Prologue
興味を持っていただき、ありがとうございます。本と猫をこよなく愛する女子中学生へおんです。
文章は拙いですし、内容もありきたりかもしれませんが、読んでいただければ幸いです。
題名は仮ですので、そのうち変更するかもしれません。わかりにくかったらすみません。
レイは虐げられて生きてきた。
妹と比べられるこの辛さは、愛される彼女にはきっとわからない。
「合格おめでとう」
この言葉を、今日は何度聞いただろう。
どこよりも入るのが難しい学舎である〝ラピス〟に受かったことを、皆は心底尊敬した目で、嫉妬を滲ませながら祝ってくる。
私レイではなく、双子の妹スイを。
「合格おめでとう」
レイは初めてそう言った。スイが受かったと知ったときも、喉に声がつっかえたようになって、どうしても祝福できなかったから。だけど、一度覚悟を決めたらあっけないほどにさらりと言えた。
「うん、ありがとう」
慣れた様子でにこやかに返し、スイは淡々と包みを剥ぐ。
「……わあ」
スイの目に明るい光の粒が散った。
レイがスイに贈ったのは、花だ。スノードロップという、雪のように白い鈴の形をした花。
花束にしようとも考えたが、枯れないほうが良いかと思い直し、鉢に植えられたものにした。
「雪でできた耳飾りみたい」
スイがぽつりと呟いた。言われてみれば確かに、耳に吊り下げたら可愛いかもしれない。自分なら絶対に思いつかない発想に、ざらりと舌の裏がうずいた気がした。こういうところがスイが天才たるゆえんなのかもしれなかった。
少しだけ口角を持ち上げてスイを見る。
「喜んでくれて嬉しいよ」
それは社交辞令だった。嫌われないように、怒られないように笑うと、妹も笑い返してくる。スイのことだから、彼女もまた社交辞令の笑顔なのだろう。
「へえ、レイにしてはいいんじゃないの?」
母が呆れたような口調に、身体が勝手にびくりと震えた。先程までの感情は消えてなくなり、身体が恐怖に支配された。
また馬鹿にされるのか。また、出来損ないだと失望した目で見られるのか。そう考えると寒気が背中を這い上がってきて、息をするのも怖くなる。
母はレイのことが嫌いだった。レイのいない人生を、きっと母は望んでいた。そして、それはレイもお互いさま。
がたん、と衝撃音がして、レイははっと我に返った。スイが椅子に座りながら、向かい側の椅子を蹴り倒したのだ。
「お母さん、私、お腹空いたよ。ご飯まだ?」
「ごめん、ちょっと待っててね」
スイの刺々しい声に、母がすぐに謝罪を返した。
スイは毎日のように我が儘を言う。我が儘を言えない、言おうとすることさえできないレイに見せつけているのかもしれないし、単に傲慢なだけなのかもしれない。
父も、母も、いつだってスイの言いなりだ。何かあっても、彼女のことは疑わず、レイばかりを非難する。
「でも、どうせならスノーフレークのほうが良かっただろうに。あっちのほうが可愛らしくてスイに似合う」
何気なさを装う父の一言は、冬の冷気を濃縮した温度をしていた。
そう言われることくらい、予想はついていた。スイをどこまでも甘やかす両親は、レイのやることなすことすべてを否定する。レイがスノーフレークを選んでいたとしても、父はきっと別の花が良かったとけちをつけるはずだった。
だけど、この花じゃなきゃだめなんだ。
だって、スノードロップの花言葉は――……
「……そんなことないよ。私、すごく気に入った」
スイが愛らしく笑って見せる。煮詰めた甘露よりもずっと甘い表情。スイは、自分が一番可愛い角度を知っている。その角度で両親を見上げ、彼女はとっておきの笑顔を披露していた。
その手には立派な書物が収まっている。それを見て、喉の奥が痛くなる。視界が揺らぐ。私はあんな本、買ってもらったことがないのに。スイに見せびらかされたことしかないのに。
美しい装飾が施された花の図鑑だ。この本は、幼い頃、レイも欲しがったことのあるものだった。母と二人で出かけた先で見つけて、どうしても欲しくなったのだ。
「お母さん、その……これ、買ってほしいの」
あの日、そうおずおずと申し出ると、母は口元だけを優しく弧に描いた。それから、「無理よ」と首を振る。虫けらを見下すような冷たい声音で、でもその中に少しだけ罪悪感も纏わせていた。
「それ、また今度スイに買う約束をしているの。お姉ちゃんなんだから、譲ってあげていいわよね、レイ?」
「う、うん。……いいよ」
本当は良くなかった。全然良くなかった。レイだってそれが欲しかった。けれど、母に逆らうよりかは我慢するほうが何倍もましだった。ふつふつと沸き立つ感情には蓋をして、レイはその本を忘れることにした。
翌日のことだった。スイが無邪気に笑って、図鑑をレイの元へ持ってきた。うずくまり、一人で絵を描いていたレイに、スイはぱたぱたと軽い足音をたてて近づいてくる。
彼女は豪奢な表紙を見せつけるようにして、両手の中の本を突き出した。
「見て見て、すごく綺麗でしょ! 値段も高かったんだって。それなのに、スイは買ってもらったの! ね、いいでしょ!」
「………ああ、そう」
レイの反応に、スイは眉根を寄せた。しゃがみ込み、レイに目線を合わそうとする。彼女の瞳は美しい色をしていた。何種類もの絵の具を水に垂らして、その上に星の欠片を散らしたような、鮮やかに煌めく深みのある青。
「見たくないの?」
何よそれ。ふいに漏れそうになった本音に、レイは慌ててブレーキをかける。スイの機嫌を損ねれば、母がどんな顔をするか、想像すればすぐにわかる。スイを怒らせる言葉は絶対に言ってはならなかった。
「本、持ってないもんね。ほんとは見たいんでしょ?」
持っていないことを知っていて、こうして見せびらかしに来たのか。奪っておいて、こうして馬鹿にしにきたのか。――怒りと恐怖が、激しく胃を煮立たせていた。こんな妹を、両親はなぜ溺愛するのか、それがどうしても理解できない。確かに愛らしいけれど、孕んでいる毒はそれ以上だ。
「別に、そんなの頼んでないから」
突き放すような口調になってしまったが、溢れる感情を抑えようとは思えなかった。
「あっち行って」
スイの瞳がちらりと揺れた。つるりとした双眸の上を柔らかな瞼が滑り、また持ち上がる。もう一度だけ瞬きをして、スイは「そっか」とつまらなさそうに無表情で呟いた。
「レイのために買ってもらったのになぁ」
ゾッとした。スイはこのためだけに、レイを嘲るためだけに本を買ってもらったのだ。虫が何匹も身体の中を這い回るような悪寒がした。
「うるさい! あっち行ってよ!」
スイを突き飛ばすと、彼女はよろめきながらも倒れることはなく、にこにこと気味の悪い笑みを保ったまま駆け去っていった。
過去の空想を終わらせ、レイは小さくため息をついた。隣を見ると、スイはとある頁に目が釘づけになっている。
スノードロップの頁だろうと、なんとなく予想がついた。
彼女はかなり熱心にそこを見つめている。スイの横顔を眺めていると、嫌でもその睫毛の長さを意識させられた。
スイはゆっくりと視線を逸らし、レイを見つめた。美しい瞳の中で、感情の波が揺らめいている。その表情に、胸がすく思いがした。
これまでの苦しみが、泡のように湧き出ては弾け、消えていく。絶望で身体が動かなかった朝が、皆の嘲りの視線を受けた昼が、両親に一瞥すらされなかった夕が、布団の中で泣いた夜が。死にたいと願い続けた毎日が、とても些細なことのように思えた。
罪悪感がスイの喉を絞めてきて、でもそれを上回るのは快感。無意識のうちに唇の端が吊り上がる。
ざまあみろ。
ぽつりと頭に浮かんだ五文字。それは毒々しい色をしていて、この言葉を思ったのが自分だということにゾッとした。
いつの間に私は、こんなに醜くなったんだろう。
そのとき、何も知らない母が二人の間に割り込んできた。母はレイを押しのけると、スイに優しく笑いかけた。
「スイ、ご飯よ。今日はあなたのための日なんだから、遠慮せずにいっぱい食べてね」
様々な香りが母の手から漂ってくる。香ばしい香り、甘い香り、ぴりりとした香り。それはすべてスイのものであって、レイにはいつも通りの白米が置かれた。それ以外は何もない。
母と父は次々に妹を褒め称える言葉を吐き、レイを馬鹿にする言葉を吐いた。スイはにこにことそれに答え、両親は目を潤ませて「レイと違ってスイはいい子」と繰り返す。その間、レイは無言でなんの味もしない米を咀嚼する。
両親の妹贔屓は今に始まったことではない。幼い頃から、ずっとずっとそうだった。
勉学に励むようになってからは、その贔屓は更に顕著になっている。スイの成績ばかりが伸びていき、レイは低空飛行をよろよろと続けているだけ。勉強は優劣の差がハッキリと浮かび上がってしまうから嫌いだ。
レイが受かったのはラピスではなくラピルス。ラピスに比べるとかなり劣っている学舎だった。
だが、たとえレイがラピスに受かっていたとしても、きっと通えるのはスイだけだっただろう。ラピスの学費はとんでもないことになっている。
二人の父はこの地シュライシャの領主なので、庶民に比べるとかなり裕福だ。しかしながら、シュライシャはラピシャ王国の端の端、辺境にある。父は庶民に比べたら裕福でも、他の地域の領主に比べたら貧しかった。
ラピスに二人の子供を行かせられるほど金銭の余裕はない。
母をそっと盗み見ると、彼女は実に満足げに笑っていた。ラピスに通う優秀な娘を持つことは、彼女の長年の夢だった。それが叶ってさぞ嬉しいことだろう。
レイはきっと、〝家族〟に数えられてさえいない。
でも――ずっと、ずっと前は。
記憶に残っていないほど前は。
父も母も、優しかった。
まだ贔屓するための材料すらなかった頃。まだ優劣の差なんてわからなかった頃。あの頃は、父も母も、優しかったのに。
二人とも、昔抱いていたレイへの愛は、とっくに忘れてしまったのだろうか。
「レイ、食べないの? 私のお芋あげようか?」
スイがこちらをのぞき込んできた。彼女はいつもレイの目を見ようとする。
「いらない、そんなの」
どうせ、また見せびらかしたいだけでしょう?
言外のメッセージはスイに伝わっただろうか。
「そう………」
スイは何か考え込むように遠い目をした。その瞳の中でいくつもの淡い光がゆらりと回る。
スイは誰から見ても美しくて、それがいつも羨ましい。スイさえいなければ、レイも少しは愛されたはずなのに。そう思ってしまう自分も恐ろしくて、もう何もかもが嫌になった。
死のうか。ぽつりと胸の内に浮かんだ言葉はなんとも甘い響きをしていた。うん、いいかもしれない。ラピルスに行ったら、そこで終わりを迎えたい。飛び降り自殺、なんてどうだろうか。いい景色を最後に目に焼きつけられる、最高のシチュエーションだ。
「私も、ラピルスに行く」
ふいに響いたスイの一言が――……レイの妄想を打ち破った。
「え?」
意味がわからない。スイはラピスに行くのだろう。レイと違って、受かったから。スイにとってラピルスは、ただの滑り止めだったから。
けれど、耳に入ってくるのは、まったく同じ言葉の並びだった。
「私も、ラピルスに行くよ」