった。
「ぎゃはははは! なんだよそれ!」
「一般人だってよ! わざわざ異世界に来てまで一般人かよ!」
「ウケる! ステータスも全部10って、モブキャラ以下じゃん!」
爆笑の渦が巻き起こった。
腹を抱えて笑う者、指を差して嘲る者。
さっきまで不安に怯えていた彼らが、今は俺という明確な「下」を見つけて、安心しきっている。
自分たちは特別だ。でも、こいつは違う。
その優越感が、彼らをさらに饒舌にさせていた。
俺は、ポリポリと頬をかいた。
まあ、そうなるよな。
予想はしていたけど、ここまでショボいとは思わなかった。
でも、内心では少しホッとしていた。
これなら、魔王と戦えなんて言われないだろう。
前線に出されることもない。
城の片隅で掃除係でもやりながら、衣食住を保証してもらえるなら、それはそれで悪くない人生設計だ。
しかし、俺の楽観は甘かったらしい。
玉座の方から、氷点下の気配が漂ってきた。
「……間違いありませんか?」
女王の声だ。
さっきまでの、期待を含んだ声ではない。
汚いものを見るような、あるいは不良品を見つけた時のような、冷徹な響き。
「は、はい。この水晶は絶対です。彼の能力は、この世界の一般的な農夫と変わらぬ水準……いや、それ以下かと」
神官が恐縮しながら答える。
女王は、感情のない瞳で俺を見下ろした。
そこには、一ミリの慈悲も、興味もなかった。
「期待外れですね」
たった一言。
その言葉が、俺の処遇を決定づけた気がした。
「貴重な魔力を消費して召喚を行ったというのに、紛れ込んだのがこのような無能とは。……アステリア公国に、役立たずを養う余裕はありません」
養う余裕はない。
つまり、衣食住の保証はナシってことか。
それは困る。異世界で無一文、宿無し、職なしは、さすがにハードモードすぎる。
さて、どうしたものかと俺が考えていると。
目の前にいる女王の顔に、聖母のような慈愛に満ちた微笑みが浮かんだ。
さっきまでの冷徹さが嘘のような、見る者を魅了する笑顔だ。
「天道アタルと言いましたね。無能なあなたをただ城から追い出し、野垂れ死にさせること……それは、慈悲深い私の本意ではありません」
お?
なんだ、意外と話が分かる人なのか?
まさか、職業訓練校にでも入れてくれるとか?
「そこで、あなたには特別に『労働』する権利を与えましょう」
女王はゆっくりと、宣言した。
「王都から遠く離れた未開の地、『深き森』。そこで行われている開拓事業に従事する名誉を授けます。衣食住は保証されますし、何より、その身が朽ち果てるまで国のために尽くすことができる。……素晴らしいことだと思いませんか?」
美しい声で語られる、美しい提案。
けれど、その内容は要するに「死ぬまで強制労働」だ。
名前からして、魔物がうようよいる危険地帯に違いない。そこでの開拓作業なんて、実際のところ、単なる死刑宣告だ。
使い捨ての作業員。それが、俺に与えられた「名誉」ある役割というわけだ。
何ともタチの悪い慈悲、そして名誉というものだ。
しかし、この場の空気は、その残酷な決定を「正義」として受け入れていた。
「おお……なんと慈悲深い」
「役立たずにも居場所を与えてくださるとは」
神官たちが感涙にむせび、兵士たちが敬礼する。
そして、クラスメイトたちもまた、女王の意図を正確に汲み取っていた。
彼らは、俺が送られる場所が地獄であることを理解した上で、ニヤニヤと嘲笑を浮かべていたのだ。
「よかったじゃん、天道。お前にも仕事が見つかって」
「女王様マジ優しいな。ゴミ拾ってくれるとか神対応すぎ」
「精々、俺たちのために汗水たらして働けよー。あ、すぐ死ぬか? ギャハハ!」
彼らはもう、俺を仲間だとは思っていない。
俺が奴隷同然の扱いを受けることを知りながら、それを「慈悲」というオブラートに包んで肯定し、楽しんでいる。
強い者に媚び、弱い者を叩く。
その醜悪な構図が、ここでは剥き出しになっていた。
俺は肩をすくめた。
反論する気も起きない。
彼らに何を言っても無駄だ。エネルギーの無駄遣い。
それに、魔王退治なんていう訳の分からない戦いに駆り出されるよりは、単純作業のほうが俺の性には合っているかもしれない。
誰もいない森の奥で、黙々と木を切ったり土を掘ったりする生活。
あれ? 想像してみると、案外悪くないんじゃないか?
少なくとも、こいつらの顔を見なくて済むだけで、精神衛生上はずっといい。
「分かりました。その『名誉』ある仕事、ありがたく受けさせていただきます」
俺は適当に頭を下げた。
皮肉を込めたつもりだったが、女王は満足げに頷いた。
「よろしい。物分かりが良くて助かります」
女王の瞳が、冷酷な光を帯びて細められる。
「では、直ちに準備をなさい。あなたがお似合いの職場へ旅立つための馬車を、すぐに用意させましょう」
こうして、俺の異世界生活は、勇者でも冒険者でもなく、最底辺の「強制労働者」として幕を開けることになったのだ。




