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第十七話:病める鶏と騎士の鍬

 新しい朝が来た。

 森の洋館に差し込む日差しは爽やかで、小鳥のさえずりが目覚まし代わりになる優雅な朝だ。

 だが、ダイニングルームに広がる光景は、優雅さとは少し離れた、野生の王国のような様相を呈していた。


「にくぅ! もっとお肉ちょうだい!」


 ガツガツと皿に顔を突っ込むような勢いで食べているのは、獣人の少女レイナだ。

 彼女の食欲は底なしだった。

 山盛りにされた干し肉のソテーが、見る見るうちに胃袋へと吸い込まれていく。


「レイナ殿、咀嚼音を立てないでください。このような場での食事は戦場でのものとは違います。貴婦人のように、優雅に振る舞うべきです」


 その横で、金髪の女騎士セレスが眉をひそめながらナイフを動かしている。

 彼女は背筋を定規が入っているかのようにピンと伸ばし、一口サイズに切ったパンを口に運んでいた。

 さすがは騎士、食事の所作一つとっても隙がない。


「だってお腹ペコペコなんだもん! カエデのご飯、美味しいし止まんないよ!」

「……作り甲斐があるのは結構ですが、この消費ペースは想定の範囲外ですね」


 キッチンから追加の料理を運んできたカエデが、深いため息をついた。

 彼女の手には、在庫管理用の手帳が握られている。


「昨日の『怪鳥』のお肉も、このペースで消費されると数日で底をつきます。それに、テーブルの上を見てください」


 カエデが人差し指でテーブルを指し示す。

 そこにあるのは、焼いた肉、焼いたパン、茶色いスープ。

 視界に入るのは茶色一色だ。


「彩りが死滅しています。圧倒的に野菜不足です。それに卵。朝食のプレートに黄色と緑が足りないと思いませんか?」

「激しく同意する。俺もそろそろ、卵の黄身のとろっとしたあの感じが恋しくなってきたところだ」


 俺は深く頷いた。

 肉も美味いが、やはりバランスが大事だ。

 シャキシャキしたサラダや、半熟の目玉焼き。

 それがあるだけで、朝の幸福度指数は跳ね上がる。


「ですね。ビタミン不足は肌荒れの原因にもなりますし、健康管理の観点からも看過できません。……決めました」


 カエデがパチンと音を立てて手帳を閉じた。


「今日はフロンティアへ買い出しに行きます。目的は、新鮮な野菜の種と、鶏です」

「鶏? 肉を買ううんじゃなくてか?」

「はい。買うだけでは一時しのぎにしかなりません。育てて、産ませるのです。自給自足こそが、安定した食生活への近道ですから」


 なるほど、長期的な運用を考えたわけか。

 俺としても、毎日新鮮な卵が食べられるなら大歓迎だ。

 卵かけご飯、オムレツ、親子丼。夢は広がる。


「よし、決まりだ。みんなで街へ繰り出すぞ」


 俺の号令に、レイナがピクリと耳を動かした。


「街!? 美味しいものある!? 行く行くー!」



 朝食を終え、俺たちは開拓都市フロンティアへと向かった。

 メンバーは俺とカエデ、護衛役のセレス、そして鼻が利くレイナのフルパーティだ。

 レイナにとっては初めての街らしく、道中ずっとキョロキョロしていたが、街の入り口が見えると鼻をひくつかせた。


「うわぁ、いろんな匂いが混ざってる! 人がいっぱいだ!」

「レイナ、はぐれないように私の後ろについてきなさい。迷子になっても放送でお呼び出しなんてできませんからね」


 カエデが引率の先生のように注意する。

 門番は俺たちの顔を見るなり、直立不動で敬礼して通してくれた。

 以前、ギルドでカエデが規格外の魔力を叩き出した噂が広まっているのか、あるいは単に俺たちが「金払いの良い上客」として認識されているのか。

 どちらにせよ、顔パスなのは楽でいい。


 市場は今日も活気に満ちていた。

 呼び込みの声が飛び交い、スパイスや焼き菓子の香りが漂っている。

 俺たちはまず、種苗店を目指した。

 店の軒先には、色とりどりの種袋や苗木が所狭しと並べられている。


「いらっしゃい! 兄ちゃんたち、いい種が入ってるよ!」


 店主のおばあさんが、しわくちゃな顔で笑いかけてきた。

 カエデが真剣な眼差し、いや、鑑定士のような目で品定めを始める。


「このトマトの種と、キュウリの苗をください。あと、葉物野菜の種も一通り」

「おや、お嬢ちゃん、家庭菜園かい? 土作りは大事だよ。素人には難しいかもしれないねぇ」

「ご心配なく。土壌改良に関しては、最高級の環境を用意してありますから」


 カエデが自信満々に答える。

 屋敷の庭は、長年放置されていたおかげで、堆積した落ち葉が良質な腐葉土へと変わっている。

 さらにカエデの水魔法とセレスの馬力があれば、開墾なんて朝飯前だろう。


 種と苗を買い込み、次は家畜市場へと向かう。

 独特の獣臭さがあるエリアだ。

 牛や羊が鳴く中、俺たちは鶏を扱っている区画を探した。


「……あそこですね」


 セレスが指差した先には、古びた鳥かごを並べた露店があった。

 だが、近づいてみると、様子がおかしい。

 店主の男が、渋い顔で腕組みをして、地面に唾を吐いている。


「……鶏を譲ってほしいんだが」


 俺が声をかけると、店主は面倒くさそうにこちらを一瞥し、力なく首を振った。


「悪いな、お客さん。今日は商売にならねえよ」

「どうしてだ?」

「見ての通りさ。流行り病か何か知らねえが、みんな弱っちまってな」


 店主が顎で示した鳥かごの中を見る。

 十羽ほどの鶏が入っていたが、どれも羽のツヤがなく、ボロ雑巾のように地面にうずくまって動かない。

 呼吸も浅く、今にも息絶えそうだ。


「肉にするにも痩せすぎてるし、卵なんざ産む体力もねえ。これじゃ売り物にならねえよ。これから処分しに行くとこだ」


 店主が吐き捨てるように言った。

 カエデが顔をしかめた。

 不潔や病気という言葉に過剰反応する彼女だが、その瞳には嫌悪感よりも憐れみの感情が浮かんでいた。


「……可哀想に。これではただ、死を待つのみですね」

「おいおい、同情してもどうにもならねえよ。病気が伝染るといけねえから、あんたたちも近寄らない方がいい」


 店主が手を振ってシッシッと追い払おうとする。

 だが、俺はその鳥かごから目が離せなかった。

 弱りきった鶏たち。

 普通なら見向きもしないだろう。

 だが、俺の『勘』が騒いでいた。

 こいつらは、ただの病気の鶏じゃない。

 何か、とんでもない当たりくじの予感がする。


「おじさん、これ全部もらうよ」


 俺の言葉に、店主だけでなく、カエデやセレスまで驚愕の表情を浮かべた。


「アタル様、正気ですか? 病気の家畜を屋敷に入れるなど……リスクが高すぎます」

「そうですよ、天道くん。衛生管理上、問題があります。病気に持ち込むなんて」

「構わない。なんとなく、うちの庭なら元気になる気がするんだよ」


 俺は根拠のない自信たっぷりに言った。

 俺の「なんとなく」は、この世界における予言のようなものだ。

 店主は狐につままれたような顔をしていたが、処分する手間が省けると思ったのか、すぐに表情を緩めた。


「……物好きなこった。死んだからって文句言いに来るなよ。金はいらねえから、持ってけ」

「ありがとう。助かるよ」


 俺たちはタダ同然で鶏たちを引き取った。

 鳥かごをセレスが軽々と持ち上げる。

 中では鶏たちが弱々しく「クゥ……」と鳴いていた。


 買い物を終え、屋敷への帰路につく。

 レイナが鳥かごを興味深そうに覗き込んでいた。


「ねえねえ、これ食べるの? 焼き鳥にするの?」

「違うぞ。卵を産んでもらうんだ。……まあ、元気になればの話だがな」


 俺は空を見上げた。

 さて、俺の『運』がどう出るか。

 吉と出るか凶と出るか。

 まあ、凶が出たことなんて一度もないんだけどな。



 屋敷に戻ると、早速作業に取り掛かった。

 まずは、鶏たちの住処を作らなければならない。

 場所は日当たりの良い南側の庭の一角に決めた。


「セレス、出番だ。即席でいいから小屋を作ってくれ」

「御意。……しかし、私は大工仕事の教練は受けておりませんが」

「剣を振るう要領で木を切ればいい。組み立ては俺が指示する」


 俺たちは屋敷の裏に積んであった廃材を持ってきた。

 セレスが剣を抜く。

 彼女の愛剣が、陽光を反射してきらりと光る。


「……木材を敵兵の首だと思えばよいのですね。はっ!」


 気合一閃。

 太い角材が、まるで豆腐のように綺麗に切断された。

 断面はカンナをかけたように滑らかだ。


「……恐ろしい切れ味ですね。大工道具がいらないのは便利ですが」

「手入れは欠かしておりませんので」


 セレスが少し誇らしげに剣を納める。

 彼女の超人的な身体能力と、俺の適当な設計図――とはいえ、地面に棒で描いただけのものが組み合わさり、作業は爆速で進んだ。

 釘を打つ場所も、俺が「この辺かな」と指差すと、セレスが素手で親指を使って押し込む。

 金槌いらずだ。

 あっという間に、頑丈で風通しの良い鶏小屋が完成した。


 次は、肝心の鶏たちのケアだ。

 カエデが鳥かごの前に立ち、白い魔導杖を構える。


「……本当にやるんですか?かなり汚れていますよ?」

「頼むよ、大聖女様。お前の魔法しか頼れないんだ。それに、このままじゃ俺たちの卵かけご飯計画が頓挫する」

「おだてても何も出ません。……はぁ、仕方ありませんね」


 カエデは観念したように息を吐き、集中を高めた。

 彼女の周囲の空気がキリリと澄み渡る。


「『清浄なる水よ、病魔を洗い流し、命の輝きを取り戻せ』」


 詠唱と共に、杖の先から優しい光を帯びた水が溢れ出した。

 水は生き物のようにうねり、鳥かごの中へと入っていく。

 鶏たちを包み込む水球。

 それは全自動洗濯機のように激しく、しかし優しく回転し、羽毛にこびりついた泥やダニ、そして体内の病魔までも吸い出していく。


 黒く濁った水が排出され、地面に吸われて消える。

 後に残ったのは、濡れそぼってはいるが、どこかさっぱりとした顔つきの鶏たちだった。


「コケッ?」


 一羽が、不思議そうに首を傾げた。

 その目は、さっきまでの虚ろさが嘘のように、生き生きとした光を放ちだす。


「すごい……本当に治っちゃった」

「外傷だけでなく、体内の毒素や病原菌も徹底的に浄化しました。しかし、ここまで、とは私も予想外ですね」


 カエデが額の汗を拭う。

 さすがの彼女も、十羽まとめての精密な浄化治療は骨が折れたようだ。


「次は飯だな。腹が減っては戦ができん」


 俺は森の入り口付近で拾ってきた「ミミズ」を取り出した。

 ただのミミズじゃない。

 太さが親指くらいあり、虹色に光っている。

 なんとなく「これだ」と思って捕まえてきたやつだ。


「ほらよ、食え。特製ランチだぞ」


 俺がミミズを小屋の中に放り込むと、鶏たちが一斉に飛びついた。

 奪い合うようにしてついばむ。

 その食欲は凄まじい。

 あっという間に虹色のミミズは消滅した。


 その直後だった。


 ボッ!


 鶏たちの体が、カッと発光した。

 まばゆい光が庭を包み込む。


「な、なんです!? 爆発!?」

「敵襲か!?」


 カエデとセレスが身構える。

 光が収まると、そこには信じられない光景が広がっていた。


 くすんだ茶色だった羽毛は、夕焼けのような美しい茜色に変わり、一本一本が宝石のように輝いている。

 トサカは燃えるような赤色になり、王冠のように気高くそそり立っていた。

 体格も一回り大きくなり、筋肉質な足が大地を踏みしめている。


「コケーッ!!」


 その鳴き声は、もはや鶏のものではなかった。

 聞く者の魂を震わせるような声だった。


「こ、これは……」


 セレスが驚きながら、言った。


「まさか……『暁のオーロラコッコ』!?伝説の希少種ではありませんか!各地を行き来する商人ですら、その姿を見ることは叶わないという幻の聖鳥……!」

「へえ、やっぱり当たりだったか」


 俺はニヤリとした。

 店主が言っていた「病気」というのは、ただの栄養失調と汚れによる衰弱だったのだろう。

 カエデの浄化と、俺が選んだ餌によって、本来のポテンシャルが覚醒したのだ。


「オーロラコッコ……。その卵は万病に効き、魔力を高めると言われています。一説には、卵一つで金貨と同じ重さの価値があるとか」

「マジか。卵かけご飯にするには贅沢すぎるな」


 俺は小屋の中の鶏たちを満足げに眺めた。

 こいつらはもう、ただの家畜じゃない。

 俺たちの生活を豊かにする、黄金の生産ラインだ。


 その時、小屋の横から熱っぽい視線を感じた。

 レイナだ。

 彼女は柵に顔を押し付けるようにして、じっと鶏たちを見つめていた。

 その目には、食欲とは違う色が浮かんでいる。


「……かっこいい」


 レイナが呟いた。

 彼女は獣人として迫害され、森で泥まみれになって生きてきた。

 この鶏たちも、泥まみれで捨てられそうになっていたが、今はこんなに立派になった。

 もしかしたら、その姿に何かシンパシーを感じたのかもしれない。


「ボク、決めた!この子たちのボスになる!」


 レイナが高らかに宣言した。


「ボクが群れのボスになって、外敵から守ってあげる!今日からこいつらはボクの子分だ!食べるんじゃなくて、守るの!」

「お、いい心がけだ。頼んだぞ、警備隊長」

「任せて! 猫一匹、ネズミ一匹近づけないから!近づくやつはボクがガブッてする!」


 レイナは胸を張った。

 彼女の野性の勘と身体能力があれば、鶏泥棒なんてイチコロだろう。

 これで養鶏は安泰だ。



 一方で、畑の方も作業が進んでいた。

 場所は鶏小屋の隣。

 雑草が生い茂っていた一角を、セレスが開墾することになった。


「ここを耕せばよいのですね」

「ああ。土を掘り返して、草の根を取り除いてくれ。頼めるか?」


 俺が言うと、セレスは頷き、立てかけてあった鍬を手に取った。

 本来なら農民が使う道具だが、彼女が構えると伝説の聖剣か槍のように見えるから不思議だ。


「大地を耕すのもまた、剣の修行に通ず。いざ!」


 ドスッ!

 セレスが気合と共に鍬を振り下ろす。

 ズドォォン! と凄まじい音が響き、土が爆発したかのように舞い上がった。

 深く、あまりにも深く突き刺さりすぎている。


「……セレスさん、もう少し手加減を。地盤まで掘り返して温泉でも掘り当てる気ですか」

「申し訳ありません。つい、魔物を一刀両断する感覚で……土の抵抗が思いのほか少なくて」


 セレスは顔を赤らめつつ、力加減を調整し始めた。

 それでも、彼女の作業スピードは異常だった。

 硬い地面が、みるみるうちにフカフカの土壌へと変わっていく。

 石があれば放り投げ、太い根があれば引きちぎる。

 最新型のトラクターも真っ青の馬力だ。


 耕された土地に、カエデが畝を作り、買ってきた種と苗を植えていく。

 手つきは丁寧で、まるで宝石を埋めるようだ。


「『恵みの水よ、大地を潤し、命を育め』」


 仕上げにカエデが魔法で水を撒く。

 霧状になった水が、優しく土を湿らせていく。

 俺も横から「大きく育てよー」と適当に声をかけておいた。

 これが俺の『運』のおまじないだ。


 すると、植えたばかりの苗が、心なしかピンと背筋を伸ばし、葉の色が濃くなったような気がした。

 土の中に埋まった種からも、微かな生命の鼓動が伝わってくるようだ。


「……さすがに、すぐには実りませんか」


 カエデがじっと苗を見つめる。

 期待していたようだが、魔法の豆のようにニョキニョキ伸びることはなかった。

 まあ、当然だ。植物の成長には時間が必要だ。


「気長に待とうぜ。毎日の楽しみが増えたと思えばいい」

「そうですね。毎朝の水やりと雑草の排除は私の日課にします。……早く、この手で収穫したいものです」


 カエデは愛おしそうに土を撫でた。

 その横顔は、家庭菜園にハマった主婦のそれだった。

 セレスも、自分が耕した畑を見て満足げに頷いている。


「主君。この畑の管理、私が引き受けましょう。毎朝の剣の素振りの後に、この鍬を振るうことを日課とします」

「助かるよ。騎士様の作った野菜なら、味も格別だろうしな」


 こうして、俺たちの屋敷に「農園」が誕生した。

 鶏小屋からは元気な鳴き声が聞こえ、畑には希望の種が眠っている。

 殺風景だった庭が、一気に生活感を帯びてきた。


 夕暮れ時。

 作業を終えた俺たちは、テラスから庭を眺めていた。

 心地よい疲労感と、達成感。

 冷たい風が汗ばんだ肌に心地よい。


「明日の朝には、卵が産まれているかもしれませんね」

「ああ。楽しみだ。卵かけご飯、夢じゃなくなってきたな」


 俺はニヤリと笑った。


 俺たちは夕焼けに染まる空を見上げながら、これからの豊かな食卓を想像して喉を鳴らしたのだった。


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