殺意は静かに育つ
僕は今日も、彼女の声を聞き逃した。
いや、正確には聞こえていた。耳には届いていた。鼓膜は震えていたし、脳もそれなりに処理していたはずだ。
「ねえ、昨日のことなんだけど」
そう言われた瞬間、僕の脳内では昨日の出来事がフル回転で再生された。コンビニで買ったアイスが溶けていたこと。電車で隣に座ったおじさんがずっと独り言を言っていたこと。帰り道で見た猫が、妙に人間くさかったこと。
でも、彼女が言いたかった「昨日」は、僕の「昨日」とは違ったらしい。
「……聞いてる?」
聞いてるよ。聞いてるけど、わかってないだけだよ。
僕は彼女にそう言いたかった。
代わりに出たのは、「ああ、うん」という、意味のない相槌だった。
彼女は少しだけ眉をひそめて、それから笑った。あの、何かを諦めた人がする笑い方だ。
僕はその笑顔が嫌いだった。彼女の笑顔は、もっと無邪気で、もっと破壊的で、もっと僕を困らせるものであってほしかった。
「じゃあ、いいや。もう」
その言葉が、僕の中で何かを切った。
殺意が湧いた。今日の夜、殺そうと思った。