077 希望の生まれる場所
寝室に薄っすらと差し込む、低い冬の朝日。
カーテンを開けると、ゆったりと空のクジラが泳いでいくところだった。
「今日も冷えるなぁ。あのクジラ、寒くないのかな……」
ラディル達を見送ってから数週間――いつもの一日の、始まり。
窓越しでも冷える手をさすりながら、一階の店へと降りる。
大鍋にパスタを茹でるための水を貯めながら、換気扇のスイッチを入れた。
グォングォンと古い音を立てる換気扇に、徐々に目が覚めていく。
「日替わり何にしよう。年明けってお客さん来るのかなぁ」
水の貯まった大鍋を火にかけて、お湯を沸かす。
その間に冷蔵庫の食材を確認しながら、ランチの準備を進めていく。
「そういえば、ポセさんにアサリをたくさんもらったんだっけ。日替わりパスタは、ボンゴレか――」
五口のコンロにスープやカレーの入った鍋を、どんどん並べて火にかける。
フル稼働で火が灯ったコンロは、暖炉のように暖かい。
コンロに手をかざして温まっていると、最初に火にかけたパスタ用の湯がフツフツと沸き始めた。
「お湯、一杯いただきますよっと」
パスタ用の大鍋からレードルで一杯、お茶を淹れるためのお湯をすくう。
レードルのお湯はティーバッグの入ったカップへ入れ、パスタ鍋の湯に塩を加える。
「今日は休み明けだし、パスタ多めに――このぐらいかな」
大量のパスタを大鍋に広げ入れ、底に着かないように混ぜながら茹でていく。
特大の菜箸でパスタを混ぜながら、お茶を一口。
「ふぅ……あったけぇ……」
ホッと一息ついたところでスマホを取り出し、ステータス画面のアプリを開いた。
ラディルの親愛度画面の一番上位に、虹色に光るアリエスのアイコン。
「やっぱりラディルが選んだのは、アリエスなんだな」
本来の原作ゲームとは全然違うストーリー分岐だったので、確証はなかったけど。
まさかスマホのステータスアプリで、確信することになるとはな。
そのままなんとなく、ぼんやりとスマホ画面をスライドしていく。
「あれ? このアイコン……フェルミス君?」
スキル画面の顔アイコンをタップして、スキル内容を確認。
エアスラッシュにヒールウィンド、それにスキル合成。
間違いない、フェルミス君のアイコンだ!
「いつ食事を一緒に……祭りのとき!?」
そういえば、屋台の後ろで一緒に宴会してたっけ。
はは……ちゃっかりしてるな、ラディルのやつ。
でもこれで少しは、力になってやれたのかな――
「おはようございます、店長」
「おはよう、フェルミス君。もうそんな時間か……」
キッチンの裏口が開き、フェルミス君が出勤してきた。
休み明けで、ゆっくり店の準備をしてしまっな。
俺は気合を入れなおし、茹で上がったパスタをザルにあける。
「店長さん、おはよ~」
「おはっス」
「おはよう。トルト、ヒュー」
トルトとヒューも、出勤してきた。
軽い挨拶を交わすと、早々にランチ準備にとりかかる。
人が増えたからか、徐々に店が温まっていく。
「店長、本日の日替わりは決まってますか?」
「今日は寒いし、ちょっと辛めのボンゴレロッソにするよ。アサリのトマトソースパスタね」
「承知しました」
ランチの日替わりメニューを確認して、黒板を書き換えるフェルミス君。
その背を見ながら、俺は深めのソースパンをコンロに出す。
刻みニンニクの入ったオリーブオイルをたっぷり入れ、数粒のピッコロ唐辛子と一緒に弱火にかけてじっくり香りをたてていく。
「店長! 今日の前菜って、ここのラぺサラダとラタトゥイユでいいですか?」
「ああ、よろしく。そろそろかな――」
ニンニクの良い香りのするソースパンに、アサリと玉ねぎを入れて軽く炒める。
そこへ白ワインを軽く回し入れ、フタをした。
二分もすると、続々とアサリの口が開きだす。
「おお! 今日のアサリは、身がギッシリ詰まってるなぁ! 旨いダシが出てそうだ」
ソースパンのフタを開けると、貝の旨味を感じる香りが広がる。
ここにトマトソースと昆布茶を加え、一煮立ち。
味見スプーンで少しソースをすくい、仕上がりを確認。
「……うまぁ……! やっぱ良いダシ出てるわぁ」
本日の日替わり――ボンゴレロッソのソース、渾身の出来。
思わず味見のおかわりをしていると、後ろからトルトにまくしたてられる。
「ちょっと店長さん! そろそろコックシャツに着替えてきてよ! 開店時間になっちゃうよ~」
「ん? ああ、もうそんな時間か」
そういえば、部屋ぎのまま店に下りてきてたな。
俺は二階に上がり、チャチャッとコックシャツに着替える。
再びキッチンに戻ると、俺の顔を見るなり声をあげるトルト。
「みんな準備できた? お店開けるよ!」
「ウッス」
「大丈夫です」
「よろしく」
全員の了承を得て、トルトは店の扉を開けた。
≪カランカラーン≫
「いらっしゃいませ!」
「こちらのお席にどうぞ」
店の開店札をOPENにすると同時に、何組かのお客さんが入店する。
それをトルトとフェルミス君が手分けして、手際よく席へと案内していく。
キッチンで俺とヒューが水や前菜の準備をしていると、カウンター越しに威勢のいいお客さんが声をかけてきた。
「おう! おはよう、店長!」
「グラトニーさん! いらっしゃいませ!」
挨拶をしながらニカッと笑い、グラトニーさんはカウンター席に座る。
座ると同時にメニュー表を眺め始めたグラトニーさんに、俺はおしぼりと水を出す。
「今日はお仕事ですか?」
「ああ、この時期は街道の警備が忙しくてな。寒いのに堪えるぜ」
「そうですよね。今日は一段と寒いから、日替わりは辛めのボンゴレロッソにしました」
「そこのでかいアサリの入った赤いソースか? いいねぇ、旨そうだ。じゃあ日替わりを1つ、大盛りで」
「かしこまりました」
オーダーを終え、水を飲んで一息つくグラトニーさん。
他のお客さんたちを案内していたトルトとフェルミス君も、注文伝票を持ってキッチンに戻ってくる。
「星巫女さん、あれっきり見ないねぇ」
「今ごろ、どこに居るんだろう?」
ホールから、一息ついたお客さんの話し声が聞こえてきた。
アリエスやラディル、それにユリンさんの事件のことは詳細不明とのことで公にされていない。
それでも噂話は、途絶えることは無かった。
「星巫女ねぇ。ラディルの奴、店長のところに会いに来ねぇのか?」
「いやぁ……」
「なんだよ。薄情なヤツだな」
「ははは。きっとそのうち、また会えますって」
深いため息をつくグラトニーさんに軽くお辞儀をして、俺はオーダーの調理にとりかかる。
≪カランカラーン≫
「いらっしゃいませ!」
フェルミス君の声につられて、店の入り口の方をむく。
入ってきたのはアーネストとドーネルさんという、珍しい組み合わせ。
入口近くにいたトルトに案内され、カウンター席に座る。
「他の人と一緒に来るなんて珍しいな、アーネスト」
「ああ、入り口で鉢合わせてね。あ、黒カレーといつものカルツォーネ七個、持ち帰りでよろしく」
「いやはや、私は日替わりのパスタをハーフサイズでお願いいたします」
「かしこまりました」
二人とも、すっかりメニュー固定の常連さんになったな。
なんなら毎回、座るカウンター席も同じ場所だ。
そしてサクッと注文を終えた二人は、ものすごい早口で議論を始めた。
「ところでアーネストさんのいう壁画はやはり星巫女とダンジョンについて描かれたものだと思うのですよ」
「だとしたら歴代の星巫女についてもっと情報があっても良いはずだし空を泳ぐあのクジラ――」
話が盛り上がったアーネストとドーネルさんは、お互いに資料を出し始める。
そんな二人の様子が、キッチンに料理を取りに来たトルトの目に留まった。
「アーネストのやつ、本まで広げて……ちょっと注意してくる!」
ランチ時というのもあって、トルトは客席での勉強を良くないことだと思ったのだろう。
とはいえ、こちらも料理を待たせているのだ。
それにお客さんは休みや休憩中なんだから、ゆっくりしてってもらいたい。
「いいよいいよ、カウンターはそんなに混まないし」
「でも……」
「メシ屋ってのは、素でくつろいでもらってこそだよ。他のお客さんの迷惑になりそうなら、俺から声をかけるから」
「そう? じゃぁお願いするよ、店長さん」
納得した様子で、料理を運んでいくトルト。
俺も大量に入ったオーダーの料理を、着々と完成させていく。
≪カランカラーン≫
「いらっしゃいませ!」
続々とお客さん来店し賑わうこの店で、俺は変わらず料理を作っている。
新しい明日を求めて――
[第二章 完]
ご愛読いただき、ありがとうございます。
これにて第二章完結です!
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!
いたりあ食堂ピコピコの一話を投稿してから、今日でちょうど一年になります。
途中でネット小説大賞の受賞の打診が来たり、SQEXノベル大賞の中間選考通過したりと、色んな体験をさせてくれる作品だと、作者自身も驚いています。
更新スピードはゆっくりですが、気長にお付き合いいただけると幸いです。
これからも、本作をどうぞよろしくお願いします。




