1-1 非日常の瞬間
例えば。
いつもの教室いつもの授業中に突然悪の組織が乗り込んでくる、とか。
掃除道具に跨って遊び半分にジャンプした瞬間浮き上がった、とか。
通学路にトラックが突っ込んできたと思えば異世界に転生あるいは転移していた、とか。
そういった、王道めいた非日常を妄想したことがある。
きっと自分だけじゃない。誰もが、は、ちょっと主語が大きいかもしれないけど、でもきっと少なくない人数が一度は考えたことがある、特別な瞬間。
日々の色が変わる、そんな出来事。
でも、そんなのあくまで妄想だ。
フィクション。悪の組織も空飛ぶ掃除道具も、自分の人生には現れない。
異世界なんてもってのほか。そんな世界が存在する証拠はないし、仮にあったとしても、行く手段がない。
そんなことは分かっていて、それでも非日常の妄想を楽しんでいる。
実際に起こり得る非日常はもっと身近なものだ。
知らない場所を旅行するとか、好きなアーティストのライブを楽しむとか、アイスの棒が当たるとか。最後のはちょっと日常に近すぎたかもしれないけど、まぁこんな感じ。
とにかく、非日常とはある意味日常と地続きなのだ。日常あってこその非日常。
だからきっとこれも日常の続きだ。そうじゃなきゃありえない。
そんなことを考えて現実逃避しようとしても、現実は変わらずそこにあった。
目の前に大きな大きな剣がぶっ刺さっている。
そして私は尻もちをつきながら、それを呆然と見上げていたのだった。
「なんだこれ……」
剣だ。何度見てもどう見ても剣。
それもあれだ。大剣と呼ばれる類の大きなやつ。ゲームで見たことある。操作キャラクターの身長と変わらないくらいの大きな剣。
とても閑静な住宅地に似合うものじゃない。住宅地どころか、そもそも現代日本においてこんなものが似合う場所の方が少ないかも。
何度か瞬きをする。それでも消えない。やっぱり現実? 幻覚とかの類じゃなくて? ……あぁ、うん。分かった。現実かも。まったくもって意味が分からないけど、これは現実だ。一回そういうことにしておこう。そうしないと、いつまでもここで情けなく座り込み続けることになってしまう。
ようやく身体が動いて、身を起こした。しゃがみ込んでしげしげと観察してみる。
「剣だ」
刀身に太陽の光が反射して、きらりと光った。それが寧ろこの大剣の切れ味を物語っているようで自然と身体が震える。
どうしてこんなものがここに? 私はその答えを知っていた。
この大剣は突然現れたのだ。
決してふざけてなんかない。正しく、これは突然現れた。
自宅の近所に空き地がある。遊具のようなものはなにもない。ただ芝生の中にぽつんと東屋が建っているだけの、小さな空き地。
事はそこで起きた。
いつも通りの朝。
今日の講義は2限目からで時間にも余裕がある。このまま早めに大学に行くのも良いな、誰かもういるかな、いなかったらなにをしていようかな。そうぼんやり考えながら丁度空き地横の歩道を歩いていた時のことだ。
視界の端が揺れた。
風で芝が揺れたとかでは絶対にない。東屋の柱、その輪郭が、ぐにゃりとぶれた。
そんなものを見てしまっては流石に足も止まる。止まるし、空き地の方にも向かう。恐る恐る、一歩ずつ近づいていったところで、またもや大きく東屋がぶれた。
と思った次の瞬間には、東屋の真横、芝生の上に、この大剣がぶっ刺さっていたのだった。
それに驚き足がもつれ尻もちをつき、今に至る。
なんとも不思議な現象だ。不思議な現象、の簡単な言葉で表現していいのか分からないくらいには不思議な現象。
まずなにより、無から物が現れること自体が不思議だ。もしかしたら今後瞬間移動のような技術が日常的に見られるようになるかもしれないけど、現状そんな話は聞いたことがない。あ、でも、映像技術ともなれば話は別かも……。
待てよ? 映像技術か。
「そりゃそうか。そんな魔法みたいなことあるわけないもんな」
つまりこれは本物の剣じゃない。そしてさっき見た謎のぶれとか剣の出現とかいったものも、実際に起きた現象ではない。
全て映像なのだ。どこかにプロジェクターとかなにかがあって、ホログラムやプロジェクションマッピングの要領で映像が流されていた。そうに違いない。そうでもなければ説明できない事象だし。
うん、うん。そうと分かればなにも不思議なことじゃない。
なんでこんな観光地でもないただの空き地にそんなものが、とか、そういう疑問が浮かばないでもないけれど今は置いておく。きっとこれから観光名所にしていくつもりなんだろうな。住宅街も近い空き地に観光客を呼んでじゃあそれからどうするのか、とかも分からないけれど、これも今は置いておこう。
それにしても、なんとも精巧な映像技術だ。アニメや漫画からの受け売りだけど、こういう投影映像というやつはジジッ、みたいな音と共に定期的に輪郭がブレるようなイメージだった。あと半透明で後ろが透けている。
ところがどうだ、この映像の大剣はどっしりとその身を地に落ちつけていた。あまりにも鮮明。輪郭は常にハッキリとしているし、刀身なんてつるりとした質感が触らなくても伝わるくらい綺麗に磨かれている。磨かれすぎて自分の顔が映って見えるくらい。ふむ、これが現代技術の進歩というやつか。……あ、せっかく綺麗な刃なのに、ちょっと汚れてる。
映像なのにあまりにもリアル。ちょっと頭が追い付かない。だからどうもこちらも頭がバグってしまったようで、気付けば刀身に手を伸ばしていた。
とはいえこれは映像なので、どれだけリアルでも触った感触なんてものはあるわけがない。こうして触ろうとしても、手は剣をすり抜けて空中を撫でる。
はずだった。
中指と薬指、遅れて付いた人差し指に、ひやりとした金属の感触がした。