幕間 009 古の星巫女
「今日はお客さん、全然来ないなぁ……」
もう遅い時間なのに、誰も居ない店内。
こんなにヒマなこと、ここしばらく無かったのに。
「それどころか、前の通りを誰も歩いて無いじゃないか」
カウンターキッチンから通りの面の窓を、ぼんやりと眺める。
いつもなら、もっと人通りが多いはずなのに。
「なぁ、ラディル、トルト。お客さん来なそうだし、夜のまかない食べちゃう……か……?」
あまりに暇すぎて、まかないを作ってしまおうかと二人に声をかける。
だが店員の二人も、店の中に居ない。
「あれ……ラディルはもう騎士団に入って……でも、トルトは……?」
急に店内の不自然さが、押し寄せてくる。
パスタを茹でるボイラーの湯は、小麦ですっかりにごり湯に。
ピザ窯からは、生地からこぼれ落ちたチーズの焦げ付く香り。
「お客さんが居ないのに、どうしてこんなに料理の香りが――」
≪カランカラーン≫
「あっ……いらっしゃいませ!」
ドアベルの音に、反射で声が出た。
扉の方を見ると、和服姿の少女が店に入ってくる。
頭の上には、ピンっと立った狐の耳。
狐の獣人――城下町からあまり出ないから、初めて出会った。
ゲーム・イサナ王国物語には、エルフやドワーフといった様々な亜人も存在してたっけ……。
「ふむ。ここがあやつの働いとる店か……」
カラン、コロンと、ぽっくり下駄の足音。
ゆらゆらと揺れる、フワフワな狐の尻尾。
こちらを見つめる、切れ長の目。
背格好は中学生ぐらいの少女に見えるが、所作からして実年齢は大人の女性なのだろう。
「お客様、お一人様でよろしいでしょうか?」
俺は席に案内するため、扉の方へ向かう。
少女は狐耳をピンと立て、上目遣いでこちらを見遣った。
「うむ、そんなところじゃ」
「テーブルでもカウンターでも、空いてるお好きなお席へどうぞ」
「では、カウンターにしようかの」
キッチンがよく見えるカウンター席へ、少女はゆったり歩いていく。
そして少女は、希望の席の前で立ち止まる。
俺は少女が座りやすいように、カウンター席の椅子を引いた。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「うむ」
軽く頷くと、少女はふわりと飛び上がって席に着く。
まるで、妖精みたいだ。
ぼんやりとそう思いながら、俺は少女にメニューを差し出す。
「メニューはこちらになります」
「ふむむ……」
メニューを手渡すと、少女はそれを開くこと無く目を閉じる。
何やらうんうん唸ったあと、意外なオーダーを口にした。
「うむ。まかない、今夜のまかないを頼む」
「えっ……?」
急にまかないを頼まれて、動揺してしまう。
常連のお客さんならまだしも、この少女はどんな料理が出てくると思っているのだろうか?
「えっと、今日のまかないは――」
「珊瑚樹茄子の肉味噌に、豆乳汁の麺じゃな。それが良い」
「さんご、じゅ……ああ、トマトの事ですね」
トマトの肉味噌……ミートソースのことか!
今日、挽肉が安くて大量にミートソースを作ったんだった。それで兄キを、坦々麺風パスタにして食べようと思ってたんだよ。
それにしても、この少女はどうして今日のまかないを知っているのだろう?
「かしこまりました」
不思議に思いながらも、俺はキッチンに戻って前菜を盛り付ける。
今日の前菜はラぺサラダにマグロタルタル、トマトのブルスケッタ。
「どうぞ、前菜でございます」
「お通しかの。キレイじゃ……まるで紅玉を散りばめたよう」
キラキラとした瞳で、少女はカウンターテーブルに置かれた料理を眺める。
そしてスプーンでマグロタルタルをすくい、口に運ぶ。
「んんっ! これは魚か。美味……好みの味じゃ!」
「気に入っていただけて、良かったです」
少女の食事の進み具合を見ながら、メイン料理にとりかかる。
今日のまかないは、ほとんど仕込んであって、すぐに完成してしまうから。
豆乳に白だしを入れて温め、茹でたパスタと具材を一緒に盛りつける……お客さんに出すんだし、少しトマトも散らしておくか……。
「ふふ……料理は見た目も大事だからのう」
「えっ……あ、はい」
カウンターで前菜を食べながら、面白そうに少女は話しかけてきた。
頭の中で考えていたことに答えられたようで、ビクリとしてしまう。
俺、別に口に出していったりしてないよな……?
何とも言えない違和感にソワソワしながら、まかない料理を仕上げていく。
「お待たせいたしました。本日のピコピコまかないでございます」
「おおっ!」
スープパスタ用の大皿に、たっぷり注がれた豆乳スープ。
中央にはミートソース、それを囲むようにトマトの角切り。
仕上げにアラビアータ用のガーリックソースで、赤いラインが回し込まれている。
「ほぉほぉ……純白のスープに赤いソースが映えるのぉ……これはなかなか……ふむ、いただこう!」
少女はひとしきり料理を鑑賞すると、フォークとスプーンを手に取り、スープパスタを食べ始めた
最初にスープだけを飲み、次にミートソースとガーリックソースを合わせて飲む。
「真っ白なのに、味がしっかりしておる。それに、珊瑚樹茄子の酸味と肉味噌の旨味が、なんとも心地よい」
それからフォークでパスタを巻きながら、器用に食べ進めていく。
着物姿で古風な口調をしているのに、特に食べるのに苦労している様子は無い。
感心して見つめているうちに、彼女はすっかり料理を食べ終えてしまった。
「ふぅ……どの料理も美味であった。満足じゃ! お主、なかなかやるのぅ」
「あはは……ありがとうございます」
「ふふふ」
食後の珈琲を用意しようとしたところ、少女の耳がピクリと動くのが目に入る。
心なしか、彼女の目つきも少しきつくなった気がした。
「さて……いい加減、あやつも来るころじゃろう」
「え? えーっと……お待ち合わせでしたか?」
「ふふ……そんなところじゃ」
何か含みのあるような笑みを見せる少女。
次の瞬間――
≪カランカランカラーン≫
「店長さん! 大丈夫!?」
「トルト!?」
ドアベルが激しく鳴って、トルトが店に勢いよく飛び込んできた。
肩で息をしながら、よろよろと俺の方に寄ってくる。
「どうしたんだ? そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたも無いよ! 急に店の中に、変な魔力の歪みが生じて――」
ゼェゼェ息をしながら、トルトはようやく顔を上げた。
そしてカウンター席に、お客さんが座っているのに気づく。
しばしの沈黙の中、トルトの顔がどんどん青くなって――
「ヒィィィィィッ!? ヒッ、ひぃっ、ひいおばあちゃん!?」
「いささかヒィが多すぎじゃ、玄孫よ」
「玄孫じゃなくて、来孫です!」
「うん? そうじゃったか?」
おばあちゃん? 来孫?
この少女は、トルトのご家族だったのか。
どうりで幼い見た目のわりに、所作が落ち着いてるわけだ。
「まったく……術を破るのに、時間をかけすぎじゃ! 不老の血しか受け継がなんだ……婆はトットが心配で心配で……」
「古の星巫女と比較されて、勝てる相手なんて居ないってば!」
「ふん! 屁理屈を言うでない。つまらんじゃろ」
「いや、圧倒的正論だよね……?」
なんかよくわからない身内ネタが、目の前で繰り広げられる。
とりあえず、トルトが子どもっぽい見た目なのは家系によるものなんだな。
あと、おばあちゃんにはトットって呼ばれてるのかぁ。ちょっと可愛いかも。
「まぁ良い。今日は、とても面白いものが見られたからのぅ」
トルトとの会話に満足したのか、彼女はこちらを向く。
もう、お帰りになるのだろう。
「些末な命運を変えた男を、見られたのだから」
「えっ……」
命運を、変えた?
それってもしかして、マリカ様のこと――
「店主よ。そなたはこの世界の行く末を、知っておるのじゃろう?」
「っ!? それは――」
この人は、一体何者なんだ?
何を……どこまで、知っている?
「もう! タマオリおばあちゃん、またそんな意味ありげなこと言って……店長さん、気にしちゃダメだよ!」
「え……でも……」
まるで意に返さない、トルト。
でもこの人は――タマオリさんは、俺がゲームの運命を変えたと、分かっている。
それに星巫女とは、イサナ王国物語のヒロインの――
「じきに、世界が移り変わる」
タマオリさんは、椅子からふわりと舞い降りる。
そしてカランとぽっくり下駄を鳴らし、振り向きざまに――
「お主がどのような結末を手にするのか……楽しみにしておるぞ」
「あっ! 待ってくださ――」
もっと、ちゃんと話を聞かなくちゃ。
なんとか引き留めようと、キッチンから無我夢中で手を伸ばす。
「うおっ!? 急にどうしたんだ? 店長さんよ」
「え……ぁ……グラトニー、さん?」
カウンター席で食事するグラトニーさんが、驚いた顔でこちらを見ている。
それだけじゃない。
お店の中はお客さんで溢れ、活気に満ちていた。
先ほどまで、店内はガラガラだったのに……。
「店……満、席……?」
「おいおい、大丈夫かぁ? 働き過ぎで、疲れてんじゃねぇの?」
「あ、いえ。ちゃんと寝れてるので、大丈夫です!!」
「お? おう……」
グラトニーさんは心配そうにこちらを見ながら、食事を再開した。
とりあえず落ち着こうと、胸に手を当てて深呼吸。
すると背後から、パタパタとトルトが駆け寄ってくる。
「店長さん、大丈夫?」
「あっ、トルト! さっきのお客さん……タマオリさんは?」
「もう帰ったから、安心してね!」
「え? あ、うん……」
トルトは俺の体のあちこちを、心配そうにペチペチと叩く。
どうやら変な魔法がかかってないか、確認してくれてるようだ。
「タマオリおばあちゃんは……僕の遠い遠~い親戚で、星み――ちょっと変わった魔法使いなんだ。ごめんね、迷惑かけちゃって……」
「いや、大丈夫だよ。ただ、少し話が気になったから――」
「もう、気にしないで! たまにああいうこと言うんだよね、タマオリおばあちゃん」
呆れたように、ため息をつくトルト。
おそらく長年にわたって、掴みどころのないタマオリさんに振り回されてきたのだろう。
これ以上話を聞くのは、難しそうだ。
「……そうか。わかった」
俺は話を切り上げ、店の仕事に戻る。
ホールに出て、お客さんの食事の終わった皿を下げて回った。
カウンター席を確認すると、まかないを盛っていたスープ皿。
「世界の……結末、か……」
少し経緯は変わったが、ラディルが騎士団に入団。
これから本来の、イサナ王国物語が始まる――




