3-4 王様のわくわく異世界道中
「えっ、かわい~……」と、思わず感嘆の声が漏れた。
ただ、全く意識せずにでた言葉だったので、殆ど音になっていない。顔から数センチの距離で霧散するくらいの掠れたそれは、だからこそ本気で本心から出た言葉だった。
「私のために選んでくれた衣装ですもの。着こなすのが王というものよ」
だというのにこの王様の耳には届いてしまったらしく、彼女は自慢げに胸を張り、片手を腰に当てポーズを決めた。
異世界めいた全身白のドレスから、現代の黒いセットアップへ。正反対の衣装チェンジだというのに、そのどちらもがぴったりと彼女に似合っている。ドレスはともかく、この世界の服がまるで彼女のために仕立てられたような似合い具合なのはいったいどういう理屈なんだろう。
「このスカートが素敵ね。王の華やかさといざという時の動きやすさ、どちらも両立されていて」
王様はふくらはぎまでのロングスカートを片手で摘まみ、つい、と持ち上げた。うーん、そんなポーズも様になっている。王様セレクトのジャケットも相性バッチリだ。
「ふふ、ふふふ」
「どうしました王様」
「いいえ、チアキがそうやってずっと称えてくれるものだから嬉しくなってしまって」
くすくす、と嬉しそうな笑い交じりに王様が言う。それに対し、私は先程から止まらず鳴らし続けていた拍手の音を更に大きくさせた。
素晴らしい物を見れば自然と拍手もしたくなる。それに喜んでもらえるのなら、自分の手のひらが痛もうが関係なかった。
「めちゃくちゃ良いです。本当に」
「ふ、ふふ。ありがとう」
口元を手で抑えて零れる笑みを押さえる。その仕草を目で追って、白い布地に気が付いた。手袋だ。
「王様その手袋」
「え? あぁ、これね。気になる?」
「いえ。でもあれですね、付けてるんですね」
「そうね。やっぱり王としてこれは付けていたくて」
「なるほど。良いと思います」
もしかしたら王族に代々伝わる大事な手袋とかだったりするのかもしれない。今の服装に合うかと言われればまぁ……まぁ、でも王様の圧倒的なビジュアルがあればなにも気にならないだろう。実際今の私がそうだったわけだし。
あ、というか手袋の汚れが綺麗になってる。真っ白できめ細やかな生地の美しい手袋だ。
「さて。これで少しでもこの世界に馴染めたかしら」
さらり、と手袋越しに王様が髪を背に流す。私は頷いた。これでもめちゃくちゃ目立つだろうけど、少なくとも好奇の視線に晒されるようなことはないはずだ。
と、すれば、とうとう当初の目的に繰り出す時が来た。
「情報収集ですね」
「えぇ。私の国に帰る方法を探さないと」
とはいえいったい何からすればいいのやら。
異世界転移なんてどう考えてもフィクションの産物なもので、情報源といえば小説に漫画、アニメ、エトセトラエトセトラ。どれも人の手によって生み出された空想でしかない。それらだって作品によって設定にブレがあるわけだし。
でも知っておくことに損はないよな。不安要素はあれど何かしらの参考にはなるかもしれないし。それならまずは……本屋? アニメの方が分かりやすいかな。ならサブスクで
「その前に」
と、思考の合間に王様の声が差し込まれた。
「チアキ、今は何時?」
「何時? えっと……」
上着から取り出して手に握りっぱなしだったスマホを見る。デジタル数字が示しているのは
「午後1時過ぎですね」
「少し遅いくらいね。ねぇチアキ、腹が減っては戦は出来ぬ、と言わない?」
王様は楽し気に小首を傾げた。
確かに、そういえば。
「……お昼ごはん、食べますか」
ごはんのことを完全に忘れてた。だって王様の元に早く帰ろうと必死だったから。空腹なんて感じる余裕すらなかったくらい。
「え、あれ!? そういえば王様も何も食べてないってことですよね!?」
「まぁ招待された家の食物を勝手に食べることはしないわね」
「そりゃそうだ!」
なんてことだ。これまでも何度か失礼なことをした気はするけど、これがきっと最大の失態に違いない。王様の腹を空かせてしまうなんて!
どうしよう。家になにか……いや私の手料理を王様に食べさせても良いものか? 王様に満足してもらえるような食事ってなんだ!?
「お、王様なにが好きですか!?」
「食べ物のこと?」
「はい!」
「食べられるものならなんでも好きよ」
え、えらい。
「なんか、食べたいものとか」
「食べたいもの……なら、この世界らしいものかしら。この世界の衣と住に触れたから、次は食ね」
リビングのドアとジャケット、それぞれに手を添え王様が微笑む。見知らぬ土地の衣食住に興味が尽きないらしい。なんとも学びに意欲的な王様である。
しかし、この世界らしい食べ物、かぁ。そもそも「らしい」ってなんだ? そんなこと考えたこともない。
いっそのこと逆で、王様の世界に無い食べ物、の方針で考えた方が良いかもしれない。そうなると和食? フィクション異世界イメージだと中々和食は出てこない気がするし。いやでもたまに普通に米が出てくることはあるんだよな。そうなると、うーん、うーん……。
「……分かりました」
頬を伝う冷や汗を感じながら、ぐっ、と握りこぶしを作る。王様の目が輝いた。
王様に失礼な真似は出来ないし、なによりこの期待の眼差しを裏切れない。王様のリクエストに応える最善策はきっとこれしかないはずだ。
「じゃあ王様、外、外行きましょう」
「外?」
「お店に行きます。ご飯食べる所」
「あら、家では食べないの?」
「い、えはちょっと……王様をおもてなしする程の料理は難しいかもしれなくて」
玄関まで王様を誘導する。おっと、財布と鍵、財布と鍵。一旦自分だけリビングに引き返し、トートバッグの横に引っ掛けてあったショルダーバッグに必要最低限の持ち物を詰め込んだ。
「王様、靴はどうします? あれなら貸しますよ」
「折角の申し出だけど、靴は自分のを履くわ。履き慣れた物じゃないといざという時動けないから」
「流石です王様」
いざという時がどんな時かはちょっと分からないけど、
「でしょう」
褒められた王様が嬉しそうなので、なんでも良しとする。
2人並んでそれぞれ靴を履く。私はスニーカー、王様はショートブーツ。トン、と地面を一度爪先で叩いて、よし準備完了。
「いってきまーす」
ドアを開けながら呟く。行き帰りにこうして無人の家中に挨拶するのはもうすっかり癖になってしまっていた。
普段は当然誰にも聞かれないから構わない。でも今隣には王様がいて、それを彼女のきょとん顔で思い出した。
う、まずい。変に思われたかな。表情を強張らせる私に、王様はふわりと微笑んで、
「いってきます」
と閉まったドアに手を振った。