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孤児院のキャサリン

作者: 瑠璃丸

100個のテーマから小説を書くという訓練に取り組んでいます。

テーマNo.83「孤児院」は、この様な作品と相成りました。

お楽しみ頂ければ幸いです。

キャサリンは、皆の友達だった。


私があの孤児院に入所したのは小学五年生の夏のことだ。買い物に出掛けた両親の車に飲酒運転のトラックが突っ込み、母と、父と、三歳の誕生日を迎えたばかりの妹を轢き潰した。たまたま図書館で出掛けていて難を逃れた私は、ご他聞に漏れず、親戚中をたらい回しにされた挙げ句、一年も経たないうちに孤児院に打ち捨てられた。しかしながら、一切は私にとって現実感に乏しく、全てを失って尚、私は夢を見ているかのような浮遊感の只中にいた。それは今でも変わらない。私は夢の中にいる。


孤児院の職員は優しかった。一日中呆けていた私に甲斐甲斐しく話し掛け、身の回りの世話を焼いた。それは尊く、有難いことだということは理解していたが、有難うという気持ちは湧いてこなかった。私は凡そ八年を孤児院で過ごしたが、一人として職員の顔を覚えていない。のっぺらぼうに世話をされていたような奇妙な感覚だけが残っている。


孤児院では二十人程度の子ども達が生活していた。私と変わらぬ、或いは私より悲惨な事情を抱えながらも、彼らは純真であった。私という異物も好意的に受け入れ、イジメや嫌がらせの類を受けた記憶もない。あまつさえ、彼らは私が「からっぽ」であることを鋭敏に察し、必要以上に話し掛けてくることもなかった。

「可哀想な事情があるんだよ」

一番年上の子が小さな子に話しているのを聞いたことがある。それは、それぞれが「事情」を抱えた特異なコミュニティにおける子どもなりの気遣いだったのだろう。呆けることしか出来なかった私にはそれは有難い気遣いだった。私は極力一人で過ごし、会話は最小限に留めた。はしゃぎ回る彼らの姿を目で追いながら、私は独り夢の中を揺蕩うことを選んだのだ。


キャサリンに出会ったのは、入所から一ヶ月が過ぎた頃だった。元気いっぱいに外で遊ぶ大勢の子どもたちを眺めながら、私は一人で本を読んでいた。遠くに聞こえる楽しげな声と窓から差し込む日差しに包まれた読書は快適で、私は物語に没入していた。視線を向けられているのに気付いたのは何故だったか。いつの間にか隣に女の子が座っていた。七、八歳の少女。栗色のウェーブが掛かった髪の毛と大きな眼が印象的だった。大きな熊のぬいぐるみを抱いて、私の本を不思議そうに覗き込んでいた。職員を除いて、孤児院において、私に構おうとする者は殆いない。正直に言えば、驚いた。

「何?」

少々の敵意を込めて相手に向き直ると、少女と目が合った。遠い喧騒に包まれながら、私達は暫しの間、互いに見つめ合った。少女は私の目をじっと覗き込み、そうしてにこりと笑った。陽の光のような暖かな笑顔だった。予想外の反応に私は続く言葉を吐き出すことが出来ず、気まずさを紛らわすように再び本を読み始めた。幾ばくかの間、覗き込まれる気配があった。程無くして、それも光に融けるように消えた。目線を挙げると、そこには誰も居なかった。


「それは、キャサリンだよ」

 翌日、年長の子にそれとなく尋ねると、彼女はどこか誇らしげな口調でそう言った。

「キャサリンは幽霊なんだ」

 幽霊とは全く頓狂な話だが、私は驚かなかった。キャサリンが纏っていた空気は凡そ現実感に乏しく、生きている人間だと言われた方が寧ろ驚いたかもしれない。曰く、キャサリンは幽霊であり、洋風の名前だが日本人で、ずっと昔からこの孤児院に住み着いているのだそうだ。どれだけ一生懸命に話し掛けても決して喋ることはなく、ただ笑みを浮かべるだけで―――

「大人には見えないんだ」

キャサリンは大人には見えない。子どもにしか見えない。微笑みを湛えて孤児院に佇む、不思議な女の子。いつから居るのか、いつまで居るのかは誰にも分からない。

「怖くは、ないの?」

「どうして?キャサリンだって皆の友達だよ」

 年長の子はそういってニッコリと笑った。得体の知れない幽霊を怖がる様子は微塵も無い。寧ろその存在を歓迎している節さえある。一人ぼっちの子がいれば、キャサリンが一緒に居てくれる。泣いている子が居れば、キャサリンが隣で微笑んでくれる。陶酔したように語る様に嫌気が差し、私は話を切り上げた。入所以来、誰かと長く話したのは初めてかも知れない。頭痛がした。吐き気も酷かった。年長の子が、青い顔をしだした私を案じる表情を見せたため、私は小さな声で「ありがとう」と吐き捨て、踵を返した。

「待って。もう一つだけ」

足を止めたが、私は振り返らなかった。理由は分からないが、酷く苛々していた。

「キャサリンに―――」

言い終わる前に私は歩き出す。早く一人になりたかった。廊下を進み、自室に入るとそのままベッドに倒れ込んだ。世界がぐるぐると廻る感じがした。巡る景色の狭間に、キャサリンの静かな笑顔を見たような気がした。

キャサリンに―――あなたは幽霊だよって教えちゃいけないの。

忠告を、私ははっきりと聞いていた。忘れようと努めたが、どうしようもなかった。

 

キャサリンは度々現れた。

教えられた通り、彼女は決して喋ることはなく、ただ其処で微笑んでいるだけだった。決まって私が一人で居るときに現れ、隣に佇み、私をじっと見詰めていた。今にして思えば、それは穏やかな時間だった。幸せだったと言っても良い。私の人生は可哀想なものだったが、彼女と過ごす時だけは、それを忘れられた気がする。だが、現実から遊離していたあの頃の私は、捻じくれ屈折した心を持て余していた。幸せで心を満たすことを拒んでいた。頭痛は止まない。吐き気は酷くなる。

だから、私はあんなことをしたのだ。

「貴方は幽霊なの。化け物なの。可哀想ね、キャサリン」

朝から雨の降った日だった。ざあざあという雨音が酷く耳障りな日だった。私は本を読みながら、その残酷な言葉を、まるで何でも無い独り言のように告げた。

暫くの間、沈黙があった。

彼女は目を見開き、動かなくなった。大事に抱えていた熊のぬいぐるみがぽとりと床に落ちる。私はその様子をちらちらと盗み見ながら、決して本から顔を挙げなかった。泣くと思ったのだ。叫ぶと思ったのだ。どちらでもないと分かると、急に怖くなった。汗が吹き出し、体の芯から寒気を感じた。目を閉じ、本を読む振りをした。何分、何十分が経ちち、目を開けると―――キャサリンが覗き込んでいた。悍ましい形相だった。悲鳴を上げ、私は逃げ出した。自室に籠もり、震える夜を過ごした。


キャサリンがおかしくなった。

子どもたちの間でそのような噂が立った。誰かがルールを破った。だからキャサリンは怒っている。ルールを破った子どもを探して「ふくしゅう」をしようとしている。暖かな微笑みを絶やさなかった少女は、今や恐ろしい顔で所内を彷徨っている。今のキャサリンに会ったらいけない。会ったらきっと殺される。殺されて連れて行かれる。以前、キャサリンについて教えてくれた年長の子が、震える声で語った。

「私、一度、キャサリンを見たの。窓の外からジッとこっちを見てた。今までだったら、ニコニコしていただけなのに…あんな顔するなんて。怒っているような、苦しんでいるような。何と言うか、捻れたみたいな顔。私、怖い。怖くて堪らない」

そう言って肩を抱く、彼女の背後の扉から、キャサリンの顔が覗いているのを私は伝えることが出来なかった。


キャサリンは孤児院での生活に暗い影を落とした。夜一人で眠れない子どもが増え、職員たちは首を捻った。キャサリンは生活の至る所に立ち現れ、歪んだ顔で私達を睨めつけていった。私は自分の仕出かした事の重大さを恐れ、罪悪感を抱えて暮らしていた。


しかしながら、一ヶ月程過ぎるとキャサリンは姿を見せなくなった。そして二度と現れなかった。結局、私は「ふくしゅう」に見舞われることなく、何年かを院で過ごした後、就職を期に院を出た。平穏の中にあって、私の疑問は消えなかった。何故。



私はキャサリンを忘れることが出来なかった。それは私の心に刺さった棘であり、時折鋭い痛みとともに想起された。私は罰せられなければならない。そんな思いが拭えなかった。私は再び孤児院を訪ねることにした。来意を告げると院長は大げさに喜んだ。「貴女の事がずっと気になっていたの」そう言った。


翌週、私は孤児院を訪ねた。あの頃は大きく感じられた数々の施設が、今は酷く小さく感じられた。応接室に通され、私は院長と相対する。そうして「キャサリン」に纏わる話を語って聞かせた。院長は静かに私の話を聴いていた。私が話を終えると、大きく溜息を付き「そうだったのね」と小さく呟いた。

「キャサリンという女の子は実在したわ」

院長の言葉に私は耳を疑った。あれは確かに幽霊だった。実感のある存在ではなかった。思わず院長を見返すと、院長は慌てて返した。

「いいえ、いいえ。貴女の言葉を信じるなら、貴女、いや貴女達が見ていたキャサリンは、その、幽霊だったのでしょう」

「では、」

「私が知っているのは、なんと言えば良いのかしら、そう、生前の彼女ね。ウェーブの掛かった茶髪に大きな目、熊のぬいぐるみを抱えていたとなれば、あの子しか居ない。ええ、ええ、あの子以外ありえない」

そう言うと院長は一冊のアルバムを棚から取り出した。そうして半ば朽ち果てた白黒の写真を指差し「この子」と言った。それは紛れもなく「キャサリン」だった。

「可愛らしい子だったわ。キャサリンってイメージ通りね。面白い」

「院長先生。この子は…」

私が尋ねると、院長の目に一瞬暗い色が浮かんだ。

「この院でたった一人、卒業出来なかった子なの。この院には、良い子、悪い子、色んな子が居たけれど、皆立派に巣立っていった。それが私の自慢。でも…」

「この子は卒業できなかった?」

「そう。行方不明になって、それきり」

キャサリンはある日突然に院から消えたのだという。警察も捜索を行ったが、どうしても見つけることは出来なかった。結局捜索は打ち切られ、院から死亡届が出されたのだそうだ。

「悔しかったわ」

院長の言葉には重みがあった。胸に沈み込むような鈍い重みが。私が見たキャサリンは確かに幽霊だった。つまりはそういうことだ。キャサリンは死んでいる。

「でも、帰ってきてたのね。ここに」

院長は天を見上げた。


「これは関係ないかも知れないけど」

 暫く天を仰いでいた院長が私に向き直り言った。

「キャサリンが自分を幽霊だと気付いた後、怖かったというのは良く分かったけど、話を聴く限り、彼女は誰かを探していたように思えるの」

 それはそうだろう。彼女は私を探していたのだ。ルールを破った私を。私が何も言えずに居ると、院長は首を振る。

「貴女じゃない。自分が幽霊だと気付いた人は何を思うと思う?答えは簡単よ」

―――自分を殺した人を探すの。

部屋の窓がガタリと鳴った。


「実は幽霊のキャサリンが居なくなったのと同時期に居なくなった人が居るの」

出入業者が一人消えたのだという。動機もなく、遺書も残さず、忽然と。

「彼には悪い噂があった。女の子に、その、悪戯をするような。でも長年お世話になった人だし、噂に過ぎない訳だから、ずっと契約を続けていたのだけど」

キャサリンは自分を殺した人を探していた。

「キャサリンは一ヶ月彷徨っていたことは重要じゃない。一ヶ月で消えたことが重要なの。彼女は見つけたんじゃないかしら。その「ふくしゅう」の相手を」

彼女は死の恐怖を、怒りを思い出したのだろうか。それは、あの穏やかな笑みを塗り潰し、醜く歪めるほどに強烈なものだったのだろうか。

「全ては想像に過ぎないけどね」

院長は窓の外を見て笑った。


「最後に、言うことがあるでしょう?」

院長は私を真っ直ぐに見詰めて言った。その瞬間、直感した。嗚呼、この人は知っているんだ。私の罪を知っていて、私を呼んでくれたのか。

「はい。私は―――」

友達の物を盗みました。

あの時、私は一人だった。家族が死んで、夢現で、何もかもがどうでも良くて。一人で居ることが多かった私は、友達の鞄に手を伸ばして。そして、それを。

キャサリンに見られたのだ。彼女は微笑んでいた。それが憎らしかった。何よりも腹立たしかった。だから言ってやったのだ。お前は幽霊だと、化け物だと。

「ごめんなさい」

泣き崩れる私の頭に院長が優しく撫でる。

窓の外に少女の影が写った様な気がした。

オチの唐突感が課題でしょうか。精進精進。

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