046 雨と夜食
新商品の発売で賑わった、ランチ営業から一転。
夜は生憎の、雨であった。
「お客さん、来なそうだねぇ……」
店の中から空を見上げ、トルトが残念そうにつぶやく。
市場のある東のメインストリートと違い、西通りは雨が降ると人通りがパタリと途絶える。
「雨、どんどん強くなってないか? あー……みんな、急ぎ足で帰ってくなぁ……」
窓の外を見ながら、ヒューはため息をつく。
通りを歩く人々は、脇目も振らずに早足で過ぎ去ってしまう。
雨の中に取り残された店は、海上の船のようで物悲しい。
結局、夜の営業はピークタイムに数人が来店しただけ。
そのお客さんたちも食事を終えるとサッと帰ってしまい、かなり早い時間に客足は完全に途絶えてしまった。
「今日はもう、閉めちゃおうか?」
「え? いいのー?」
「昼は忙しかったから、みんな疲れてるだろうし……それに明日は定休日だから、早上がりも嬉しいだろ?」
この雨の様子じゃ、お客さんが来ても一人か二人がいいところ。
もし来客があっても、俺一人で店は大丈夫だ。
「確かに! それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな。ね、ヒュー! フェル君!」
「そうっスね!」
「は……はい!」
早上がりの提案に、皆の顔が明るくなる。
俺も昼の営業で疲れたから、早く休みたい。
そうと決まれば、大事な締め作業――まかないだ!
「それじゃ、まかないどうする?」
「あ、それなら俺、自分でピザ焼きたいです! 落ち着いた状態で、練習したいので」
まかない作りを、ヒューが申し出てくれた。
「いいですか?」
「もちろんだよ。俺も助かるし、よろしく頼む」
「へへっ……ありがとうございます!」
ピザ生地を並べたバットを取り出し、まかないの準備を始めるヒュー。
準備を進めるヒューの元へ、トルトが偉そうに腰に手を当てながら歩み寄る。
「じゃあボクは、クワトロフォルマッジを頼もうかな。励みたまへ、ヒュー君」
「あざーっす、トルトせんぱーい!」
軽口を叩き合う、ヒューとトルト。
ヒューはフェルミス君にも、まかないのリクエストを聞いた。
「フェルミス君はどうする? ピザだったら、俺が焼くけど」
「えっ……あ……」
話を振られたフェルミス君は言葉が詰まり、目が泳ぐ。
「僕はまだ……」
「えーっ!? フェル君、大丈夫? 結局、昼食も食べなかったじゃないか」
「それはその……大丈夫、です!」
何かと面倒見の良いトルトは、フェルミス君を心配して問いかける。
早上がりとは言え、夕食どきだ。
流石に全くお腹が空いてないことは、無いと思うけど――慣れない場所で食べるのが、苦手なのかな?
「フェルミス君には、後で俺が何か作るから大丈夫。二人は気にしないで、まかない作って食べてくれ」
「店長……」
「うーん……店長さんがそう言うなら、大丈夫か! じゃあ僕たちは、早く食べて帰ろう!」
「おうよっ! トルトせんぱい!」
トルトとヒューは、二人分のまかないを作り始めた。
それをフェルミス君は、ホッとしたように見守っている。
料理を作る様子には興味があるようだけれど、勤務中と違い積極的に会話に加わる様子は無い。
「ちょっとヒュー! ピザの形が全然丸くないんだけど!」
「なーんかうまくいかないんスよね~。何がいけないんだろ……」
結局トルトとヒューがワイワイまかないを作って食べるだけで、あっという間に時間が過ぎてしまった。
食事を終えた二人は、手早く帰り支度をする。
「おつかれさまです! 店長、フェルミス君」
「それじゃ、休み明けね〜! おやすみ、店長さん! フェル君!」
「はい! おつかれさまです、ヒューさん、トルトさん!」
「雨強いから、気をつけて帰ってなー!」
雨の暗闇の中を、トルトとヒューは足早に帰っていく。
二人を見送り、店には俺とフェルミス君が残された。
「さて、と。フェルミス君、夕食どうする?」
「あ……えっと……」
夕食という単語に、フェルミス君は明らかにうろたえる。
困り顔のフェルミス君は何か言いたそうではあるが、言葉が続くことはなく沈黙が広がった。
助け船になるかはわからないが、俺は食事とは別の提案をすることに。
「疲れて食欲が無いなら、もう部屋で休むかい?」
「………………はい…………」
長い沈黙に、短い答え。
本心で無い事は明らかだけど、フェルミス君の精一杯の答えなのだろう。
こうなるような気がしていた俺はキッチンに戻り、用意していた弁当箱を取り出す。
「それじゃあ、これは夜食の弁当な」
「えっ……!?」
弁当箱に詰めてあるのは、ハムとチーズのサンドイッチ。
それから冷たいお茶を入れた、ドリンクボトルも一緒に。
最後まで食事を食べないと言うようなら渡そうと、こっそり作っておいたのだ。
「食事抜きは、さすがにね。部屋で食べたいときに、食べたらいいよ。本当は温かいものもあったらいいんだけど……あ、お茶か珈琲でも入れていくかい――」
まかない弁当の話をしていると、だんだんとフェルミス君の顔――目元が赤くなっていく。
何かを言いたそうな様子のフェルミス君だったが、言葉にする前にうつむいてしまう。
「……フェルミス君?」
「あ……あの……ごめ、なさい……っ……っ……ごめ……いっ……」
絞り出したような声は、震えていて。
これ、もしかして……泣いてる?
「自分で……説明する、ように……て、ウルに……言われたのに……僕、全然……言えなく……って……このままじゃ……駄目、なのに……」
「ほら、立ち話もなんだから、ね? 一旦座って、落ち着こう?」
「……はい……」
ひとまず俺は、キッチンに一番近い個室の席にフェルミス君を座らせた。
目元を擦るフェルミス君の手は、涙でどんどん湿っていく。
「何か悩み事があったのかな? 気づかなくて、ごめんね」
「いえ……店長は、悪くないです。ただ僕が……」
こんな大きな男の子が、こんなに泣いてしまうなんて、よっぽどのことだ。
俺はフェルミス君の正面の席に座り、か細い声を必死に拾おうとする。
「……食べ、られないから……」
食べられない?
偏食がコンプレックスってこと?
「えっと……何か、苦手だった?」
「違うんです……その……」
フルフルと首を振り、どんどん縮こまるフェルミス君。
両手で顔を隠したまま、声を絞りだす。
「人前で、食べ物が……食べられないんです……」
震えながら、フェルミス君は理由を話してくれた。
人前で食べられないという、意外な答え。
でもこのことにフェルミス君が、恐怖心のようなものを抱いているのが伝わってくる。
「それで、まかないを断ってたの?」
コクリと、フェルミスくんは小さく頷く。
「でも、お腹は空いてるんだよね?」
「それは…………はい……」
「そっか。それじゃ、我慢させちゃったね。ごめんな」
「てん、ちょう……?」
なかなか人に言い出せないほど、深く悩んでいることである。
今日明日で、どうにかできる話ではないだろう。
「まずはちゃんと食べて、休んで――これからの話は、その後……明日、話そう。一人でなら、食べられるんだろう?」
少し驚いたような顔で、フェルミス君はコクコクと頷く。
「それで、何食べる?」
「……あの、そのお弁当を……いただきます……」
「わかった。じゃあフェルミス君は、先に二階に上がって食事をして。それで食べ終わったら、俺に声をかけてくれ」
俺はテーブル越しに、弁当箱とドリンクボトルを差し出す。
少し戸惑いながら、フェルミス君はお弁当のセットを手に収めた。
「あの、店長は?」
「俺は少し店に残って、仕込みや片付けをしてるよ。声をかけられるまで二階に行かないから、安心して」
「……はい」
フェルミス君はお弁当とドリンクボトルを持って、立ち上がる。
そして深々と、頭を下げた。
「それでは、お先に失礼します。お話聞いて下さって、ありがとうございました」
「ああ、ゆっくり休んでね」
何度も頭を下げるフェルミス君を、俺は何食わぬ顔で見送る。
彼の姿が見えなくなると、個室の席に再び腰かけた。
「人と一緒に食べられない、かぁ……」
今日一日を思い返してみると、フェルミス君は人前で食べることを怖がっていたのかもしれない。
どうしてそんなに、怖がるのだろう?
でも――
「どうにかしたいと思って、ここに来たんだよな……」
明日はちゃんと向き合って、話を聞いてみよう。
 




